第19話 石田三成襲撃事件
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色葉が江戸にて貞宗との再会を果たしていた頃。
遠く離れた京では、不穏な空気が流れることになっていた。
太閤こと豊臣秀吉の死去。
その秀吉は死の約一ヶ月前に、自身の後継者である豊臣秀頼を補佐するための役職として、五大老と五奉行の制度を定めた。
これは有力大名であった徳川家康、毛利輝元、上杉景勝、前田利家、宇喜多秀家らを五大老とし、また豊臣家の官僚であった浅野長政、前田玄以、石田三成、増田長盛、長束正家らを五奉行として、これらの合議制によって豊臣政権の政務にあたらせたのである。
その十名の中で筆頭だったのが、徳川家康であった。
家康はまず秀吉が行わせた朝鮮出兵を中止させ、朝鮮からの撤退を決定する。
ここまでは良かったのだが、その後家康は他家との婚姻を頻繁に行うようになった。
具体的には福島家、蜂須賀家、加藤家、黒田家、そして伊達家などが相手である。
これは生前の秀吉によって禁じられていたため、家康に対して同じ五大老の一人であった前田利家や、五奉行の石田三成らとの間で対立が深まり、利家を中心として家康弾劾の動きが顕著となった。
その上で利家、家康の両屋敷に諸大名が集結し、一触即発の状態にまで事は進んだが、二月になって互いに誓紙を交換して和解することになる。
これは権勢を拡大する家康を、利家が辛うじてとどめることができた、といっていい。
ところが慶長四年三月三日。
その前田利家が死去する。
当時、豊臣政権内では家康という問題だけでなく、武断派と文治派による対立が表面化しつつあった。
利家はそれらの仲裁役としての役目も果たしていたのであるが、その利家の死によって両者の対立は決定的となり、ついには暴発した。
すなわち福島正則、加藤清正、池田輝政、細川忠興、浅野幸長、加藤嘉明、黒田長政ら七将による、石田三成襲撃事件の発生である。
「石田治部を討つべし!」
「応とも!」
加藤清正邸に集結した七将は、このまま石田三成邸に押し入ってこれを討ち取るべく行動を開始。
しかし事は事前に洩れ、屋敷を脱出した三成はまず大坂城下の佐竹義宣の屋敷へと逃れた。
その後大坂を脱出し、京の伏見城へと入ってこれに立て籠もることになる。
この伏見城にて政務を執っていたのが、徳川家康であった。
「はてさてどうしたものかのう」
三成が追手を逃れて伏見城の自身の屋敷に入ったことを知らされて、家康は考え込む。
「何を悩まれるのです? 思い通りの展開だというのに」
家康にそっとささやきかけるのは、妙齢の女だった。
実年齢は四十代半ばであるはずなのに、とてもそのようには見えない。
初めて家康に召された二十年ほど前と、何も変わらない容姿のままだったからだ。
名を須和という。
家康の側室の一人でもある。
「ふうむ……。実はそうでもないのだ。まさか石田治部が、伏見に逃れてくるとは思わなかったからな」
唸りつつ、家康は変わらぬ美貌の須和を見やった。
この側室はその容姿だけでなく、武術にも優れ、さらには才知にも溢れていたことから家康に特別に愛された側室である。
そのためあらゆる場面に同行を求められ、また次期後継者と目されている徳川秀忠の生母であるお愛の方が天正十七年に死去すると、これに代わって秀忠らの養育を任されるほど信頼されていた。
それほど家康に寵愛された存在であったものの、不思議なことに家康との間に子はできなかったという。
「大坂で石田様が討たれていた方が良かったと?」
「そうではないか? おかげで今、治部殿がわしに庇護を求めてくるという、予想だにしなかった展開になって困っておる」
三成はかなり早い段階から家康のことを警戒しており、その専横を憎々しく思っていたことは疑いようもない。
前田利家と家康との対立が表面化した際も、三成は利家方についている。
