魔法使いの国
床に蹲り、嗚咽を漏らすアーロを見下ろし、敬人は表情を変えずに最初の質問を口にした。
「魔法使いって、なんで人間をさらうの?」
アーロは顔を上げず、震える声で答えた。
「……人間の肝臓を、売るためだ。」
「肝臓を? なんでまた」
「人間の肝臓は……私たち魔法使いにとって、麻薬のようなものだ。私の組…フィクサーズは、捕まえた人間から肝臓を抜き取って売ることを、稼ぎの一つにしている。」
「思ったより気持ち悪い理由だったね。」敬人は眉一つ動かさない。「たださ、君らは魔法使いって名乗っているけど、僕ら人間とあまり見た目が変わるようには見えないんだよね。体の構造も、多分だけど似ているようだし。なんで人間の肝臓だけが、そんなに価値のあるものとして売られてるの?」
「……詳しい理由は、解明されていないが…人間の肝臓を摂取することで、魔力が恒常的に増大することが、実則として証明されている。金持ちの魔法使いや、力を求める好事家たちは、肝臓を食べることで自身の魔力をあげ、戦闘や生存における保険をかけている。そのために…人さらいが、職業の一つとして成立してしまっているのが、今の魔法使いの世界の現状だ。」
「なるほどね。レベルアップのための課金アイテムみたいな、そんな感じなんだ。」敬人は淡々と相槌を打つ。「そっちの世界に連れていかれた人たちは、もうすぐに肝臓を抜き取られちゃうのかな? つまりは、今まで連れていかれた人で、生き残りっていうのはほとんどいないの?」
「それは……多分、少ないと思う。」
「多分?」
「私たちの組は、連れてきた人間からは、肝臓はすぐに抜いている。なぜなら、肝臓が再生するまで人間を生かして飼っておくよりも、次を攫ってくる方が効率がいいからだ。しかし、組織によっては…人間を『家畜』として飼い、肝臓の再生を図って何度も摘出するところがあっても、おかしくはないと思う。」
「うーん。人間をさらってる組織は、アーロさんの所属しているフィクサーズだけじゃないってことか。そもそも、君はどんな組織に入ってるの?」
「私は……フィクサーズという組織に、所属している。」
「で?」
敬人の短い問いに、アーロは一瞬言葉を詰まらせたが、観念したように続けた。
「……私を含めて、三人の魔法使いが、人間を狩るために、こちらの世界にきている。」
「うん」
「…………」
アーロがそれきり黙り込むと、敬人はゆっくりと彼女の右肩に手をかけた。そして、その肩を強く握りしめながら、静かに言葉を続ける。
「それだけってことはないでしょ。フィクサーズは全部で何人くらいいるんだろうとか、君以外の二人がどういう系統の魔法を使うんだろうなとか、君らはどうやってこっちの世界に来たり、元の世界に帰ったりしてるんだろうとか、気になるところはたくさんあるじゃん。」
肩をつかむ手に、ギリギリと力が入る。
「痛っ…!」アーロの顔が苦痛に歪む。
「まだ僕がやりたい『練習』って、たくさん残ってるんだ。とりあえず、右肩から先が綺麗になくなっちゃった時の練習でもしようか。」
敬人がそう言い終わるよりも前に、アーロの右肩からゴギッという鈍い音が響き、彼女は短い悲鳴と共に床に崩れ落ちた。
「------っ!!」
「フィクサーズだっけ? もうちょっと詳しく教えてよ。ちゃんと綺麗に治してあげるからさ」
敬人の声は、あくまで穏やかだった。
アーロにとって、フィクサーズは自分を受け入れてくれた唯一の家のようなものだった。たとえどれほどの苦痛を受けようとも、自分の失態や落ち度で、組織の仲間たちを危険にさらすような真似は絶対にできない。
彼女は、もはや懇願することしかできなかった。
「フィクサーズ以外の他の組織のことや、魔法の世界全般に関して、私が知ってることなら…何でも話す。だから、お願いだから、フィクサーズのことは許してください…。あそこが、私の…私の唯一の居場所なんです。あそこがなくなったら、私は、生きていけません…!」
アーロの必死な訴えに対し、敬人はさして興味もなさそうに、あっさりと答えた。
「うん、いいよ。もともと拷問とかするつもりもなかったしね。君が黙っちゃったから、ちょっと脅しちゃっただけで。」
その言葉と同時に、先程まで潰れていたはずのアーロの右肩が、赤い煙と共に急速に元の形へと戻っていく。
「じゃあ、聞こうか。君のいる組織以外のことを。」
「……話すにあたってだが、君らは、私たちの世界のことをどこまで知っている? どこから話せば理解しやすい?」
アーロは敬人の背後、カウンター席で優雅にグラスを傾けているバニラに向けて問いかけた。しかしバニラは、楽しそうにひらひらと手を振ってこちらを見るだけで、何も答えようとはしない。
「まだ僕はほとんど何も知らないからさ、まずは魔法使いの国がどこにあるのかっていうのと、あとはどんな組織や人たちが僕ら人間を襲っているのかっていうのを聞きたいな。ほら、最初にこっちの世界に攻めてきたっていう、三人の魔法使いのこととか」
