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8.怪人、ラーメン屋に入る

 夕刻、教室から逃げ出してきた泰時は、当てもなく駅近の大通りをぶらぶらと徘徊していた。

 結果として、物理的に瑠菜から距離を取ることは出来た。

 だというのに、気持ちは全く晴れないままだ。

 入学当初から抱えていた自分自身の気持ちに、気付いてしまったからだ。しかもその相手が、後に宿敵となるというのである。

 こんなにも悲劇的な話は無いだろう。

 正直、明日からどんな顔をして学校に行けば良いのか、分からない。このまま誰にも知られること無く、消え入りたい気分だった。


(東崎さんに、悪いこと、しちゃったかな……)


 何故彼女が泰時なんぞに気を掛けて、一緒に帰ろうなどと申し入れてきたのか、その点については今もって不明のままだ。

 もしかしたら彼女は、命を救った泰時に対して少しでも恩返しがしたいと思っていたのかも知れない。

 だがいずれにせよ、泰時は瑠菜が向けてくれた僅かばかりの厚意を無下にした。きっと、もうすっかり嫌われてしまったことだろう。

 否、それは寧ろ好都合ではないか。

 彼女に嫌われてしまった方が、10年後には何の心置きも無く互いに命を奪い合うことが出来る。

 ここでさっさと袂を分かった方が、気が楽かも知れない。

 が、矢張り心は晴れない。寧ろ重苦しい気分が胸の中にどんどんと膨れ上がって来る。

 状況的には最善かも知れないが、精神的には最悪な段階に落ち込んでいるといって良い。


(何でこんなに、ツラいんかな……)


 ここまで中途半端に気が重くなるならば、いっそのこと記憶だけではなく、10年後のヒストリーハッカーの人格そのもので、精神を乗っ取ってくれた方が良かったかも知れない。

 そんなことを考えながら、泰時は時刻を確かめようと思って何気なくスマートフォンを手に取った。

 そしてこの時、或ることを思い出いた。否、思い出したというよりも、ヒストリーハッカーから受け継いだ記憶の中から、ひとつ重要な事件を無意識に掘り起こしたといった方が正しい。


(あれ? もしかして今日って……)


 泰時がいじめを受ける切っ掛けとなった事故が生じたその日、実は瑠菜の身にもうひとつ、重大な事件が襲い掛かっている。

 その事件がどういう訳か泰時の所為だとされて、彼に対するいじめがエスカレートする要因ともなっていたのだ。


(確か、この後、東崎さんは駅前商店街の裏で、妙な連中に絡まれて……)


 そして彼女は拉致され、強姦されたのだ。

 この事件の後、瑠菜はしばらく登校拒否に陥り、多くの生徒達が彼女の身に何かが起きたと悟った。そしてその怒りの矛先が泰時に向けられ、いじめが更に酷くなる要因となったのだ。

 瑠菜の登校拒否は飽くまでも彼女が暴漢連中に襲われたことが原因だが、その日の校内で、泰時が瑠菜の胸に触れたことが彼女を精神的に傷つけ、登校拒否を引き起こしたと誤解されたのである。

 とんだいいがかりではあったが、しかしそれがクラスメイト達の間では真実となった。

 事実は必ずしも、真実と同じではない。

 その結果として泰時は地獄の三年間を過ごす破目に陥ったのである。

 そして同時に、泰時は新たな危機感を覚えた。

 もしもこのまま瑠菜が本当に暴漢連中に襲われ、強姦されるとなったら、自分は自分を許せるのか。

 あの時、瑠菜からの厚意をそのまま受け取っていたら、彼女はもしかしたら、妙な連中に手籠めにされることは無かったのではないか。


(そんなのは、絶対に嫌だ……彼女には、傷ついて欲しくない……!)


 泰時は、ヒストリーハッカーの記憶を更に掘り起こした。瑠菜がどこで、誰に襲われたのかを徹底的に思い出し、その恐るべき事実を未然に防いでやろうと思い立ったのである。


(どこだ……東崎さんは今、どこに居るんだ?)


 泰時は商店街の裏道を、駆けに駆けた。絶対に瑠菜を探し出し、彼女の身が汚されるのを何が何でも未然に防ごうと走り回った。

 そして、見つけた。


「ヤだ……やめてってば! わたし、あなた達なんかの相手になりたくないんだから!」

「うるせぇな、暴れんじゃねぇよ! てめぇからのこのこついてきた癖によぉ! 今更かまととぶってんじゃねぇぞ!」


 瑠菜が、三人のチャラ男に囲まれ、腕や肩を掴まれている。

 泰時は何の迷いも無く、その場に割り込んでいった。


「あ? 何だぁてめぇ!」


 チャラ男のひとりが、いきなり飛び込んできた泰時に鬼の様な形相を向けた。

 が、泰時は無視した。


「ポーズイン」


 その直後、泰時以外の全ての時間が静止した。

 泰時は瑠菜の柔らかな体躯を抱え上げ、一気に大通りへと飛び出した。流石にここまで来れば、あの連中も無体な真似は出来まい。


「ポーズアウト」


 途端に、全ての時間が動き出した。

 周辺の通行人らは、いきなり現れた泰時と瑠菜に心底仰天した様な顔を向けていたが、それ以上に瑠菜の方が信じられないといった様子で、傍らに立っている泰時の顔をまじまじと見つめてきた。


「え……叶邑……くん……?」


 恐らく彼女は、相当に混乱している筈だ。

 ほんの一瞬前まで、瑠菜は商店街の路地裏に居た筈なのだ。それが瞬きもせぬうちに、いきなりひと通りの多い場所へ瞬間的に移動したのである。

 驚くなという方が無理だろう。

 だがそれでも、現実に起こったことは間違いない。瑠菜は暴漢連中から逃れ、今こうして、泰時と共に大通りの歩道上に佇んでいるのだ。


「えっと……わたし……一体、どうやって……っていうか、何が起こって……」


 泰時は何も答えずにそのまま立ち去ろうとした。が、出来なかった。

 瑠菜が泰時の腕にしがみついてきて、息がかかる程の距離にその美貌を寄せてきたのである。


「叶邑くんが……助けて、くれたんだ……ね……?」

「東崎さん、ひとつ、お願いがあります」


 周囲から好奇の視線が浴びせられる中、泰時は間近から瑠菜の面に視線を返した。


「ここで起きたことは、全部、忘れて、下さい。僕も、何も見なかった、ことに、します」

「……叶邑くん、それ……ちょっと、無理かも」


 瑠菜は今にも頬が触れそうな程に端正な面を寄せてきて、幾分興奮した瞳で覗き込んできた。


「だって……わたし、これで二回目だよ? 危ないところ助けて貰ったの……そんなの、忘れるなんて、絶対無理だよ」


 矢張り、無理か。

 泰時はポーズではなく、リワインドを仕掛けるべきだったかと内心で悔やんだが、しかし今更遅い。

 少しばかり考える時間が必要だ。

 と、ここで彼は手近のラーメン屋に視線が向いた。微妙に腹が減っている。


「あの、東崎さん……ラーメン、好きですか?」

「え? ラーメン?」


 一瞬何をいわれたのか理解出来ない様子で両目を瞬かせていた瑠菜だったが、しかしすぐに、その美麗な面に笑みが浮かんだ。


「うん、大好き」


 瑠菜は嬉しそうに頷き返した。

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