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1話 暁

【西暦2019年7月 埼玉県某所】


 この夏、地球は本気で人類を焼きにかかっていた。


 天気予報はまたしても、過去最高気温の更新を涼しい顔で告げている。


 灼熱のコンクリートに突き刺さる日差しの照り返しは、もはや凶器。

 陽炎がゆらめく住宅街を、三つの影がゆらりと伸びていた。

 蝉の鳴き声すら暑さに押し潰されそうな午後。

 周囲には他に人影はなく、世界はまるで炎の中に沈黙していた。


「・・・あちぃ。地球、もう終わってんな」

「陸にぃ、それ四回目」

「こうなるなら、もっと地球に優しくしときゃよかった・・・」

「あはは、いまさら遅いよ〜」


 からかうように笑ったのは、三人の中で最も小柄な中学3年生の少女、そら。

 肩までの銀髪が太陽を受けてきらめき、ぱっちりした瞳が、兄ふたりを交互に見上げている。


「連日で記録更新って、もう当たり前みたいになってきたよね。うんざり」

「・・・海にぃが弱音吐くなんて、めずらしい」

「そう?」

「うん、でもお父さんも同じこと言いながら、裏山に出掛けて行ったよ」

「そういえば昨日、せっかく育てた野菜がダメになるって嘆いてたな・・・」

「その前に俺らがダメになっちゃうよ・・・このコンクリ、完全に俺らを焼きにかかってるよな。オーブンで焼かれてる魚の気分だわ」

「陸にぃってほんと、変なことばっか言うよね」

「・・・魚にも優しくしよう」


 炎天下の中、のんびりとそんな会話を交わしていたのは、双子の兄・海斗と陸斗、そして妹・そらの三兄妹だった。


 夏の午後。学校帰りの一本道。

 将来の話が出たのは、ほんの気まぐれだった。


「ねぇ、お兄ちゃんたち。高校卒業したら、どうするの?」


 唐突なそらの問いに、真面目な方の兄・海斗が答える。


「僕は大学かな。AIとかの分野に興味あるし」

「えー、すごい!ちゃんと将来のこと考えてるんだね」

「ううん、そんな立派なもんじゃないよ。

 ただ・・・父さんみたいに、国家プロジェクトに関われる人になれたらいいなって、思ってるだけ」


 言いながら、海斗の頬がうっすらと赤く染まる。

 照れ隠しなのか、太陽のせいか──それを知るのは、本人だけだった。


 海斗が「プログラマーになりたい」と言い出したのは、小学生になったばかりの頃。


 その頃二人は新しい環境に目を輝かせ、毎日のように兄弟で母・みさとに報告合戦を繰り広げていた。

 母みさとは二人の話を聞くだけで満足そうだった。


 「うんうん、それはすごいね」という優しい母の相槌を聞くと、二人は満面の笑みを浮かべていた。


 ある朝、五十嵐家のリビングはやけに静かだった。


 空気に妙な緊張感が漂っていて、まだ寝ぼけ眼の兄弟がリビングに行くと父・彰人が妙にそわそわしていた。

 時計と母の顔を交互に見つめる姿に、陸斗が「・・・トイレ行きたいの?」と呟いたことで母が吹き出し場が和んだことは、家族全員にとって救いだっただろう。


 でも、実際に起きていたのはそれ以上の出来事だった。


「国家プロジェクト《暁》に、プログラマーとして選ばれた」


 父がそう口にしたときの表情は、今も海斗の脳裏に焼き付いている。

 誇らしげで、だけど少しだけ緊張も混じっていて──


 その日、双子の兄弟はソファに並んで座って、父と母のやりとりを見つめていた。

 まだ小さかったそらは、母の膝の上であくびをしていた。


 《暁》──それは、通信インフラの常識を塗り替える壮大なプロジェクトだった。

