今世の「わたし」から
22歳のとき、会社を辞めた。
高校を卒業してから4年間、一生懸命に勤務し続けた会社だった。
最初の1年ちょっとは、毎日辞めたいと思っていた。
その会社では、新入りは「下積み」という名の奴隷で、人権なんて概念は存在しなかった。
先輩に呼ばれれば何をしていても駆けつけねばならず、要求に答えられなければ大声で罵られる。
先輩のなかにも序列があって、それを見誤ってはならない。その後の先輩の態度が変わる。
言いつけられた仕事の優先順位を少しでも間違えれば、何十枚もの反省文を書かされる。
本当に時間がなくて、トイレ掃除の最中に、清掃用具庫の蛇口から水を飲んだこともあった。
ただ、時間がなかったがゆえに、辞めることを検討する時間もなかった。
辞めてどうするだとか、何のために働いているのかだとか、生きている意味だとか――思考する時間も体力も気力もなくて、ただただ時間が過ぎていった。
ただ、必死に生きていた。
2、3年経つと、自分が一番の下っ端ではなくなった。
まだ先輩の方が多かったけど、自分も何人かにとっての先輩になった。
少しでも良い先輩に見られたくて、でも舐められたくはなくて、それはそれで必死だった。
どうして舐められたくなかったのかは、今はもうわからない。
その会社では、先輩はすべからくそうあるべきで、そうでなければならないと心から信じていた。
清掃用具庫で水を飲むことはなくなって、ウォータークーラーから飲料水を飲むようになった。
なりふり構わず必死に生きていた頃と違って、少しずつ、人の目線が気になるようになっていた。
高校まではたいしてクラスで目立つ存在でもなかったし、人間関係を深く意識したのは初めてだった。
自分がどう見られているのかが気になって、自分の言動に対する相手の反応をいつも見ていた。
噂の中にある「わたし」がどんな人物なのか、ずっと気にしていた。
4年経ったとき、布団の中で毎日涙が出るようになった。
先輩の方が少なくなって、多くの人にとっての「先輩」になった自分に、自信がなかった。
「下積み」だった頃、わたしが先輩に抱いていた感情が、すべて自分に返ってきている気がしていた。
今思い返せば、尊敬してくれている後輩も、それを伝えてくれる後輩もいたのに。
一緒に生きてきて、信頼し合っていた同期もいたのに。
泣いているときはいつも、そういう人の存在は見えなくて、ひたすら自分に向けられる負の感情と向き合っていた。
自分で会社に持ち込んだケトルでお湯を飲めるようになったけど、何かが冷えていた。
暇な時間が増えて、生きている意味なんかを考えるようになった。
どんな人生を送りたいのか、自分がしたいこともわからなかったから、どこに行けばいいのか困ってしまった。
別に死にたいわけじゃなかったけど、生きるのを休みたい、という気持ちでいっぱいだった。
本当に、疲れていた。
もう何もわからなかったから、誰かに選択してもらおうと思った。
春一番が吹いた22歳のあの日、わたしはあみだくじを用意して、通りがかった数人に線を書き込んでもらった。
一番最後に、隣のデスクのあの子に、スタート地点を選んでもらった。
その先にある選択肢に従って、生きてゆこうと思った。
――そうして、わたしは会社を辞め、今も生きている。