5話 商談
【ログリア町/ガンサイ邸・離れの書斎】
分厚いカーテンの向こうで、午後の日差しが静かに傾きはじめていた。
書斎に響くのは、ゴイルの鼻にかかった笑い声と、木床に沈む足音。
棚に並ぶ古書を適当に手に取りながら、彼は勝手知ったる様子で歩き回っていた。
指先がページをめくるが、読む気など最初からない。
ただ贅沢に囲まれた空間で、自らも“選ばれし側”にいることを確認しているだけだった。
対面のソファに腰掛ける男──ガンサイは、何も言わず煙管を燻らせていた。
組んだ足の先で空気を揺らし、目線は床に落ちた埃の動きすら冷静に追っている。
「──しかしダンナ、今回の商談、間違いなく一山当てられやすぜ」
ゴイルはにやけた口元をそのままに、重々しく言葉を続ける。
「仕立ても完璧、仕込みもバッチリ。あとは・・・見せるだけ」
その口ぶりは軽いが、内容は慎重だった。
ガンサイは短く吐息をつき、ゆるやかに視線を上げる。
「そうか。だが“見せ方”を誤れば、上物もただの肉に見える」
その声は低く、鋭い。
ゴイルは頷きながら、ソファの背に手をかける。
「ええ、もちろん心得てますとも。客に夢を見せる。ほんのひとときでも、“これは手に入れたい”と思わせりゃ勝ちでやすからね」
満足そうに笑いながら、ゴイルはカーテンの隙間から外の陽をちらりと覗く。
「おかげさまで、ここ最近の商売、すこぶる順調でやすわ。さすがはダンナ、目のつけどころが違う」
ガンサイはその言葉に何も返さず、ただ黙って煙を吐いた。
「──ところで、あっしはそろそろ準備してきやす」
そう言って、ゴイルは片手を軽く上げる。
「ダンナには、ほんとは代金を請求したいくらいですぜ?
いやはや、これほどの素材をタダで提供するなんて、あっしも太っ腹でやすなぁ・・・
キッキキキ!」
その笑い声が収まらないうちに、彼は書斎の扉へと向かった。
ガンサイはその背に目を向けたまま、ふと口を開く。
「・・・余計なことは、するなよ。これは“取引”だ。遊びじゃねぇ」
扉の前で立ち止まったゴイルが、振り返ることなく右手をひらひらと振る。
「もちろん、心得てますとも」
扉が閉じる。
残された部屋には、煙の香りだけが静かに漂っていた。
その背を、ガンサイは煙管越しに睨みつけていた。
「・・・厚かましい野郎だ」
ボソリと毒を吐き、椅子から立ち上がる。
苛立ちのままに振り返ると、部屋の壁へ向かって怒鳴った。
「おい! 誰かいねぇのか!!」
即座に現れたのは、“アホ”だった。
無言のまま扉を開け、膝をつき、頭を垂れる。
「わいが、おります」
「奴隷を三十人集めろ。これから行商だ」
「承知です!」
アホが立ち上がろうとしたその瞬間、ガンサイは手を上げて制した。
「待て」
一瞬の沈黙が走る。
「女は全員連れてけ。倉庫に衣装がある。今すぐ着替えさせろ」
「・・・はい、かしこまりました!」
「急げ!」
雷鳴のような怒声に、アホは即座に頭を下げ、踵を返す。
やがて、行商の一団が屋敷の門を出た。
夕陽が傾き、奴隷たちの影を長く引き伸ばす。
静寂を裂くように、通りの向こうから馴染みのある甲高い声が響いた。
「ダンナーッ!」
ガンサイはため息をつく。声を聞いただけで頭痛がする。
「・・・遅いぞ」
「置いてくなんて水臭ぇじゃないですか~。ほら、こいつら連れてきやしたぜぇ。例の上玉!」
ゴイルが引き連れていたのは、二十名近い女奴隷たち。
過剰な装飾のドレス、塗り込められた化粧。
その姿は“魅せる”というより、“売る”ために着せられた“衣装”だった。
