カスハラを撃退したらクビになったんだが、異世界の神様に108の煩悩を消すお仕事をもらい、ついでに猫になって幸せにスローライフを満喫している
「また君か。どうして、はいはいって聞けない?」
「理不尽に怒鳴られても黙って聞いてろって言うんですか?」
「仕方がないだろう。お客様は神様なんだから」
「お言葉ですが、お客様は神様ではありません」
「最近はそういう風潮も増えてきているみたいだけど。我が社ではまだお客様は神様なの。君、明日からもう来なくていいいよ」
派遣先のコールセンターから出て、うつむいて歩く。
「カスハラを、撃退したら、クビになり。お、一句できた」
ちょっと元気が出て上を見る。雲ひとつない真っ青な空。と思ったら、唐突に雲が頭上に現れ、白いおじいさんが話しかけてきた。
「さっきから見ておったんだが、気にいった。おまいさんに異世界での仕事を頼みたい」
「はあ? あなた、誰ですか?」
「異世界の神様。あのね、君の世界のね、除夜の鐘で飛ばされた108の煩悩がね、ワシの世界に来ちゃって困ってんの。なんとかして」
カスハラを撃退していたら神様に気に入られた。そんなことって、あるんだ。
神様が言うには、昨今、除夜の鐘がうるさいってクレームが入って、除夜の鐘が鳴らないことが増えたらしい。それで、煩悩がうまく消えなくて、異世界に来ちゃって、異世界人が迷惑をこうむっているそうな。
そういうことなら、なんとかしてあげたい気持ちもある。よくよく考え、決めた。
「猫にしてくれる? あとね、お世話係と護衛と食事係はイケメンにして。それでね、いつでもおいしいごはんが食べられて、病気にならなくて、のんびりしたい」
「え、注文が多いな、この子」
「だって、神様と直接交渉できることなんて、ないじゃん」
「ううむ、その図太いところ、嫌いじゃない。むしろ、頼もしい。条件はのむから、しっかりよろしくやってよ」
そんなわけで、人生が詰みかけたところで、一発大逆転しちゃったんだな、これが。
「猫って最高ニャー」
猫になった三池ことミケは、暖かい陽だまりの中でうーんと伸びをする。「キャー、かわいいー」周りから歓声が上がる。
どう、これ。ただ伸びをしただけで、誉めそやされる存在。それって猫か赤ちゃんぐらいではなかろうか。
寝起きで寝癖がついていても、大あくびをしても、だらしなく寝そべっても。何をしてもかわいいと涙目で見つめられる。
女子って大変じゃない。生まれついての美人ならいいけど、普通の、そこそこの見た目で生まれたら、ずーっと自分磨きをし続けないといけないじゃない。毎日メイクして、コルセット並みの矯正下着でギチギチに締め上げて、少しでも足が細く長く見えるようにハイヒール履いて。休日は平日にさっと食べられるように作り置きを大量に料理して冷凍。美容院、まつ毛エクステ、ネイル、ジム。
そこまでしてやっと見つけた彼氏には、「あ、俺まだ結婚する気ないんだよねー」とか言われちゃうんだ。あのね、こっちはね、タイムリミットがあるんですけど。子ども生める期間って限られてるんですけど。なんなの。
運よく結婚相手をみつけても、子どもってゲームチェンジャーだから。諸先輩方から聞く話によると、たいがいのパパは入社したてのヒヨッコ新入社員よりも指示待ち族らしい。一から百まで指示しないと子育ても家事も率先してやらないらしい。
「言ってくれたらやるよー」と言いつつ、言ったら機嫌が悪くなるらしい。
あげくの果てには、「髪振り乱して家事育児仕事に追われている妻のことは、もう女としては見れない」とか言っちゃって、若い女によろめくらしい。
なんですか、それ。女の人生って罠だらけじゃないですか?
