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第5話 転生の条件


     ◇


「なに、これ……?」


 久しぶりに屋敷の外を見た乙葉は、一面の銀世界に我が目を疑った。


 今は七月。

 夏である。


 それがこの有様。

 原因はすぐにも知れた。


「――雪葉、ね!」

「はい。ですから早くたたき起こして下さいと言ったでしょう。屋敷が潰れてしまいます」

「何やってるのよ!」

()()()()()()で意気消沈していたようで、その結果がこれです」

「迷惑ね!」

()()()()先ほどまで役立たずでしたが」

「……いちいちつっかからないでよ」


 相変わらず感情こそ見えなかったものの、どことなく朱葉の声音には棘がある。

 明らかに乙葉を含めて非難しているのは明白だった。


 それに気づき、乙葉はばつの悪い顔になって頬を膨らませる。


「雪葉、どこにいるの?」

鈴鹿すずかの屋敷です。とてもではありませんが、この屋敷や貞宗の屋敷など、近くには置けませんでしたので」

「そりゃそうよね……」


 腕組みし、乙葉はううむと唸った。

 鈴鹿の屋敷、とは、この一乗谷の中でもかなり外れにある屋敷だ。


 大きく、もっとも新しいものではあったが、その屋敷の主のことを色葉が嫌っていたこともあり、そんな離れた場所に作らせたのである。


 そして察するところ、真柄直澄か真柄隆基に運ばせたのだろう。

 どちらも色葉に与えられた者で、直澄が乙葉に、隆基が雪葉に仕える側近の名だ。


 そこで乙葉ははたと気づく。


「あの女はどうしたの?」


 あの女、とは屋敷の主である鈴鹿という名前の女のことだ。


「わかりません。一乗谷には姿はありませんでした」

「わけわかんない……でも、好都合か」


 あの女がいても面倒ごとが増えるだけである。

 いないのならいないで、その方が都合がいい。


「……えっと、貞宗は?」


 もう一人の人物も思い出して、乙葉は確認した。


 大日方貞宗。

 色葉の側近中の側近であり、人として仕える者の中では最も色葉のことを知っている者だ。


 色葉の首級をここに運んで一乗谷まで逃れてきたことからも、生きている……のだとは思う。

 全身血塗れ泥まみれだったことは覚えているものの、その後乙葉は卒倒してしまったのでよくは覚えていないのだ。


「どうにか生きているようです」


 どうにか、という表現に思った以上の重傷であったと知れる。

 乙葉は眉をしかめた。


「雪葉を起こすんだったら、貞宗がいてくれた方が絶対いいでしょ。妾じゃ舐められているし、朱葉は姉様ねえさまにあんなことしたから、ちょっと嫌われちゃっているものね。でも貞宗なら……」


