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ドア開けたら戦国時代!?  作者: デンデンムシMK-2
第二章
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佐久間の評価

 「元日早々にすまん」


 「いや、いいすよ」


 先日の戦の事があるからオレは素っ気なく返事をして客間に通す。


 「まずは・・・誤解を解いておこうと思ってな」


 「誤解ですか?」


 「うむ。第三者目線で見ても、先の戦のお館様の密命はワシには酷だった。理由を今話す」


 確かちょこっと聞いた話では裏切りがどうとかって密命だったっけ?佐久間さんは何を言うのか。


 「あれは天文20年の時じゃったーー」


 おいおい!?壮大な話が始まったぞ!?


 佐久間さんが言った事は信長さんの兄、信行の裏切りの件の事だ。ノッブパパの信秀さんの最晩年では信長さんも信行どちらが尾張の権限が高いとか差異はなかったそうだ。


 信秀さんの晩年と同じ時、信長さんが熱田加藤何某って人に対して権益保証を行う判物発給したらしいがその際に両者の間に入ったのが信行さんらしい。少なくともこの頃はまだ仲が良かったのだと。


 「そして・・・天文21年に大殿が逝去された・・・その直後からじゃ。大殿の葬儀の際、お館様は仏前で抹香を投げつけるという不行跡を示したのだ」


 「確かそれはオレも知っています」


 「未来から来たと言わんでもこの事は尾張でも有名だ。話を戻すぞ。その対に居た信行様は、折目も高なる肩衣、袴をめしていた」


 この信長さんの奇行は、正式な後継者・・・弾正忠家の跡目を言わなかった信秀さんへの不満だろうと佐久間さんは言った。


 戦国に来て信長さんと一緒に居る事も多い。そりゃ佐久間さん達の方が居た時間は圧倒的に長いだろう。だがそれでもオレは分かる。そんな不満じゃなかっただろうと。


 戦国に来る前に歴史をネットで学んだ。確か信行さんは家康さんと人質交換されたっけ?安城城に今川が攻めてこられ、信行さんが捕虜になったんだよな。


 今川は病気で出陣しない信秀さんを見て好機と思ったのか、侵攻を継続するが時の将軍、足利義輝が仲介して一応は戦いは収束したのだったかな。


 信長さんがこの戦に出陣していたかは分からないが、負けず嫌いの信長さん。人に指図されるのが嫌いな信長さんはさぞ悔しかっただろう。


 この時代の信長さんを知ってる人はみんなこの意見だと思う。けどオレはなんとなく分かる。いつもいつも先を見てる人だ。きっとこの時から今川を討つ算段をしていたのじゃないかと。


 何故オレがここまで思うのか。そりゃ〜、信長さんの事かなり尊敬している。凄い人だと。ただ、崇拝はしていない。織田家家臣の人はみんな時代のせいなのか主従関係が完璧に出来上がっている。


 そして、信長さんのような革新的な考えを持ち合わせていない。城下で行われている楽市楽座・・・オレからすれば当たり前の商いだが、この時代の人はあれですら驚く事なのだそうだ。身分関係なく誰でも商店を持てるなんて他所ではないと。


 要は価値観の違いだ。元々お金が集まる尾張だ。信長さんはそのお金に価値を見出し現代の人に近い考えを持っているのだと思う。だからこの時代の人達の価値観と合わないのだろう。


 それと、先を見る能力とそれにたいする戦略が段違いなんだろうとオレは思う。


 信秀さんの葬儀の喪主は一応信長さんだ。だが信行さんが考えた盛大に葬儀を行った事が信長さんの考えと違ったのではないかとオレは思う。


 この時代は身分がかなり重要だ。信長さんは身分を気にしない人だから、普段から農民の人達に混ざって角力をしたり、食べ歩きをしたりしていたらしい。それをこの佐久間さんや他の人達は諌めていたみたいだが信長さんはそんな事気にしない。


