第7話 賤ケ岳の戦い(前編)
◇
天正十一年十二月二日。
事態は切迫する。
勝家が越前に留まり、また越前国境での積雪を確認した秀吉は、和睦の約定を反故にすると突如朝倉領北近江へと侵攻。
琵琶湖を渡り、佐和山城を急襲したのである。
明智光秀に攻められ、続いて羽柴秀吉に攻められることになった佐和山城主・江口正吉はまたも徹底抗戦の構えをみせて、頑強に抵抗した。
秀吉方の再三の降伏勧告にも応じず、これに業を煮やした秀吉は、ひとまず包囲に留めて東進し、美濃を侵したのである。
これに仰天したのが尾張の織田信孝であった。
岐阜城を目指す羽柴勢に対し、信孝は急ぎ手勢を集めるも、まず大垣城の池田恒興がこれに呼応。
羽柴勢は美濃国境を素通りし、岐阜へと迫る。
更に時を置かずして、伊勢の織田信雄までも秀吉の誘いに応じて挙兵し、尾張へと侵攻を開始した。
柴田勝家不在の中、これに対応することは叶わず、さらに岐阜城の留守居を務めていた堀秀政が離反。
岐阜城はあっけなく陥落した。
尾張、美濃の国境にあってその報に接した信孝は進退窮まり、信雄に家族を差し出して和睦を求めることになり、これは受け入れられて清州城に撤退する。
岐阜城が落ちると、森長可や稲葉良通、氏家行広、岡本良勝、斎藤利堯といった面々が次々に秀吉に寝返り、事実上、美濃は羽柴家の支配するところとなった。
この情勢に黙っていなかったのが、三河の滝川一益である。
年が明けて天正十二年一月、一益は挙兵して秀吉へと対決姿勢を明らかにした。
同月に秀吉は一益に対し、降伏勧告を実施。
一益は甲信の武田景頼の支援を得て、これを拒絶。
怒った秀吉は軍勢を派遣し、三河にて激戦が展開されることになる。
三河では基本、滝川方は防衛戦に終始したが、羽柴方は小城すら一つも落とせず、思わぬ苦戦を強いられることとなった。
これらの報に接し、越前にあった柴田勝家は居ても立っていられない状況に追い込まれていくことになる。
◇
越前丸岡城。
城主であった朝倉景忠が本能寺の変で晴景と共に討死し、城主不在となっていた城である。
乙葉はこれを自身のものとすると、そこに勝家を迎え入れていた。
二人の正式な祝言はまだであったものの、すでに婚約は成立し、雪解けを待って乙葉は岐阜に移る予定だったのである。
乙葉自身、朝倉家から離れることについては、かなり悩みに悩んだ。
小太郎のことがあったからである。
しかし目下の情勢を鑑み、朝倉家を守るには内外から行わなければならない、という結論に至り、小太郎を雪葉に任せて自分は織田家に向かうことにしたのだった。
乙葉にしてみればそのまま織田家を乗っ取ってでも、朝倉家や小太郎を守る算段である。
勝家個人への好意のようなものも確かにあったが、それは二の次であると乙葉は心を鬼にしてもいたのである。
あくまで勝家を利用する。
そのつもりだったのだ。
ところが事態は急変した。
まるでこちらの思惑を見透かしたように、秀吉は約定を反故にして近江を侵し、次いで岐阜に攻め入ったのだ。
しかも織田家では次々に重臣たちが秀吉に靡き、あっという間に岐阜城を攻略してしまたったのである。
雪のため国境が塞がっていたこともあり、北ノ庄への情報伝達は遅れ、また軍の派遣がほぼほぼできない現状に、勝家は歯噛みするしかできなかったという。
「本当に行くの……?」
「これ以上は待てぬ。このまま座しておっては、織田家は秀吉めに蹂躙されてしまうだろう。それに佐和山城も危うい」
二月に入り、しびれを切らした勝家は、景鏡に掛け合って援軍を要請し、景鏡もこれを承諾。
越前衆と加賀衆をまとめ、出陣が決定されたのだった。
「ねえ……妾が勝家を留めたせいで、こんなことになったのかな……?」
「そのようなことはない」
どこか後悔したような乙葉へと、勝家はきっぱりと否定してみせた。
「秀吉の狙いはまさにこの雪だ。朝倉より織田への援軍派遣が不可能になるのを見越して、わざと和睦を受け入れたのだろう。加えて織田家中はかなり切り崩されていた。信孝様と信雄様の確執を利用されたのは想像に難くない。仮にわしが岐阜におったとしても、敗北は必至であったかもしれん」
むしろ越前にあったことは、幸いであったと勝家は考えていた。
