第88話 後藤基次(後編)
「……お前こそ、よく知っているな?」
「当然、調べさせていただきました」
「わたしのことは避けていたくせに」
「というより、警戒していただけです。そのような相手のことは、逐一調べておかねばむしろ安心できぬというもの」
まあ、道理ではあるな。
「ふぅん。それで安心できたのか?」
「……色葉様が得た化粧領があの地であると知って、血の気が引きましたな」
「あはは」
なるほど。
それでは余計に不安になったことだろう。
いい気味である。
とはいえそのことも、孝高がわたしを色葉であると確信した理由の一つになったということか。
「まあ、いい。確かにわたしが直接召し抱えてやってもいいし、それくらいの余裕はある。しかし豊臣家ではなく、わたし個人に、というのはどうしてだ? そもそもそれで基次は納得するのか?」
史実で出奔後の基次に対し、長政が奉公構を科して再出仕を邪魔したことは、後世でも有名である。
現状、これを無視できそうな大名家といえば、江戸幕府に与しない勢力のものに限られるだろう。
例えば奥羽で勢力を誇る上杉家であったり、それらに追随する北関東の諸大名。
また信州の真田家。
そして豊臣家などである。
そういった大名家に仕えるのであればともかく、そうではなくてわたし個人に仕えるというのは、基次にしてみれば望む出仕先とも思えない。
何といっても今のわたしは、いくら秀頼の正室とはいえ、ただの小娘なのだ。
わたし個人に仕えようという物好きは、生前のわたしを知っているか、その時に縁のある者くらいだろう。
そして基次とわたしには、縁など何もない。
「……納得できぬのであれば、又兵衛もそこまででしょうな」
「どうしてそう思う。例えば信濃で頑張っている真田とかはどうだ?」
孝高の口ぶりにちょっと興味が湧き、わたしはつい尋ねてしまっていた。
その答えから、恐らくこの男の思考の一部が読み取れると思ったからでもある、
「……真田昌幸殿は、なるほど日ノ本一の食わせ者であります。この時期まで半ば独立を保ったことは、賞賛に値するでしょう。されど」
「されど?」
「信濃一国では如何ともし難いのも、また事実です。ただ割拠するだけでは、いずれ大勢力の前に力尽きましょう。昌幸殿が健在であればともかく、世代というものは移り変わるものですからな」
ふむ……。
孝高の奴、こんな九州にいながらも、よく見ているものだ。
確かに昌幸は頑張っている。
史実よりもずっと頑張って、結果も出している。
それでも天下を真田が取ることは叶わないだろう。
そんなことは、わたしにでも分かる。
「じゃあ上杉は? 今や江戸幕府に対抗し得る最大勢力だと思うが」
「上杉のことは、正直よく見えませぬ」
「む? どういう意味だ?」
妙な言い回しに、わたしは小首を傾げた。
「上杉景勝殿は、確かに有能な方ではありますが、されど野心家というわけでもなく、天下を狙うようなお方ではなかったと記憶しております。……悪く言えば状況に流され易く、最後にはお家存続を第一に考えてしまうため、扱い難いというほどでもありませんでした」
「よく分かっているな」
景勝に対する評価に、わたしは皮肉げに口の端を歪めた。
実際、正しい。
朝倉家もそうやって最後に裏切られ、雪葉などはそれを未だに根に持っているくらいであり、しかしそうやって景勝が所領を拡大してきたのもまた事実だった。
「が、今の上杉家には、直江殿がおられる」
「ああ」
現在の上杉家は、事実上の二頭政治で成り立っている。
そしてこの直江兼続が曲者で、実に喧嘩を売ったり買ったりするのが好きな奴なのだ。
会津征伐も、まあ兼続だけが原因というわけではないが、最後の一押しをしてしまったのは、やはりあの男である。
史実では失敗した。
ところがこの世界では会津征伐をうまく利用して、奥羽一帯から越後に至るまでを手中に収め、江戸幕府に対抗できる大勢力と化してしまったのである。
この先、何も起きないなどということは、あり得ないだろうな。
家康にしてみれば、豊臣家よりも上杉家をまず何とかしないと、おちおち死ぬこともできない、といった心境かもしれない。
「この私よりも、よほどうまく事を為されたといっていい」