その点、猫はいいぞ。自堕落に惰眠をむさぼっても、キャーかわいいーと言われるのだから。猫は、生物界の頂点なのだ。え、仕事? もちろんやってますがな。異世界の神様からもらったネックレス。正確には、108の玉が連なった数珠なのだけど。数珠がピカリと光ったら猫御殿から現場に呼ばれるのです。
ピカリ、ほら、こんな風に。
***
海沿いの小さな王国で、ひとりの王妃がため息を吐いている。
「どうしてこうなってしまったのかしら」
一年前まで、順調だったのだ。偉ぶることなく周囲の意見を聞ける謙虚な国王。そんな国王を陰ひなたなく支える忠臣たち。「分からない」という言葉を、口に出せる、出しても大丈夫な環境だった。とても健康的なことだと思う。
ところが、少しずつ、何かが変わった。いつの間にか満ちた潮が、砂浜の足跡をすっかり押し流すように。気づかぬうちに、ヒタヒタと。
窓から海を眺める。いつもなら寄せては返す白波を見ていれば憂鬱な気分も消えるのだけど、今日はなかなか明るい気持ちにならない。足元にフワッとした感触を感じ、王妃はあっと声を出した。見下ろすと、白黒茶が小気味よく配置されている猫がスカートの裾とじゃれ合っている。
「王宮に迷い猫が来るなんて、珍しいこと。あなた、どこから来たの?」
王妃が問いかけると、猫はゴロンと仰向けになり腹を見せる。王妃は無心で真っ白なお腹を撫でた。
猫はニャーニャーと優しく鳴き、喉をゴロゴロさせた。
『王妃様、うちの煩悩が迷惑かけたみたいでごめんなさい。しゃっと行って、しゅっと吸い込んできますね』
本当はそう言っていたのだけど、王妃は気づかなかった。
猫は、テクテクと国王のところに行く。プルプルと首を動かすと、首飾りの真ん中についている小さな鐘がゴーンと鳴る。国王にとりついていた煩悩がフヨフヨと飛び出て、数珠に吸い込まれていった。
集締見取見、自分が最も優れていると思う煩悩であった。
***
とある片田舎のコールセンターでひとりの男がうなだれている。
「どうしてこうなった」
問題ばかり起こす契約社員を解雇したら、次々と人がやめていった。鳴り続ける電話をどうすることもできない。まもなく、本部から上司がやってきて、対策を話し合うことになっているが、改善案など何もない。俺は間違っていないのに、無能な女たちに足を引っ張られる。
「くそっ、くそっ、あいつのせいだ。あの疫病神め」
いつもダルそうでやる気のない雰囲気をダダ漏らせていた女性社員。ちょうど契約更新時期だったから、雇い止めして厄介払いしたというのに。なぜ、他の従順なバイトたちまで辞めていったのか。
男は髪をかきむしった。最近、涼しさが増えた頭から、髪が数本ハラハラと落ちた。
***
コールセンターからやや離れたところにあるファミレスで、女性たちが集まっている。
「お疲れさまですー」
「みんな、よくがんばったー」
「もうやってられんかったから、やめてやったぜー。あんなだったら、飲食のバイトの方がなんぼかまし」
「つーかさー、ミーケさんをクビにするって、どうなん」
「無能すぎだろ、あのSV。ぜんっぜん分かってねー」
「ミーケさん、マジで頼りになったよね」
「色んな方言に軽やかに対応すんだよね。聞き取れない方言でかけてくるおじいちゃんとかいるじゃん」
「ミーケさんって、日本中を渡り歩いてたんだって。だから方言に強いらしいよ」
「ミーケさん、今頃なにしてるのかなあ。元気にしてるかなあ」
皆は英雄ミーケを思い出しながら、ぐびぐびビールを飲んだ。
「そういえばさあ、上司出せって怒鳴られたときさ、SVがいなくてさ、ミーケさんが代わってくれたときあったんだよね」
「神じゃん」
「すっごいかっこよかったの。お客様、大事なことですから復唱させていただきます。殺すぞワレ、なめた口ききやがって、どんな教育受けとるんじゃ、でございますね。それをさあ、すっごい大きな声で三回復唱したのよ。お客さん、もうええわって切ったよね」
「かっけー」
「そんなのできるの、ミーケさんだけー」
「いつかアタシもやってみるー」
「SVに見つかったらネチネチ怒られるぜい」