 数十機の衛星を宇宙に打ち上げ、それを地上とリンクさせることで通信品質を革命的に向上させるという構想。


 実現すれば、世界の技術を大きく発展させるさせることになるだろう。


 第一号機の名をそのまま取り、プロジェクトは【暁】と命名された。


 本来、完全機密であったはずの内容。


 しかし、彰人は参加の条件として「家族にだけは話したい」と組織に直談判し、承諾を得る。


 その結果、家族全員が関係書類にサインする羽目になった。


 あの日を境に、海斗の何かに火がついたようで、勉強も本気で取り組み始めた。


 「出る杭は打たれる」とは言うが、彼は一度も折れなかった。

 偏見も冷やかしも、努力でねじ伏せてきた。


 まさに──百折不撓。


 何度失敗しても、立ち上がって前を向いた。


 そんな兄を、陸斗は密かに、心から尊敬していた。


 一方、自分はというと・・・何がしたいのかも、何になりたいのかもわからない。

 霧の中を彷徨っているような、そんな気分だった。


「──にぃ?・・・陸にぃってば!」


 そらの声で、現実に引き戻される。


「・・・ああ、わりぃ。ちょっとボーッとしてた」

「えっ、熱中症!? 塩なめる? それとも頭にスイカ乗せる?」

「じゃあスイカで・・・って乗るかーーー!」


 振り返った陸斗の目に飛び込んできたのは──そらが手にしているスイカだった。


「・・・え?」

「なに?」

「なんで、スイカ持ってんの・・・?」


 時が止まった。


 そらがスイカを何事もない表情でバッグへしまったことで、ようやく時間が流れ始めた。


 その様子を二人は唖然としてみていた。


「・・・・・」

「で、なんの話だったっけ?」

「あ、話進むんだ」

「だから、陸にぃは将来どうするの?」

「・・・まだ、決まってないんだよなあ」

「焦らなくてもいいと思うよ。卒業までまだ一年半あるし。

 もし決まらなかったら、僕と同じ大学に行ってから考えてもいいしね」

「・・・だな。でもなんかさ、足りないんだよな。ドキドキ感? 冒険ってやつ?

 ・・・あ、そうだ。旅に出るか」

「ええっ!? 出てっちゃうの!?」

「い、いや、そら置いてくわけないだろ!」

「でも大学生と高校生って、なかなか時間合わないよ?」

「じゃあさ、そらが暇になったら一緒に旅しようぜ」

「・・・ほんとに?」

「もちろん! 一生の約束だ!!」

「わーいっ!」

「・・・陸ってさ、ほんとそらに甘いよな」

「自慢の妹だからな!」

「えへへ〜」


 そらは褒められて頬を緩ませる。


「でもさ、そら。今は浮かれてる場合じゃないんじゃない?」

「・・・ん?」

「今年が最後の夏休みでしょ。昇級試験に向けて、追い込みの時期だよ」

「うぅ・・・それ言わないでよ〜〜」

「大丈夫。僕が教えてあげるから」

「ほんと!? 海にぃが教えてくれるなら百人力だよ!」

「そしたら、俺もーー」

「陸にぃはいいよ」

「・・・え?」

「だって赤点とったじゃん」

「がーーん」


 心のダメージを負った陸斗が、よろける。


「うぅ・・・そらぁ、兄ちゃん泣いちゃうぞ」

「え!? あ、ごめん! でも、ほら、頼りにしてるところもあるし!」

「ぐすん」

「だから泣かないでぇ〜!」


 妹の狼狽える姿を見て、陸斗の表情がじわじわと緩んでいく。


 なんとも驚異的なメンタルである。


「陸にぃ、変な顔になってる」

「・・・はっ」




 顔を整えると、突然そらが叫ぶ。


「あっ!!」

「どうした?」

「な、なんでもないよ!?


