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3 恋人とのキス、婚約者の仮面

「今日は、俺の仲間も紹介しようと思ってるんだ」

「まあ、騎士団の方々ですか?」

失礼のないように気をつけなければと思いながら、背筋を伸ばす。


「ははは、違う違う、地元の奴らだよ。凄く気のいい奴等ばかりだから、オレリアもすぐに仲良くなれるよ」

そう言われて訪れた先は、やはりマクシムの知り合いが経営しているという、居酒屋というレストランだった。


店の中には既に酔っ払っている方々が何人もいらっしゃって、驚いた私は思わずぎゅっとマクシムの袖を掴む。


「あ、あの……」

「よおマクシム! 待ってたぞ!」

「お前の新しい恋人、凄い美人じゃないか。こっちに来て紹介してくれよ」

「女の趣味変わったのかしら? 私も馴れ初めとか聞きたいわぁ」


店の中に充満する料理の匂い、煙、埃、女性の香水、お酒などの雑多な匂いで気分が悪くなり、思わずふらついた私をマクシムがガシッと支えてくれた。

残念だが、今日はあまり体調が万全ではないようだ。


「大丈夫か?オレリア」

「ええ、ありがとう。でも……」


体調不良で帰らせて貰おうとしたその時、誰かが叫ぶ。


「今日はマクシムの彼女の奢りらしいぞ!」

「え?」

「悪い、こういう場ではいつも一番金がある俺が奢ってやってたんだ。今日も俺が払うから、気にしないでくれ」

戸惑う私にマクシムはそう言ってくれたのだが、どんな場所でも、ルールはある。

自分の常識を押し付けるのではなく、相手のルールにも従うことも大事だ。


「そうなのですね。でも大丈夫です、それでしたら私が払います」

マクシムの仲間たちに認められたくて、私は快く応じる。

その結果、帰るに帰れなくなってしまった。



マクシムを中心に酒の入った男性たちは肩を組んで楽しそうに昔話に花を咲かせ、私はその光景を眺めながら、一番隅のほうで胃に落ちそうな果物を齧る。


食欲のあるときなら美味しく食べられたかもしれない料理の数々も、マクシムにベタベタと触れる女性たちが気になって喉を通らない。


しばらく一人でポツンと隅の席でマクシムの様子を見ていたが、彼がこちらを気にする様子はなかった。


「……あの、マクシム様。そろそろ私、帰りますね」

帰宅時間間際になり、どうしようもなくなった私は、マクシムに声を掛ける。

マクシムがいるから護衛は付けなかった筈だが、店の外には我がアイズノウン伯爵家の家紋の入った馬車が止まり、御者からの訴えるような視線が、窓越しに突き刺さってくるのを感じていた。


「なんだマクシム、もうお開きか?」

「夜はこれからだろ、マクシム」

「ああ、そうだな。外で待機している馬車ってオレリアの家のやつだよな? ちょっとそこまで送って来るわ」

「おう」


どうやら今日は、ここでお別れのようだ。私がお金を払おうとすると、店の人がニコニコしながら「後でアイズノウン伯爵家まで、領収書をお送り致しますよ」と申し出てくれた。