「まーねー。クレーマーもいらつくけど、嫌味なSVが一番腹立つよねー」
「ほんそれ」
「みんなもさ、いい職場みつけたら紹介してよ」
「オッケー」
ファミレスでの宴会は和やかに続いた。
***
猫御殿に戻ったミケは、魚介たっぷりパエリアを楽しんでいる。お仕事ついでにお土産も仕入れてきたのだ。
異世界の神様は、たくさんのイケメンとキュートな女子たちをお世話係につけてくれた。おかげでミケは贅沢三昧、のほほんスローライフを満喫している。できる料理人は、ミケが食べたいものを以心伝心で作ってくれる。知らぬ間に、食べたいものを伝えるスキルまでもらっているのであろうか。
まあいい。細かいことは気にしない。ミケはパンパンのお腹をクッションに載せ、目をつぶった。
●〇●
「いやー、猫って身軽でいいニャー」
ミケは軽やかに石垣を駆け上り、屋根の上でくつろいだ。
都会で働いてたときはさー、通勤が大変だったよね。ジリジリジリって出発音が鳴ったら、ダッシュするじゃない、なんとか電車に滑り込むじゃない、息がぜいぜいして、我ながらうるさーいって感じだったよね。周囲の乗客に冷たい目で見られるしさ。通勤だけで疲労困憊だったよね。
かのパンデミックは大変だったけど、在宅勤務が広まったことはいいことだったと思うよ。通勤時間分を睡眠にあてられるもんね。パパさんママさんたちは、子どもの急な発熱にも対応しやすいもんね。
コミュニケーションがーってことで、オフィス回帰も見受けられる昨今ですが、柔軟に好きな方を選べるといいよね。
「まー、客商売が多かったから、問答無用で出勤してたけどニャー」
ミケはペロリと前脚をなめた。数珠がピカリと光った。
●〇●
砂漠のオアシスにある集落で、族長は砂の上に文字を書いては消している。
「夜空に星が降り注いだら、成人したばかりの青年たちに新しい水場を探しに行かせよ、か」
前の族長が永遠の旅に出る前、告げたこと。この部族に伝え続けられてきた教えらしい。
夜空に星が降り注ぐなんて、あるわけがないと思っていた。だが、つい昨日、目の当たりにした。足が震え、ただ神に祈った。
「前族長は、見たことがないと言っていた。まさか、私の代でこのようなことが。どうすればよいのだ」
若者たちを、当てのない水場探しに行かせるなど、死ねと言うのと同じ。それに、息子がまさに成人したばかり。後継者として育て上げている息子。みすみす死なせるわけにはいかない。
「危険を冒さずとも、ここには豊かな水場がある。行かせる必要はないのでは」
成人した青年たちの名前を砂に書き、そんなことはできないと消し去る。平らにならした砂の上に、猫の足跡がフカッと押された。
「不思議な模様の猫だな。どうした、腹が減ったのか?」
猫はブルブルッと震えると、途端にオエーッと吐いた。猫はしっぽをハタハタと動かし、砂で吐しゃ物を埋める。ゴーン、どこかで鐘が鳴った。
ハッと気づいたときには、猫の姿はどこにもない。族長はしばらく砂で埋められた猫の残留物を眺める。族長の目に、もう迷いはない。すぐさま青年たちを呼び、座らせる。
「そなたらに、部族の未来をかけ、水場探しの旅に出てもらいたい」
「父上、ここの水場に何か問題でも?」
「今はない。しかし、いずれ水場が枯れるかもしれない。前族長と、猫神様からのお告げがあったのだ。厳しい旅になると思うが、行ってくれるか?」
「もちろんです」
息子を筆頭に、若者たちは決意に満ちた目でうなずく。
●〇●
「うーん、急に転移するもんだから、飲んでたミルクをゲロッちゃったよ。恥ずかしいニャー」
ミケは落ち着くために、念入りに毛づくろいした。
「族長さん、煩悩から解き放たれてるといいけど」
族長にとりついていたのは、色界苦締疑、正しい教えを疑う煩悩であった。族長が正しい教えを信じられますように。ミケはちょびっと祈った。
「さあ、お土産のデーツでデーツあんパン作ってもらおうっと」
ミケはお気に入りの料理人のところに行き、デーツを積み上げた。料理人はしばらく考えたのち、頼もしく胸を叩いてくれた。
●〇●
とあるコンビニで、店長がぼやいている。