 えっと、あれ!お母さんに呼ばれてたんだ!先に帰るねー!」

「え? おい、そら!?」

「またあとでね〜!」


 タタタ、と全力で走っていく妹の後ろ姿。


 その背中を見送りながら、海斗がぽつりと呟く。


「・・・あれ? 陸斗、もしかして気づいてないの?」

「は? 何が?」

「・・・いや、なんでもない」

「ん?・・・あ、そうか。忘れてたな」


 二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。

 家までの道のりは、最寄駅から歩いて十五分。

 本来なら自転車を使う距離だったが、今日に限ってそらの提案で、三人は徒歩で帰宅していた。

 だが、肝心の彼女が途中で消えた今、兄たちは文句ひとつ言わず、笑っている。

 それが、五十嵐家の日常だった。


 家の前にたどり着くと、陸斗は深呼吸をした。


(さて、サプライズを“知らないフリ”をするには、多少の演技力が要る)


 口の準備、表情筋の調整、滑舌の最終確に・・・・・ほぼ全て完璧だ。


「行こう」

「うん」


 そうしてドアを開けた、その瞬間──


「う、うわぁ!!」

「・・・」


 ・・・何も起きなかった。

 いや、きっとこれからクラッカーの音が鳴るはず。

 盛大な「おかえり!」が響くはず。

 そのはずだが──


「・・・陸」

「・・・ん?」

「目を開けて、見てごらん」


 目を開けると、そこには誰もいない。


 ヒューン——


 風が音を立てて吹き抜けた。


 ・・・そして。


 ブーッ…ブーッ…ブーッ…


 陸斗のスマホが震えた。


「・・・そら」


 その名前を呟きながら、彼は通話ボタンを押す。


「おい、せっかくサプライズに乗って──」


『お父さん達がいないの!!』


「・・・は?」


 怒りをぶつけようとしていた陸斗は、思いもよらぬ話に面食らい、勢いを失った。


「え・・・え?」

『お父さんたちがいないのよ!!』


 そらの声は、軽い混乱と焦りを帯びていた。


「ちょ、ちょっと落ち着けって。買い物か何かに出かけてるだけじゃ・・・」


『違うの!

 お父さんたちと一緒に、家でサプライズしようと話してたのに・・・いなかったの!』


「それ、サプライズの意味・・・まあいいや。

 で、お前はどこにいる?」


『う、裏山!』


「は? なんでそんなとこに」


『朝、お父さんが“仕事の用事で裏山に行く”って言ってたから、まだ戻ってきてないのかと思って探しに来たの!』


「・・・それなら電話すればよくね?」


『だからかけてるけど出ないから来てるの!』


「・・・まあ、それはそうだな」

「り、陸・・・」


 ヒューン——


 再び、風が吹き抜けた。


「とにかく、今から俺たちも行く! その場を動くな、いいな?」


『でも——』


「お前まで迷子になったら大事だろ! 待ってろ!」


『わかった』


「裏山のどのあたりだ?」


『じゅらとのんを拾ったところ』


「了解。すぐ向かう!」


『うん・・・!』


 通信が切れると、陸斗は振り返って言った。


「兄貴」

「行こう」


 二人の脳裏に浮かんだのは、三年前のことだった。


 そらが拾ってきた二匹の猫、白いじゅらと黒いのん。

 じゅらは頭に不思議な模様があって、まるでカツラでもかぶってるような見た目だった。

 裏山を散歩していたそらの後ろを、気づけばついて来ていたのだという。


 その裏山は家から200〜300メートルほどの距離にあり、標高325メートルの小山。地元の高齢者にとってはちょっとしたハイキングコースで、街の数少ない名所でもある。


 二人は全力で駆けた。全速力なら、じゅらとのんを拾った場所まで10分もかからない。

 だが——そこに、そらの姿はなかった。


「・・・っ、くそ!」


 陸斗の顔が青ざめ、スマホを震える指で操作し、そらに再び電話をかける。


 トゥルルル……トゥルルル……


 呼び出し音は何度も鳴るが、出る気配はない。


「どこにいんだよ、ここで待ってろって言ったのに!」

「陸、落ち着いて」

「落ち着けるかよ! 兄貴はなんでそんな冷静でいられるんだよ!!」

「なんでって、それは——」


 パァァァン!