「お手間を掛けてすみません、よろしくお願い致します」

私が頭を下げてマクシムと外に出れば、店内は「よっしゃ、今日はとことん飲むぜー!」という声と共に歓声が沸いた。


「じゃあな、オレリア」

「ええ、マクシム。また」

マクシムにぐっと両肩を掴まれて、引き寄せられた。

え、と思ったときには、自分の唇に、カサカサとした熱く大きな唇を押し当てられていた。


呆然と立ち尽くす私に「じゃあな」と手を振って、マクシムは店の中へ入って行った。




***




「申し訳ありません、リナート様」

リナートが予約して下さった高級レストランの個室で、私は頭を深々と下げた。

「どうしましたか、オレリア嬢」

にっこりと笑顔の仮面を貼り付けるリナートの顔を直視することが出来ずに、私は俯いたまま重たい口を開いた。

「その……以前交わしたお約束ですが、私は守ることが出来ませんでした」

「と、おっしゃいますと?」

リナートが首を傾げ、私は処刑人になった気分で懺悔する。

「その……純潔を守ることが、できませんでした」


私が唇を震わせながらなんとかその言葉を口にすると、ガタン!という音が個室に響いた。

驚いて顔を上げれば、イスを倒して立ち上がったままのリナートが見たこともない怖い表情で、平坦な声で、私に問いかけた。

「いつですか?」

「せ、先日の、居酒屋というレストランでの帰りです」

「帰り? 帰りは真っ直ぐに帰った筈では?」


なぜリナートがそれを知っているのだろうかと思いながら、私は頷く。


「はい。そ、その前にしてしまったのです」

「居酒屋の二階にベッドでもあったのですか?」

「いいえ、その、道の往来で、キ、キスをされてしまったのです……!」

私はそのときのことを思い出して、顔を両手で覆った。


衝撃と羞恥、その他諸々の感情が私の胸を埋め尽くして、その夜のことはほぼ記憶にない。


初めての恋人、そして初めての口付けに、私は夢を抱いていたのかとすら思う。

あんなに呆気ないものだったのに。

相手に求めてはいけないと思ういっぽうで、ロマンチックな演出を期待してしまっていた自分が恥ずかしい。いい大人だというのに、憧れていたファーストキスではなかったからといって、泣きそうになった自分も恥ずかしい。


けれどまさか、レストランの前であるとか、酒の勢いであるとか、酒の匂いがするとか、初めてのキスがあんな思い出になるとは思わなかったのだ。

翌日に届いたレストランからの領収書も法外だったらしく、勿論払えないお代ではないものの、経緯を説明したところ、父にとても叱られてしまった。

お金の使い方で叱られてしまうのも、子どものようで、恥ずかしい。


私のファーストキスは、甘酸っぱい思い出ではなく苦い思い出になったのだ。

そして、リナートとの純潔を守れという約束も、果たせなかった。



「ああ……あのことですか」

リナートはホッとしたような声で、倒したイスを戻して座り直す。

「その、純潔を守るというリナート様とのお約束を守ることができず、本当に申し訳ありません」


改めて私が謝罪すると、リナートは笑顔を貼り付けたままテーブルに置いた私の手の上にそっと自分の手を重ねる。


「キスは純潔に含まないで大丈夫ですよ。それは……とても残念ですが、あの男の力にあなたが敵うとは思いません。蚊にでもさされたと思って忘れてください」

笑顔を浮かべているが、リナートの声は平坦で不機嫌そうだ。


「その、お許しいただけるのでしょうか」

「あなたからしたわけではありませんし、ましてやあの男は許可もとらずにあなたの唇を奪いました。私が許さないのは、あなたではなくあの男です」


愛する人を許さないと言われたのに、リナートが私の味方になってくれた気がして、なぜか少し嬉しくなる。


「これからは、気を付けます」

「ええ、そうしてください。特に、宿屋を兼ねたレストランであるとか、あの男の家であるとかは絶対に足を踏み入れないでくださいね」

「わかりました」


なぜリナートからアドバイスを受けているのだろうと思いながらもこくりと頷けば、リナートはいつもの貼り付けたような笑顔ではなく、ふっとつい漏れ出たような笑顔を浮かべる。


「あっ」

「はい?」

そこでようやく私は気づいた。リナートの不自然さに。


「リナート様、私の前で無理して笑うことはありません」

ずっと不思議だった。まず人前で笑わないと言われているリナートが、なぜこうして私の前では笑顔という仮面を貼り付けているのか。


「……しかしあなたは、いつも笑顔で人を元気にするような男が好きなのでは?」

リナートは少し戸惑いながらも仮面を貼り付け、穏やかに尋ねる。


やっぱり、この人には似合わない。

さきほど漏らした笑みのほうがずっと素敵だったと、私は確信する。


「何か勘違いをなさっているようですが、私は自分の心に正直な人が好きなのです。マクシム様は確かにそういうタイプかもしれませんが、リナート様は私に無理をして笑うから、逆に壁を作っていらっしゃるように見えて、苦手だったのです」

「……なるほど、そうでしたか。素のままでいるとよく怖いと言われるので、オレリア嬢の前では笑うように心がけていたのですが」

額に手を当て、リナートが苦笑する。


「自然体のあなたが、一番素敵だと思います」

にっこりと笑ってリナートに返事をしたところ、彼は「オレリア嬢は……昔と変わりませんね」と言って、ほんの少しだけ笑って下さった。



そのあと、本当はその居酒屋レストランの料理を食べてみたかったことを吐露した私に、「では今度は私が連れていきますよ」とリナートは真面目な顔をして言った。

その店にリナートがいるところを想像できず、店内で浮くだろうから大丈夫だと断ったのだが、「絶対に食べさせて差し上げます」と、リナートは逆にムキになったようだ。

そんな彼の新たな一面を知ることは、なぜか私に喜びを与えてくれた。

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