10.怪人、その絶対的な力の差
薄暗く狭い路地の合間で、泰時は足を止めた。
背後に、ひとの気配があった。
「よぉ……やっぱり、お前だったか」
その声に振り向いた。泰時の面には強い警戒の色が浮かんでいる。
目の前で晃司――未来のサウンドハンマーがにやにやと笑いながら、上から目線で睨みつけてきていた。
「さっきのアレを見て、すぐにピンと来たぜ……まさか本当に、他にも居たんだな」
この時、泰時は喉の奥で小さく唸った。
矢張りそういうことだったのか――これは由々しき事態だ。決して放っておく訳にはいかない。
「ヒストリーハッカーは、自分だけの記憶と能力を過去に送った訳じゃなかった、ってことか」
「みたいだなぁ。んで、俺のは何? サウンドハンマーっての?」
晃司は握り締めた右の拳を自身の眼前に掲げた。宙空の一点に何やら意識を集中させている様にも見えるのだが、その仕草に泰時は見覚えがあった。
否、正確にいえばヒストリーハッカーの知識の中に、サウンドハンマーが能力を駆使する際の所作が情報として含まれていたのである。
「何だよ、何も起きねぇじゃねぇか……もうちょっと、訓練しなきゃなんねぇのかなぁ」
しかし晃司の顔には悲観の色は見られない。寧ろ、妙に勝ち誇った表情さえ浮かんでいた。
「ところでお前、さっき何したのか、分かってんだろうな? あの女……あいつは将来、俺達の敵になる奴なんだぜ? そいつを助けたってことはお前、俺達を裏切るってことになるんだぜ?」
「君は何か、思い違いをしてる様だけど」
泰時は警戒の念を重ねつつ、静かに声を搾り出した。
「今の時点の僕は、まだ猟道衆に入った訳じゃない。単に未来の自分から力と記憶と知識を一方的に押し付けられただけなんだ。だから裏切り云々ってのは筋が違うよ」
「へぇ……んなこと、いっちまうんだ。じゃあ、今から俺がお前をどうしようが知ったこっちゃあねぇって訳だな!」
晃司は凄みを利かせて叫び、自信に溢れた笑みを浮かべた。
矢張りこの男とは、分かり合えそうにはない――泰時は腹を括った。
「大体俺はなぁ、お前なんかに見下されんのがクソむかつくんだよ。だからここで、どっちが上かはっきりさせておこうかと思ってんだよね」
いいながら晃司は少しずつ間合いを詰めてきた。
泰時は身構えた。相手が何をして来るのか、読めなかった。
「知ってるぜ、お前の能力……時を操るには、結構な精神力を消耗するんだってな。それじゃあ俺は、お前の気力が尽きるのを待ってりゃそれで良いって訳だ」
その直後、晃司は握っていた右の拳をぐいっと前に押し出し、そして低く囁いた。
「チェンジイェーガー……サウンド」
泰時は思わず目を見張った。
今の今まで人間の姿だった筈の晃司は、そこには居ない。その代わり、ヒストリーハッカーの記憶の中にある一体の怪物が目の前に佇んでいた。
戦式鎧装に身を包んだ戦闘形態の猟鎧兵、サウンドハンマーの姿がそこにあった。
「知ってんだろ? この戦式鎧装は維持するのに体力も精神力も要らねぇ。なのに拳の一撃はロケットランチャー並み、防御力は戦車の数倍……今のお前じゃ絶対に抵抗も出来ねぇし、逃げられっこねぇよなぁ!」
いうが早いか、晃司改めサウンドハンマーはいきなり距離を詰めてきて、絶望的な破壊力を誇る拳撃を叩きつけてきた。
本来であればその一撃だけで泰時の脳天は砕け散り、周辺に血と脳漿をぶちまけることになる。
が、そうはならなかった。
サウンドハンマーはその場に愕然と凍り付いていた。彼の放った拳は、同じく戦式鎧装を一部だけ発動させた泰時の左手に受け止められていたからだ。