「客数減ってない? 俺の心のオアシス女子大生バイトもやめたし。辛い」
おにぎりの発注数に頭を悩ませながら、店長はカチカチの首を手でもむ。
「前任の店長は、やりやすい、当たりの店って言ってたのになあ。クレーマーも万引きもほぼない、天国つってたよなあ」
クレーマーも万引きも、日常茶飯事なんだけど、これは一体。
「そういえば、目つきと態度は若干悪いけど、絶対やめさせてはならないっていうバイトの女性を切ってから、なんかおかしいような。まさかね」
店長はうつろな目で発注端末を見つめる。
「来月のエリア会議で絶対怒られる。やべー、どうしよう」
●〇●
コンビニ近くのカフェで、女子大生がふたりまったりしている。
「新しいバイト決まったんだって?」
「まかないがつく定食屋にしたさ」
「いいねいいね」
「また食べにきてよ。ちょっとならオマケできるよ」
「行く行く」
「つーかさー、あのコンビニ、楽しかったよね」
「ミーケさんがクビになってから、地獄だったけどな」
「店長、マジで見る目ねー」
「ミーケさん、数々の伝説を作ったよね。イヤホンしたままレジに来る客に、無言で紙芝居してたっけ」
「ああ、でっかいフォントで、ポイントカードはございますか? 袋はご入用ですか? お箸はご入用ですか? って書いてある紙ね。ミーケさん自作の」
「あれ最高だったわ。おかげで客がイヤホン外してレジに並ぶようになったもん」
「トイレを使ったお客さんには、何か買ってくださいねーって堂々と言ってくれたしね」
「万引きしそうな客には、ピッタリ張り付いて、早まるな一生を棒に振るぞってささやいてたよね」
「よくやるよ。すごいよ」
「ミーケさんだから」
「だな」
「アタシたちも、もうちょっと生きたら、あれぐらい強くなれるんかね」
「うーん、無理じゃね」
「だな」
ふたりはしみじみとコーヒーを飲んだ。
♯♯♯
「みんなが楽しそうに働いているのを見るのはいいものですニャー」
ミケは猫御殿の屋根から、キャッキャウフフしているお世話係たちを見てニマニマしている。
イケメンとキュート女子が笑いさざめく様子は、大変目の保養になる。
「イケメンに近寄られると、サワッとしてモゾモゾするという残念な生態も発見してしまったがニャー」
人生において、イケメンとそれほど関わったことがなかったミケである。猫になったからといって、イケメンと堂々と渡り合えるかというと、そうでもない。ソワソワしちゃう。
「なんかさー、無理に接待させて悪いニャーって気になっちゃうんだニャー」
よもや、自分がこんな殊勝な性格であったとは。猫になって初めて発見したミケであった。
♯♯♯
黒い森の奥深く。魔女は鍋をかきまぜながらうなっている。大事に育ててきた孫娘が、突然バカなことを言い出したのだ。
「ばあちゃん、王都に行って王子様をつかまえてくる」だってさ。
「なんだそりゃ。夢物語みたいなこと言っちゃって」って言ったよね。
「夢物語じゃないもん。最近はやってる物語なんだよ。行商人のおじさんが教えてくれたの」
一冊の本を見せびらかしてきた。なんでも、魔女の少女が森の中で行き倒れていた男を助けると、王子様だったそうな。魔女の力で政敵を倒し、王子は晴れて王になり、魔女を妃にむかえるというのだ。
「ほーん。だったら森の中をうろついて、倒れている男を片っ端から助けなよ」
「もうやったよ。全員、木こりだった」
「まあ、そうだろうねえ」
王子がそんなゴロゴロ転がってたら驚くわい。
「ばあちゃんだっていつも言うじゃない。待ってるだけじゃダメ。幸せは自分でつかみ取りにいかなきゃって」
その通り。その通りなんだけどさあ。夢にも限度っちゅうもんがあらあね。ワシの頭が固いのかのう。
まあ、王都に行くことは百歩譲るとして、あの孫娘。何をとち狂ったか、堂々と魔女として行くと言ったのだ。
「バカなことをお言いでないよ。火あぶりにされちまうよ」
「ばあちゃん、古い。今はね、魔女っ子は流行の最先端なんだよ。行商のおじさんが言ってたもん」
「そんな、まさか」
