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第38話 関ヶ原の戦い


     ◇


「……やはり負けたか」


 兼続らが西軍敗退の報に触れるよりも早く、わたしは江戸城にてその情報に接していた。

 あれこれ情報を仕入れてくれるのは貞宗で、朝倉家にいた時と変わらないくらいの情報通である。

 坊主は坊主なりの情報網があるらしい。


「詳細を聞こうか」


 偉そうに朱葉の膝の上でふんぞり返るわたしへと、こちらも相変わらずの面白味の無い冷静な様子のまま、事の次第を報告してくれた。


「されば九月十五日。美濃関ヶ原において、東西両軍が決戦に及んだ由であります」

「そうだな。で、東軍の大勝になったか?」

「そうとも言えませぬ」


 おや。

 違うのか。

 史実では東軍の大勝利だったはずだが。


「聞いた限りでは、辛勝といったところでしょう。途中、小早川秀秋殿が翻って東軍に合力せねば、敗れていたのはどちらであったものか」


 なんと。

 秀秋が裏切るのは史実でも同じだけど、今回は裏切ってなお辛うじて勝てた、というのか。


 三成が善戦したのか、それとも家康が不甲斐なかったのか。

 事前に家康の不利は何となく感じ取ってはいたから、極力史実と同じ流れになるように、あれこれ手を打ってやったというのに。

 ともあれじっくり聞いていると、何となく察しがついた。


 史実における関ヶ原の戦いは、兵力において東西両軍がほぼ拮抗していたといっていい。

 が、結果をみれば、裏切ったり布陣のみで動かなかったりなど、実戦力では東軍が圧倒的優位であったのである。


 両軍ともに勇将、知将、良将が揃っての大戦だったのだから、あとは数で結果が決まるというものだ。

 史実で西軍が敗れたのは道理だった、というわけである。


 ところがだ。

 今回、確かに小早川秀秋は裏切った。

 しかしそれ以外の諸将は誰も裏切らなかったのである。


 例えば小川祐忠おがわすけただ

 これは元浅井家臣で、近江国の所領を持ち、その後織田家に降っていたが、近江国を朝倉家が平定した時点で朝倉家の傘下に入っていた人物である。


 また例えば朽木元綱くつきもとつな

 これも朝倉家臣だった者だ。

 生前のわたしが朽木谷に進軍した際に、進んで降伏を申し出てきた人物で、ある意味ではわたしの為人をよく知っているともいえる。


 さらには赤座直保あかざなおやす

 これはわたしが朝倉家を再興する以前からの朝倉家臣であり、再興した後はわたしに仕えていた比較的古い家臣である。


 が、直保はわたしが越中国に侵攻した際に、あの大敗を喫してしまった神通川の戦いにおいて討死してしまっている。

 そのため関ヶ原の戦いに参陣していたのは直保ではなく、その子の赤座孝治(たかはる)であった。


 史実では永原重治の養子となったことで永原姓を名乗っているが、この世界では直保の後をわたしが継がせたので、赤座姓のままだ。


 さらにいえば、神通川の戦いで戦死した直保だったが、ちょうどその頃に直保の妻が身ごもっており、出産後は特にわたしが目をかけてやったものである。

 幼いながらもわたしのことは、孝治もよく覚えていたことだろう。


 早い話、朝倉家に縁のあるこの三人が、まず裏切らなかったと言っていい。

 そしてもう一人、史実では脇坂安治わきざかやすはるも裏切っているが、これとわたしは縁が無い。無いのだが、他の三人が裏切らなかったことで、呼応することができず、裏切るに裏切れなかったといえるだろう。


