12.怪人、脅迫者たれ
10年後のヒストリーハッカーが泰時に与えたのは猟鎧兵としての特殊な能力だけではなく、およそ人類の知り得るあらゆる技術を凝縮し、ひとつの巨大な記憶装置として現在の泰時の頭脳内に押し込めていたということに着目しなければならない。
それらの知識の中にはハッキング、或いはクラッキングなどのネットワーク侵入技術も含まれている。
今の泰時は恐らく、世界屈指の超有能なハッカーとしてあらゆる企業ネットワークやデータベースに侵入することが出来るだろう。
(東崎さんを率先して陥れているのは……うちのクラスの、曽根綾香さん、だね)
指先だけを猟鎧兵としての改造魔人状態と化して、自宅のネット回線に触れてみた泰時。そこから先に、自らの意識を電子化して送り込み、クラスメイトらが使用しているSNS内部へと侵入させた。
それ以降はハッキングの技術を利用してデータベース内へと潜り込み、瑠菜に関するあらゆる情報を探り出した泰時。
その中からこれはと思われる情報を次々と引き出し、それらの情報を精査した結果、クラスメイト女子の曽根綾香が率先して瑠菜を孤立させていることが判明した。
彼女をどう料理すれば、瑠菜への被害を食い止めることが出来るのか。
ヒストリーハッカーの知能をフル回転させて、泰時はひとつの結論を導き出した。
(曽根さんは今、東崎さんに対して攻める立場にある……だったら逆に防戦一方に追い込んで、東崎さんに余計な手出しをしている暇は無い状態にすれば良いのか)
泰時は綾香の弱点を徹底的に衝くことにした。彼女を恐慌状態に陥らせることで、自ずと瑠菜から手を引かざるを得ない状況にしてやれば良い。
その為には、綾香の個人情報を洗う必要がある。
(どれどれ……ふぅん……成程……)
幾つかのSNSに潜り込み、それらから綾香に関する情報を色々と掘り出してみた。
そんな中でひとつ、決定打になり得る面白いネタを入手することが出来た。
(よし、これだ)
それは、綾香がパパ活に身を投じていることを示すデジタルタトゥーだった。更にパパ活相手の情報も全て抜き取り、自身の記憶領域に片っ端から書き込んでゆく。
そうして或る程度の情報が出揃ったところで、今度は差出人不明のSMSを綾香のスマートフォンに送りつける。そのメッセージにはサーバーから抜き出したデジタルタトゥーと、パパ活相手の情報を全て記した。
全く見も知らぬ相手から、身を滅ぼしかねない恐るべき脅迫文が突き付けられるのだ。
恐らく綾香は、喉から心臓が飛び出る程の恐怖と絶望に襲われることだろう。
(さて、他にも始末をつけなきゃな)
更に泰時は、綾香に同調して瑠菜を孤立させている他のクラスメイト女子に対しても同様の攻撃を仕掛けていった。
誰しも、必ずひとつやふたつは、ひとにはいえない悩みを抱えているものであろう。それらの秘匿情報を全て洗い出し、本人に対して差出人不明の謎の人物からの無言の脅迫という形で送りつける。
そうなれば彼女らはとてもではないが、瑠菜に孤立化攻撃を仕掛けている余裕など無くなるだろう。
但し、この脅迫は瑠菜に対しても平等に行わなければならない。万が一、瑠菜だけが被害に遭っていないということが明るみに出れば、今回の暴露戦術の犯人が瑠菜であると疑われる恐れがある。
即ち、瑠菜もまた同じく被害者のひとりという位置づけに持ってゆくことで、彼女に疑惑の目が向くことを避けるという訳だ。
(東崎さん、御免ね……なるべく、当たり障りの無い秘密を覗く様にするから)
内心で何度も頭を下げながら、泰時は瑠菜の個人情報も抜き出し、暴露されると少しばかり恥ずかしいと思われる内容を抜擢して、彼女のスマートフォンに差出人不明の謎の人物から送りつけるという体を装った。
これで瑠菜もまた被害者のひとりであり、彼女に疑惑の目が向けられることは無い。
それにしても、瑠菜が抱えている秘密は中々刺激的なものだった。
(え……東崎さん……意外だったな。そんな趣味、あったんだ)
今回泰時が知った瑠菜の趣味――それは、BL小説の男性キャラクターに扮するコスプレ、だった。
まさか成績優秀、文武両道の超絶美人な瑠菜にそんな趣味があろうとは、流石に予想だに出来なかった。
しかし、これが仮に明るみに出たところで法的に何か問題が生じるという訳ではない。ただ単に、本人が恥ずかしい思いをするだけで、誰かに迷惑がかかるというものでもないだろう。
(御免なさい、東崎さん。ホント、御免なさい)
心の中で平謝りしながら、瑠菜に対しても秘密暴露を匂わせる脅迫メールを送りつけた泰時。
後は翌日以降の、クラスの雰囲気を密かに観察するのみだ。
これで何の効果も無ければ新たな手段を考えなければならないが、恐らくそんなことにはならないだろう。
と、ここで泰時はふと、別の手段を思いついた。
(そうだ……あのバスケ部のエース……高山先輩だっけ。あのひとの恥ずかしい裏情報も一緒にばら撒いてやろうか。そもそも、あのひとが東崎さんにコクったりしなかったら、こんな騒ぎにはならなかったんだし)
男子バスケットボール部のエースであり、多くの女子生徒にファンを持つ二年生の高山幸浩。
厳密にいえば、彼には罪は無い。しかし問題の根源である彼をこのまま放置しておけば、必ずまた同じことが起こるかも知れないと考えた泰時は、申し訳ないとは思いつつも、彼の恥部を今回脅迫を送りつけた全ての女子に知らしめることにした。
これで彼女らはイケメンエースに相当幻滅し、もう瑠菜に対して余計な攻撃を仕掛けることも無くなるであろう。
(ホント、御免なさい……)
エース高山に対しても心の中で平謝りしつつ、泰時は容赦無く彼の恥ずかしい情報をばら撒いた。
◆ ◇ ◆
そして、翌日。
一年A組内には、それまでとは明らかに異なる奇妙な空気感が漂っていた。
どの女子も互いが互いを牽制し、疑い合う様なピリピリした視線を交わしている。昨晩、泰時が送りつけた脅迫メールの犯人が誰なのか分からない為、お互いに疑念を抱き合っているのだろう。
昨日までは瑠菜を追い詰める為に結託していた者達が、今度は自分達の中に敵が居るかも知れぬという疑心暗鬼に囚われ、お互いの信頼が完璧に失われた状態に陥っている。
そうなると、最早互いに協力して瑠菜ひとりを孤立させ追い詰めるなんてことは不可能となるだろう。
事実、クラスメイト女子らは引きつった笑顔を浮かべながら、再び瑠菜と挨拶を交わす様になっていた。
場合によっては、瑠菜との友誼を復活させた方が安全だという打算が働いているのかも知れない。
泰時の作戦は成功した、といって良い。
(……まぁ、当分の間はぎこちない雰囲気が続くかも知れないけど)
内心で苦笑を禁じ得ない泰時。
今回の脅迫メールの犯人が陰キャなぼっち野郎であるなどとは、脅されたクラスメイト女子らは誰ひとりとして想像もしていないだろう。