そして今回、利家の死により秀吉の子飼いであった七将が激発し、三成襲撃を計画した際にそれを容認したのも、実は家康であった。
このような形で政敵の一人が潰えてくれるのであれば、実に面倒がないと考えたからである。
「ふふ……さては殿、この須和を試しているの? ここで石田様が討たれて喜ぶのは二流というもの。殿ならばもっと大きな戦略眼をお持ちのはず」
「待て待て……。あまりわしを買い被るでない。時折そなたの知恵にはついていけず、あたふたするのだ。年寄りはもそっと労われ」
このようなやり取りは、実はこれまで多くあった。
家康ですら思いもつかぬような方策を助言し、幾度となく家康を助けてきたのである。
そのおかげもあって、朝倉家滅亡後に秀吉が作り出した荒波を、どうにか今日まで掻い潜ってきたといっていい。
「では僭越ながら。……ここは石田様をお救いするのです」
「治部殿を助けよと申すか」
石田三成は、家康にとって紛れもない政敵である。
これを討ち滅ぼす機会が目の前にぶら下がっているというのに、それと逆のことをせよとはいかなる存念かと首をひねる。
「ここで石田様を殿がお救いするのには、三つの利点があるでしょう」
「ほう。三つも」
「まず一つ。そのうち加藤様や福島様がこの伏見に押し寄せてくることでしょうけど、その難から石田様のお命をお救いする条件として、石田様には蟄居していただくのです」
つまり、三成には政から身を退かせる。
三成が豊臣政権内で失脚すれば、家康の政敵は消え、権勢の拡大への障害は小さくなるだろう。
それだけでもまず十分に価値がある、と須和は言う。
「ふむ。されど息の根を止めずして、後顧の憂いにならぬか?」
「なるでしょう。が、それで良いかと。もう一つの利点と秤にかけて、それは許容すべき短所であるから」
「ほう。ではそのもう一つの利とは」
「豊臣政権内で、家臣同士の対立が継続すること」
もしここで三成が死ねば、豊臣家中は一つにまとまり、今度は家康の敵対者になる可能性は高い。
今回の騒ぎを起こした七将は、誰もが秀吉子飼いの武将達であり、豊臣家に対する忠誠心は低くないのだ。
これらが一致団結して家康に対抗すれば、少なからず由々しきことともなる。
つまり三成の代わりの政敵が誕生するだけで、一つ目の利点すら潰れてしまいかねないこともあり得る、というわけだ。
「なるほどのう。ならばここで一気に清正や正則らを討ち取るというのは?」
ここで政敵を一掃すれば、一つ目と二つ目の利を同時に得ることもできるのではないか。
家康はそう一考してみたが、須和は笑んで頷きつつも首を横に振ったのである。
「それも一つの手ね。けれど、彼らがまず殿を頼っていたのは周知の事実であるし、それを騙し討ちにしては世間の風評はどうなるかしら」
「それは……ちと風聞が悪いか」
「太閤亡きあと、好き勝手しているから余計にね」
その辺りは家康も否定のしようもないところであるが、ここで大人しくしているほど家康もお人よしではない。
どうにかあの秀吉が死ぬまで待ったのだ。
ここでただ見守っていては、豊臣政権もじきに新たな形を整えてしまうのだろう。
そうなってからでは遅いのである。
今この瞬間しか、逆転の機会は無いのだから。
「ただでさえ世間体が悪いのだから、ここで中立的な仲裁をすることでいったん世間の評判を高めておくのよ」
それが三つ目の利であると須和は告げ、家康も納得した。
「如何です?」
「うむ。悪くない」
そうと決まればあとはやり方次第である。
七将をうまくあしらわねばならないが、ここは後の事を考えてもうまくやらねばならないだろう。
「しかし須和よ。そなたはよく知恵が回る」
「殿ほどではありませんわ。それにいくら考えを巡らせても、実行力が伴わなければ意味がないものでしょう?」
「わしを褒めることを忘れないあたりも、憎いやつじゃ」