敬人が促す。
「わかった。しかし…魔法使いの国、というか私たちの住む世界がどこにあるのか、というのは言葉で説明するのが非常に難しい。私たちと君たちの住むこの地球とは、次元的にも物理的にもかなりかけ離れていて、魔法による転移以外の方法での行き来となると、不可能と言っていいほど困難だと思う。」
「私たちが住む星には、太陽がない。太陽というか、この星のように近傍に熱と光を供給してくれる恒星が存在しないんだ。」
「へぇ。そんなところに、人が住めるんだ。」
敬人が純粋な興味を滲ませて呟く。
「代々、星を温める魔法を専門に使う一族が存在している。その一族の力によって、私たちは生きながらえていると言っても過言ではない。」
「星を温めるかぁ。すっごいな、スケールが大きい話だ。」
「温めるっていうのは、単純にその星の温度を上げるだけなのかい?」
今まで黙って二人のやり取りを眺めていたバニラが、ふいに会話に参加する。その声は、好奇心に満ちていた。
「そうだ。その一族が、私たちの世界の毎日の気温を魔法でコントロールしている。」
「てことは、魔法使いの世界はずっと夜みたいなものなんだ。」敬人が言う。
「……その通りだ」アーロが力なく頷く。
「君ら魔法使いが、夜じゃないとこっちの世界に来られない、あるいは活動しにくいっていうことと、何か関係があるのかなぁ、それ?」
バニラが核心を突くように尋ねる。
「…………私たちは、太陽の光の下では、魔法が著しく減衰する。あるいは、全く使えなくなる者もいる。」
「ふーん。そうなんだぁ」バニラは満足げに笑いながら、アーロの顔を値踏みするようにねめつけ、しばしの沈黙が地下室に流れた。
(なるほど。星の温度をあげる魔法使いがいるっていう話に、僕は単純に「すごい」と思っただけだったけど、バニラはそこから相手の弱点や行動原理に繋がる情報を引き出そうとしてるのか。相手が従順になったからって、ちょっと油断してたな…)
敬人は内心でバニラの尋問術に感心しつつ、思考を切り替える。
「魔法使いの国の基本的なことは、これくらいでいいだろうか? もし良いなら、先ほど君が知りたがっていた、最初にこちらに攻め込んだという三人の魔法使いの説明をしたいのだが。」アーロが促す。
「ああ。うん。よろしくお願いするよ」
「最初にこちらの世界に大々的に攻め込んだその三人というのは、今、魔法使いの国を事実上支配している『レイゼルズ』っていう組織の主要メンバーのことだと思う。一人は、さっき話した星を温めている一族、ジャバー家の現当主、カドゥル。もう一人は、雷系統の強力な魔法を使うレムズ。そして、最後の一人は…私たちも名前と、非常に強力な魔法使いであるということ以外、詳しいことはよく知らない。」
「へぇ、国のトップの方々が、わざわざ先陣を切って侵略しに来たんだ。」
「あの襲撃は、初めてではなかった。それ以前から、魔法使いは少数ながらちょくちょくこちらの世界に来て、調査を行っていたと聞いている。おそらく、先遣隊による長期的な調査が完了したから、組織的に大々的な人間の捕獲に踏み込んだんだろう。」
「なるほどね。そのレイゼルズってところの、他の魔法使いの能力とかは知らないの? 例えば、構成人数とか」
「正確な人数は知らないが、戦闘員だけでも10や20ではないと思う。それに、戦いを専門にしている魔法使いは、それぞれ自分の能力を隠すのが基本だ。カドゥルの魔法が知られているのは、彼の一族が特殊で有名だからだし、レムズの雷魔法が知られているのは、彼の能力が広範囲で応用が利き、あまり隠す必要がないから知られているだけだ。」
「そっか。じゃあ最後に、他の組織に関して知ってることだけ教えてよ。レイゼルズと、君のいたフィクサーズだけってわけじゃないんでしょ」
「あと…私が知っているのは、『ゴラーズ』というグループだけだ。ここも、こちらの世界に来ている魔法使いは、おそらく3人ほどしかいない小規模なグループだと聞いているが、各員の具体的な能力までは知らない」
「なるほどね、魔法使い同士って言っても、互いのことはあんまりよく知らなかったりするのか。まあ、ある意味商売敵みたいなものだし、そんなもんなのかな。」
敬人は一通り情報を聞き終えると、バニラの方を向いた。
「バニラ!僕はこれで大体満足だけど、他になにか聞きたいことってある?」
バニラは薄く微笑みながら、ゆっくりと首を横に振った。
「よし、じゃあアーロさん、長々とありがとう。約束通り、一旦寝かせてあげる。そして……その間に、また練習に入ろうか。これ、昼間に買っといた睡眠薬だからさ、飲んでゆっくり寝てね。寝てさえくれれば、痛くは無いはずだからね。」
敬人はポケットから取り出した小さな錠剤を、アーロの前に差し出した。
練習で自分の体がこれからどういじくり回されるのか、もはや想像することすら放棄したアーロは、差し出された睡眠薬を、素直に震える手で受け取り、水もなく飲み下した。