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第40話 越後情勢


     ◇


「我が養父上ちちうえ殿は、ずいぶんとお優しいことじゃ」


 やや呆れたように、紅葉は未だ戦支度を解かぬ兼続へとそう言ったものである。


 十月一日。

 出羽山形城。

 上杉と最上の講和が成ったことで、兼続は山形城へと改めて入城していた。


 改めてというのは他でもない。

 上杉方が山形城を包囲した際、あろうことか兼続は、交渉のために単身、これに乗り込んだのである。


 いや、単身というのは正しくないだろう。

 同行者がいたからである。


 しかし護衛というにはあまりに心もとない――少なくとも周囲からはそう見える――同行者であった。

 紅葉である。


 兼続と共に戦場に出ていた紅葉は、その知略でもって上杉家を勝利に導いたといっても過言ではない。

 実際には自分にも直接戦わせろとねだってきた紅葉を、兼続はどうにか押しとどめ、口出しするだけに留めていたのである。


 そんな紅葉は、上杉勢の中にあってとにかく目立った。

 だがそれを良しとする風潮があったのも、また確かである。


 理由は上杉家の古参の将などは、朝倉の狐姫をよく覚えていたからであった。

 例えば老臣である本庄繁長ほんじょうしげながは、戦場に出た紅葉の姿を見て、当時のことを周囲に漏らしている。


 兼続とて同じであったが、しかし自身の養女とはいえ、紅葉はいずれ景勝に嫁ぐ身の上である。

 何かあっては主君に申し訳は立たない。


「先の交渉など、敵将の首級をとる好機であったではないか」

「……そなたがそのように最上家を滅ぼしたがるから、やむなく私が出張ったのだ」


 兼続の戦術に口を出し、実際にそれは功を奏して、そのまま最上家を滅ぼす気満々であった紅葉であったが、最後の最後で兼続にしてやられてしまったのだ。


 あろうことか兼続は自ら敵城に乗り込み、最上義光本人と会談に及んで、講和を取り付けてしまったのである。

 これには紅葉も不安と不満を覚えたらしく、兼続との同行を強行し、兼続はこれを断れなかった。


 この組み合わせは最上にとっても意外だったようで、少なくとも交渉の席につくまで無暗に襲われることはなかったと言っていい。

 紅葉などはその席で、いっそのこと義光の首をとってやろうと思っていたらしいが、最終的には諦めたのだった。


「最上殿は民にも慕われている。仮にこれを討ち取ったとしても、出羽の安定は遠いところになるだろう」

「逆らう者など皆殺しでよかろうに」

「人もおらず、草木も生えぬような地にして何とするか」

「ひとなど放っておけば勝手に死に、勝手に増えるものじゃ」


 紅葉などは本気でそう思うが、この養父のことは気に入っていたこともあり、無下にもする気は無かった。

 ただ最後の最後で結果を横取りされた気分になり、少々拗ねてもいたのである。


 ともあれ兼続の決死の交渉は実を結び、最上家との和睦――事実上の降伏を引き出すことに成功した。

 これにて早期の最上領の平定がなったことは確かである。


 兼続は戦後処理のために、改めて山形城へと入り、義光らと今後について詰める必要があったのだった。


「まあ養父上殿の運の良さは、認めるがの」


 それというのも最上家が講和に応じた数日後、九月二十九日には西軍敗退の報が届いていたからである。

 もし長期戦となり、未だ戦闘が続いていたならば、義光はそもそも交渉にすら応じなかった可能性が高い。


 現在の最上勢はすでに武装解除された挙句、山形城にも多くの上杉方の兵が入ってしまっている。

 最後まで抵抗し、死守してみせた長谷堂城も、義光の命によりすでに開城されていた。


 あと一歩遅ければ、それこそ兼続は紅葉の思惑通り、最上家を滅ぼすまで戦わなければならなかったかもしれない。


「こちらにばかりかまけていては、越後情勢が危うくなる、ということであろ?」

「その通りだ」


 今さら確認することもないが、紅葉は実に頭がいい。

 兼続が舌を巻くほどである。

 時折感情的に行動しがちであるが、冷静であれば兼続よりも二歩は先をみているのは間違いない。


「西軍の敗退の報は、越後にもすでに届いている。攻め手の照虎殿は、春日山かすがやま城を前にして、いったん攻撃を停止したとか」

「ああ、いかん。いかんな」


 上杉景勝は出羽方面だけでなく、越後方面にも軍を送り込んでいた。

 その総大将は上杉照虎である。

 その越後侵攻において、兼続の事前準備の甲斐もあって、快進撃が続いたといえるだろう。