 大きな破裂音が山の静寂を打ち破った。

 振り返ると、そこには困ったような海斗の隣でドヤ顔のそら、そして腹を抱えて笑う両親の姿があった。


「・・・は?」

「やっぱり、海にぃは騙せなかったか〜」

「まあ、タイミングがあまりに出来過ぎてたからね」

「くっくっく・・・テンポ良すぎたか! ダッハッハ!」

「ほら、そんなことより——せーの!」

「「「お誕生日、おめでとう!!」」」

「・・・信じらんねぇ」


 陸斗は混乱しつつも、どこか呆れたように言った。


「・・・やりすぎた?」

「いや、そういうんじゃないって!」

「嬉しくなかった・・・?」

「い、いや、嬉しいよ!?嬉しいに決まってる!」

「本当に陸斗はそらに甘いなあ」

「うるせぇよ。親子揃って同じこと言いやがって」


 照れくさそうに言い返す陸斗。

 その顔は、明らかに喜びを隠しきれていなかった。


「りっくん、もう怒らないで〜。それより、ここに連れてきた理由、そろそろ言わなくていいの?」

「ああ、そうだったな」

「・・・理由?」


 空気が一変した。


 笑顔の中に、不意に漂う緊張。

 父・彰人の表情が変わり、場を包む空気が真剣なものへと変わっていく。


「まずは・・・誕生日、おめでとう。そして、こんな日にこんな話をしてしまうことを許してくれ」


 どこか苦しげな父の声音に、誰もが黙り込んだ。


「父さんな・・・【暁】を辞めた」


 重い沈黙が落ちた。


「え・・・?」


「詳しくは省くが、今やってるプロジェクトを成功させられる自信がなくなった」


 その言葉に、兄弟は固まった。


「三年前、長年温めていた構想を実行に移そうとしていた。成功すれば文明を一歩進める革命だった」


 一呼吸。


「だが、構想そのものが・・・最初に聞かされていたものとまったく違っていた」 


 父の目は、どこか遠くを見ていた。


「もし途中で抜けたら——情報漏洩のリスクがある。

 命が狙われる可能性もある。

 だから、簡単には身を引けなかった」


 現実感のない話だった。だが、父の表情は真剣そのものだった。


「・・・実際やめたメンバーは、その後全員、音信不通になった」


 空気が一気に凍りつく。


「その時、もうどうしたらいいか分からなくてな」


 彰人の顔に影がさす。

 しばらく続くと思われた沈黙だが、誰からか思い出し笑いをしたかのような音が聞こえた。


「父さんが頭を悩ましてるのに、そらがのん達をつれてきてな、『勝手についてきたから飼いたい』なんて言い始めて・・・

 あまりにも真剣な顔で言うもんだから許可したら、『お父さんはこの子達のヒーローだね!』って」


「もーー!その話やめてよ〜」


 照れたそらが父を小突くと、父は笑いながら頭を撫でた。


「でもお前の無邪気さに救われた。

 ヒーローなんて言われたら、父さんもかっこいいところを見せなきゃな、ってな」


 そらは頬を膨らまし、顔を赤く染めている。


「で、三年かけて準備を整えた。一週間前、ついに辞表を出した」

「・・・けど、それって俺たちも狙われるかもしれないってことだろ!?」

「安心しろ」


 全員の視線が父に集まった。


 その声には、覚悟がにじんでいた。


「何があっても、父さんが守る」


 その瞬間、不思議と風が止み、音が消えた。

 まるで、それは空間が彼ら家族だけを切り取り世界から切り離したかのような——


 静まり返る山の中に、その声だけがはっきりと響いた。


「ここに連れてきたのも、それが理由だ」


 父がゆっくりと地面を指差した。


「何かあったら、ここに来て。埋めてある“もの”を使うんだ」


 彰人の真意も何が埋まっているのかも、誰にもわからなかった。だが、誰もが無言で頷いた。







