第53話 愛宕山の妖②
ぞっとしたようにわたしを見返す二人に、わたしはふふんと笑ってみせた。
「この姿を見た以上、ただで帰れると思うなよ?」
わたしも化けの皮が剥がれてしまったので、猫を被るのをやめて、口調も本来のものに戻すことにする。
というか途中から戻ってしまっていたけど。
……それにしてもこの身体は軽くていいな。
あまり調子に乗ると、にじみ出た妖気のせいで二人が亡者の仲間入りになりそうだったので、はしゃぐわけにもいかないが。
しばしの間、必死になって餓者髑髏に立ち向かっていく二人を微笑ましく見守っていたのであるが、妙な気配に気づいて改めて周囲を見やった。
わたしの周りには、それこそバラバラになった骸骨だったものが所狭しと散らばっている。
それはいい。
いいのだが、妙な音が聞こえてくるのだ。
シャー、とか、そんな感じの音である。
「……?」
何かと思ったら、散らばった骨に混じってかなりの数の蛇が蠢いていた。
さっきの音は、蛇の威嚇音だったらしい。
「蛇?」
小首を傾げると、一匹の蛇がわたし目掛けて飛び掛かってきた。
なかなかの速さだけど、掴み取るには造作も無い。
捕まえた蛇をしばし眺めていたけれど、どうもわたしを襲おうとしているらしい。
ある意味、こんな餓者髑髏どもよりも、蛇の方が恐ろしいかもな。
手の中にあった蛇を握り潰し、引き千切って打ち捨ててやったが、生命力が強いのか何なのか、未だに蠢いている。
頭を踏み潰してようやく動かなくなったけれど、そんなのがまだまだたくさんいるようなのだ。
とんだ伏兵である。
わたしはともかく、あの二人では対処できないだろう。
仕方が無いのでやや妖気を強く発して、足元で蠢いている蛇たちへと向けた。
わたしの妖気は耐性がなければ猛毒の類である。
それは蛇とて例外ではない。
そのまま一網打尽にしてやろうと思ったところで、新たな足音がしたのだった。
「――そのあたりにしていただけますか」
女の声だった。
一人……いや、二人か。
一人は今の声の主で、年若い女のようだ。
もう一人は壮年に近い男。
腰に刀を差しており、どこぞの武将のようにも見えるが、雰囲気がそれらしくない。
わたしが妖気を抑えると、それをひとまずは話し合いに応じる気があると解釈したのだろう。
女は一言、地に向かって声を発した。
「お戻りなさい」
途端、一斉に地面を蠢いていた蛇たちが女の元に集まっていく。
同時に、それまで動いていた餓者髑髏どもは動きを止め、さらには糸の外れた操り人形のように崩れてしまった。
「……なるほど。骨はただの器。その蛇で死体を操っていたのか」
「…………」
答えは無かったが、そういうことなのだろう。
となると、これらはあくまでただの白骨死体であって、餓者髑髏という妖とまでは言えなかったのかもしれない。
道理で脆いわけだ。
「これ以上、この子たちを殺さないで下さい」
「襲ってきたのはそっちだろう? わたしはそんな輩に優しくできるほど、できた人間じゃないぞ?」
「……人間、ですか」
どうやらこの姿を揶揄しているらしい。
そういうこの女だって、人とは言えないんじゃ……。
待て。
わたしはこいつのことを知っているぞ。
それに隣の男だって……。
「――お前、清姫か?」
わたしの言葉に、清姫の目が細まる。
間違いない。
この女はあの松永久秀にくっついていた、清姫だ。
正真正銘、大蛇の妖である。
乙葉がずいぶん嫌っていて、よく喧嘩をしていたものだ。
しかしその力は本物で、当時の乙葉ではちょっと敵わない相手だったともいえる。
「確か久秀と一緒に本能寺にいたはずだが、無事だったのか」
「……ということは、やはりあなたはあの狐姫ですか」
今のわたしは色葉の頃と変わらぬ容姿のはずだが、しかし何分幼い姿だ。
はっきりとは判断できないのだろう。
しかもわたしは死んだことになっている。
「やはり、というのは何なんだ?」
清姫の言葉に引っかかりを覚えて、わたしは小首を傾げた。
「……先日、一乗谷の結界が壊れたことが確認されたので、よもやと思っていたのです」
結界?
