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第14話 秀吉の死と徳川家


     ◇


 わたしが生まれてより、一年以上は経過した。


 未だに見た目は幼児そのままであるが、すでに周囲との意思疎通は問題無く行えるようになっている。

 というかそれなりに喋れるようになった。

 多少、たどたどしくはあるけれど。


 でもそっちにばかり傾注したせいで、それ以外の身体能力は人の子と何ら変わらない。

 自らどこかに行こうと思ったらはいはいをするしかなく、よちよち歩きも今のところ成功していない。


「……きょうも、あるけなかった」

「まだ身体が成長しきっていないからです。慌てることはありません」


 何度も転んでついには諦め、ぶーたれているわたしを抱きかかえつつ、母親がひどく優し気な口調で慰めてくれる。


 くそう……。

 これじゃあいつになったら歩けるのやら……。


 でも知能や五感の発達を優先させたことは正解だった。

 おかげで現状の把握ができるようになってきたからだ。


 それにこうやって会話を楽しむこともできる。

 でも、歩けないのは悔しい。


「でも、あけは、はすぐにあるいていたぞ?」

「その分、姫様が迷惑を被りました。とても罪なことです」


 どうやらまだ怒っているらしい。

 ちなみにわたしを産んでくれたのは、かつてわたしの義妹であった雪葉だった。


 見た目はあの頃と変わっていない。

 相変わらずの怜悧な美人ぶりである。


 そんな雪葉に抱きかかえられるのは、悪い気はしない。

 役得なので、今のうちに甘えておくことにする。


「ですが、わたくしも同罪です」

「……きにするな、といっただろう」


 どうも雪葉のやつ、わたしが本能寺で死んだ際に傍にいれなかったことをずっと後悔し、罪に感じていたらしい。


 でもあの時雪葉が傍にいなかったのは、わたしの命によるものだ。

 罪悪感など覚える必要は無いのである。


 それにどうせ、当時のあのわたしの身体では、そんなに長くは無かっただろうしな……。


「朱葉、どうにかなりませんか?」


 どこか口惜しいような感じの雪葉に聞かれ、隅に控えていたわたしの乳母が難しい顔になる。


「……ここではどうしても、集められる魂に限りがありますので」


 などと答える朱葉は、改めて見ても成長したものだと思う。

 雪葉と遜色ないくらいに成長し、こちらもまた美しかったが、しかしどこか造り物めいた美しさだった。


 今は慶長三年八月だから、実年齢ではそろそろ十八歳くらいになるのだろうか。

 三歳の頃に生き別れたのだから、つまり本能寺の変から十五年くらいはたった、ということでもある。


 もっとも朱葉の場合、成長がまともなものではなかったから、今の姿になるのにさほど時間もかからなかったようだけど。

 何とも羨ましい限りである。


「ん、むりしてあつめるひつようは、ないぞ。よのなかへいわがいちばん、だからな」


 いい意味でも悪い意味でも、この二人ならばわたしのために何だってする。

 というかそれをして、ここに至ったはずだ。


 他人の命など何とも思ってはいない。

 まあわたしが言うな、であるが。


「……はい。ですが一度、一乗谷いちじょうだににお越しいただきたく」

「いちじょうだに?」


 これまた懐かしい地名だった。

 わたしがずっと住んでいた場所である。


「あそこには主様のご遺体……しゃれこうべが安置されております。それまでに主様に貯めて頂いたものの他に、あれから集めたものを加え、主様に最適化された状態で保存されているのです」