 家族は再びリビングに集い、賑やかな誕生日パーティの続きを始めていた。

 笑い声と共に、いつものように母と妹が手作りのケーキを運んでくる。

 その様子を見てほろ酔いの彰人は涙を流していた。


「ぐすん」

「・・・もう、涙腺ゆるみ過ぎでしょ・・・」


 そう言いながらも、陸斗の頬もどこか緩んでいた。


 泣きながらも徐に父・彰人が彼らにそっと差し出したのは、小さな箱だった。

 開けると、中に入っていたのは手のひらサイズの、角砂糖ほどのキューブ。


 一見すると無機質な物体だが、手に取るとほんのりと温かく、微かに光を放っている。

 海斗のキューブは黄色、陸斗のものは赤く、それぞれ異なる色に輝いていた。


「・・・なんだよこれ?」

「ぐすん」

「ぐすん、じゃなくて・・・てか親父、お前がやると本気で気色悪いんだけど」

「ひどいなぁ・・・じゃあ返せ!それ、やらんぞ!」

「まあまあ、父さんの気持ちってことで受け取ってやろう」

「いや、俺はいらん──」

「陸!」

「いや兄貴だって──」

「り、く、と!!」


 このやり取りで、完全に空気が読めた。

 “父親の贈り物を拒否することは、我が家では兄の制裁対象である”。


「・・・わかったよ。ありがたく頂戴いたします!!」

「そうだぞー!もらっとけ!」


 陸斗は渋々納得しながらも問いかけた。


「で、これって何?」

「ん?ああ、困ったときに食え!栄養たっぷりだ!」

「・・・まずそう」

「ジョークだ!」

「ジョークかよ!」

「・・・でも“困ったら食え”ってのは本当だ。お前らを助けてくれる」

「この・・・角砂糖もどきが?」

「その“角砂糖もどき”が、だ。ひと粒で衛星数個分の価値はあるんだぞ?」

「・・・マジかよ」


 陸斗がふと妹の方を見た。


「そんなにすごいもんなら、そらにもやった方が良くないか?」

「お前たちは誕生日だからだよ。それに──」

「私はこれもらったのー!」


 そらが誇らしげに首元を指差す。

 そこには、黒を基調とした美しいチョーカーが光っていた。

 透けるような素材の中央で、結晶が爛々と輝き、そら自身をも照らすような存在感を放っている。


「そーちゃん!本当のお姫様のようね。

 すごく可愛いわ!」


 興奮する母を横目に、陸斗は兄と自分のキューブを見比べた。


「てか、俺たちよりいいもんもらってんじゃん!!」

「へへーん」

「それって本物の宝石?」

「材料は鉱石みたいなもんだけど、宝石じゃない。

 そもそも・・・そんな金あるか!」


 父は笑いながら胸を張る。


「これは、父さんが世界にひとつだけ手作りしたチョーカーだぞ。どんなブランドより高級だ!」

「そーちゃん、すごく似合ってるわよ」

「ありがとう!」

「・・・なあ、俺たちの誕生日だったんじゃなかったの?」

「まあまあ、拗ねるなって」


 そう言って彰人が二人の背中を豪快に叩く。


「いってぇな!」

「なにすんだよ!」

「みぃのアイディアではあるが、お前らにはもう一つ、後で渡すものがある。今はそれで我慢しとけ」


 プレゼントを受け取り、笑いと冗談が飛び交うひととき。しかし、夜はまだ終わらなかった。







 パーティがひと段落した頃、それぞれがリビングで思い思いにくつろいでいた。


 陸斗はダイニングテーブルの端で、のんと遊んでいた。だが、ふと視線の先にいる兄・海斗に目を向ける。


 ソファに腰掛ける海斗の膝には、じゅらがちょこんと座っている。

 普段から陸斗になつかないくせに、海斗にはよく懐く。

 そんな微笑ましい光景にもかかわらず、陸斗は気づいていた。


(兄貴、テレビを見てるフリして、全然見てねぇな)