この辺りは魔女への理解が深い。たまに街に薬を売りに行くが、なじみの薬屋からはよくしてもらっている。だからといって、街で大っぴらに魔女だと言ったりはしない。魔女を嫌いな人は、どこにだって一定数いるのだ。目立たないに越したことはない。
だけど、孫娘は魔女っ子として華々しく王都に降り立ち、チヤホヤされるつもりなのだ。アホの子かいな。
心配と困惑が入りまじり、魔女の鍋をかきまわす手に力が入った。ビシャッと薬草スープが床に飛ぶ。ギャッと鳴き声が聞こえた。見下ろすと、床の上で猫が毛を逆立てている。
「おお、すまんかった。熱いのがかかったのか? ん? かかってはないな。危ないところでよけたんじゃな。偉いぞ。お詫びにニシンのパイをやろう」
猫はニシンのパイを前にして、ニャーニャーゴロゴロ大騒ぎだ。猫はパイをペロリとたいらげ、魔女の足にスリスリーとしてからどこかに行ってしまった。
しばらくすると、孫娘が駆けてくる。
「ばあちゃん、聞いて。もっといい考えを思いついたの。あのね、やっぱりね、魔女っ子として行くのはやめる。お忍びで王都に行く。それで王子と愛し合ってから、魔女だって伝えることにする。その方が、盛り上がるから」
「あ、ああ。そうかい。その方がいいと思うよ、ばあちゃんは。本当に信頼できる人にだけ、真の姿を見せる方が」
「愛が燃え上がるよね」
「そ、そうだな。そうだそうだ」
魔女は、なにがなんだか分からなかったが、ひとまずマシな方向に進みそうで、ホッと胸を撫でおろしたのであった。
♯♯♯
「どこにでも、夢見がちな女子っているもんだニャー」
ミケはうまく煩悩を吸収でき、猫御殿でのびのびしている。魔女っ子にとりついていたのは、色界苦締戒禁取見、誤ったことを正しい事と勘違いする煩悩であった。
「ニシンのパイ、テンション上がったニャー。大好きな魔女っ子アニメで出てきたヤツだったもんニャー。ニシン食べたら、サンマの塩焼きが食べたくなったんだニャー。焼いてもらうニャー」
ミケは大好きな料理人のところに、サンマを届けに行った。料理人はミケをしばらく見つめ、「サンマに塩をふって、大根をおろしたものとライムの搾り汁をかければいいんですね」
「そうニャー」
ミケはサンマが焼きあがるのをのんびり待った。
♯♯♯
のどかな田舎町にある大きな倉庫で、ひと組の男女が呆然としている。
「えっ、今日の出勤ひとりだけ?」
「ええー、ちょっと所長、どういうこと?」
「おかしいな。休みの連絡もらってなかったと思うんだけど」
所長のポケットの中でブーブーと音がする。携帯を見ると、社員からの辞めますメールが続々と届いている。
「そんな、みんなが辞めたら、工場が動かせないじゃないか」
床に崩れ落ちる所長を、女がギロリとにらんだ。
「ちょっと所長、しっかりしてくださいよ。早く求人出してくださいよ。じゃあ、私は寮で待機してますんで。あ、会社都合の休みなんで、ちゃんと給料払ってくださいよ」
女は大きな体を揺らしながら出て行った。
♯♯♯
「つ、ついに辞めた。辞めれた。自由」
ひとりの女性がベッドの中で、自分が送った辞めますメールを何度も見返し、涙を流している。
「ミーケさんがいたときは、お局もおとなしくて工場の雰囲気もよかったんだけど」
ミーケさんたら、まだ若いのにビシッとボス女を押さえてくれたのだ。しかもパート初めてすぐのときに。
ネチネチ根掘り葉掘り、新人のプライベートを詮索するボス女が、ミーケさんと少し話した途端、静かになった。ボスに支配され、恐怖の中で思考を停止していたパート仲間たちはビックリ仰天した。新たなボスの到来か、そう怯えていたけれど、ミーケさんはめっちゃいい人だった。
仲良くなってから、どんな手を使ってボスを黙らせたのか聞いたら、ミーケさんは気まずそうな顔をして小声で教えてくれた。
「今までどんな仕事してたのって聞かれたから、覆面調査とか内部監査とかって言ったの」
ミーケさんからバリキャリオーラが出て、一瞬たじろいだ。
「あっ、ウソなんだけどね。そう言ったら舐められないかなーと思って。ああいうボスタイプは初対面で一発かましておく方がいいからさ」
「そっかー」
