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4話 奴隷

話を大幅に編集いたしました。


4話 エルフィ

4話 奴隷

5話 商談

6話 地下牢

7話 赦し


内容を4分割してさらに濃く表現しているので改めてご覧ください。

【ミルス暦400年 アノマール帝国領土内 ログリア町】



「いつまでグズグズしてやがる! 早くこっち来い!!」


 夕焼けが町並みに濁った朱を落とすなか、その怒声は獣の咆哮にも似て、壁や地面を震わせた。

 物置の隅、(すす)けた空間のなかで埃まみれの古書を読みふけっていたゴミは、肩をびくつかせながらページを閉じた。

 震える手で古びた壺を手に取り、中へと本を滑り込ませ、そっと棚の上へ戻す。


「おい、聞こえねえのか!」


 次の瞬間、扉が荒々しく開け放たれた。

 逆光が土埃を引き連れて物置の闇を切り裂く。

 闇に慣れた視界は一瞬にして焼かれ、白い閃光のように意識を叩いた。


 光のなかに立つのは、熊のような体躯の男──ガンサイ。

 その背後には、同じく奴隷として扱われる者たちの影がぼんやり揺れていた。

 彼らは例外なく商品と思われる武器を大量に持たされていた。


 目が合った。


 その瞬間、言葉よりも先に拳が飛ぶ。


「いっ・・・!」


 頬に鋭い衝撃が走り、体が横に揺れた。


「言っただろうが、俺が帰るまでに掃除を終わらせとけってよォ」

「ご、ごめんな──」

「ああ!? “申し訳ございません”だろうが!!」


 さらに拳が振り下ろされる。

 鈍い音とともに視界がまた滲んだ。


「も、申し訳・・・ございません・・・」


 この程度の“躾”では驚かなくなって久しい。

 殴られるたびに心は鈍くなる。

 痛みが過ぎても、名も、尊厳も返ってくることはない。


「チッ、ほんと使えねえゴミだな」


 そう呼ばれることに、かつては腹立たしさもあった。

 けれど今では、もうその言葉すら、他人のもののように遠かった。



 ────────



 彼は、自分の本当の名を知らなかった。

 どれほどの年月が流れたのか。記憶の輪郭はとうに崩れ、いまではただ“ゴミ”として、ガンサイに飼われているだけだった。


 言葉も、文字も、最初は何もわからなかった。

 だが奴隷仲間の一人、“クズ”と呼ばれる少女が、根気強く教えてくれた。


 クズ、アホ、バカ、カス。

 呼び名は罵倒でしかないが、今となってはそれぞれが生きるために身にまとった名札のようなものだった。


 “クズ”は異様に知識が豊富で、虐待を受けても皆に言葉を教え続けた。

 “アホ”は殴られても笑い、泣き方を忘れてしまったかのようだった。

 “バカ”は無口な巨躯で、何をされても無表情のままだ。

 “カス”はまだ幼く、ひたすらに泣いていた。


 そしてゴミ自身も、どこかが確かに壊れていた。


 ふとした拍子に感じる、奇妙な感覚。

 ──自分は、かつて人間だった。


 ありえない幻想だと理解している。けれど、どこかにその記憶の種火が(くすぶ)っている気がしてならなかった。


 名も、記憶も、誇りもなく。

 それでもゴミには、一冊の本だけが残っていた。

 盗み取ったその書物を、何度も読み返した。


 そこには、この世界の構造が記されていた。

 種族の違い、力の理、不文律の歴史。

 そして“魔族(マージ)”がなぜ虐げられるのか。


 そう、ゴミたちはみな“魔族(マージ)”だった。

 そして、その全員が、なにかしらの記憶を失っていた。


 普通に過ごす自由も、抗う力も、すべては奪われた。


 死にたくても、死ぬことすら(ゆる)されない。

 魔族(マージ)の命は、労働と屈辱のためにだけ存在していた。


 希望という言葉さえ霞む日々。

 それでも、ゴミは本を読み続けていた。

 どこかに、微かに、まだ自分が“自分”であった頃の何かが残っている気がした。