「……ふうん? なんだ。もしかして自分が九州でやろうとしていたことを、場所を変えて成功されてしまって、悔しいのか? そうか、悔しいのか。なるほどなるほど。ちょっと愉快だ」
「……別にそういうわけでもありませぬが」
「嘘つけ。顔がむっとなっているぞ?」
「……本当に色葉様は、昔からお人が悪い……」
ぶつぶつと、孝高がらしくもなく何やらぼやいている。
ちょっと溜飲が下がった気分だ。
上杉の手を借りて、というのは気に入らないけれど。
「……そういえば色葉様は先日、私に負けたとおっしゃっておられましたな」
「む? なんだいきなり」
「私が直江殿に負けたとすれば、私に負けた色葉様は直江殿にも及ばない、ということになりますが」
おい。
「……そういう反撃をするのか? 嫌な奴だな」
「色葉様ほどではありませぬ」
「この世の中、どうしてこうも悪いことを考える輩が多いんだろう……」
半ば本気で思ってぼやいたら、お前が言うな的な視線を向けられて、どうにも反論し難くつい視線を逸らしてしまう。
うん。
この話題はここまでだ。
「とにかく上杉家に基次はやりたくない、ということだな?」
「というより、何やら危うい気もするのです。直江殿が優秀であることは置いておくとしても、それだけが上杉家の飛躍に繋がったとも思えず、しかしその全容が明らかならずということもあって、不気味……と申し上げる他無いのではありますが」
不気味、か。
確かにその認識は、多少共感するところではある。
上杉家の勢力拡大っぷりが、史実とかけ離れていることは、不気味といえば不気味だ。
例えているならば、わたしの存在のせいであの朝倉家があそこまで天下に近づいたことも、周囲から見れば不気味であったのかもしれない。
……もしかして、わたしのような存在が上杉家にもいるのだろうか。
分からないが……。
「まあ、わかった。とりあえず上杉のことは今はいい。じゃあ最後だが、どうして豊臣家に仕官させようとは思わない? ここが一番手っ取り早いと思うんだが」
「お戯れを。目の前に色葉様がおられるのに、なにゆえ豊臣家を選ばねばならないのですか。そのような選択は下策でしょう」
いやいや。
なんでそういう発想になるのか。
「お前、分かっているのか? わたしだって、今や豊臣の人間なんだぞ? それにわたしに仕えたところで、身辺の護衛程度の任か所領の管理か、そんな程度の仕事しか宛がってやれない。でも豊臣家直臣ならば、この先もし不穏なこととなった際に、活躍の機会が真っ先に巡ってくるかもしれないというのに」
「……有事の際に、色葉様が座して何もせぬとは思えません。となれば、その手足となる者こそ、活躍の機会があるというもの。今ならばまだ、席は余っておりましょう」
どうやら孝高の奴、暗にわたしを出しゃばりだと言いたいらしい。
そんなことはない……とは言い切れないけど、生前とは立場が違う。
一応、大人しくしているつもりである。
あくまで一応、だけど。
「まったく……何を考えて、何を期待しているんだか。むしろ基次をわたしへの間諜として送り込むのに都合がいい、くらいの方が納得できるというものだ」
「もちろん、それもあります」
「臆面も無くまあ」
つい呆れてしまったが、孝高らしいといえば、そうなのかもしれないな。
「……いいだろう。わたしが気に入ればの話だが、その際は召し抱えてやってもいい。ただし事前にちゃんと伝えておくことだ。わたしに仕えることがどういうことか、な」
「その、鬼のような恐ろしき笑顔でおっしゃられますと、これまで幾度も色葉様のお誘いをお断りしてきたこと、間違いではなかったのだとつくづく思わされますな」
「おい」
遠慮が無くなると、本当に嫌な奴である。
やはり無理強いしてでも家臣にした挙句、調教してわたしの奴隷にしておくべきだったな。
過去の自分に伝えられるものなら、そうしてやりたいところだ。
ともあれ。
その後紆余曲折はあったものの、後藤基次はわたしに仕えることで、最終的に手打ちとなった。
長政は最後まで渋ったが、孝高が健在な上に、わたしには借りがあると思っている身の上である。
結局強く出れず、そういうことになったのだった。
……しかし長政のやつ、基次との確執はかなりのものだろうに、いざ手放すとなるとこうも嫌がるとは……嫌い嫌いも好きのうち、というやつか?
本当に、よくわからないものだ。