 聞いた話ではあるが、乙葉が色葉に仕えるようになる少し前に、雪葉は色葉に仕えるようになった。

 そのせいで今でも頭が上がらない相手なのが、雪葉なのだ。


 義妹いもうとのくせに、姉を敬わないんだから、と思って乙葉は尻尾を揺らす。

 雪葉は基本的に色葉のことしか考えない。


 その忠誠心は家中随一ではあるものの――もちろん乙葉は自分が負けているとは思っていないが――ただひたすらに色葉のみにしか、その感情は向けられていない。


 必要であれば手段など全く選ばず、それが不可欠であるならば朱葉や乙葉とて犠牲にすることを厭わないだろう。

 そういう性格である。


 だがそれでも、多少は例外が存在する。

 それが真柄隆基や、大日方貞宗だ。


 この二人の言ならば、少なからず影響を与えることができるのである。


「貞宗は今にも死にそうですが」

「ちょ……それ、放ってあるの!?」


 乙葉は慌てた。

 この朱葉も雪葉にそっくりで、他人のことなどまるで頓着しない。

 いや、正確には()()()()()()()()のであるが。


「いえ。看病している者はいます」

「そ、そう……」


 やれやれと思う。

 朱葉にしても雪葉にしても、家中のことはさほど顧みない。

 放っておいては、色葉が築いたものはすぐにも瓦解していくことだろう。


「隆基は?」

「外はこの妖気ですから、数日で回復しました」

「まあ、そうよね」


 この雪にはかなり雪葉の妖気が溶け込んでいる。

 物質化しているから屋敷にいればさほど影響も無いだろうが、直接触れたりすると、ただのひとにとっては毒でしかないだろう。


「本当、人騒がせよね。何とか起こさないと、妾一人じゃ大変だし」

「お願いします」

「朱葉も行くの! 当然でしょ」

「はあ」

「はあ、じゃないの!」


 乙葉は朱葉を抱きかかえると、雪の中に飛び込んだのだった。


     ◇


「……困ったものではあるが」


 その屋敷に一日の大半を詰めている真柄隆基は、自身にしがみついて離れない少女を見返して、ため息などをつく他なかった。


 朝倉雪葉。

 色葉の義妹であり、隆基の現在の主でもある。


 主といっても雪葉は隆基に心から敬意を払ってくるので、主従の関係には見えないのだが。


「あれほど気丈に振る舞っても、脆いものであるな」


 それが隆基の偽らざる本音である。

 雪葉は色葉に対して物申せる、家中でも数少ない存在であった。


 同時にその献身振りは、色葉に命を救われたことで、その存在の全てを捧げてしまっているような、そんな印象だ。

 今でこそ見た目も言動も大人びている雪葉ではあるものの、実際には幼子だった。


 隆基もこれを救ったことがあり、家中では色葉に次いで懐かれているという自覚がある。

 そのせいか、ときおり甘えてくることがあったが、これは色葉ですら知らないことであった。


 だが雪葉が見た目とは裏腹に、あの乙葉の妹であることに収まったのは、むしろ当然であったと言えるだろう。

 隆基などはすぐにも得心したものである。


 そんな雪葉は色葉を失ってより、ずっとこの有様であった。

 姿すら、当時の幼子に戻ってしまっている始末だ。


 泣き通したせいか、屋敷の至るところには氷の涙が散らばっている。

 そのせいで屋敷はすでに凍り付いているといっても過言ではなく、ただの人では入ることすら叶わぬ地獄と化していたのであるが。


 そんな屋敷にどかどかと来客があったのは、しばらくしてのことだった。


「――雪葉、いる!?」


 雪塗れで屋敷に上がり込んできたのは、雪葉の義姉あねの乙葉である。

 ここまで来るのに相当苦労したのか、一緒になってついて来ていたらしい朱葉などは、もはや雪だるまの様相であった。


「うう、乙葉……もう少し、何というか……」


