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第132話 龍虎相搏つ(前編)


     /


 慶長十年九月八日。


 利根川の戦いの先陣を切ったのは、鎮守府方の佐竹義宣であった。


「政宗はいずこか!」


 かつて伊達家と因縁深かった佐竹家である。


 敵の大将の一人に伊達政宗がいると知り、義宣は猛然と吶喊するも、中軍である本陣に伊達隊はおらず、これを受けたのは毛利勝永隊であった。


「よそ見をする暇があるとは笑わせる!」


 勝永は父・勝信と共に古くから羽柴秀吉に仕えた身の上で、かつては黒田孝高と共に豊前国を治めた大名でもあった。


 しかし関ヶ原の戦いでは西軍につき、孝高に小倉城を奪われ、さらに戦後、家康によって改易されてしまう。


 その後は土佐の山内家の預かりとなり、現在では客将扱いで山内家の手勢を率いている。


 今回も山内康豊に代わり、山内勢を率いて本陣の最前線を担う任を受けていたが、元は豊臣家の譜代家臣ということもあり、勝永自身、格別の思いをもって先陣の任を果たそうとしていたのだった。


「放てぃ!」


 佐竹勢と山内勢が衝突する寸前、本陣の左右を固めていた大野治房隊、後藤基次隊から一斉射撃が行われる。


 密集隊形にて突撃してきたその先端部分に対し、もっとも有効的な形で放たれた十字砲火に、佐竹隊の足並みが崩れる。


「今よ、かかれぃ!」


 好機と見とった勝永は、この機を逃さじとばかりに逆に攻めかかった。

 こうして開戦の火蓋は切って落とされたのである。


     ◇


「佐竹殿の足を止めるとは、敵も侮れませぬぞ!」


 前進が鈍ったことに、義康が注進してくる。


「構わぬ。義宣の部隊を迂回して突撃を継続せよ!」


 魚鱗陣は、小さな密集陣を単位として、それらを集合した陣である。


 そのため例えどこかの隊が壊滅したり、足止めされたりしたとしても、他の部隊が有機的に動くことでこれに対応し易い利点がある。


 一枚の鱗が剥がされようとも、他の鱗が補う――だからこそ、魚鱗と呼ばれる所以だ。


 魚鱗の陣の場合、本陣は底辺の中心部に配置されるものであるが、紅葉はより前線に近い方に身を置いていた。


 敵を見極めるのに、後方にあっては不都合だったからもあるが、どちらかといえばやはり、先陣にあるのを好む気質であったからでもあるだろう。


「承知!」


 義康は紅葉の意図を酌み、自らの部隊を指揮して突撃を継続していく。

 これは最前線で戦う佐竹、毛利隊を迂回しつつ、その後方にある敵本陣に対し、まるで鱗を一枚一枚剥がした上で個々に突撃させることで、波状攻撃を仕掛けるというものだ。


 その攻撃力は絶大で、敵である大野隊や後藤隊がこれらを阻止すべく出張ってきたものの、確実に押され、削られ、苦戦を強いられることとなっていった。


 この局所戦において、もとより数が違う。

 幕府軍の兵力の半数以上は左右両翼に振り分けられており、本陣は手薄なのだ。

 しかし時間をかければ伸び切った両翼が、包み込むようにして閉じてくることだろう。


 こうなると、側面や背面攻撃に弱い魚鱗陣では打撃を受けることになる。

 そうなる前に本陣を貫き、壊滅させる。


 紅葉にしてみれば、絶対にここで足を止めるわけにはいかなかったのだ。


「見ぃつけた」


 そして紅葉は目を細め、喜色を浮かべる。


 乱戦模様の敵本陣の中に、明らかに異様な一点を見て取ったからだ。

 味方の波状攻撃に飲み込まれながらも、中から食い破らんとする何か。


 朱に塗れた小柄なそれは、縦横無尽に殺戮を欲しいままにしている。

 殺到する上杉勢が、ことごとく屠られていく様に、紅葉は得物を手に迷わず馬を走らせる。