ガンサイは一瞥し、鼻で笑う。
「・・・ああ。悪くねぇ」
「これで終わりじゃありませんよ、ダンナ。
こいつらは“貴族向けの見本”。
庶民向けは別口で百匹ほど揃えてやすんで」
「用意がいいな」
「キッキキキキ・・・恐縮でやす」
奴隷たちは合わせて四十五名。女たちが前列に立たされ、無言で地面を見つめていた。
通りには既に人が集まりつつあり、その異様な光景に囁き声が広がっていく。
「・・・進め」
ガンサイの一声で、一行が動き出す。
列が通りを進むたびに、露出度の高い女奴隷たちに視線が突き刺さる。
人々の目には“疑問”も“怒り”もなかった。ただ、見世物を眺めるような好奇心と物欲だけがあった。
突然、ゴイルが列の中から一人の少女を指さした。
「おい、そこのお前。前に出ろや」
怯えたように足を止める少女の手首を乱暴に掴み、引き寄せる。
「ひっ・・・」
次の瞬間、ドレスの胸元が引き裂かれ、白い肌が晒された。
「キッキキキキ!」
「や、やめて・・・っ!」
少女の悲鳴に、周囲がどよめいた。
だが、それは同情の声ではなかった。単なる“刺激”への反応だった。
「・・・やりすぎだ、ゴイル。
傷でもついたらどうする」
「宣伝でやすよ宣伝。こんくらいの“サービス”がなきゃ、興味は引けやせんて」
ゴイルは群衆に向かって声を張る。
「さあさ皆さま、お集まりの皆さま!
このたびの400年祭には、とんでもねぇ“品物”がご覧になれやすぜぇ!」
群衆から笑いと拍手が起きる。
奴隷の苦痛は、ただの余興。
誰も彼女の涙を重く受け止めはしなかった。
その光景に、ゴミの拳が小さく震えた。
──何もできない自分に、腹が立った。
そのわずかな変化を、ゴイルが見逃すはずもない。
「おい、ゴミ。なんだその目は?」
「い、いえ・・・っ」
「舐めた目してんじゃねぇ!!」
振り上げられた拳がゴミの頬を殴った。
地面に倒れた彼を、今度はガンサイが容赦なく踏みつけた。
「てめぇ・・・何度言わせりゃ気が済むんだッ!」
鋭い蹴りが飛び、血が地面に滲む。
列がざわついた。
奴隷たちを掻き分けゴミの前に出たのは、クズとバカ、そしてアホとカスだった。
「ガンサイ様・・・! わ、わいらが言い聞かせますので・・・!」
「今は人目がございます。御名に泥を塗ることになりかねません・・・!」
必死の言葉が返ってくるのを待たず、ガンサイの拳がクズに向かって振り上げられる。
──バキィ!
乾いた音が鳴った。殴られたのは、クズではない。
間に割って入ったバカの胸板が、拳を受け止めていた。
ガンサイの手がビクリと痙攣し、顔が歪む。
「・・・クソが」
舌打ちを一つ、ガンサイは吐き捨てた。
「・・・お前は後で話がある。部屋に来い、クズ」
「・・・はい」
絞り出すような声に、ガンサイは満足げに頷いた。
「・・・進め」
命令の一言と共に、一行は再び進み出す。
脱がされた少女の肩に、バカが黙って自分の上着を掛けた。
「・・・ありがとう・・・」
その声は震えていた。
クズを見てゴイルが、ニタリと笑う。
「旦那ぁ・・・あのクズとかいうメス、いい感じに育ってきましたなぁ」
「ああ。あれも“頃合い”かもしれねぇな」
「キッキキキ・・・ダンナ、えげつねぇ顔してますぜ」
しばし歩いたのち、ガンサイがポツリと呟く。
「・・・それにしても、てめぇの売った奴隷は、外れが多ぇな」
「えぇ!? ま、待ってくだせぇよ旦那!」
「奴隷が主人に楯突くなんてよ」
「い、いやいやいや!
それに、あっしはゴミのやつなんて知りませんぜ!?