 感情が摩耗していく中で、ひとつだけ確かな願いがあった。

 ──思い出したい。

 自分という存在の、原型を。


 けれど、記憶も名も手に入らないまま、日々はただ過ぎていった。



【ログリア町/ガンサイ邸 内外】



 ある日の午後、ゴミは命じられるままに敷地内の清掃を任された。


 命じたのは、ガンサイ。

 ログリア町において“商会の黒獣”とも呼ばれる男であり、経済と裏社会を跨いで君臨する大商人である。


 彼が所有する屋敷は町の片隅にあって、まるで砦のような威容を誇っていた。

 本館の規模は、周囲の家々のおよそ五倍。屋敷の裏手には二階建ての離れがあり、さらに広大な庭園、馬小屋、池、小規模の資料館まで備わっている。

 それらを高い石壁がぐるりと囲み、唯一の出入り口には二人の門番が常に立っていた。


 この閉ざされた空間には、約六十人の奴隷が“飼われて”いた。


 正門をくぐって正面の本館を右奥へ通り過ぎ、離れのさらに奥にあるのが、彼らを詰め込むための小屋。

 その小屋の脇には、地中へと続く暗い階段が口を開けている。地下牢だ。


 その全ての敷地を、ひとりで掃除しろ──それが、この日与えられた仕事だった。


 文句など、言う立場ではなかった。

 ゴミは無言で倉庫から箒を取り出し、いつものように正門付近から作業を始めた。これは彼なりのルーティンであり、唯一“自分で決められる順番”だった。


 掃除を始めて間もなく、小さな影が門の外から近づいてきた。


 小柄で、猫背で、鼻の下を長く伸ばしたような猿面の男──商人のゴイルだった。


「あれ? ダンナー!」


 屋敷の玄関先で声を張る。

 しかし、応じる者はいない。ガンサイは今、離れの書斎にいるはずだ。声など届くはずもない。


 ゴイルは、苛立ちのまま近くにいたゴミに目を向けた。


「おい、ゴミ!」


 声は針のように尖っていた。


「ゴイル様・・・お呼びでしょうか・・・?」

「ダンナはどこだ!」

「は、はい・・・離れの、書斎に・・・」


 答え終わる前に、髪を掴まれた。

 そのまま頭を引き上げられ、次の瞬間、みぞおちに拳がめり込んだ。


 空気が喉に詰まり、膝が砕け落ちる。


「てめぇ、頭が高えんだよ。謝るときの作法も忘れたか?」


 その言葉に反応するのは、意識ではなかった。

 もはや条件反射のように、身体が地を這い、泥のついた靴を舌で舐める。


「申し訳・・・ございませ・・・ん・・・ゴイル様・・・」


 味と共に、屈辱が喉を焼く。


「キッキキキキッ! それでいい、それでこそゴミだァ!」


 甲高い笑いとともに、顔面に蹴りが飛ぶ。

 視界が弾け、舌を噛み鉄の味が広がった。


「グハッ!!!」


 通行人はいた。

 だが、誰一人として目を合わせようとしなかった。


 それが、この“国”の日常だった。


 ゴミはどうにかして立ちあがろうとするが、意識が朦朧(もうろう)とし(もだ)え苦しんでいた。


 そのとき、もう一つの影が現れた。


「何を表で騒いでんだ・・・あぁ、チビザルか」


 ガンサイが姿を現した。

 その顔を見るや否や、ゴイルの態度が一変する。


「ダンナぁ! サルからチビザルに進化してるじゃないですかぁ〜」

「今日は何の用だ」


 ガンサイの声には嫌悪が滲んでいたが、それでも口調は抑制的だった。

 この男を露骨に粗末にできる者など、町の中にはいない。


「あ! そうそう。例の件ですけど、そろそろ・・・ですねぇ。

 キッキキキキ!」


 ガンサイの眉が僅かに動く。

 この笑い声が苦手だと、周囲の人間は皆知っていた。


「まぁ、とにかく入れ」

「あいさっ!

 それにしても旦那もえげつないこと考えますなぁ〜」

「ふざけんのはその顔だけにしとけ」


 互いに軽口を叩きながら、二人は屋敷の奥へと消えていった。


 その時ーーー


(ゴ・・・ミ?)