 なるほど。

 本能寺で死んだわたしは、首だけを一乗谷に運ばせた。


 つまり生前の貯金と、新たに積み立てたものがある、というわけか。

 わたしのしゃれこうべとやらは、それらを保管する要になっているらしい。


 そういえば朱葉のやつ、できるだけ魂を集めて欲しいと言っていたものな。

 当時はまるで意味が無いように思えるほど、わたしの身体はぼろぼろだったみたいだけれど、今ならば十分にそれらを受け止めることができる、というわけだ。


「ん、まああわてることはない。もうすこし、このふじゆうなみのうえをたのしむのも、わるくない」


 無理して魂を貪らなくても、この身体が成長していくことは間違いないのだ。

 それに今の身体だと、それこそ一日の大半を睡眠に費やしてしまっている。

 あれこれ考えたいが、考えている時間もない、というやつだ。


 などと思っていると、眠くなってきた。

 欠伸をする。

 うん、寝よう。


 そう思った矢先だった。


「――おゆき、雪はおるか!」


 どたどたと足音がして、誰かが無遠慮に入って来た。

 この部屋にそういう入り方をできる輩は限られている。


 その人物が入ってくるなり、雪葉と朱葉は頭を下げ、恭しく迎え入れた。

 そしてその人物は上座に腰を下ろすと、鷹揚に頷いてみせる。


「うむ、苦しゅうないぞ。面を上げよ」


 礼儀に則って二人は頭を上げるが、わたしはそんなことはできないので、腕の中でその人物を見返すのみだ。


 そんなわたしの視線が気になってか、頬を緩ませたその人物はほれほれ、と手で催促をする。

 いつものことだが、わたしを抱きたいらしい。


「おお、今日は起きておるな。しかし可愛いのう……」


 嬉しそうに頬ずりするのはまあ何だ。

 わたしの父親である。


 名を徳川秀忠(ひでただ)という。

 歳の頃はちょうど二十歳といったところで、実に若々しい青年だ。


 そんな秀忠はわたしのことを目に入れても痛くないほどに可愛がってくれており、今のところ関係は良好である。

 わたしとしても、父親のことを無下にする気はない。


 ちなみそんな秀忠であるが、その父親はあの徳川家康(いえやす)で、その三男に当たる。

 が、嫡男の扱いをされていた。

 要は後継ぎである。


 三男でありながら嫡子となったのには、まず家康の長男であった信康のぶやすは、かつて武田たけだ勝頼かつよりと戦い討死したこと。


 また次男の秀康ひでやすは秀吉の養子になった上で、秀吉に第一子が誕生した際に結城ゆうき家に出されてしまったこと。


 さらに付け加えるなら、次男・秀康と秀忠では母親が異なり、身分に差があったことも、秀忠が早くから後継ぎと目されていた理由であった。


 そんな秀忠が、わたしの父親だという。

 それを初めて知った時などは、さすがに唖然としたものだ。

 一体全体、どういう因果でそんな風になったのやら、である。


「……ところで殿、何か御用があったのでは?」


 わたしを抱き込んで何やら自分の世界に浸り始めた秀忠へと、冷たい声でそう言うのは雪葉だ。


 うん、普段から冷たい声をしているけれど、今のはわたしでもぞくっときたぞ。

 どうやらわたしの父親は、完全に雪葉の尻に敷かれているらしい。


 どうも秀忠は恐妻家きょうさいからしく、この分だとまともに側室など持てないのだろうな……。


「お、おお。そうであった。うむ」


 秀忠も同じく悪寒を感じたようで、襟を正して座り直す。

 ただし、わたしを手放すことはなかったが。


「……内密の話なのだが、どうやら太閤たいこう殿下が亡くなられたらしい。父上が伏見に呼ばれた」

「秀吉様がお亡くなりになられたのですか」

「恐らくな」


 なるほど。

 ということは、今日は八月十八日、か。


 今が八月ということは分かっていたのだけど、どうにも寝てばかりで日付の感覚が無くて困る。

 でも史実通りに秀吉の寿命が尽きたのならば、今日は十八日で間違いないだろう。


 それにしてもそうか、秀吉が死んだのか。

 となると……どうなるんだ?