自分がいたからこそ、景鏡も冬季の出陣を承諾せざるを得なかったからだ。
ここでどうにか国境を越えることができれば、まだ打開の機会はある。
「――勝家、やっぱり妾も行く!」
意気込む乙葉に、勝家は苦笑して首を横に振ってみせた。
確かにこの者ならば、戦場でこそ華々しい活躍することだろう。
が、それでも随行を許すわけにはいかなかったのである。
「ならん。嫁入り前のおなごが、戦場に出て何とする。大人しく待っておれ」
「どうして! 妾ならあんなサルの雑兵ども、一人残らず殺してやるんだから!」
「ならんと言っておろう! 疋壇城でわしのような爺にすら勝てなかった者が、戦場にて何の役に立つか!」
一喝されて、乙葉は身体を震わせる。
「なんで……なんでそんなこと言うのよ……?」
「すまぬ。されど、そなたは待っておるのだ。万が一、ということもあり得る。その時、そなたがおらずしてこの朝倉家は如何する? わしは所詮、織田家の者に過ぎぬ。この地を守るは朝倉の者であるべきであろう」
「……うぅ、なによ……一度妾に勝ったくらいで偉そうに……。妾の気持ちはどうなるのよ……?」
ぽろぽろと涙をこぼしてなじってくる乙葉に、勝家はさても弱ったとばかりに苦悩した。
「……うまく言えず、歯がゆくはあるが。必ず迎えに行くゆえ、待っていてはくれぬか」
やがてどうにか頷いた乙葉を見て、勝家は笑う。
「では、行ってまいる」
こうして北ノ庄に向かった勝家は二月末、朝倉勢三万の到着を待って近江へと出陣した。
◇
天正十二年三月十二日。
柴田勝家は朝倉家の堀江景実らと共に、近江国柳ヶ瀬に着陣する。
この動きを察知した秀吉は、ひとまず三河方面から主力を引き揚げて、近江へと軍勢を進めた。
三月十九日には、羽柴勢も木ノ本に布陣する。
その数、五万余。
両軍はいったんここで睨み合うも、即座の開戦には至らなかった。
「さてどうしたものかな」
朝倉方が各所に砦を築き、防御態勢を築きつつあるのを見て取った秀吉は、方向性を決めかねて孝高へと計る。
「数ではこちらが勝る。力攻めでも勝てるとは思うが……」
「いえ、侮ってはいけません。柴田殿は天下の猛将。それに朝倉家の堀江景実も歴戦の良将です。それに背後の佐和山が未だ落ちていないこともお忘れなく」
「江口正吉であったか。何とも面倒な者を要所に配置してくれたものだ。さすがは色葉殿か」
佐和山城に江口正吉を守将として配置したのは、朝倉色葉の人事であったという。
正吉は元・丹羽家臣であり、織田家の者だった人物だ。
それを当時、色葉はまず最前線であった長浜城代に抜擢し、朝倉家中を驚かせたという話は聞いたことがあった。
「それを恩にでも感じているのか、いっこうに降伏する気配をみせん。何と頑固なことか」
「……恐らく、江口殿が降ることはないでしょう。話によれば、未だ丹羽家に忠誠を誓っているようで、これを家臣とするのに色葉様は自ら骨を折ったとか」
朽木谷の戦いで捕えられた織田家の重臣であった丹羽長秀は、その後朝倉家に仕えることを良しとせず、しばしの間幽閉されていた。
だが嫡子の丹羽長重を、色葉の小姓として出仕させたという。
このことにより、のちに朝倉と織田が同盟した際、その身柄の返還についても持ち上がったのであるが、長秀自身が断り、隠居して越前の某所に隠棲したとのことだった。
「丹羽殿が朝倉家におる限り、江口殿は決して降伏などせぬでしょうな」
「うーむ。では如何にすべきかのう。三河の方もさすが一益、一筋縄ではいかん。あまり時をかけては面倒になりそうだが」
「やはりここは、湖西方面から別動隊を回り込ませ、挟撃するのが一番かと」
「それは考えたが、あまりにあからさまであると、疋壇城に引っ込まれてしまうぞ? あそこに篭られると、まず抜けん」
「となれば、誘き寄せるしかありませぬな」
「その手段が思いつかぬゆえ、こうして膠着しておるのだぞ」
「そのうち何か機会もありましょう」
「……官兵衛、おぬしは考えているのかいないのか、たまに分からんな」
秀吉は呆れたが、その後もむなしく時は流れ、三月二十七日には秀吉は一部の兵と共に、後方である長浜まで退いた。
万が一、佐和山城の江口正吉に後背を脅かされるのを警戒したためでもある。