 視線は画面を向いているが、その眼差しの奥はどこか遠くを見ているようだった。


(考えてるな・・・さっきの話の続きか)


 ついに、海斗が立ち上がった。そして、廊下に向かって歩き出した父の背中に声をかけた。


「父さん」


 彰人が振り返る。


「・・・なんだ?」

「さっきの話、もう少し詳しく聞かせてくれないかな」


 空気が変わった。

 パーティの余韻が消え、家族全員が再び静かに耳を傾け始める。


「さっきの説明じゃ納得できないんだ。父さんがプロジェクトから抜けた理由、もっと根深いものがあるように思える」

「・・・何が納得できない?」

「父さんがそんな、逃げるような人じゃないから」


 その言葉に、誰もが一瞬息を呑んだ。

 心のどこかで思っていた疑念を、海斗が代弁したのだ。


「僕の考えでは、父さんは自信を失って離れたんじゃなくて・・・

 プロジェクトそのものが、危険なものだったんじゃないかって思ってる」

「・・・」


 父の視線が鋭くなる。だが海斗は引かない。


「そもそも国家機密だからって、命まで狙われる必要あるかな?

 普通、契約や補償で済ませると思う」

「・・・そうかもな」

「それに、家族を守るように引き離したり、逃がしたりするなんて、普通じゃない。それがどんな意味か、父さんならわかるはずだよ」


 彰人は黙り込んだ。


「仮説だけど・・・このプロジェクトがもし、世界そのものに影響するような代物だったら?

 衛星を何個も使って、何かを操作する力を得られるなら・・・」


 その瞬間、父の目が一瞬だけ揺れた。足が止まり、ゆっくりと振り返る。


「・・・そこまで言うなら話そうか。

 かい、お前はどこまで読んでいる?」

「新世代回線の話は建前。本命はもっと別のもの・・・そう思ってる。

 技術的にも衛星なんて必要ないし、違和感だらけだった」

「惜しいが、少し違う。衛星の投入は現実的な技術的課題を解決するために必要だった。

 地上だけでは、実現不可能な応用がある」

「そうなの・・・」


 少しショックを受けたように、海斗は俯く。


「そして、プロジェクトそのものが“害”ではない」

「それって」

「あと一つ。私は恐れから逃げた人間だ」

「でも・・・逃げる前に、ちゃんと対処しようとしてたんでしょ?」

「・・・まあな」


 彰人は大きく息を吐き、初めて明確な言葉で核心を語った。


「“暁”は電波回線のプロジェクトじゃない。正式には《時空間湾曲直干渉技術》、つまり──“タイム・コンタクト”だ」

「・・・は?」

「別の時間軸、別の可能性・・・要するにパラレルワールドへの干渉技術だ」



 この瞬間からだろうか。


 この先待ち受ける()()()()の運命が大きく変わったのは。


 いや、もっと前だろう。


 じゅらとのんに出会った頃か?


 このプロジェクトに参加を決めた頃か?


 それとも子供たちが生まれた頃からか?



 とにかく進んでしまった。



 家族に待ち受ける()()()()()が。

【五十嵐家それぞれの呼称】

彰人(夫):みぃ(妻)、かい(長男)、りく(次男)、そら(長女)

みさと(妻):あきくん / お父さん(夫)、かいくん(長男)、りっくん(次男)、そーちゃん(長女)

海斗(長男):父さん(父)、母さん(母)、りくと(弟)、そら(妹)

陸斗(次男):親父(父)、母さん(母)、兄貴(兄)、そら(妹)

そら(長女):お父さん(父)、お母さん(母)、かいにぃ(長男)、りくにぃ(次男)

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