「奥方様っ!?」

「――あれが元凶に相違なかろ! なれば直接確かめるまでよ!」


 距離がある。

 が、近づくまでもなく、紅葉は全霊の力を込めて、手にしていた槍を投擲した。

 鬼の膂力だけでなく、妖気すら滲んだ一撃だ。


 余人には受けることはもちろん、かわすことすら容易でない威力をはらんだ暴力の奔流であったことは、近くにいた義康が後日語ったことでもある。


 それが一点、標的を刺し貫く。

 誰もがそう思ったが、結果は誰もが予想しないものだった。


「!」


 弾かれたように、その標的が投擲した槍を睨む。


 気づいたのだ。

 それに紅葉は舌を巻く。


 が、遅い。


 刹那の後には到達する槍に、もはや対応する術はない。

 だというのに、不自然なことが起きた。


 その標的に殺到していた上杉兵が二人ほど、突然真横に吹き飛ぶかのように弾かれ、眼前に迫っていたであろう槍の邪魔をしたのだ。


 それでも槍の勢いは減じることなく、雑兵二人を刺し貫いて、標的に肉薄する。

 だがやはり、軌道は逸れていた。


 槍先は標的の狐色の毛髪を引き千切る程度に留まり、その後方へと猛烈な勢いのまま着弾する。


 それほどの威力だったが、しかし標的はかわしてみせたのである。


 いったい何をしてみせたのかといえば、標的はその小柄な体躯には大きい尻尾のようなもので目の前の雑兵を押しやり、盾にした上で、無理矢理軌道をそらしたのだ。


 その本来ならば黄金色の毛並みをもっていたであろう尻尾も、すでに真っ赤に染まりきっている。


 確認するまでもない。

 これが報告にあった、狐憑きの姿をした童女と思しき者、であろう。


 ひとに非ずはその容姿というよりも、その化け物じみた身体能力から評価すべきで、まさに一瞬にしてそれを証明したともいえる。


 その標的であった少女と紅葉の視線が交錯する。

 それも僅かのこと。


 弾かれたように、狐憑きの少女はその場を駆け出したのだ。

 馬を駆る紅葉に向かって。


 かなりの距離があったはずの二人の間合いは、一瞬にして縮まった。


 投擲に使ったため、紅葉の手に得物はない。

 腰に帯びた太刀を引き抜こうとするよりも早く、少女は手にしていた無骨な棒を、水平に振り抜いてくる。


 自身の背丈をゆうに超える黒い棒は、金砕棒の類か。

 べっとりと付着した血糊が、いったいどれほどの殺戮に使用されたのかを、嫌というほど誇示している。


 そしてその威力。

 間合いにたまたま居合わせた雑兵を両断する程度には、桁外れのものだった。


 血煙が舞う。

 紅葉は反応できたが、彼女が駆る馬には無理だった。


 馬の脚が金砕棒により薙ぎ払われ、切断される。

 当然落馬を狙ったものだ。


 しかし馬上にすでに紅葉の姿は無い。

 寸前で飛び跳ね、前方に転がり落ち、勢いのまま目的の場所まで至ると、即座にそれを引き抜く。


 先ほど投擲した、自分の槍だ。

 息つく間もなく、紅葉は槍を繰り出す。


 戦場に響いたのは、壮絶な剣戟。

 そして火花だ。


 重い一撃に、吹っ飛んだのは狐憑きの少女の方。

 見た目通りの軽さのせいで、単純に質量に負けた結果だろう。


 だが紅葉の手とて、無事ではすんでいない。

 経験したことのないような反動は、まるで大岩を相手に打ち込んだかのような衝撃だ。


 だが好機。

 相手は態勢が崩れている。

 たたらを踏んでいるのだから、当然だ。


 見逃すわけもない。


 再度、投擲。


 今度は盾にするような雑兵は近くにおらず、距離も近い。

 必中だと確信して投げた一撃は、しかし不覚としか言いようがなかった。


 思っていた以上に腕の握力が減衰しており、必殺と呼べるような投擲には至らなかったのだ。