 信行さんはその逆でこの時代の将たる人の模範的な人だったらしい。保守的な考えの人が殆どな戦国時代では誰が織田家を纏めるかは明白だ。


 「あの時織田家の殆どの者が信行様を織田家の当主にしたいと思っていた。お前の知ってる者では柴田もワシも林殿もだ」


 「えぇ。知っています」


 「ワシは古い考えの者だ」


 うん。それは誰が見ても分かる。超超超保守的な人だって事がね。しかも織田家主要な人で1番身分を気にする偉そうな人って事も。


 「はい」


 「だからワシは何をするにしても無難な事をするようにした。お館様みたいな考えは持てぬ。さりとて、お館様はじっとしているのが嫌いな方だ。色々ありはしたがワシも織田家の事を1番に思う1人なのじゃ。あの時ワシが退けば平手もお前も呑み込まれるのは明白だった。だが、お館様に『くれぐれも死ぬ事なきよう』と言われていた」


 「いや実際紙一重でしたけどね」


 オレは発音だけ棘がある言い方で返答した。


 「その件は誠に申し訳なかった。この通りだ。だが、ワシの立場も考えてほしい。ワシは一応総大将だった。あのままワシが居て負けるような事があれば、浅井、朝倉、武田と完璧に挟まれておっただろう。それにお館様は『武蔵が窮地にどんな行動をするのか見極めねばならん。先を知ってるからと武田に寝返るにはちょうどいいと思わんか?』と言っておられた」


 確かに武田に寝返るならタイミングバッチリだろう。だがそんな事するわけないけど。まぁこの話は変わる事はないからいい加減オレも収めないといけないよな。


 けど、一つ驚いたのは佐久間さんも頭を下げるという事が分かった。今しがたオレに頭を擦り付けるくらいに頭を下げたのだ。


 「まぁもう大丈夫ですよ。現に生きて帰れたし、なんならお土産もありますしね。ただ、もしまた同じような事があればちゃんと撤退の事教えてください。戦の素人なので分からないです」


 「うむ。そんな事が起きないに越した事はないが次があるならそうする。これからも織田家を盛り立ててくれ」


 オレは佐久間さんという人が織田家で1番嫌いだ。けど、織田家を思う気持ちは1番の人かもしれないと思った。


 木綿藤吉、米五郎左、懸かれ柴田に退き佐久間。この語源があるように佐久間さんは最後方だ。退きが如何に大切なのかは身を以て知っている。その退きが確かに大切だ。あの戦の時、同じタイミングでオレ達も退いていれば損害はなかっただろう。


 佐久間さんは信長さんの命令を忠実にこなしたと言えるだろう。命令以外の事は何もせずに。これが羽柴さんや明智さんなら勝手に何かしていたと思う。信長さんはこういう自分の考えを持つ人を好んでいるようだ。


 多少、身分の事や偉そうな節はある佐久間さんだが、決してジャイアニズムのような人ではない。戦国のお勉強している時こんな記事を見た。



 かの有名なルイス・フロイスが織田信孝を評価する際に・・・


「佐久間殿(信盛)の外には、五畿内に於いて此の如く善き教育を受けた人を見たことがない」「思慮あり、諸人に対して礼儀正しく、又大なる勇士である」と伝えたそうだ。


 教育は分からないが確かに思慮があり礼儀は正しいとオレは受ける。


 そしてもう一つ・・・佐久間さんの武功を記録した『佐久間軍記』に、未来に起こるであろう追放について「誰かの讒言でもあったのではないか」と記述がある。


 オレの知ってる歴史では確か晩年は19ヶ条の折檻書で高野山に追放となる人だ。


 ちなみにこの追放された後、畿内方面軍軍団長に就任するのが明智光秀だ。なんとなく・・・なんとなくだが、明智さんを悪くは思いたくはないが頭のキレる人。信長さんほどではないがあの歳で色々未来の利器も使いこなしている人だ。

 

 誰かを蹴落としてでものし上がろうと思う人なのかもしれない。

ほぼほぼwikiから見た事で説明会になりすいません。次から話を動かします。

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