第21話 照虎と信吉
/色葉
慶長五年正月。
京から江戸に移って一年と数ヵ月。
わたしもずいぶんこっちの生活に慣れてきたものである。
年も明けて正月ということで、徳川家の本拠であるこの江戸城には、関係の深い諸大名から祝賀の使者が訪れていた。
例えば会津の上杉家である。
その代理としてやって来たのが、その重臣である上杉照虎と藤田信吉であった。
「新年明けましておめでとうございます。雪の方様におかれては、ご機嫌麗しく」
わたしの父親である秀忠に挨拶をすませた両人は、その後個人的に雪葉の元を訪れて、新年の挨拶を行っていた。
「面を上げなさい」
「はは」
相変わらずの氷のような声で、雪葉は二人に顔を上げさせた。
ぶるっと震えて身を起こした信吉の顔を見て、まず思ったことは老けたな、である。
もう四十を超えたくらいだろうか。
以前会った時は、まだ二十代前半の若武者だったんだがな。
信吉は元北条家臣であったものの、北条氏邦との確執から武田家へと翻り、その後武田家が滅亡した際にわたしの調略を受けて誼を通じ、朝倉と関係を持ったまま上杉家へと帰属した経緯がある。
これは上杉家中に親朝倉の家臣を在籍させるために行ったことであったが、その際の調略を担当したのが雪葉で、その折に雪葉に調教されたというか、屈服してしまったらしい。
元々才覚のあった人物なので、今では上杉家の中で順調に出世して、家中では一、二を争う重臣にまで上り詰めているというのに、相変わらず雪葉には頭が上がらないらしい。
そしてもう一人の青年。
こちらは初見、というわけではなかったが、成長したせいでずいぶん印象が変わっていた。
上杉照虎。
元は上杉道満丸といい、父親は上杉景虎という。
これまた雪葉に縁のある人物だ。
かつて上杉家では、上杉謙信の死後、御館の乱と呼ばれるお家騒動が勃発した。
争ったのは、道満丸の父である景虎と、現在上杉家の当主となっている景勝である。
わたしは当時景勝に味方し、劣勢となった景虎が道満丸を交渉の材料にしようとしていたことを察知して、雪葉に命じて暗殺させようとした。
それにより元関東管領であった上杉光徹などは殺害したものの、どういう風の吹きまわしか暗殺対象であった道満丸を雪葉は憐れみ、これの助命をわたしに願い出てきたのである。
正直意外だった。
雪葉といえばわたし以上に冷淡で冷酷な面があり、他人の命など何とも思わない類の者だ。
わたしに対しては優しいが、わたしに対してだけである。
多少は例外もあるものの、本当に少しだ。
幸か不幸かは知らないが、道満丸はそんな例外の一人であったらしい。
そこでわたしはそれを許し、道満丸の生母である上杉華渓もろともこれを引き抜いて、華渓は侍女に、道満丸は小姓とした。
しかし母親の華渓はわたしに従う際に人妖となったため、本能寺でわたしが滅んだ際に、時を同じくして滅び去ってしまったという。
わたしに妖気が戻れば復活させてやることもできそうだけど、今はまだ無理だ。
そんな道満丸であるが、母を失い、一人となったことで、朝倉家滅亡後は叔父である上杉景勝を頼り、その養子となって上杉家に仕えることになった。
……というのが表向きの事情である。
実際にはある意味で命の恩人である雪葉に同行するはずだったのだが、しかし雪葉に命じられて上杉家に向かうことになったという。
というのも景勝のやつ、どうも秀吉と通じていたらしい。
具体的には家臣の直江兼続と石田三成が懇意で、その関係から上杉家は朝倉よりも秀吉を選択し、その賭けに勝ったのだ。
実際、景勝は朝倉家が滅亡した際に、越中に兵を進めている。
これにより越中を与えていた姉小路頼綱は動くことができず、北ノ庄城はあっけなく落城してしまったのだ。
……まあ、上杉家は同盟相手というわけではなかったし、わたしも色々とちょっかいを出していたので、景勝も思うところもあったのだろう。