 かすれた声が、倉庫の裏手から忍び寄る。闇のような気配の中から、小さな影がそっと顔を覗かせた。


 クズだった。


 彼女はすぐに辺りを見回し、緊張した眼差しで動きを止める。

 確認を終えると、倉庫の壁の隙間から手を差し伸べるように、唇を動かした。


(ちょ、ちょっと待ってて・・・)


 その声に応えることはできなかった。

 舌が腫れ、喉がつかえていた。

 漏れた音は獣の呻きにも似た、低く濁った呻き声だった。


 間を置かず、バカとアホが姿を現す。合図もなく、それぞれが手慣れた動きで配置についた。


 バカは音もなくゴミの身体を担ぎ上げる。

 その大きな腕の中で、彼の体はまるで人形のように力なく揺れていた。


 クズが先導し、バカは慎重に倉庫の陰を抜けて進む。

 アホは一人、その場に残り、ゴミの代わりに箒を握り直した。表情を変えることなく、ただ静かに掃き始める。

 奴隷たちは、目立たないように行動した。


 “彼ら”にとってこれは日常だった。


 奴隷小屋に辿り着くと、彼らは監視の目を盗みながら裏手の通路を通り、割り当てられた六畳ほどの一室へと潜り込んだ。


 部屋に入るなり、バカは床に布を敷き、その上にゴミを寝かせる。

 クズはトイレの手桶から水を運び、そっとその場に置いた。


 カスは隅でうずくまり、怯えた目で様子を窺っていた。

 何かしなければと焦ったのか、自らの袖口を引き裂こうとする。

 だが、手は震え、力も弱い。布はなかなか破れなかった。


 代わりに、バカが無言で自分の袖を裂き、その布切れをクズに渡す。


「ありがとう」


 クズは短く礼を言い、濡らした布でゴミの顔を拭う。

 血と埃、汗と泥。

 そのどれもが、すぐに布を汚した。


「グ・・・ッ・・・」


 拭かれるたびに、ゴミは声にならない痛みに呻いた。

 だが、クズは手を止めなかった。


「少しだけ・・・我慢してね」


 囁くように言いながら、クズは自分の寝床の下から何かを取り出す。

 乾いた葉を砕き、掌でこねると、赤黒い粘液が滲む。


「これは血止め。痛みも、少しは和らぐはず・・・」


 その言葉に、ゴミはかすかに頷こうとしたが、すぐに喉が詰まり、呻きに変わった。


「いいから・・・喋らないで」


 クズは濡らした布で、ゴミの身体を丁寧に拭き上げる。

 皮膚に触れるたび、汚れが布に染み込み、次第に彼の肌が少しだけ人間らしい輪郭を取り戻していく。


 最後に布をもう一度水に浸し、軽く絞って、額に乗せた。


 そのひんやりとした感触が、どこか遠い場所から戻ってきたような安堵をもたらした。


 クズは、そっとゴミの手を握った。

 冷たい指先が、熱を求めるようにその温もりに寄り添った。


 しばらくして、ゴミは静かに目を閉じた。

 深い眠りではない。けれど、少なくとも──痛みの外にいる時間だった。




 この館では、奴隷が死ぬことは日常だった。


 そして万が一地下牢に連れ込まれれば、生きて帰ってくることはできない。

 殴り殺される者。

 犯されて壊される者。

 命の重さは、ここには存在しない。


 骨と死臭が交差するその空間を、彼らは知っていた。


 クズとゴミは、奴隷の中でも古株だった。

 だからこそ、互いのことをよく知っていた。




 クズは祈った。

 誰にというわけではない。

 ただ、届いてほしいと願った。


 その祈りが届いたのか、しばらくして、ゴミが薄く目を開けた。


「・・・ゴミ?」


 言葉というより、吐息のようにこぼれた声だった。


「・・・あの・・・ありがとう・・・」


 その声に、クズは目を潤ませた。


「よかった・・・本当に・・・よかった・・・!」


 涙があふれ、声が震えた。


 その様子につられるように、カスも泣き出す。

 嗚咽をあげながら、擦り寄ってくる。

 幼い体をぎゅっと抱きしめながら、クズはゆっくり呼吸を整えた。


「今回ばかりは・・・もう、ダメかと思ったよぉ」


 その言葉に、ゴミはかすかに笑ったようにも見えた。


「・・・クズ・・・本当に、ありがとう・・・バカも・・・助けてくれたんだね」


 バカは何も言わなかった。

 彼はここに来てから一言も発したことがない。


 だが、彼は静かに頷いた。

 それだけで、言葉以上の意味があった。

ガンサイ:武器商人

ゴイル:奴隷商人

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