 越後国を領するのは堀秀治。

 上杉家と堀家はすでに確執が深まっており、兼続の画策により領内で大規模な一揆が発生するなどして、秀治はその対応に追われていたのである。


 本来、上杉征伐には東軍の北陸勢として、加賀の前田利長と秀治が、共同して会津に攻め込むはずであった。

 ところが越前を中心とした諸大名がことごとく西軍となってしまったため、利長は西進する他無く、越後では堀家が単体で対応する他無かったのである。


 史実であれば越後で一揆を起こしたことは、東軍の軍事行動を阻害する程度の役に立たせることしかできなかった。

 しかしこの世界では、上杉勢が実際に越後へと侵攻している。


 これを率いた上杉照虎は勇猛果敢であり、一揆鎮圧に手を焼いていた堀勢はその侵攻を許し、次々に拠点を攻略されていった。

 堀家重臣・堀直政(なおまさ)が居城である越後三条(さんじょう)城でこれを辛うじて食い止めるも、坂戸さかど城を守る直政次男である堀直寄(なおより)が照虎の調略にあって、動揺。


 直寄は結果的に裏切ることはなかったものの、その僅かな逡巡を利用して照虎は直寄が上杉方についたと喧伝した。

 元より直寄は家中において、石田方につくべしと主張していたこともあり、直政はともかく周囲がそれを信じてしまったのである。


 こういった切り崩しを絡ませて、最終的には力攻めで三条城を照虎は落城させることに成功する。

 坂戸城は健在であったものの、照虎は一気に本拠である春日山城を攻略するつもりで軍を進め、これを包囲。

 しかしここで、西軍敗退の報が届くことになったのである。


「速やかに増援を送るべきじゃ。ここで立ち止まっては、越後を奪還されるぞ?」

「分かっておる。すでに殿に具申し、殿自ら越後に出陣された」

「ふむ。それで良い」


 西軍は敗れはしたが、幸いにして関東に大兵力は存在しない。

 戻って来るにしても、時間がかかる。


 それに情報によれば、家康は未だに佐和山城攻略に手間取っているという。

 その後、家康がどう動くかは分からないが、信州方面では真田昌幸が徳川の別動隊を相手にこれを破っているとかで、まだまだ戦える情勢には違いない。


 問題があるとすれば、上杉、真田、そして石田の間で緊密な連携が取れていないことである。

 大まかに協力することで一致しているものの、それらをまとめる戦略構想が無かったのも、また事実であった。


 そのためそれぞれの勢力は、他の勢力の動きを見ながら自身にとって最適な行動をとる他なく、それは連携と呼ぶには程遠いものであったといえるだろう。


「加賀の前田勢も、丹羽勢に敗れたと聞く。越後への即座の援軍はありえぬであろうから、越後を奪い返すには今しかない」

「それが分かっているのであれば、良いのじゃ」


 兼続にしても、早々に取って返して越後方面の軍務に当たりたくは思っていたが、山形城に残ってやらねばならないことは多い。


 最上については今のところ問題無いとしても、陸奥には未だ敵性勢力である南部家が残っている。

 例の一揆により勢力を削がれつつあるが、それでも十分に健在であり、そのまま放っておくには危険すぎる存在だ。


 西軍が勝利していたならば、これを軍事的に平定するのも悪くない考えであったが、西軍が敗れている以上、一刻の猶予も無い。

 有利な現状のうちに、外交的にこれを屈服させる必要があったのだ。


「私はしばしこの地を離れられん」

「であろうの」


 紅葉とて兼続が奥羽から離れられないことなど、先刻承知である。

 その上で、にんまりと笑ってみせた。


「では越後まで、わらわが行ってこよう」

「ならん」


 即答されて、紅葉はたちまち不満顔になる。


「なぜじゃ。養父上殿は南部家を滅ぼす気はないのじゃろ? であれば、わらわがここにおっても詮無い事。未来の夫殿が越後に向かわれたというのであれば、わらわも越後に向かって何の不都合やある?」

「……殿は義に厚いお方。そなたの言は確かに価値があり、貴重でもあるが、殿の好むところではない」

「好き嫌いで戦などできぬぞ?」

「ともかくここにおれ。私の目の届かぬところに行くでない」

「むぅ……」


 不満を顔いっぱいにし、しばし抗議の意を露わにしていた紅葉であったが、兼続が折れないと察するや、諦めて頷いたのである。


「……養父上殿がそこまで言うのならば、やむをえぬ。されど、忙しいからといってわらわを放っておくでないぞ? ちゃんと遊び相手になってくれぬと、拗ねてやるからな?」

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