 朱葉の抗議など無視し、乙葉はその部屋の襖を開こうとして、


「何よ、凍ってるじゃない!」


 怒った挙句、力任せに引き倒してしまう。


「お、乙葉様……?」

「ああ、隆基。こっちにいたの。って……」


 隆基にくっついて泣き腫らした様子の雪葉を目の当たりにした乙葉は、とりあえずしばし半眼になって見つめてしまう。


「……また縮んでるし」

「乙葉も狐に戻っていましたが」

「うるさい」


 うまく雪を払えないのか、もこもこのままで現れた朱葉に突っ込まれ、乙葉はあさってを向く。


「ちょっと隆基、何甘やかしているの? 早くたたき起こしなさいよ」

「は、いや、されど……?」

「されど、じゃないの! おかげで谷中、いい迷惑なんだから」

「で、ありましょうが……」

「ちょっと貸して!」


 困惑する隆基など無視すると、乙葉は隆基にしがみついている雪葉を抱き上げてしまった。


 意識があるのか雪葉はいやいやしていたが、乙葉とて雪葉に劣らない力の持ち主である。

 そして今、これだけ縮んでしまった妹など、もはや敵ではない。


 そのまま外に放り出して折檻でもしそうな雰囲気に、隆基などは慌てたが、しかしそういう事態にはならなかった。


 乙葉はその場に腰を落ち着けると、雪葉の頭を撫でてみせたのである。


「まったく……。世話の焼ける妹ね。普段は偉そうにしているくせに」

「それは乙葉も――うきゃ」


 またもや突っ込もうとした朱葉を尻尾ではたいて黙らせると、普段からは信じられないくらい優しい顔になって、雪葉を宥めていく。


 雪葉が大人しくなるのに、さほど時はいらなかった。

 今度は乙葉にしがみつき、ぐずりだす。


「泣き虫ねえ……。姉様が見たらどう思うかしら」

「最初に出会った時も、雪葉は泣き虫でした」


 懲りずに補足する朱葉へと、乙葉は笑む。


「あまりそんなことを言っていると、あとで怖いわよ?」

「…………。それもそうですね」


 朱葉もほんの少し想像を働かせたようで、口をつぐんだ。


「やれやれ、ねえ……」


 しばらくは静寂が続いた。

 時折乙葉が揺らす尻尾の音くらいが、小気味よい音を刻む程度だ。


 ややあって、乙葉が口を開く。


「雪葉、目を覚ましているんでしょ? だったらそのまま聞きなさい」

「…………」

「朱葉、話して」


 雪葉のかすかな反応を見て取った乙葉は、朱葉へと振った。

 こくり、と頷く朱葉。


「主様を取り戻す方法は、あります」


 そして訥々と、話し始めた。


「むしろ、あなたならばよく知っていたはずです。主様の身体はもう、限界でしたから」

「…………」


 朱葉の言うように、それは周知の事実だった。

 色葉は朱葉と小太郎を出産した際に身体を損ない、回復不能の損害を受けてしまっていたのである。


 だから、誰も口にはしなかったが、遅かれ早かれ、だったのだ。

 朱葉はこれを打開すべく、準備を進めていた。


 この世界の力ある存在の多くは、かなりの確率で転生を果たす。


 たとえば乙葉などもいい例だった。

 何といってもこれで四度目である。


 早くから朱葉はその仕組みに目をつけ、利用することを考えていたのだ。

 だがいくつか条件があるらしい。


 一つ目は、とにかく力があること。

 これがどの程度の基準かわからなかったこともあり、朱葉はとにかく生前の色葉に対し、魂の捕食を極力してくれるよう、懇願していたのである。


 そしてもう一つが、現世への強烈な未練だ。

 成仏したであろう魂は、基本転生しない。

 早い話、満足して死んだものは生を新たにすることはないのだ。


 実際、この世に何らかの形で転生する存在は、過去に力溢れた妖と知られたものであり、その大抵が討伐されるなどして、それらの主観からすれば、不幸な最期を遂げたものたちばかりである。


