第28話 秀忠の初陣
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七月二日。
この日、上方から軍勢を進めてきた家康が江戸城へと入った。
これにより江戸城内外は、にわかに物々しい雰囲気に包まれることになる。
その江戸城を家康の留守の間、預かっていたのがわたしの父親だった。
徳川秀忠である。
「はあ……」
などと周囲を脱力させるに十分なため息をついているのが、秀忠その人だ。
帰ってきた家康に会い、それ以降、ずっとこんな調子なのである。
ちなみに今日は七月七日。
七夕だ。
「殿。そのように嘆息ばかりされていては、士気に関わります」
などと苦言を呈するのは、当然というか、雪葉だった。
「そうは言うがな、お雪。緊張はするのだ。のう、お千」
情けない告白ではあるが、そう言って秀忠はぎゅっとわたしを抱きしめてきた。
今のわたしはその秀忠の膝の上、である。
わたしのことを目に入れて痛くないほどに可愛がってくれている秀忠は、こうしてよくわたしを膝の上にのせ、くっついて離れないのがいつもの光景だ。
「……母上。父上は、初陣ですから」
秀忠はわたしの実の父親ではない。
でも、育ての親には違いない。
性格は温和で、わたしのこともよくしてくれている。
となれば、そのご機嫌とりをするのもやぶさかではない、というのがわたしの心境であった。
基本、雪葉が秀忠に対してあれこれ厳しいので、自然とわたしがそれを庇う形になっているのである。
なので秀忠は、余計にわたしのことが好きになってしまっているらしい。
「うむ、うむ。そうなのだ。父はこれが初陣なのだ。それを思うと身体が震えてなあ」
「徳川家の嫡男が、恐怖で打ち震えるなど言語道断でしょう。せめて武者震いとおっしゃってください」
「心が勇み立つことで身体が震えるなど、想像もつかんぞ? お千もそう思うであろう? んー?」
手厳しい雪葉にこれまた情けない返答をしつつ、秀忠はわたしに同意を求めてくる。
あ、雪葉の眦がまたつり上がった。
父よ、もう少し空気を読め。
「しかしお千、初陣などという難しい言葉をよく知っておったな。実に賢い。だがまだこのように幼いのだ。勉学も良いが、今は遊ぶがよかろうに」
秀忠とてわたしと会話をしていれば、わたしの知能が三歳児のそれでないことくらいは察するというものである。
だがそれらは雪葉あたりがわたしに早速読み書きを習わせている結果、と思っているらしい。
わたしも一応、事情を知らない者たちの前では、それなりに言葉を選んでいるつもりではあるけれど、そういう芝居が得意というわけでもないからな。
「父上の、お役に立ちたいのです」
「おお、そうかそうか! 健気であるのう……」
相好を崩し、本気で喜色を面に出して、いつものごとく頬ずりをしてくる。
これもよくある光景ではあるのだけど、その度に雪葉がもの言いたげに得も言われぬ雰囲気を発してくるのだが、それなりに鈍い我が父親は気づいた風もなく、娘への愛情をこれでもかと注いでくれていた。
……まあ、何かと秀忠に対して厳しく冷たい雪葉であるが、別段嫌っているわけではないらしい。
人目を憚らずにわたしへの好意を素直にぶつけてくる様を、むしろ羨んでいるとか零していることがあった。
ついでに言えば、気にかけているからこそ厳しくもなるのである。
わたしに絶対服従であった雪葉も、以前は政治に関しては不干渉でも、生活態度に対しては口うるさかったものな。
遠慮してあれなのだから、遠慮する必要の無い秀忠相手では、言わずもがな、である。
その雪葉は紛れもなくわたしを産んだ母親ではあるが、自身は自分を母親とは思っていないだろう。あくまでもわたしに仕える者として、接してくる。
一方で秀忠は、実父というわけではない。
が、その子煩悩ぶりは、雪葉が羨むに十分だったのだろう。
まさに役得といったところだろうか。
雪葉だって秀忠のように接してくれても問題ないんだがな……。
このあたりは貞宗と一緒で、少々真面目が過ぎるのだ。
「では頑張らねばなるまいな。上杉はこの関東ににらみを利かせているつもりでいる、実に厄介な輩だ。これを除けば父上も安心されることであろう」
ようやく襟を正した秀忠の言によれば、七月七日の今日の軍議において、家康は最上義光や秋田実季といった東北の諸大名に対し、上杉攻めの具体的な命を下したらしい。
ついでに家康率いる本隊の出陣は七月二十一日と決定され、それに先駆けること十九日に我が父・秀忠が出発する手筈になったという。
先ほども話に出たが、秀忠はこれが初陣である。
ちなみに年齢は二十一で、戦国の世を思えば遅い方かもしれない。
気負うのはまあ自然なことだろう。
とはいえ、だ。
わたしは秀忠にされるがままになりながら、冷静に考える。
あくまで史実の話であるが、これから勃発するであろう関ヶ原の戦いと秀忠は、何とも相性が悪い。
恐らく一生の心的外傷になるほどである。
秀忠は戦場に出たことは無いとはいえ、その見た目は実はかなり屈強だ。
しっかりと身体を鍛えているのがよく分かる。
が、戦は力だけではない。
そして恐らく秀忠の初めて敵は、事もあろうにあの真田昌幸だ。
生前のわたしがこき使っていた男であるが、残念ながら若輩の我が父程度ではどうにもならない相手である。
もちろん、この世界でも同じように推移するとは限らない。
だが同じように展開した場合、いかにもまずい。
史実の場合でも、寡兵をもって徳川勢を翻弄しており、しかしこの世界では史実とは比較にならない勢力を有しているのが、今の真田家である。
敗退するだけならばまだいい。
それも経験だからだ。
だが初陣で討ち取られてしまう可能性も、十分にあるような気がする。
相手があの昌幸じゃなあ……うーん。
ともあれ、このままではまずいだろう。
まだあまり直接動くのは得策じゃないが、そんなことは言ってられないな。
そう決心し、わたしはある人物を呼び寄せることにしたのである。






