一日目
[キミとご飯を食べたい]
あのとても奇妙な契約を交わした次の日。
俺は穏やかな睡眠をとっていた。そう、そのはずだったのだ。だがその日はイレギュラーな出来事が起こった。
カツカツと廊下を踏む音。勢いよく開いた扉。
カーテンを勢いよく開けられる。太陽の光が入ってくると思っていると、思ったよりも部屋は薄暗いままだった。
微かに開いた目の先には、可愛らしいエプロンを身につけたハンナが居る。いい歳の男がつけていいものではない。わざわざ家から持ってきたのだろうか?
…………よし寝たフリをしよう。俺はまだ寝てきて、一生起きない。うん、そうしよう。
その時、呑気な声が部屋に響いた。
「おい、起きろ。ローガン」
「……」
「起きろ!」
「……」
「おい、“布団よ飛べ!”」
コイツ、布団を飛ばしやがった。むっちゃ寒い。杖をわざわざ構えてまで……。
ほら、どっか行け。俺は寝ているぞ。
「起きろ!」
…………。
「ああー、煩わしい!
お前は俺の母親か? そして今朝の何時だと思っている!」
「友人だ!そして五時だ!」
「まだ五時だ。太陽だって顔を出していないだろう。」
「いやツルピカ頭のテッペンは出ている!」
「それは、出てないに入るのだ。」
「いいから起きなさいな。もうパン焼いたから」
「ンー」
ほら俺の平和な日常が壊された。
俺の毎日のルーティーンは早々にぶち壊されたらしい。
ハンナが開けて行ったカートンからは先ほぼと違って、微かに暖かな光が差し込んでいる。この部屋に日差しが入ったのは、何年ぶりだろう。
人に起こされたのはいつぶりだろう。
俺はゆっくりと床に足をつけた。
少し軋んだ床、その床は俺の足より冷たかった。
俺は靴を履いて、杖を持ち身支度を終わらせた。
自分で言うのもなんだが、俺は結構な完璧主義だ。
髪は毎日しっかりと櫛で解いて、服をしっかりと着替えないと絶対に自分の部屋を出ない。
勿論、服についているブローチは毎日念入りに磨いている。なので黒い服に、いつも違う宝石がハマっているブローチがキラキラと輝いている。
今日の宝石はボルダーオパールだ。キラキラと七色に光るのがとても美しい。
ー
コンコンと音を鳴らしながら階段を降りると、いい匂いが鼻を通った。耳には壊れかけの蓄音機から穏やかな音楽が流れている。この家に蓄音器があったのか……。
いい匂いの正体は、ハンナが焼いたパンのようでとてつもなく豪勢な皿に乗っていた。家庭的なパンと皿のアンバランス感が拭えない。
いつもより眩しいリビングに目を細めるとその先には、ハンナが座りながら新聞を読んでいる。
なんだ、文字を読めない馬鹿だと思っていたが違ったらしい。
その新聞の大見出しには、
“勇者 ルーキ ハンナ謎の失踪か?”と書かれていた。
お前は俺と違って注目されているのだから家に帰れ! と言いそうになる口を閉じ、ハンナの方を見ると、
「おはー」
と呑気な挨拶が帰ってくる。
昨日とは違って、ボサボサの金髪にローブ姿。目が悪いのか、カッコ悪い眼鏡をかけていた。
古びた黒の丸縁眼鏡は茶色の瞳を強調させている。
俺はその時、信じられないものを見たかのような目をしていただろう。
先程は寝ぼけていてよく見えなかったが、こんな格好をしていたとは……。コイツとはつくづく考え方が違うようだ。
「それにしてもよかったー、来てくれて。
流石にこの量は一人で食べれないよね」
「フン」
「ほら座らなよ」
促さすように手で椅子を指す。その椅子に座り、トーストを食べようと手を伸ばした時だった。
ハンナは、バシッと俺の手を掴んでジッと俺の目と目を合わせる。
「な、なんだ」
「頂きます、だろ?」
「はぁ? なんだそれ」
「本当に昔、読んだ本で事があるんだ。文字間違ったから読むのには苦労したけどね」
「そうか」
「ほら手を合わせなよ。私に感謝しながら」
なぜコイツに感謝なんてしなければいけないのだ……。
「……」
「ほら」
「チッ、イタダキマス」
「ヨシっ」
口に運んだパンは想像よりも美味しかった。いつも食べている乾燥肉とは天と地の差があるほど。
なによりも食べていてジャリジャリ言わないのが嬉しい点として挙げられる。そして温かい飯はうまいと再認識した。
「おいしいか?」
「まぁまぁだな。食えんこともない」