 これら四将はあの知将である大谷吉継が、小早川秀秋の裏切りに備えて配置したといわれている。

 史実ではこれが機能せず、それどころか逆に裏切って吉継を攻める始末だったので、さすがの吉継もどうにもできずに壊滅してしまったのだ。


 が、今回はこれが機能してしまった。

 史実でも秀秋が裏切った際、他の四将が裏切るまでは大谷隊も小早川隊を押し返している。


 それが最後まで裏切らなかった以上、かなりの時間、戦線を維持したことは想像に難くない。

 秀秋の裏切りが、即座に西軍壊滅に繋がらなかったのである。


 それにしても、わたしに縁があるからといって、どうして小川祐忠、朽木元綱、赤座孝治の三人は裏切りを決意しなかったのか。

 この関ヶ原の戦いは、家康と三成の戦いということにはなっているが、実際には徳川家と豊臣家の戦争である。


 そしてその豊臣家には、生前のわたしが生んだ子がいるらしい。

 それに義理立てしたのだろう、というのが貞宗の見解であった。


「ちょっと待て。その程度で裏切らなかったというのか?」

「かつての色葉様の行いを思い出せば、恐ろしくて裏切りなど思いもよらぬことと、多数の家臣は思うはずですが」


 おい。

 いったいわたしがどんな主をやっていたと言いたいんだ。

 確かに暴君の類であったとは思うけど。


「それよりも色葉様。その三名……いや、四名が裏切ると、そう思っておられたのですか」


 むしろその方が気になるとばかりに、貞宗に逆に質問されてしまった。


 まあ史実を知らない貞宗からすれば、当然の反応だ。

 どうしてわたしが秀秋以外にその三人が裏切ると思ったのか、根拠は気になるところだろう。


「ん、勘だ」

「はあ」

「外れたがな」


 説明するのはちと難しいし、面倒くさい。

 こういう時は誤魔化してしまうに限る。


「しかし意外だったのは、吉川広家だな」


 吉川広家といえば、あの毛利両川もうりりょうせんの片割れとして有名な、吉川元春(もとはる)の三男だ。

 三男ではあったものの、吉川家の家督を相続している。


 その広家は史実の関ヶ原の戦いにおいては当初より家康に内通し、南宮山に布陣した上で毛利秀元隊や安国寺恵瓊隊、長宗我部ちょうそかべ盛親もりちか隊、長束正家隊の進軍を阻害して、決戦に参加させなかったことで知られている。

 この妨害により西軍は二万六千以上の兵力を、事実上失ってしまった。


 ところがである。

 動いたのだ。


 毛利勢の先鋒である吉川隊が戦場に進出したことで、東軍は背後を突かれる形になった。

 東軍も南宮山への備えとして池田輝政隊や浅野幸長隊、山内一豊やまうちかずとよ隊らが備えていたものの、兵力で勝る毛利勢に対して苦戦を強いられたことは疑いようもない。


 そして背後に敵が殺到したことで、主戦場の方でも東軍に乱れが生じた。

 この辺りが関ヶ原の戦いが拮抗した戦いとなった理由で、それこそ小早川秀秋の裏切りがなければ、あるいは東軍の方が敗北していたかもしれないのである。


「意外、でありますか」

「ん、まあな。吉川広家の内応は必須だと思ったからこそ、長政にわざわざ念を押したというのに」


 広家はもともと徳川寄りであり、毛利家中においても主家に背いてでも東軍への加担をすべしと主張していた人物である。

 内応は容易いと思っていたんだが……。


「小早川秀秋殿の裏切りの風聞は、開戦前からあったようですからな」

「だから大谷吉継は四将を配置して備えたんだろう」

「吉川広家殿もまた、同じだったのではないでしょうか」

「……誰かが裏切りに備えていた、ということか?」


 考えてみれば、自然な話だった。

 広家ら毛利勢は関ヶ原に至る前、伊勢安濃津(あのつ)城の戦いで西軍方として奮戦している。


 今にして思えば本戦での裏切りを隠すための振りであった、とも思えるが、もしそうならば毛利の諸将はことごとく騙されたことになるだろう。

 もしくは同じ身内であり、主義主張は違っても君命には従うと信じたかったのか。


「誰かが、というのは誰なんだ」


 正直わたしには思い当たらない。

 少なくとも史実の知識からでは分からなかった。


「噂ではありますが」

「うん」

「南宮山には朝倉秀景殿が軍目付いくさめつけとして、毛利秀元殿の陣にあったとか」

「――――」


 その名に、少しだけ息を飲み込んでしまった。


「それが理由かどうかは知れませぬが、秀元殿はなかなか動かなかった吉川隊に半ば攻めかかるようにして山を下り、なし崩し的に毛利勢を戦場に押しやったのではないかと思われます」