 他にも何か条件があるかもしれないが、とにかくその二つは間違いないと、朱葉は確信していたのだった。


 まず一つ目の条件は何とかなる。

 必要となれば、いくらでも魂を刈り取る心積もりだったからだ。

 そしてそのことは、雪葉も乙葉もすでに承知していた。


 だがもう一つの条件が、厄介だった。

 形はどうあれ色葉が満足して死ねば、転生はありえない。


 しかしだからといって、この先不幸な人生を歩んで欲しいとは絶対に思えない。

 それを解消する手段を朱葉がどうにかと講じているうちに、本能寺の変が勃発してしまったのだった。


 そして色葉は自らの首を、絶対に一乗谷に運ぶようにと厳命したという。


 その、意図は。


 これが、色葉の未練の象徴ではないかと、その意思表示ではないかと、朱葉は思ったのである。


 ならば。

 やることはもう決まっていた。


「主様には生まれ変わっていただきます。その実験は、すでにわたし自身で試し、成功しています」


 朱葉は元をただせばアカシアという名の本である。

 色葉がこの世界に落ちる前に、黒い少女からもらったぺらぺらとよく喋る本であった。


 数年を共にし、受肉を望んだ朱葉は色葉の妊娠を機にその胎内に潜り込み、身体を得てこの世にひとのかたちを得て生まれることに成功する。


 しかしその行為は色葉の身体を傷つけ、衰弱させ、今日の悲劇を引き起こすことにも繋がったのだ。


「……それってつまり、誰かが姉様を産む、ということ?」

「そうです」


 よどみなく、朱葉は頷いた。


「そしてできることならば、私自身がそうしたい。……ですが、私のこの身体の唯一の失敗は、子を為せる力が欠如していることでした」

「そ、そうなの……?」

「はい。ですからあなたがた二人に、以前から主様のことを話し、協力を求めるつもりだったのです」


 つまり朱葉はかつて自分がそうして生まれたように、同じことを色葉でしようと言っているのである。


「それ、本当にできるの……?」

「わかりません。ただ私が完全でなかったことからも分かるように、何か足りなかったものがあるはずなのです。ですから、急ごうとは思いません。時をかけ、魂を貯蔵し、あなたがた二人にそういう機会が訪れた時に、試したいのです」


 そう言いながらも、朱葉にはある程度察しがついてはいた。

 単純に、親となった色葉の力が不足していただけである。


 だからこそ色葉は出産までにその存在を朱葉に食い荒らされて、あのようになってしまったのだから。


「きっと、もっともっと多くの魂が必要なのでしょう。あなた方にはそれも、集めて欲しいのです」

「いっぱい殺せばいいってこと?」


 突き詰めれば、そういうことなのだろう。

 手っ取り早く魂を搔き集めるには、それが一番である。


「はい」


 よどみなく、朱葉は頷く。


「……そう。でも、姉様、それで喜ぶかな……?」


 色葉のためならば誰が死のうとも構うものではなかったが、しかし色葉は生前、無用な殺生は禁止していた。

 それが引っかかるのである。


「姉様はこの日ノ本を支配するんでしょ? なのに支配される者がいなかったら、意味なくない……?」

「それは……そうかもしれませんが」


 困ったようになる朱葉。


「……今は戦乱の世です。人の死には事欠かないでしょう」


 ぽつり、とそんなことを漏らしたのは、乙葉の腕の中にあった雪葉だった。


「あ、それ、姉様がよく言っていたよね。……って、起きたの?」

「…………」

「こら、狸寝入りしてるんじゃないわよ。ぶっとばすわよ?」

「……しばらく、このままがいいです」

「ふん。今回だけよ?」


 小さいままの雪葉をあやしながら、乙葉は考える。


「要は、このまま朝倉家に頑張ってもらって、天下統一してもらえばいいんでしょ? 途中でいっぱいひとも死ぬでしょうし、それを集めればいい。機が熟したら、妾か雪葉のどっちかが、姉様を迎える母胎になる。そして生まれてきた姉様に、全てを差し出せばそれで万事問題無し、よね?」

「……そうですね」


 雪葉も頷く。

 時はかかるが、それが色葉を護ることのできなかった自分たちができる、罪滅ぼしかもしれないと考えて。


「――では、二人に預かって欲しいものがあります」

「なに?」

「……なんでしょう」


 乙葉と雪葉が朱葉を見る。


「とてもとても大切なもの。……主様の、魂です」

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『朝倉慶長始末記』をお読みいただき、ありがとうございます。
同作品はカクヨムでも少しだけ先行掲載しております。また作者の近況ノートに各話のあとがきがあったりと、「小説になろう」版に比べ、捕捉要素が多少あります。蛇足的なものがお好きな方は、こちらもどうぞ。

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また同作品の前日譚である『朝倉天正色葉鏡』も公開しております。
未読の方は、こちらも合わせてお読み下さいませ。

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