第18話 本能寺の謎(後編)
「色葉様の命により、私は当時、内外の諜報の任に当たっていましたが」
出し抜けに、そんなことを言い始める貞宗。
その通りだったので、頷いておく。
「当然、新参衆の動向には常に目を光らせておりました」
「そんなこと、めいれいしたかな?」
「時として色葉様は、身内には甘もうございましたからな」
「……む?」
そうなのだろうか。
家臣どもは、散々こき使ってきたつもりだったのだが……。
「色葉様は一度信用されると……いえ、初見でありながらも相手のことをよくご存じで、気に入った相手のことは重く用いることもやぶさかではなかったでしょう。例えば先ほどの黒田殿」
「ずっとふられつづけたがな」
「他にも北条父子」
「……まだあるのか?」
「江口正吉殿なども」
「……むぅ」
貞宗に指摘されて、多少は思い当たる節もあり、わたしはばつの悪い顔になった。
この辺りはなまじ史実を知っていたがゆえの、慢心だろう。
本能寺の変然り。
信長がすでに死んでいたので、光秀が謀反するとは思ってもみなかったのだ。
史実において、光秀の動機が明らかではなかったにも関わらず、だ。
つまり、必ずしもそれが信長だったから、というわけでは無かったかもしれないのに、その可能性に思い至らなかった、わたしの失態といっていい。
「そして明智殿も」
「ん……まあ、そうかもな」
光秀が有能だったことは、歴史が証明している。
そんな人材が転がり込んだので、これを有効に活用したいと思ったのも事実だ。
そのため旧領である近江坂本を与えて、なおかつ久秀の後は京を任せるつもりでもいた。
どうもその辺りが、貞宗には危うく映っていたらしい。
「よし。これからはもっときびしくしよう」
「い、いえ……。あれはあれでよろしかったのです」
「?」
「色葉様の鬼の所業と、時にみせる厚遇ぶりが大きな相違となって、家臣たちの人望を集めていたのも事実でありますれば」
鬼とか言うな。
可愛い狐だぞ。
しかし……。
「じんぼう?」
そんなものがわたしにあったというのは、初耳である。
基本的に恐れられていると思っていたし、そういう人望などは全て、夫であった晴景に集まっていたと思っていたのだが。
「必要に迫られて家臣に死を賜ることはあったにせよ、基本、味方を見捨てることはなかったでしょう。武田家なども、最後まで見捨てることはなかった」
「あれはべつに、ほんしんだったかといえばあやしいぞ。はるかげがかなしむのをみるのがいやだっただけだ」
「突き詰めればまさにその一点、でしょうな。その殿を、神通川の戦いの折には命を賭してお救いしておられる。あれで家中における色葉様への評価は上がったのです」
あれは晴景を見捨てるべきかどうか、散々悩んだ結果だった。
結果的に損な方を選んでしまったわけで、晴景は救えたものの他に家臣を失ったし、乙葉もわたしも深手を受けて死にかけたくらいである。
「それにもっと遡れば飛騨において、足手まといになっていた私を見捨ててかの地を脱出する方法もあったはずです。ですがそれをなされなかった」
いつの話だそれ、とか思ったが、思い出せた。
飛騨で、ということは、朝倉家を再興する前の話。
あの鈴鹿のせいで内ヶ島の手勢に襲われて、あの時もどうすべきか悩んだのだったか。
「あとは銭に対して太っ腹だったこと。あれほど銭を撒き散らしたにも関わらず、それ以上の回収を得て国を豊かにし、家臣たちはみな喜んでいたのです。同盟国であった武田家がずっと色葉様に頭が上がらなかったのも、莫大な支援があったからこそですな」
「よのなか、ぜにだからな」
溜め込もうとは思わないが、多いに越したことは無い。
そしてそれらは回してなんぼ、である。
「しかしさだむね、いまになってほめてもなにもでないぞ?」
というか、当時にもっと褒めてくれれば良かったのに。
「だがもっとほめろ」
「……話が逸れましたな」
「おい」
「ともあれそういう事情もあり、当時、明智殿の動向はそれなりに探っておりました」
強引に話を戻したな。
無礼なやつである。
「ふしんなてんでもあったのか?」
あったのかもしれないが、特筆するようなことでもなかったのだろう。
もしあったのならば、当時の貞宗が報告を怠るはずもないからである。
「まず、黒田殿との接触が確認されています」
「なに……?」
「あくまで北ノ庄において、ですが。それ以外ではわかりません。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「両者を引き合わせた存在がいたのです」
「だれだ」
「織田鈴鹿殿です」
あの女か。
そういえば鈴鹿のやつ、光秀に会いたいとかわたしにも頼んでいたな……。
確かあの時は望み通りにしてやったはずだが。
しかし面倒な三人がこんなところで揃っていたとは。
「その後、妙な噂を耳にしました」
「どんな?」
「明智殿が髑髏を持ち運ばれた、と」
髑髏、ねえ……。
「あのおとこ、そんなしゅみがあったのか」
「それは存じませぬが、問題はその出どころでしょう」
出どころ……。
そして髑髏。
さらにはその妙な噂が出た時期。
「さだむね、さっきおまえはもうひとりのはんにんを、のぶながとかいっていたな?」
「はい」
「つまりそのしゃれこうべは、のぶながのものか」
「恐らくは」
ふむう……。
確かに光秀は鈴鹿と共に信長の首級を持って、越前へと逃れてきた。
その首は鈴鹿が所有していたはずだ。
あの女が光秀に渡した……?
何のために?
「まあ、ろくなもくてきじゃあないだろうが」
何やら伝奇じみた話になってきたが、貞宗は信長の首に光秀が毒された、とでも言いたいのだろうか。
言いたいのだろうな。
何といっても、生者にとってはおぞましいとしか言いようがない亡者を統べていた、わたしの最も傍にいた男である。
ある意味で誰よりも、そういう妖しげな話には理解があるのかもしれない。
むしろわたしなどよりも、な。
ともあれここまでか。
光秀が生きていれば問い質せたが、それもできない。
秀吉も死んだ。
鈴鹿も行方知れずらしく、雪葉もまったく分からないらしい。
現時点で生き残っているのは黒田孝高――今は如水か――だけである。
その如水も史実通りであるならば、そんなに寿命が残されていないはずだ。
あと数年。
それくらいだろう。
会っておきたいな。一度くらいは。
「いま、よしたかはどこにいる?」
「太閤殿下の死に際して上洛し、昨年の十二月には伏見に入られたとか」
伏見城下には諸大名の屋敷が多くあって、徳川屋敷もそこにある。
わたしが生まれたのも伏見の屋敷だった。
「いれちがいになったか。ざんねんだな」
あの孝高のことだ。
秀吉が死に、今後の情勢がどうなるかぐらい、予想の内だろう。
わたしも京にいたかったな……。
そうすればいろいろできたのだが。
まあいい。
いずれ機会もあるだろう。
「さだむね」
「は」
「ちょくちょくかおをだしにこい。そとのじょうせいも、ちくいちきいておきたいしな」
「……かしこまりました」
素直に頷いたものである。
わたしとしても、久しぶりに貞宗に会えて良かった。
とはいえ貞宗だけでなく、他にも健在な元家臣はいるはず。
それらがどうなったのか、そろそろちゃんと把握しておいた方が良さそうだ。
わたしが死んだ本能寺の変については、ここらでひとまず置いておくとしよう。
今は間近に迫っているであろう、関ヶ原のことを考えるべきだろうからな。