そんなものがあったのかな。
よく分からんが。
「こちらが確認する前に、まさか出向いてくるとは思ってもみませんでしたが」
「ここに来たのはなりゆきだがな」
それはともかく、なかなかの敵意である。
この清姫という妖は、乙葉が警戒していただけあって、かなりの強さだ。
これでは生前のわたしでも、あるいは敵わなかったかもしれない。
それに加えて憎悪。
明らかに敵視されているのが分かる。
「……ですが本当に、あなたは朝倉色葉なのですか?」
「朝倉色葉は死んだはず、か? その通りだ。だが見ての通り、生まれ変わった。お前たち妖の間では、こういうことはよくあるんだろうに」
「稀にあることであると、聞いてはいます」
稀なのか。
けっこう頻繁にあることだと勝手に思っていただけに、意外でもあった。
「なるほど。生まれ変わり……ですか。幼体の今ならば、滅ぼせるかもしれませんね」
幼体とか言うな。
「滅ぼす、だと?」
「ええ。あなたは清が大好きだった、殿の仇です。一人だけ蘇るなど、言語道断でしょう」
「ああ、久秀のことか」
久秀は巻き込まれて、わたしと運命を共にしたようなものだ。
となれば、それを逆恨みであったとしても、わたしを憎む動機にはなるか。
やれやれ、である。
「……まあ、相手をしてやってもいいが……」
わたしは視線を後ろに向ける。
話についていけない二人がそこにおり、わたしがこんな大妖怪の類とまともに戦えば、巻き添えは免れないだろう。
くっついて来ているはずの直隆を呼んで、避難させた方がいいかもな。
「待たれよ」
不意に口を挟んだのは、清姫の随行者であった。
「失礼ながら、あの者がまことに朝倉色葉であるという確証は無いのであろう?」
「本人が認めています」
「であれば、確かめさせていただきたい」
男はそう言って、太刀を抜き放つ。
「お相手願えるか」
わたしの意思を聞くまでもなく、やる気満々だな。
「ふむ」
目の前の男が誰か、すでに察しはついていた。
最後に会った時に比べて随分齢を重ねてはいるけれど、面影は十分に残っている。
何より今から立ち会えは、自ずとお互いに分かるというものか。
「いいだろう」
わたしは了承し、振り返ると仙千代に向かって手を伸ばした。
「その刀、ちょっと貸せ」
「え? で、でもこれは」
「ちゃんと返す。それが無いと斬り合いなどできないからな?」
半ば強引に石田正宗を借り受けると、待たせたなとつぶやいて、自然体で構えを取る。
男も同様。
わたしと同じ構えだ。
中条流とかいう武術の流派で、南北朝時代に中条長秀が創始したものだ。
わたしがこれを身につけているのは、朝倉家の剣術指南役であった富田景政に学んだからである。
景政はわたしが学んだ頃にはすでに高齢であったから、さすがにもう生きてはいないだろう。
その養子となっていた富田重政も達人で、当時は養父共々朝倉家に仕えていたのだけど、今はどうなったやら、である。
ちなみに相手も達人だ。
あれから二十年。
研鑽を重ねたのであれば、単純な技術では及ばないだろう。
とはいえ楽しみでもある。
この身に生まれ変わってから、こうして太刀を振るうのは実は初めてなのだ。
その相手があの男なら、試し甲斐もあるというものだしな。
そういうわけで、わたしは半ば本気で挑んでみたのである。