あれ、だいぶ前から・・・」
「ああ。俺が“最初に拾った奴隷”だ」
「へぇ・・・」
「ログリアの森で熊に食われかけてたガキを見つけた。・・・もう冒険者を辞めた頃だったな」
「ダンナが冒険者を辞めた頃ってーと・・・十五年前でしたかい?」
「ああ。ノーマンの野郎にやられて、体も心もボロボロだった。だから、これは使えると直感が働いてな」
「運命的でやすねぇ」
「その後、すぐお前が“クズ”を連れてきた」
「さいでしたっけ」
「・・・まぁ、どうでもいい話だ」
その言葉と共に、一行はついに目的の“商談の場”へと、たどり着いた。
視界の先に堂々たる屋敷が姿を現した。
ガンサイの邸宅にも匹敵する重厚な造り。
城壁の端に構えるそれは、名門貴族の居城を思わせる威厳を放っていた。
門の前には、一人の男が静かに立っていた。
「・・・待っていたぞ」
「ウェイン・ロート・ログリア様・・・!
これはこれは、お出迎え痛み入ります!」
普段は見せぬほど、ガンサイは恭しく頭を垂れた。
あまりの変貌ぶりに、ゴイルが思わず眉をひそめる。
「領主たる者、街を支える商人に敬意を払うのは当然だ。
とりわけ、君のような手腕を持つ者ならなおさらな」
「身に余る光栄・・・」
「さあ、ガンサイ殿。我が屋敷へ」
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
一行は屋敷へと迎え入れられた。
随行したのは女奴隷数名と、雑用係として控えさせられたゴミ、バカ、アホ、カスの四人だった。
【貴族館・広間】
白い大理石の床が、高い天井の装飾と共鳴して足音を反響させる。
精緻な絨毯の上に立ち止まり、ガンサイがゆっくりと切り出した。
「次の400年祭・・・我々は、そこで“奴隷による性サービス店”を展開したいと考えております」
「・・・なに?」
領主・ウェインは言葉を失い、目を瞬かせる。
「これが時代の最先端。街に“新しい熱”を呼び込み、経済にも大きなうねりを与えます」
「ま、待て・・・何も400年祭に出店せずとも良いではないか。
今回は司祭様や宰相様もいらっしゃる予定だ。
それに最近の風潮的にも、衛生的にも──」
「性とは、欲です。人間の本質そのもの。抑圧すれば、社会は内から腐ります」
力強く言い放つガンサイに、妙な説得力があった。
ウェインは思わずたじろいだ。
「う、うむ・・・とはいえ、病気の危険性は・・・」
「ご安心を。当店の奴隷たちは定期的に身体検査と洗浄を実施しております。病気のリスクはゼロに等しい」
「それでも、万が一妊娠したら・・・」
「所詮は奴隷。不要になれば、処分すれば済む話です」
「・・・そう、だな」
ウェインは断る理由を悉く潰されて、ついに押し黙った。
二人の会話を聞いて奴隷たちの身体が硬直する。
クズは目を伏せ、唇をかみしめた。
だが、そんな彼女たちの震えなど、ガンサイには何の意味もなかった。
(・・・もう一押しだ)
「領主様。実は、今回お連れした五名は特に完成度が高く・・・よろしければ、一人、試してみては?」
「な、なんと・・・!」
「特別に、ご覧に入れましょう」
そう言いながら、ガンサイはクズの方へと手を伸ばす──ように見せかけ、直前で制した。
「・・・ですが、その女はまだ“教育”が必要でして。代わりに、こちらを」
視線が向いたのは、先ほどドレスを破かれた女奴隷だった。
彼女は足を震わせながらも、ガンサイの合図に従って前へと歩き出す。
クズは、息を詰めたまま動けなかった。
何故なら自分が助かったわけではないと、誰よりも自分が理解していたからだ。
「では、これで・・・」
ガンサイが扉を静かに閉める。
満足そうな顔で屋敷を後にする。
ガンサイ達が見えなくなった頃、館の奥から女奴隷の叫び声が響き渡った。
その声は一行にまで届くほどだったが、誰も、目を合わせようとはしなかった。