1.怪人、10年後から託される
男は、荒れ狂う炎の海の中で這いつくばっていた。
全身を覆う特殊合金製の鎧は至る所で砕け、頑強な肉体のそこかしこから鮮血が溢れ出ている。
そして目の前には、三つの人影。
彼らはたった今、男を叩きのめし、敗北という現実を突きつけた正義の戦士達だった。
その戦士達に向けて不敵な笑みを浮かべながら、その男――猟鎧兵ヒストリーハッカーは、血反吐を撒き散らしつつもゆっくりと立ち上がった。
「見事だ、特装戦志団……我が猟道衆は此度の敗北を認めよう。だが、勝負はまだ終わっていない……」
ヒストリーハッカーは最後の力を振り絞り、己の最大の秘術を行使した。
目の前の三人の戦士達が慌てて阻止を試みるが、それよりも早く、ヒストリーハッカーの技は完成した。
(過去の私に、全てを託す……必ずや、勝利の道を突き進むのだ……!)
そこでヒストリーハッカーは、こと切れた。
◆ ◇ ◆
20XX年、某月某日。
日本全国を恐怖の坩堝に叩き落としていた反政府組織『猟道衆』は、内閣官房直属の武装治安隊『特装戦志団』に敗れた。
猟道衆は過去数年に亘って外宇宙からもたらされた数々の画期的な技術を駆使して、改造魔人――所謂、怪人と呼ばれる化け物を次々と創り出して、日本国民の平和を脅かし続けた。
それら改造魔人は猟鎧兵と名付けられ、特装戦志団と熾烈な戦いを繰り広げてきた。
が、それも漸く終焉へと至った。
猟道衆の本拠地を攻略した特装戦志団は、幹部クラスの猟鎧兵を全て打ち倒し、完全勝利を収めたのだ。
しかしそれら猟鎧兵のうちのひとり、ヒストリーハッカーは奇妙な台詞を残して息絶えた。
彼は己の記憶と能力を過去の自分に託し、今度こそ勝利を収めると叫んだのである。
それが一体何を意味するのか、理解し得た者はひとりも居なかった。
◆ ◇ ◆
夜明け前のベッドの中で、叶邑泰時は全身汗まみれになりながら目を覚ました。
(え……何? 何だったんだ? さっきのは、夢……?)
妙に生々しい記憶が、頭の中にこびりついていた。
ついさっきまで自分は悪の組織『猟道衆』の幹部ヒストリーハッカーとして、正義の味方である内閣官房直属の武装治安隊『特装戦志団』と激闘を繰り広げていた。
そして彼らに敗北し、命を落とした。
どこかの特撮ドラマにでも出てきそうな展開だったが、余りにリアルで、余りに恐ろしい内容だった。
更に、あり得ないことが起きていた。
今、泰時の頭脳にはこれから送るであろう向こう10年間の出来事や、知らない筈の膨大な知識が一気に流れ込んできている。
(何だよこれ……一体、何なんだよ!)
泰時は混乱に陥った。
自分が、ヒストリーハッカー?
日本全土を恐怖に陥れた悪の組織の幹部級の怪人?
そんな馬鹿な話があるものか。
あれは全部、夢だ。
少しばかり長くてリアルな夢を見ていただけに過ぎないのだ。
そう思ってみたものの、次々と流れ込んでくる記憶と知識は全くとどまるところを知らず、遂には重度の片頭痛を覚えるにまで至っていた。
(畜生……何なんだよ、これ……!)
泰時はふらふらと覚束ない脚でベッドから降り立ち、キッチンへと向かった。
ひとり暮らしの狭いワンルームマンション内は、いささか寂しいばかりの生活感を剥き出しにしている。さっき夢で見た様な殺伐とした世界とはまるでかけ離れた光景が、そこに在った。
今は何時だろうと、ふと壁掛け時計に目をやった。
しばらく、ぼんやりと時針と秒針を眺めていた泰時だったが、ここであることに気付いた。
(……あれ? 時計の電池、切れてる?)
妙だと思った。
新生活に備えて、つい何週間か前に買ったばかりの時計だった。備え付けの乾電池が切れるには、少し早くないだろうか。
何となく不気味に思いながらコップを手に取り、水道水を注ごうとした。
そこで、思わず手を止めた。
水滴が宙に浮いたまま、静止していたのである。
(おい……嘘だろ……そんな、まさか!)
そういえば、この少し前、泰時の脳裏で妙な機械音声の如きひと声が鳴り響いていたのを思い出した。
その声は、
「ポーズイン」
と脳内で静かに語り掛けてきたのである。
あれは一体、何だったのか。
そんな疑問はしかし、その直後に起きた驚くべき事象によって一気に掻き消された。
「ポーズアウト」
再びあの声が、今度は少し違うフレーズを脳内で囁いた。
そして次の瞬間、宙空に静止していた水滴が、シンクの底にぽとりと落ちたのである。
それから泰時は慌てて時計を見た。時針も秒針も、いつの間にか動き出していた。
(マジか……あれって、夢じゃなかったのか?)
猟鎧兵ヒストリーハッカーは、時間を操作する怪人。
その余りに強力な秘技の数々と、凡人では到底身につけられない膨大な知識を武器として、猟道衆の幹部へと昇りつめた逸材である。
それが、10年後の自分だというのか。
そしてその10年後の世界で敗れ、命を落とした自分が、まだ高校に入学したばかりの若かりし頃の過去に全てを託したというのか。
あれは、本当に夢ではなく、現実に起こったことなのか。
泰時は愕然と、その場に立ち尽くした。
(僕は一体、どうなってしまうんだ……?)
僅かに震えながら、泰時は己の掌を見た。
何てことは無い、ごく普通の高校一年生の少年の手だった。それが10年後には、日本全土を恐怖に陥れる怪物の禍々しいものへと変貌するというのか。
そんなことは、漫画かアニメ、或いはゲームの世界の中だけの話だと思っていた。
だが今は、それが現実になりつつあった。
漸く収まった記憶と知識の流入、そして実際に駆使した、時を操る能力。
(ヤバい……ヤバい、ヤバい、ヤバい……こんな力があるってことが知られてしまったら……僕は、もう絶対にまともな人生が送れなくなる……!)
泰時は戦慄した。と同時に、決意した。
この力と知識は徹底的に隠し通さねばならない、と。