五日目
[キミと海に行きたい]
あのとても奇妙な契約を交わて五日目。
俺の目の前には、素晴らしい硝子玉のような青が広がっていた。そして魔王だとは思えない程、派手な服を着ている。俗に言う柄シャツというやつだ。
そして清々しい風に、鼻を通る塩の匂い。
そう、ここは海だ!
と明るく笑って言えたらどれだけ良かったのだろうか。それに海に来るのは少し時季が遅い。海水浴を楽しむ最適な季節はとっくに過ぎ去っている。
何故いるのかって? それはあの馬鹿が寝ている俺に魔法をかけて、海に連れてきた挙句この服に着替えさせたのだ。ついにアイツは歩くのも辞めたらしい。
俺はもうため息のストックが無くなっていた。そう、俺はもうなにも言わなくなかったのだ。ただされるがままにされていたら、海まで来ていた。
のくせに、だ。アイツはパラソル付きビーチベットの上で己だけのんびりとくつろいでいる。理由を聞くと、
“私、疲れてるんだ”と返事をした。何という生物なのだろうか? このルーキ ハンナという生物は……。
麦わら帽子を深く被り、癖の強いサングラスをつけて、アロハシャツを着て完璧にダラけている。それはもう氷のように溶けている。
因みにハンナ曰く、麦わら帽子とサングラスは変装要員らしい。確かに必要かもしれない。だがこんなにもダラダラとしてある人を勇者だとは誰も思わないだろう。
自分勝手、自分本位、他の生物と比べるのが可哀想になるくらいのダメ人間なのかもしれない。
そのまま氷のように溶けて無くなってしまえばいいと不覚にも思ってしまった。
グシャッと音を鳴らし、サンダルで砂を踏む。砂のジャリジャリとした感覚。
そして俺は、胸一杯に海の新鮮な空気を吸って、大きな声で怒鳴った。
「なんなんだ!」
「ナニが〜」
「どうして海にきたのだ!」
「海がみたかったからかな。最後だし良いじゃん」
「……チッ、まぁな」
俺は少し喉を押さえて考えた。
“最後だし”と言う言葉に俺はやたらと弱くなっているのは明確だった。
だが、その言葉には、確かにあと少しでコイツを殺せる、と言う裏があるのだ。たまには我慢をするのもいいだろう。俺は深呼吸をして、隣にあるビーチベットに腰をかけた。ボケッとするにはとても適している場所だ。
「ねェローガン。」
「なんだ?」
「私、かき氷が食べたいなぁ〜」
「ん? 嗚呼そうか」
「買ってきて」
「はぁ?」
「良いじゃん、減るもんじゃないんだから」
「減るわ!金が!」
「おっと、お金なら私が払うよ」
「チッ」
キラリとした金貨を差し出して、ニコラと笑うハンナ。
俺はやってしまったと思った。俺は寿命がないから、時間が減るわ! とか言えない。
俺はまるで、負け犬のように走ってかき氷を買いに行かされた。こんな屈辱は片手で数えられる程しかない。
その時俺はとても強い敗北感を覚えたさ。店員も俺を魔王だとは思わなかったようで、スムーズに会計と注文が終わる。かき氷を作るために、氷を魔法で削るのは見ていてとても綺麗だ。
そして俺は一つ、悪戯を思いついた。
俺は上がる口角をなんとか抑えながら、両手にかき氷を持って戻っていた。
「ほら、イチゴ味でいいのか?」
「ん〜、うん。いいよ」
「それは良かった。イチゴ味はない」
「えっ」
「お前レモン、嫌いだったよな」
「ま、真逆、そんなわけ〜」
俺にいつも“好き嫌いはよしなよ”と言っているから食べないわけにもいかないだろう。
「ハハッお前はレモン味だ!」
「……子供みたいだな」
「なんだと! でも嫌だろう?」
「確かに……スッゴイ嫌だ」
「ハハッ」
「ほら食え」
「キミは何味なのさ〜」
「俺はブルーハワイだ」
「ズッルー」
「自分で動かないのが悪いな」
「動かたら動くよ、まぁ無理だろうけどね」
「言い訳はよせ。馬鹿バカしいぞ」
「ほら一口食ってみろ」
「つっめた!」
ハンナは目をギュッと瞑りながら、凄い顔をしながらかき氷を全て食べきった。それは冷たかったからなのか、味が不味かったからなのか……。はたまた頭が痛くなったのか。
俺は横目にハンナを見ていた。ハンナが食べているのはイチゴ味で、シロップの色は赤だった。俺は少し疑問に思ったが、アイツは食べてからほぼ目を瞑っていたから、気づかなかったのかもしれない。氷で舌は麻痺するしな。
いやまて、サングラスで色が違って見えたのかもしれないな。
俺はコイツは馬鹿舌という新たな弱みを握った気がした。それはとても喜ばしい事だ。
燦々と輝く太陽が放つ暑い熱で、かき氷がじわじわと溶けわキラキラと輝いてきた。パクリと一口、口に運ぶととても冷たい。まぁ、氷菓子だから当たり前なのだが。
「海綺麗だね」
「そうだな」
「綺麗な青だ。」
「……そうだな」
昼下がり、外の暑さはピークに達していた。
「さてと、遊ぼうか……。」