わたしのかつての夫であった朝倉晴景も二条城で横死してしまったから、景勝にしてみれば果たすべき義理もなくなり、兼続の合理的な策を採用した、といったところか。
これについて、わたしはさほど景勝を責める気にもなれなかったのであるが、雪葉は違ったらしい。
元々上杉家との外交は、主に雪葉が担当していた。
そのため上杉家中には雪葉に近い者も多く、信吉などもその一人である。
そんな上杉家が裏切ったことに、雪葉としては大層腹を立ててしまった、ということだ。
付け加えれば、責任も感じたのだろう。
そこで雪葉は照虎を上杉家に送り込んだ。
母親の華渓などは、夫を弟である景勝に殺されて恨みを抱いており――その怨念を増長させて引き抜いたのはわたしであるが――そんな華渓に育てられた道満丸も、日頃から恨みつらみを耳にしていたはずである。
そして雪葉の怨念までが、それに加わってしまった。
そういう者たちの期待というか、呪いを受けて育ってしまったのが上杉照虎である。
死ぬべき時に死ねなかった代償、とでもいうべきだろうか。
「お久しぶりです。雪葉様」
そんな照虎の挨拶に、雪葉はわずかに表情を綻ばせた。
柔和な微笑は、わたしなどはいつも見ているが、他人が見ることは珍しい。
隣で信吉が照虎に羨望の眼差しを向けているほどで、やはり雪葉にとって照虎はそれなりに特別な存在なのだろう。
「遠路、ご苦労様でした」
「恐縮です」
そこで雪葉はわたしへと視線を向け、二人に紹介した。
「二人とも、ご紹介します。こちらは千、そしてあちらは珠と申します」
雪葉に与えられた居室には、二人の客人の他に、別の者の姿もある。
隣にちょこん、と座っているわたしと、隅に控えている朱葉と、その腕の中にある赤子の計三人だ。
もう少しで三歳になるわたしは、さすがにもう歩けるようになって、最近では我が物顔で江戸城を闊歩している。
もっともすぐ疲れてしまうので、限定的に、ではあるのが口惜しいが。
そして朱葉が抱えている赤子。
あれは名を珠といい、昨年の八月に雪葉が産んだわたしの妹だ。
こちらは正真正銘、秀忠の子である。
ちなみにわたしもそうだが、この妹もすでに嫁ぎ先が定まっていた。
加賀の前田家である。
相手は前田猿千代。
あの前田利家の四男だ。
ちなみ利家が五十六歳の時にできた子で、さらに五男や六男がいることを思うと、最後まで元気な爺さんだった、ということだろう。
うちの狸爺も大概ではあるけれど。
「お初にお目にかかります。藤田信吉であります」
「上杉照虎と申します」
うん。知っている。
さてどう答えたものかと思ったが、少し考えて変にしゃべるのはやめておいた。
当然この二人はわたしの正体を知らないし、今は伝えるべき時でもないからな。
「千、と申します。以後、お見知り置きを」
普段の横暴な態度など微塵もみせず、完璧に猫を被ってわたしは返礼してやった。
最近秀忠とよく話すことも多いので、とりあえず気に入られるようにと猫を被って対応していたら、いつしかそれにも慣れてしまった、というやつだ。
しかしこういう時に役に立つな、うん。
わたしはそれだけ口にすると、さりげなく雪葉に視線を送った。
後は任せる、である。
「ところでお二人様。景勝様はお元気ですか」
何気ない問いかけであるが、二人はやや緊張したようだった。
雪葉が景勝のことを、少なからず恨んでいることを承知しているからである。
が、今回のこの問いかけは、わたしが雪葉にさせたものだった。
というのも現在の上杉家は、我が徳川家との対立の兆しがあったからである。
「殿は聡明であられるが、直江殿の独断専行をお認めになられ過ぎます。あれでは早晩、災いを招くことになるでしょうな」
とは、信吉の言。
「直江殿自身に野心は欠片も無いように見受けられますが、されど上杉家という立場にあってはその野望、計り知れぬかと」