「……どうして自分に出来ることが、相手にも出来るかも知れないという発想が持てないんだろうね。そんなことだから、同じ幹部でも君はずっと最下位のままだったんだよ……10年後の話だけど」
「ま、まさか……てめぇ!」
半ば悲鳴に近しい叫びを上げながら、サウンドハンマーは慌てて跳び退いた。
その間に泰時も、喉の奥から小さな声を搾り出した。
「チェンジイェーガー……ヒストリー」
直後、泰時の肉体もまた、戦式鎧装に身を包んだ一体の怪物へと変貌を遂げていた。
猟鎧兵ヒストリーハッカーは、その戦闘形態をも過去の泰時に託していたのである。
晃司は怪物の姿のまま、ごくりと息を呑む仕草を見せた。
「分かってるよね? ヒストリーハッカーの基礎戦闘力は、サウンドハンマーの数倍。とてもじゃないけど、君じゃあ話にならない」
加えて、今の泰時は時間を操ることも出来る。
誰がどう見ても、晃司に勝ち目など欠片も無かった。
「……わ、分かったよ……俺は、手ぇ引くぜ……けどな、あの特装戦志団の連中はどうするんだ? このまま生かしとくのか?」
「そのつもりさ……大体、あの三人を今消したところで、他に候補は幾らでも居るんだよ。特装戦志団は何百人という候補の中から選ばれたエリートだけど、最終的に選ばれた三人以外にも優秀な候補者は大勢居たからね。もし今、未来の特装戦志団を始末しても、今度は僕らの知らない連中が新たな特装戦志団として誕生することになる。寧ろそっちの方が厄介だと思わないか? 全然情報の無い奴らが敵として現れるんだよ?」
これは幾分、はったりも交えた論法だった。
泰時は瑠菜も勇樹も清史郎も、敵に廻したくはない。しかし晃司の様な輩を説き伏せるには、あの三人を狙うことの方がデメリットが大きいという点を強調しなければならないだろう。
そしてその論法に、晃司も納得した様子で頷き返してきた。
「成程な……いわれてみりゃあ、確かにそうだ。お前があの女を助けたのは将来的な戦略の意味もあったってぇ訳か。流石、猟道衆幹部の中でも随一の知将って呼ばれただけのことはあるな」
ここで晃司は、戦式鎧装を解除した。
泰時も一瞬遅れて、本来のひとの形へと戻った。
「それからひとつ、忠告しておくよ。君にサウンドハンマーの記憶と能力が託されたのなら、あの方……メビウスハンドラーもこの時代に居るって思った方が良い」
「……おい、そりゃあマジか」
晃司がごくりと大きく唾を呑み込んだ。その面には明らかに恐怖の色が滲んでいる。
「君も知っての通り、メビウスハンドラーは敗者や失敗した者を絶対許さない。きっと僕らの存在を知ったら、粛正しに現れる……僕らは未来で特装戦志団に負けて、大失敗してるからね」
この時、晃司は僅かに脚が震えている様子を伺わせた。
正直なところをいえば、泰時も恐ろしい。だが今ここで、下手に震える訳にはいかない。晃司に対して、精神的優位を保たなければならないからだ。
「僕は陰キャのぼっちだから、そう簡単には見つからないと思う。けど君は結構色々やらかしてるみたいだから割りと目に付くだろうね。だから、悪いことはいわない……大人しくしておいた方が良いよ」
「そ……そうかも、知れねぇな……」
それだけいい残して、晃司は踵を返すや慌てて走り去っていった。
これで、サウンドハンマーの動きは或る程度、封じることが出来たと見て良い。しばらくは瑠菜の身に危険が迫ることも無いだろう。
残る問題は、泰時自身の心の在り様だった。
(大丈夫……僕は、東崎さんに火の粉が降りかからない様にすれば、それで良いんだ……)
多くは望まない。
ただ彼女を守れれば、それで良い。
泰時は来た道を引き返し、大通りへと出た。