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第6話 乙葉と勝家


     ◇


 乙葉や雪葉が立ち直り、朝倉家も家中を立て直そうと奔走する中、しかし逆風は徐々に強まっていくことになる。

 それは羽柴秀吉の台頭であった。


 そして天正十一年九月。

 事件が勃発する。


「なに? 丹波の国衆どもが秀吉に降っただと!?」


 丹後舞鶴(まいづる)城。

 その城主であり丹後国の国主でもあった一色義定のもとに、信じられない情報がもたらされたのは九月二日のこと。


 国主であった松永久通を失い不安定になっていた丹波国の安定は、差し当たっては隣国である丹後の義定が任されていた。

 しかし羽柴方の動きは早く、秀吉に従属した細川藤孝こと細川幽斎(ゆうさい)の調略を受けて、丹波の国衆が次々に帰順を表明したのである。


 さらに同日、秀吉より義定に対し、従属要求の使者が訪れたのだった。

 お家存続を第一に望む義定の心境を見て取った、秀吉の調略である。


 しかし意外にも義定はこれを拒否した。


「色葉様はこの丹後の繁栄に助力して下さった。何より一戦にも及ばず今翻れば、乙葉様が許さんだろう」


 こうして従属要求を拒否した義定に対し、秀吉は幽斎に命じて舞鶴城を攻撃させる。

 この急襲に、迎撃の準備の整わないまま戦うことになった義定は、苦戦に苦戦を強いられることとなった。


 しかし義定も松永久秀が認めた猛将であり、そして乙葉に土をつけたことのある武将でもある。

 幽斎は攻略に手こずり、秀吉の参謀である黒田孝高に打開策を謀った。


 これに対し、孝高は義定に対して開城を条件に和睦交渉を持ち掛けることを提案し、ひとまず義定はこれを受けて宮津みやづ城へと退去。

 その上で改めて宮津城にて交渉が行われることが決まった。


 そして九月八日。

 宮津城に入った幽斎と義定の間で交渉が再開されると、突如羽柴勢が城内に雪崩れ込み、これを制圧。


「おのれ、謀ったか!」


 孝高の策ははまり、義定は交渉の場で幽斎と切り結んで恨みを晴らさんとしたが、幽斎とて剛の者。

 両者の対決は容易に勝負がつかず、熾烈を極めたものの、やがて羽柴勢が乱入し、乱戦の中で義定は討ち取られた。


 こうして丹後国は羽柴家の手に落ちることになる。


 一色義定が謀殺されたことが伝わると、朝倉家ではにわかに緊張が増した。

 特に若狭国において、武田元明はその対応に追われることとなったのである。


 秀吉は若狭侵攻の構えを見せており、事態を重く見た朝倉景鏡は織田家に対し援軍の派遣を要請。

 柴田勝家がこれに応え、十月には岐阜を出陣することになるのであった。


     ◇


 一方、織田家においても亀裂が入り始めていたと言っていい。

 まず発端は、やはりというか、織田信雄と織田信孝の対立であった。


 そしてすでに秀吉に懐柔されていた堀秀政や池田恒興に加え、信雄に接近した秀吉は織田家の家督をちらつかせてこれも懐柔し、その状況に危機感を覚えた信孝は柴田勝家や滝川一益と組み、水面下において織田家は二分されつつあったのである。