 当然、そんなものが通じる相手ではない。

 相手の娘が口の端を歪める。


 笑みと呼ぶにはあまりに邪悪なもの。

 その口元が、逸ったな、とばかりに嘲弄していた。


 事実、槍はかわされた。

 が、それだけではすまない。


 あろうことかその槍を引っ掴み、その勢いを殺せずさらに態勢を崩すという醜態を見せながらもついには踏みとどまって、得物を奪ってみせたのだ。


 呆気にとられていた紅葉は、しかし一瞬で、今度こそ太刀を抜き放つ。

 直後、槍が逆に投げ返された。


 投擲というにはあまりにお粗末な、乱雑な投げ方だ。

 ぐるんぐるんと円を描きながら、迫ってくる。


 速度は無い。

 しかし威力がおかしい。


 いったいどんな力を込めて投げたのやらと、鬼の怪力を持つ紅葉ですら呆れるような、暴風だった。

 あれに触れれば雑兵など千切れ飛ぶだろう。


 しかもこれはただの牽制。

 迫りくる槍の向こうで金砕棒を振り回し、遠心力がたっぷりと乗ったところで手を放す。


 まるで矢のような一撃だが、槍に勝るとも劣らない威力を秘めていた。

 こんなものまともに受けられるかと、紅葉は即座に回避を選択。


 最初の槍は狙いなど適当。

 しかも遅い。


 これは容易にかわせた。

 かわした先で雑兵数人に直撃し、ひき潰していたが、確認している暇など無い。


 問題はもう一撃の方。

 意地の悪いことに、紅葉がかわすであろう予測の進路に向かって投擲されていた無骨な棒は、かわせない。


 舌打ちする。


「奥方様っ!」


 不意に何かが視界を遮った。

 それは義康の駆る馬だ。


「たわけ! 前に――」


 しかし遅い。

 金砕棒は義康の馬を貫き、悲鳴をあげてひっくり返る。


 義康は落馬したが、その無事を確認している余裕も無い。

 太刀を振り上げる。


 例えこの太刀であっても――と、半ばやけくそに振るった払いは、どういうわけか、重々しい金砕棒を綺麗に両断し、打ち払ってしまう。


「は?」


 当の本人ですら驚く戦果に、しかしすぐに悟る。

 紅葉が手にする太刀は、銘を紅葉狩天国もみじがりあまくに、という。


 かつて彼女を斬って捨てた、降魔の剣の類だ。

 妖にとって、天敵ともいえる武器の一つである。


 それが効いた、ということは、投げつけられた金砕棒にはよほど妖気が絡みついていたのだろう。

 つまり、そういう手合いが手にしていた、ということだ。


 自身に勝るとも劣らない邪悪な妖気の持ち主。

 それが目の前の狐憑きの少女、という証明でもあった。


「くく――。確かに何とおぞましい妖気。実に心地良いのぅ」


 心躍る、とはこのことか。

 紅葉は満面の笑みをたたえて、少女へと襲い掛かる。


 対する少女は不本意な結果に至極嫌そうな表情を浮かべ、帯びていて太刀を抜き放つと、真正面から受けて立った。


 この世となってからは忘れられて久しい一騎打ちを、図らずも二人の女武者が体現したのである。

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『朝倉慶長始末記』をお読みいただき、ありがとうございます。
同作品はカクヨムでも少しだけ先行掲載しております。また作者の近況ノートに各話のあとがきがあったりと、「小説になろう」版に比べ、捕捉要素が多少あります。蛇足的なものがお好きな方は、こちらもどうぞ。

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また同作品の前日譚である『朝倉天正色葉鏡』も公開しております。
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