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第4話 朱葉の懇願


     ◇


 越前一乗谷。

 かつて朝倉家の本拠があり、北の京とさえ称えられるほど繁栄した地であったが、天正元年に織田信長の侵攻を受けて滅亡し、灰燼に帰した。


 その後、朝倉家が色葉の手によって再興されたのちも、かつての繁栄を取り戻すことはなく。

 ただ色葉のために屋敷が建てられ、あと僅かな重臣達の屋敷が用意されたのみで、約十年間、静寂が支配する地となっていたのである。


 色葉はこの静寂を愛していたが、今この時の静寂は色葉が好んだそれではなく、ただただ重苦しい静寂であったとしか言いようがなかった。


 夜の墓場であってもまだ音があるだろうその屋敷を、一人の童女がやはり音も無く進む。

 そのどこか作り物めいた顔に表情は無く、感情らしきものは宿ってはいない。


 六歳児程度の体躯をしたその童女は名を朱葉あけはといい、色葉の娘である。

 だが実際には朝倉小太郎と共に生まれた双子の片割れであり、実年齢は未だ三歳であった。


 その童女が、屋敷の中を進む。

 辿り着いた場所は、色葉が妹である乙葉に与えた部屋だった。

 流行好きであった乙葉の部屋には多くの打掛があり、以前はそれだけで華があったものだが、今では見る影もなかった。


 乱雑に散らばったそれらは、部屋の主が暴れた結果だろう。

 そしてその散らばった衣裳の中に、丸くなって震えている狐がいた。


 尻尾の数が多いことからも、普通の獣ではないことは明白だ。

 これが朝倉乙葉の本来の姿である。


「……乙葉」


 呼びかけるが、返事は無い。


「起きて下さい。乙葉」


 近くに座り込み、根気よく何度も何度も呼びかける。


「小太郎が、泣いています。あなたの顔を見たがっているのです」


 色葉の死を直視して以降、乙葉はずっとこの調子で部屋に閉じこもったままであった。


 乙葉の代わりを務めることのできていた華渓かけいという色葉の侍女も、色葉によって人から妖に変容させられた人妖であったことから、色葉の死をもって滅びてしまっていた。


 これにより、残された小姓たちが必死になってその面倒をみることになっていたのであるが、それもそろそろ限界だったのだ。


「……私一人では何もできません。手伝って下さい」


 乙葉は反応しない。

 さしもの朱葉も、ここで生まれて初めてため息をついた。


 もう一人の妹である雪葉もこの一乗谷にいるが、乙葉と同じような有様になっている。

 朱葉は自身の幼い身体を呪いつつ、しかし呼びかけることしかできない。


 自身の不器用さに口惜しくなるが、さりとてひとの機微などまるで分からない。

 もっともっと、色葉と共にあればその限りではなかったのかもしれないが。


 朱葉が一人、乙葉に呼びかける中、変化があったのはかなりの時がたってからだった。


「……失礼します!」


 入ってきたのは色葉の小姓の一人、大野おおの治長はるながである。

 治長は狐の姿になった乙葉を目の当たりにして心がやや揺らいだようだったが、やがて意を決したようにその身体を抱きかかえ、どこかへ運び去ったのだった。


 朱葉も呆気にとられ、しばしぽかんとなっていたが、やがて我に返ってその後を追う。

 治長が向かったのは、色葉の部屋だ。


 そこには眠っている小太郎の姿がある。

 その前に乙葉を置き、治長をはじめとする小姓たちが必死に語りかけている。


 小姓たちもまだ幼く、不器用ではあったが、とにかく必死に乙葉の名を呼び、目覚めてくれるように懇願していた。

 特に大野治長と武藤むとう信繁のぶしげ


 この二人は乙葉との関係が深く、特に真摯になっていたといっていい。

 それでも反応を示さない乙葉だったが、やがて眠っていた小太郎が目を覚まし、ぐずり始めた。


「――――」


 それを眺めていた朱葉は、少しだけ目を見開いた。

 よろよろと狐姿の乙葉が起き上がり、ぐずる小太郎の頬を舐め、あやし始めたのである。


 それはほとんど無意識のような行動にも見えたが、この時しか無いと思い、朱葉は近寄って声をかけた。


「……乙葉、聞いて下さい」

「…………」

「もう十分に泣いたことでしょう」

「…………」

「雪葉も泣いていました」

「…………」

「でも私はまだ泣いていません」

「…………」

「それは主様あるじさまと再び会う時まで、我慢するつもりだからです」

「…………?」


 乙葉が不思議そうに、初めて朱葉に視線を向ける。


「主様は自らの意思でここに戻って来たのです。きっと、私たちにご自身を託すために」


 朱葉は本能寺から脱出した貞宗や、その護衛をしていた真柄まがら隆基たかもとから色葉の最期を聞いて知っている。

 何かに賭けるような、最後の様を。