ハンナはやたらと重い腰をやっと上げた。
ー
「ローガン! ほらここ崩れそうだよ」
「何だと!」
俺たちは子供のように、砂の城を作っていた。魔法ではなく、勿論手動で。
手は砂だらけになる……いや身体中か。どうしてこんなところに付くのだろう? と言うところにも砂がつく。
だが思ってたより難しく、思っていたより楽しい。
俺は内心ワクワクしていた。……初めて海を見たのだ。ワクワクしてしょうがないだろう? そうこれは初めて海に来たからワクワクしているのだ。断じて、砂の城に興奮しているわけではない。
「やっとできたね〜」
「嗚呼」
数時間後……完成したのは、俺の身長の半分くらいの高さの城。中々に大きな砂の城には、貝殻で沢山飾りをつけている。
まるで本物のように細かい造形は、近くにいた子供たちを釘付けにさせていた。
俺はハンナから渡された小さな赤城の旗を、城のてっぺんに震える手で刺す。とても上手くさせたと思う。
勿論俺は満足していた。
そして俺はなぜか、ハンナに写真を取られた。だが二人で砂の城をバックにした写真はとても綺麗に撮れていた。だが俺は気づいた。ふと撮られた写真に写った俺の顔は、とても怖い顔をしている。なんだろう……とても目つきが悪い。そして口角が下がってあるからか、ぱっと見機嫌が悪い人だ。
「あれ? もう夕方かい?」
「確かにそうだな」
「もう帰る?」
「……ここは星が綺麗に見えるらしいぞ」
「そうかのかい!」
「嗚呼昔、初恋の人が言っていた」
「エッ、キミも恋をしたことがあるの!」
「酷いやつだな、俺も元々は人間だ」
「その恋心はまだ覚えているかい?」
「いいや、全然。なんなら最近は心臓が止まっている気がするな」
俺は優しく左胸の辺りを撫でた。
「……そうか」
ハンナは小さく呟やく。
「フフッ、星を見てから帰るかねェ。綺麗じゃなかったら許さないけど」
「俺じゃなくて、初恋のヤツか、空を恨んでくれよな」
「キミも素直になったね」
「嗚呼」
俺たちは夜になるまで、ビーチベットに寄りかかり雑談をしていた。まぁ、ほぼ俺の恋の話を根掘り葉掘り聞かれただけだったが……。
それはもう馬鹿みたいに、沢山のことを話した。
「ねぇ、キミは来世何をしたい?」
「……俺の来世を望む人がいると思うか?」
「あー確かに」
「そうだろう?」
この世界では、来世……つまり転生するには自分以外の人が望み、転生する本人が許可を出す必要がある。俺は百パーセント無理だろうながな。
何故なら人に恐れられて、人に嫌われた魔王の俺だ。
「諦めるなんてキミらしくないね」
「不可能な事を俺は望まないよ」
ー
「おお〜、綺麗だね!」
空に広がる星空。群青色の空にキラキラと宝石のように光る星は、とても美しい。
「とても綺麗に見えるな」
「そうだね〜」
俺たちは空を一身に見つめていた。
「お前が箒に乗れたらもっと近くで見れたのにな」
「確かにねェ、私も見たかったよ」
「……そうか」
「でも、最後にこの空を見れて嬉しいな」
コイツを殺せるまで、あと二日。俺はコイツの我儘に付き合う事がなくなると思うと、小さく笑みが溢れた。
嬉しい笑みだったのか、悲しい笑みだったのか。それは本人にもわからない事だった。
「ねェ、ローガン。過去に戻れるならいつに戻りたい?」
「は?」
「魔王になる前? 私と契約を結んぶ前? それとももっと前?」
「……俺は過去には戻らない」
「なんで? 後悔はないの」
「あるさ、沢山。だが過去に一度戻ったら今まで、頑張ってきたのが馬鹿みたいじゃないか」
「そっか」
「人生一度きり、だから人は必死になるのだと思う。その目的を達成するために」
「……そうだね。でも私は満足だよ」
「なにがだ?」
「この人生の選択に」
「嗚呼、お前の話はよくわからん」
「フフッそうかい」
ー
俺は目を疑った。
幻覚でも見せられているのか思ったくらい。
隣のバーチベットでハンナが寝ていたからだ。ハンナの寝顔を見たのは初めてで、一緒に暮らしいているがアイツは人の前で眠らない。
なんなら人前で隙を見せようとしない。
寝るのは遅いし、起きるのは誰よりも早いから。
いいや寝顔を見せないのは、警戒心が強いからなのかもしれない。
昨日の話を思い出す限り、生まれてからずっと命を狙われ続けただろうから。
だがら最初は揶揄っているのか、思い無視して星を眺めていたがハンナは起きる気配なかった。
なんなら、どれだけアイツが好き好みそうな話をふっても返事はなし。
何か悪戯でも仕掛けてやろうと杖を振ろうと思った時、
“もう帰ろうか”とハンナが目を開けて、尋ねてきた。
俺は驚いた。コイツも嘘をつけるんだと。
俺は小さく頷いた。
“帰ろうか”と。
俺は綺麗な夜空の下、軽く足を動かした。夜の不気味な海が俺たちを飲み込んでしまう前に……。