 そんな中、秀吉が丹波、丹後を制圧して勢力を拡大。

 朝倉家との関係が険悪になる中、秀吉は若狭侵攻の準備を始めた。


 このため朝倉家の朝倉景鏡は、柴田勝家に対して援軍を要請。

 勝家は秀吉を黙らす好機と考え、家中に出陣を命じることになる。


 軍勢を率いた勝家はまず近江佐和山城に入り、そして越前金ヶ崎(かねがさき)城へと駒を進めた。


「……あれほど苦戦した疋壇ひきた城を、こうも簡単に素通りするは、何とも複雑な思いであるな」

「まさしくその通りであります」


 かつて朝倉晴景と死闘を演じた越前疋壇を越える際に、勝家は与力の前田まえだ利家としいえにそんな風に洩らし、同じく共に戦った利家も同意したという。


 勝家は金ヶ崎城に入り、ここで北ノ庄から進軍してきた堀江景実率いる朝倉勢主力と合流。


 一方の秀吉は近江から北上して若狭を狙っていたが、朝倉・織田の大軍が金ヶ崎に入ったことを知り、進軍を停止した。

 その後、しばし両者は睨み合うことになる。


 そのまま十一月に入ったところで、両者は和睦交渉を行うことになった。

 交渉の任に当たったのは、前田利家、不破ふわ直光なおみつらである。


 特に利家は秀吉と懇意であり、そのために選ばれたとも言えた。


「ほう。又左またざが参ったか。それは良い」


 旧知の仲である利家の来訪に、陣中にあった秀吉はいたく喜び、これを迎えようとしたところで、孝高から待ったがかかる。


「旧交を温めるのも結構ではありますが、それだけでは物足りぬというもの」

「むむ? 官兵衛よ、それは如何なる意味か?」

「此度の和睦、利用せぬ手はございませぬ」


 孝高は一計を案じ、秀吉へと献策した。

 そもそも今回の和睦交渉は、どちらかといえば勝家など朝倉方が望んだものであったと言っていい。


 というのも冬季に入っていたからだ。

 積雪となれば軍の動きは制限され、機動的な行動はできなくなる。


 というより、ほぼ戦は不可能になる。

 当然攻め込むことも難しくなるが、朝倉方はその間に若狭をかすめとられることを危惧したのだろう。


「……官兵衛、おぬしあくどいのう」

「天下統一のためならば」

「それもそうじゃが、恐ろしき天下統一もあったものだ」


 孝高の策を耳にした秀吉はそう感想を洩らしたものの、結局その策を受け入れることになる。


 秀吉は利家と直光を懇ろに迎え、和睦交渉を前向きに成立させるのをついでとしながら、この二人の調略を行ったのであった。


 この時点で利家などは、上役である勝家への忠誠と、友人である秀吉との友誼の間で思い悩むことになる。


     ◇


 無事和睦が成立したところで、勝家は速やかに美濃に引き揚げるべく、別れの挨拶のために朝倉方の陣営を訪れていた。


「景実殿、まずは手打ちと相成った。が、これは時を稼いだだけに過ぎぬ。来年再び出陣し、秀吉めを討つ所存なれば」

「実にありがたく。羽柴秀吉は盟約を蔑ろにし、我欲によって天下を荒らす下賤の者であれば、これを討つは我が朝倉家も気持ちを同じくするところ。今は英気を養い、次に備えましょうぞ」

「うむ」


 ここで分かれようとした勝家を、景実は慌てて押しとどめた。


「あいや、しばらく」

「如何されたか?」

「……まことに言いにくきことではあるのだが、柴田殿。お国許も心配でしょうが、しばし越前に滞在されるおつもりはありませぬか?」


 突然の申し出に、勝家は面食らった。

 早く戻らねば雪に埋もれるというのに、何を言うのか、である。


「それは如何なる存念にておっしゃられるのか?」

「はあ……何というか」


 そこで景実は視線を僅かにずらしてみせた。

 勝家もそれに気づき、視線の先を追う。


 陣の先にいたのは、世にも美しきおなごであった。

 複数の尻尾を自慢げに広げ、狐の耳をぴんと伸ばし、豪華に着飾ったその艶姿あですがたは、正直陣中にはそぐわない。

 が、その者が何かしら意を決してやってきたことは、疑いようも無かったのである。


「……しばらくぶりであるな。乙葉殿」

「……来るのが遅いんじゃないの?」


 どこか拗ねたように、乙葉は言う。


「まさか、わしを呼び止めるのは貴殿であったか」

「なによ、悪い?」


 相変わらずのつんつんした様子に、勝家はついこの強顔をほころばせた。

 それでもなお、すさんだ戦場に咲く、一輪の花のように思えたからである。


「柴田殿、以前から打診のあったご婚約の儀、乙葉殿は前向きに考えると仰せです」

「――なんと」


 これもまた、勝家は驚いた。


「あの話、まだ生きておったのか」


 打診はしたものの返事は無く、立ち消えたのだとばかり思っていたのである。


 第一勝家は老齢。

 乙葉の実年齢は知らないが、見た目からすれば十代半ば。

 いかに政略結婚とはいえ、つりあうものではないと思っていたのだ。


「……なによ。そっちから言ってきたくせに、嫌なの?」

「い、いや……そうではないが……。いやはや、これは困ったな」

「何で困るのよ!」


 珍しくしどろもどろになる勝家に、周囲の者などは唖然となったという。

 対して乙葉は怒ってばかりいたが、誰の目のもそれが照れ隠しであることは、一目瞭然であったといえる。


 やがて勝家は意を決し、こう答えたのであった。


「……承知いたした。軍勢はこのまま返すが、わしはしばし残ろう」

「ほ、本当? ――うん! いいわよ。歓迎してあげる♪」


 一瞬でぱあっと明るくなった乙葉の表情こそ、勝家にとっては得難きものであったのだろう。

 それはほんの刹那の、幸福を得た瞬間でもあった。

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『朝倉慶長始末記』をお読みいただき、ありがとうございます。
同作品はカクヨムでも少しだけ先行掲載しております。また作者の近況ノートに各話のあとがきがあったりと、「小説になろう」版に比べ、捕捉要素が多少あります。蛇足的なものがお好きな方は、こちらもどうぞ。

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また同作品の前日譚である『朝倉天正色葉鏡』も公開しております。
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