「これは主様からの命です。必ず自分を蘇らせろ、と」

「――――」

「……方法は、ずっと考えていました。私が、主様の身体を損なわせてからずっと……。ですが、私一人では無理なのです。あなたや、雪葉の協力が無ければ」

「――――」

「雪葉はあなたよりも重症です。あなたの言葉が無ければ、決して目覚めぬでしょう。お願いです。私にあなたたちの命を預けて欲しい」

「――できるの、本当に」


 周りにいた小姓たちが、みな一様に驚く。

 いつの間にか狐の姿でなくなった乙葉が、そこにいたからだった。


「やるのです。たとえ、何を犠牲にしようとも」

「朱葉は、強いね」

「主様がいない今、それだけしか私の存在意義などありませんから」

「うん……。わらわも、今はそうだよ」


 その言葉に。

 初めて、朱葉は笑顔をみせた。


 乙葉が驚く。

 何せ朱葉が笑ったところなど、これまで見たことが無かったからだ。


「…………朱葉って、笑えたの……?」

「失礼なことを言わないで下さい。そんなことよりも乙葉、雪葉をたたき起こすのを手伝うように。このままでは一乗谷は雪に埋もれてしまいますから」


     ◇


「く……ぐ……っ」

「お目覚めになったか」


 大日方貞宗が目を覚ますと、そこには見覚えの無い人物の顔があった。

 年の頃は三十前後だろうか。

 若いが歴戦の将をうかがわせる面持ちで、しかし朝倉家中にこのような人物を見たことはなかった。


「貴殿は……?」

「これは失礼をしました。それがしは大久保おおくぼ忠隣ただちかと申す者にて」


 大久保忠隣の名は、貞宗にも心当たりがあった。


「では、徳川殿の……?」

「いかにも。その家臣であります」


 なぜここに徳川家の者がいるのか判然としなかったが、貞宗はまずその寒さに身を震わせる。


「七月というのにこの寒さ。なるほど一乗谷は異境である」


 やや冗談めかして、忠隣はそんな風に言った。

 貞宗としては状況がまるで掴めず、戸惑うばかりである。


「今はご無理をされるな。お休みあれ。定期的に直澄殿が来てくれるゆえ、その際に貴殿の意識が戻ったことも伝えよう」

「そうは……申されても」

「いかんいかん。刀傷が開く。それにかなりの火傷を負っておられるのだ。今は養生こそを一番に考えられるがよろしかろう」

「…………」


 それでも貞宗は無理をしようとして、結局倒れることになった。

 再び意識を失い、忠隣は溜息をつく。


「なるほど、まことの忠臣であるな。朝倉色葉か。どのようなお方であったのか、今となっては興味も尽きぬが」


 忠隣は立ち上がると囲炉裏いろりの炎を確かめ、更に外をさりげなく確認する。

 七月というのに雪が降り、真冬の様相を呈しつつある一乗谷。


 忠隣がここにいるのは他でもない。

 徳川家康の名代として、であった。


 本能寺の変の当時、堺から京に向かっていた家康一行は窮地に陥ったが、その際に忠隣は同行していた雪葉に助力を請い、雪葉もこれを承諾。

 尾張まで行動を共にし、そこから武蔵へと向かう家康と分かれたのであるが、忠隣だけは雪葉に同行して越前に向かったのだった。


 一乗谷にて朝倉晴景(はるかげ)や色葉の死を知った忠隣は、ひとまずそのままとどまって情報収集と朝倉家との折衝を務めることになる。

 もっとも朝倉家はかなり混乱しており、忠隣の扱いはかなりおざなりになってしまったといっていい。


 ともあれ忠隣は逐一江戸に書状を送って情報を伝えつつ、なし崩し的に一乗谷で貞宗の看病をすることになったのだった。


 そうこうしているうちに雪が降り始め、今や一面雪景色。

 その原因は雪女であるともっぱらの噂であった雪葉のせいであることは、もはや疑いようも無い。


 伊賀越えや、かつて家康を乱波から救った際に見せた強さや気丈さなどから、見た目とは裏腹に実に恐ろしい存在であるとも思っていたが、色葉の死と対面してからはこの調子でそのような強さなど微塵も感じられなかった。


 小さな幼子がそこにいる――それだけにしか見えなかったのである。

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『朝倉慶長始末記』をお読みいただき、ありがとうございます。
同作品はカクヨムでも少しだけ先行掲載しております。また作者の近況ノートに各話のあとがきがあったりと、「小説になろう」版に比べ、捕捉要素が多少あります。蛇足的なものがお好きな方は、こちらもどうぞ。

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また同作品の前日譚である『朝倉天正色葉鏡』も公開しております。
未読の方は、こちらも合わせてお読み下さいませ。

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