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出世魚

作者: 砂石 一獄

水無飛沫様の短編小説企画。『飛沫コロシアム』への参加作品です。

「ブリとハマチっていうのは、元は同じ魚なんだ」

 俺は店員が持ってきたブリの刺身を見て、ふと思い出したうんちくを目の前の同僚の女性に語り掛けた。

「へえ。別に食べれたらなんでもいいんだけどね」

 だが女性はまるで興味がなさそうに、さっさと小皿に醤油を垂らし始める。そのまま続いて、我が先にと刺身に手を伸ばす。

 だが、何となく語りたい気分だったので、俺の話など眼中になさそうな同僚に言葉を続けた。

「出世魚って言ってな。成長するにつれて呼び方が分かるんだとさ。ちなみにハマチが成長した姿が、このブリだ」

「……それ、当てつけ?自分が出世したからってさ」

 その単語にむっと不貞腐れたような表情で、女性はその端正な顔立ちを俺へと向ける。

 何歳になっても変わらないその顔つきに、俺は思わず笑いを零した。


 俺達が今いるこの場所は、小さな居酒屋だ。商店街のはずれにある、どこか時代遅れな印象を受ける内装。

 橙色の照明が彩る、アルコールとタバコの匂いが充満した不健康まっしぐらの空間の中。俺と女性は、向かい合う形で壁際の、これまた古ぼけた木造の机に座っていた。

 姿勢を正す度に、同じく木造の椅子が軋む音が響き、何となく不安に駆られる。


 俺と彼女は、高校からの腐れ縁だ。

 高校の三年間ずっと同じクラス、同じ大学、そして同じ職場。幾度となく変わってきた環境の中でも、変わらない関係性。

 ——そう、変わらない関係性だ。


 そうこうしている内に、彼女が全ての刺身を平らげてしまいそうなほどに食べ進めていることに気づく。

 俺は慌てて割り箸を二つに割って、同僚と刺身の奪い合いを始める。

「何よぅ。上司としての気遣いは無いんですかー?」

「腐れ縁に遣うような気は今更残ってねーよ」

 不貞腐れた顔で睨む彼女。それに負けじと、俺は彼女の顔から目を逸らしつつも斜めに割れた割り箸を突き出す。

「だっさ、割り箸割るの失敗してんじゃん。上手くいかないねー」

「うるせえ」

 小ばかにするように笑う彼女に、内心むっとしながらも言葉を返す。

 ようやく刺身の一切れを確保した俺は自身の小皿に取り寄せながら彼女に語り掛ける。

「別に今日はお前の結婚祝いも兼ねてんだぞ。お互い様だろ」

「あはっ、それもそうだったね」

 俺の言葉に彼女は思わず笑いを零した。

 先ほどまでとは違う、どこか恥じらいの籠った照れ笑いだ。俺の指摘に対し、取り繕うように彼女は左手で自身の髪を掻き分ける。

 その最中に、きらりと銀色の結婚指輪が照明に反射して思わず俺は目を細めた。

 眩しさから目を逸らすように、俺は目の前のぶりの刺身に視線を送る。

 小さく盛ったわさびを刺身の上に乗せ、それを醤油に浸して口に運んだ。

 ぴりっとしたわさびの匂いの中に、脂の乗った旨味がした全体に染み渡る。

「……美味いな。この店にして正解だったよ」

「伊達に飲み会の幹事やってませんな、係長さんっ」

「世間では俺のような人間を社畜って言うんだよ」

 自虐的に俺は言葉を返しながら、自らが発した言葉に首を絞められるような気分を覚える。

 そうだ。俺は、ずっと仕事に人生を費やしてきた。


 思い返せば、学生の頃からそうだったような気がする。

 ずっと勉強ばかりに気を取られて、皆と協調することが出来ていなかった。他人と合わせることが苦手で、そんな自分を自覚して。

 他人から距離を取ることがデフォルトだった俺を、皆の輪の中に引っ張ってくれたのが彼女だった。

「ほら、ぼさっとしてると置いてかれるよ?」

 なんてことのない言葉に、俺はどれだけ救われたのだろうか。

 思わず、俺は笑みが零れる。


「なあ。学生の頃に戻りたいって思ったことはあるか?」

 俺はふと疑問を投げかけた。

 彼女は「うーん」と視線を上に向けて物思いに耽る様子を見せた後、屈託のない笑みを向ける。

「んー。今になって思えば、学生の頃の方が休み多かったし、友達といつでも遊べて楽しかったな。けど」

 そこで言葉を切って、再び幸せそうな笑みを浮かべた。

「私は、今が一番幸せだから」

 その答えになっているようで、なっていない言葉。

 まるで、鬱蒼とした居酒屋には似合わないほど眩しい彼女の笑みに「そうか」と言葉を返すことしかできなかった。

 口に残った刺身の風味を流し込むように、ビールを一気にあおる。

 痺れるような苦みが口の中に広がり、それからアルコール特有の風味が喉の表皮に沿うように染み渡った。

「そういう係長様はどうなのさ。戻りたいって思う?」

 彼女は微笑みながら俺に問いかける。

 刹那の逡巡が脳裏を過ぎった。しかし、脳裏を過ぎる言葉をぐっと堪え、俺はジョッキに残ったビールを一気に飲み干す。

 それから、ニヤリと挑発するような笑みを作って言葉を返す。

「いや?仕事は楽しいし、良い生活できてるし。戻りたいとは思わねーな」

「だよねっ。さすがブリ係長なだけはあるー」

「誰がブリ係長だ」

 俺の言葉に、彼女は安堵したように微笑んだ。


 戻りたい、なんて彼女の前で言えるわけがなかった。

 本当は、他人の上に立つことなんてどうでもよかったし、出世も望んだものではなかった。

 戻れるのなら、ハマチにでも戻りたいと思う。過去の自分に戻りたいと思う。

 そんな葛藤をアルコールと共に飲み込んで、ふぅ、と小さく息を吐く。

 呼気に残るアルコールに、「しばらくは運転できないだろうな」と場違いな想いを抱いた。それから、自身の過去に思いを馳せる。

 彼女のことが好きだった。

 もう一度、過去に戻れるのなら俺はきっと、彼女に告白するのだろう。

 叶わぬ恋だとしても、伝えられなかったことを、俺はこれからの人生。一生後悔し続けるのだろう。

「ま、なんだ。結婚おめでとう」

「えへへ、なんだか照れくさいな。どういたしましてっ」

 俺は、変わってしまった彼女の名字を思い返しながらそう思わずにはいられなかった。


 成長すれば、人も名前は変わる。

 望もうとも、望むまいとも。


おしまい

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