うちの工場を調査して、本部の偉い人に問題を報告してくれたらいいのに、という願いは儚く消えた。そして、初対面で先制パンチを繰り出せなかった自分は、永遠にボス面されるんだとガックリした。
ミーケさんがうまく立ち回ってくれたおかげで、工場は劇的に働きやすくなった。ボスが理不尽なことを言うと、ミーケさんが意味ありげな目でボスを見つめ、さりげなくメモを取るのだ。ボスはおとなしくなった。
残念ながら、楽園はそう長くは続かなかった。ボスがある日ミーケさんに詰めよった。
「あんた、所長に聞いたよ。本部は覆面調査員なんて派遣してないって。この、ウソつき」
「あら。私、覆面調査員してたことがあるって言っただけですけど?」
「生意気言うんじゃないよ。すっかり騙された」
騒ぎを聞きつけて、所長が飛んでくる。ボスがミーケさんに指を突きつけ叫ぶ。
「所長、今すぐこの人をクビにしてください。出ないと、私たち全員働きませんから。な、みんな」
ボスににらまれ、パート女性たちは無言でうつむく。ミーケさんが成し遂げた働き方改革は、女性たちの長年の奴隷根性を覆すまでには至っていなかった。
沈黙を肯定と受け取り、所長はミーケさんをクビにした。奴隷たちは、泣いた。そして、ミーケさんが去った夜、ついに団結し立ち上がった。ボスが寝たのを確認し、みんなで一室に集まる。
「直接言うのは無理だから、辞めますメール送ることにする」
「私もそうする」
まだまだチキンなので、面と向かっては言えないのだが。でも、大きな一歩だ。
「他にも工場はいっぱいあるもんね」
「全員をまとめては雇ってもらえないだろうけどね」
「ここに比べれば、マシだと思う。思いたい」
「すぐ寮から追い出されちゃうかな」
「みんなで、交渉しようよ。メールで」
ハハハ、小さな笑いが起こった。
ミーケさんには、「ごめんなさい。みんなで辞めます」とメッセージを送った。拳マークの絵文字が返ってきた。
その後、所長とメール交渉し、ボスを辞めさせることで、他のみんなは仕事に戻ることになった。ミーケさんにも戻ってほしかったけど、「次の仕事決まったからー」と返事が来た。
『もっと早く、みんなで辞めますって言って、ボスを追い出せばよかった』
『うーん、あの状況じゃ難しかったんじゃない。その手は、全員が本当に辞める覚悟ができたときしか通用しないもん。今がそのタイミングだったんだよ。ほどほどにがんばって。仕事はいくらでもあるんだからね』
最後に届いた拳絵文字に、拳で返した。
★☆★
異世界の神様は、ミケの活躍に満足している。
「ワシの見立て通り、よく働くいい子じゃ。職場環境をよくしようとがんばりすぎて、貧乏くじを引きがちじゃったがの。いっつもひと言多いんだよなーって気にしていたから、猫になったのかの。今は何を言ってもニャーとしか人には聞こえんからの。いらん軋轢は回避できとるわい」
イケメンイケメンと騒いでおったから、大量の美形を雇ったのだけど、いざ美男子が近づくと怖気づいて逃げ出しているのは予想外だったが。遠くから若者が働いているのを観察するのが楽しいようなので、まあいいかと思っている。
「ああ、いや。たったひとり、近づいても撫でても大丈夫な男がおったのう」
料理人の男。それほど美形ではないが、気持ちの良い顔をしている。
「なぜか、あやつだけはミケの本来の姿が見えるみたいじゃの。人の姿で食べているところが幻視できるようじゃ。不思議なことじゃ」
何もしていないのに、神の思惑をやすやすと超えてくるのが、人というもののおもしろいところ。
ミケはまだ気づいていないが、少しずつミケと料理人の間にある感情は愛情にと近づいて行っている。
「はてさて、ミケは人の姿に戻りたいと願うのだろうか。元の姿か、はたまた美少女にでもなりたがるのか」
どうなるかのう。料理人は、元のまま、三池の姿に惹かれているようなので、元の姿に戻りたいと願ってくれればいいなあ。
「はっくしょんニャー」
ミケはサンマに振られた塩で、盛大なクシャミをしたのであった。
お読みいただき、ありがとうございました。
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よろしくお願いいたします。