「それは残念なことです」


 などと雪葉は感想を述べていたが、内心ではどう思っているやら、である。


 はっきりと本人から確認したわけではないが、雪葉は秀吉のことを好いてはいない。

 それというのも朝倉家が滅亡した原因が、秀吉だからだ。


 わたしが死んだ後、朝倉家もあっさりと滅亡してしまった。

 滅ぼしたのは羽柴秀吉その人で、雪葉や朱葉も越前より逃れる羽目になったらしい。


 そしてもう一つ、決定的な理由もある。


「しかしそうなると、今後はどうなるのでしょう?」

「それなのだがな」


 声をひそめて秀忠は言う。


「父上はこの時を待っていたに違いない。わしにはとっとと江戸えどに戻れとのお達しだ」

「江戸……ですか」

「うむ」

「どうしてなのです?」

「うむ?」


 そこではて、と考え込む秀忠。


「何故と言われても……何故なのだろうな?」


 軍備を整えさせる腹積もりだろう、とわたしなどは思ったが、口にはしない。

 それに他にも理由は思いつく。


 このような状況下では、何が起こるか分からない。

 そんな何が起こるか分からない状況下、徳川家の当主と後継ぎが、二人そろって雁首揃えているのは、如何にもよろしくない。


 本能寺の変の時に、わたしと晴景がまとめて死んでしまったように、家康と秀忠の二人に何かあれば、あっという間に徳川家の屋台骨が揺らいでしまう。


 そしてその末路は滅亡した朝倉家をみれば一目瞭然、というやつだ。

 警戒して当然である。


 しかし我が父はちょっと察しが悪いのか、その辺りにまで考えが及んでいないらしい。


「ま、まあ、ともあれお雪、おせんを連れて江戸に戻る。支度をせよ」

「馬鹿なことをおっしゃらないで下さい」


 あ、馬鹿って言ったぞ雪葉のやつ。


「むむ?」

「千姫はまだそのように小さいのです。だというのに江戸まで旅をさせるおつもりなのですか」

「そ、それはそうなのだが……」


 いきなり文句を言われて戸惑う秀忠。

 まったく雪葉らしいとはいえ、わたしのことになると容赦が無いなあ……。


 仕方が無いので助け船を出すことにした。

 直接話すのは秀忠にびっくりされるので、ここは朱葉に向かって念話でも送っておく。


 ああ、言い忘れていたが、今のわたしの名前は千、という。


「……お方様。千姫様はお元気ですゆえ、江戸までならば問題ないかと」


 朱葉の言葉に、雪葉はその裏にあるわたしの意思を感じ取ったのだろう。


「うむ! お千はわし同様、壮健ゆえな。ちょうど良い散歩になろう!」


 朱葉の言に俄然力を得た秀忠が、勢いで押し切ってしまおうと語気を強めた。

 理屈で勝負しても雪葉には敵わないと、すでに承知しているからだろう。


「……かしこまりました」


 雪葉もそれ以上は文句も言わず、素直に頷いてみせた。

 よしよし。


 ……秀吉が死んだ以上、色々と事態が動くはずだ。

 というかあの狸爺たぬきじじいが大人しくしているはずもない。

 ここぞとばかりに動くだろう。


 そしてその結果、何が起こるかといえば、世にいう関ヶ原(せきがはら)の戦いである。


 この世界は史実とは違う。

 違うが、流れはよく似ている。


 あれだけわたしが滅茶苦茶にしてやったというのに、こうして気づいてみれば、いつの間にやら史実に近い状況に戻ってしまっているのである。


 結局秀吉が天下を取り、家康がそれをうかがう。

 そんな感じだ。


 とにかくこの先、大坂や京の近くにいると、あれこれ争乱に巻き込まれることになりかねない。

 今は江戸が一番安全、というわけだ。


 一乗谷がしばし遠のいてしまうが、仕方がないだろう。

 まあ急ぐことはないし。


 しかし一乗谷はいいとしても、大坂からは離れてしまうな。

 乙葉おとはにも会いたかったが、これはちょっと、しばらく会えそうもない。


 ただ秀吉は死ぬ前に、自身の後継ぎである豊臣秀頼(ひでより)とわたしの婚約を望み、家康も応じたとのことだから、いずれは会えるのだろうけど。

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『朝倉慶長始末記』をお読みいただき、ありがとうございます。
同作品はカクヨムでも少しだけ先行掲載しております。また作者の近況ノートに各話のあとがきがあったりと、「小説になろう」版に比べ、捕捉要素が多少あります。蛇足的なものがお好きな方は、こちらもどうぞ。

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また同作品の前日譚である『朝倉天正色葉鏡』も公開しております。
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