 そう、か。

 小太郎が、か。


「貞宗、つまりお前は秀景が強引に山を下らせた……と思っているというわけか」

「もし南宮山に色葉様がおられたら、どうされていました?」

「動かない味方など敵も同然だ。踏み潰してでも進軍する」

「それが答えですよ」


 むぅ。

 納得できるような、できないような。


「……秀景はそんなに過激なのか?」

「いえ。温和な方と窺っております」

「会ったことは」

「太閤殿下がご存命の折に、何度か」

「ふぅん」


 朝倉秀景というのは、まあなんだ。

 生前のわたしの息子である。


 朝倉家滅亡の際に難を逃れ、秀吉に庇護されたらしい。

 ただし最初は処刑されるはずだったらしく、これを救ったのが柴田勝家だったという。


 その勝家と、わたしの義妹である乙葉はほんの僅かな時間であったらしいが、夫婦となっていたらしい。

 その乙葉も全霊をかけて秀景を守り、育ててくれたという。


 わたしは秀景に対して親らしいことは、ほとんど何もしてやれなかった。

 例え巡り合う機会があったとしても、親であると主張する権利はないだろう。


「……その秀景はどうなった?」

「討ち取られたとの話は聞いておりません」

「そうか」


 わたしは言葉少なげに、とりあえずその話題を打ち切ることにした。

 今回わたしは家康が負けないようにと動いたが、敵方である西軍に秀景がいたことを改めて知って、やや動揺してしまっていたのかもしれない。


 安否は分からないが……今は考えないでおく。


「それでもどうにか東軍が勝利した、というわけだな?」

「はい」

「その後は」

「東軍はその日のうちに、佐和山城を目指して進軍したようです」


 ふむ。

 ここは史実通りか。


「されど西軍は潰走したわけではなく、ある程度組織だった撤退に及んだようです」

「それも道理だな」


 史実のように大敗したわけでないのならば、そういうこともできるだろう。


「石田三成殿は敗残兵をまとめ、佐和山城で籠城の構えをみせたとのこと」


 三成も無事佐和山城へと帰還できたのか。

 となると、これを容易に落とせたとは思えない。


 佐和山城はわたしもこれを攻め、落城せしめた上で信長から奪い取ったことのある城だ。

 その後は江口正吉に城を任せ、その後わたしは死んでしまったが、明智光秀やら羽柴秀吉らの猛攻に最後まで耐え抜いたらしい。


 朝倉家滅亡後は三成に与えられて、三成は佐和山城を近代城郭に大改修したとか何とか。

 五層の天守を構えた堂々としたもので、その堅固さはさらに跳ね上がったといっていい。


 三成に対し、例の落首が広まった一因である。


「家康は苦戦したな?」

「そのようです。そして関ヶ原で決戦が行われた同日に、大津城が降伏しました」

「ああ、そうだな」


 東軍方となった大津城を攻めていたのは、大将の毛利元康(もとやす)を始め、立花宗茂たちばなむねしげ、小早川秀包(ひでかね)筑紫広門つくしひろかどらの諸将である。


 その兵力、およそ一万五千余。

 この兵力が大津城に足止めされて関ヶ原本戦に間に合わなかったことも、西軍が勝機を逃す要因の一つだったと言っていい。


「毛利元康殿率いる一万五千の兵は、敗戦の報を聞き、即座に佐和山城へと救援に向かっています」

「引き返さなかったか」


 史実では敗戦の報に触れて、大坂城へと撤退している。

 しかしここでは佐和山城で組織だった抵抗をしたせいか、そのまま援軍として駆け付けたらしい。


「さらに」

「まだあるのか」

「丹羽長重率いる北陸勢が、佐和山城へと同じく救援に駆け付けています」

「……みんなずいぶん義理堅いことだな」


 こういう展開は、さすがにわたしも予想していなかった。

 佐和山城は堅城であるし、さらに後詰があるとなっては、東軍は間違いなくここで足止めである。


「三成も頑張るな」


 素直にそう思った。


「で、その後は」

「わかりません」


 どうやら現状ではここまでの情報しか、貞宗も心得ていないらしい。


 しかしということは、佐和山では長期戦になっている可能性が高いな。

 この世界での家康は、なかなかどうして順調には天下人にはなれないようである。


 もっともその原因の端々に、かつてのわたしの存在があったみたいだけど。


「ふぅん。東軍優勢なのは変わりないだろうから、撃退されるなんてことは無いだろうけど……」


 万が一籠城による防衛戦が成功し、三成が生き残ってしまった場合はどうなるのだろうか。

 まったくこの先の展開が読めなくなるな……。


 この身体がもっと成長しているのならば、それでもいい。

 しかしこの身のままでは基本、何もできない。


 できないまま世の中があらぬ方向に行ってしまうのは、どうにももどかしいものである。

 どうせならその波に乗りたいものだ。

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『朝倉慶長始末記』をお読みいただき、ありがとうございます。
同作品はカクヨムでも少しだけ先行掲載しております。また作者の近況ノートに各話のあとがきがあったりと、「小説になろう」版に比べ、捕捉要素が多少あります。蛇足的なものがお好きな方は、こちらもどうぞ。

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