「へー。素直に美味しいって言えばいいのにね。」
「はぁ」
「ねェ、トマトも食べようよ」
「遠慮しよう」
「好き嫌いはダメだよ」
「チッ」
「食べなよ」
俺は思った。コイツ、朝もそうだったが中々にしつこい、悪い言い方をすると粘着質だ。良い言い方をすると、自分の行動を曲げない……コレも言い方としては良くないな。
ガチャリとトマトを噛み潰す。とても嫌な感触だった。
ー
「ねェ今日、チェスしたいな」
「一人でしていろ」
「えっ、相手いないとつまんないでしょ」
「土人形を作ってやる」
「えー、私はローガンとやりたいな。友達が悲しんでるんだから、やってあげなよ」
「………」
「ねぇ〜」
「ああ! 鬱陶しい!お前は、静かにメシも食えないのか!」
気づけばガタンと椅子を立ち上がっていた。食器がグラリと揺れる。コップの中に入っていた水はゆらりと動き、少し机に飛んだ。
「うおっ、ビックリした。いいでしょ?」
「何が!」
「一週間で終わるんだから」
確かにそうだ。一週間後には、コイツはこの世にはいない。
たかがその間だけの辛抱。
耐えられないこともない。
我慢だ。
「それに、一緒に食べるご飯は美味しいでしょ?」
「はぁ、そんなことはないな。一人でも美味しい」
「そっかー、私は一人のご飯は嫌だね」
「そうか。俺とは趣味が合わないようだ」
「そうだね〜。」
欠伸をするハンナを見て眠いならこんなに早く起きなければいいのに、と思った。
「……チェスの話だが、やってやる」
「本当かい!」
「嗚呼、俺は嘘はつかない。」
「フフッ私とは違うねェ」
「はぁ、ほら食え」
「はーい」
俺は見て見ぬ振りをした。
この飯がおいしいと。
だがコレはコイツと食べているからではなく、ただこの飯が美味しいからで、決して人と食べる飯が美味しいと言うわけではない。
この時間が一週間で終わる事が惜しいなんて、俺は思っていない。
誤魔化すように、一気にスープを飲み込んだ。
ー
「ねェローガン、チェス強くない?」
「お前が弱いのだろう。」
「エッ、ヒドー」
「強くなってから口を叩け」
「ハイー」
俺の手から王の駒が悲しく、コツっと音を鳴らした。
「チェックメイト」
「アハハー、残念だな」
「そうか」
「ローガン、ご飯食べる?」
「……あぁいただこう。」
「ふふっ」
「何を笑っている!」
「キミはわかりやすいなと。」
「子供っぽいと?」
「捻くれてるなぁ、まぁそうとも言うかな」
子供‥‥か。
「そうか、世間ではそうなんだな」
俺のふと溢れた声は、誰にも聞かれず風に攫われた。
ー
「早くー、この屋敷広すぎで私一人じゃ迷子になるよ」
「ハハッ、馬鹿め」
「なんか言ったか?」
ハンナの茶色の瞳がキラリと、俺を睨んだ。
「いいや?」
「そうか。昼ごはんは何がいい?」
「乾燥肉以外」
「乾燥肉? 食べた事ないなー」
「お前はお坊ちゃんなんだな。俺はよく食べた時期から、そのままだ。」
「そうなのかなー」
そうだ、と返事をして俺達は歩いた。
いつもは光がひとつも入らない屋敷に光がある。
いつもは一つしかない足音が二つある。
そしていつもは無言の屋敷に笑い声が響いている。
ー
ハンナが作ったご飯。それはとても温かいものだった。それを口に運んでいるとハンナが話しかけてする。
「ねェ、ローガン」
とても寂しそうな声。慈愛に満ちた笑顔。
勇者は魔王に対して、そんな顔をするのかと驚いく。
少し目を見開いた後、俺は動揺を悟られないように返事をした。
「なんだ?」
「誰かと一緒に食べるご飯はおいしいか?」
「……どうかな」
「フフッそうか、そうか」
「なんだ。気持ち悪い」
「いいや、私はキミと喋りたかったんだよ」
「ずっと前からね。」
「そうか、昨日が初対面なのに不思議な事だな。」
「確かにねー」
どこかハンナは寂しそうに笑った。
その顔は、かの有名な勇者様とは程遠い姿。俺の喉がゴクリと鳴った。
“何故皆かれ慕われているお前がそんな顔をしているのか”とは恐ろしくて聞けなかった。
俺の中の何が壊れる気がして……。
その何かに悲しむ表情は、鏡でいつも見る俺の顔とそっくりだった。
「美味しいかい?」
「まあまあだな」
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