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第129話 一戦交えるのみ


     /色葉


 九月六日の明け方頃になり、ようやく戦況がはっきりとしてきた。


 単身、鎮守府軍本陣へと殴り込みをかけたわたしは、その時点で戦況把握とは無縁になっていたと言っていい。


 唯一、敵中にあって味方の増援があったことだけは把握できていた。

 間違いなく、伯父である秀康の軍勢だろう。


 わざわざ手勢を割いてまでして、山内康豊に秀康の道案内をさせたことが功を奏したらしい。


 状況を察した秀康は、昼夜を問わずに進軍してくれたのだろう。

 でなければ、あのような深夜に参戦するなどあり得ない。


 当てにはしていなかったが、実にいい機に参戦してくれたと言える。

 これで風向きが完全に変わったからだ。


 惜しむらくは、わたしが指揮を執っていなかったこと。


 わたしが指揮をしていれば、戦局に応じて方針を変更し、城兵脱出よりも、敵の殲滅を優先させたことだろう。

 それほどの好機だったからだ。


 ともあれそこまで望むのは欲深すぎると自戒し、わたしは貞宗と共に、とにもかくにも敵地からの脱出に専念した。


 雑兵など相手にもならないが、しかしわたしも無理をしてかなり疲れてきていたし、何より中には手強い者もいる。


 特に景勝の本陣には、かなりの手練れがいた。

 一対一では負けるとも思わなかったけど、しかしわたしの金砕棒の一撃を受け止めた奴がいたのである。


 常人が相手ならば、受け止めた手や腕ごとぐしゃぐしゃに叩き潰す自信のあった一撃を、である。


 つまり、相手もまともな者ではない。

 かなりの神通力の使い手か、もしくは妖の類か。


 我ながら常軌を逸していると思う自身の怪力に抗ったとなると、ひとの姿をした妖と考えた方が自然かもしれない。


 あれこれ考えながらも馬を急がせていたわたしは、思った以上に早く、味方と合流を果たせた。


 これは政宗率いる後詰の主力だった。

 配置上、ここにいるはずのない奴が、何でここにいる、である。


 政宗がわたしの命令を無視して前線に出張ってきた理由は、いの一番に秀康の増援の情報を掴んでいたからに他ならない。


 もともと政宗には、秀忠の軍勢と合流次第、速やかに撤退するように命じてあった。


 しかし政宗はこの好機を逃さぬため、秀忠の護衛は黒田長政隊にそのまま任せ、自身は手勢を率いて前線に赴いたのである。


 ……こういう判断を、わたしが朝倉家にいた頃の将兵は、あまりできなかった。

 わたしの命には絶対的に従う一方で、融通の利かない面もあったのだ。


 それにより、わたしの目論見が外れた場合などは、敗北に繋がったこともある。

 どちらがいいかはその時次第であるが、今回はいい方に出た、といったところだろう。


 これは敵に痛撃を与えられたということ以上に、前線にあって壊滅寸前であった後藤基次隊や毛利勝永隊を救うことになったからである。


 景成なども基次を守ってかなり手傷を負ったようで、なかなかの有様になっていた。

 兼相だけは、無傷で暴れまわっていたのは解せないけど。


 ……景成め、死にかけるなど修練が足りないと見える。

 あとで折檻して鍛え直してやろう。うん。


 などと鬼なことを考えていたわたしであったが、政宗のおかげで風向きが完全に変わったことを知ると、即座に方針転換し、反撃に出た。


 これにより、河越城に張り付いていた連中も含めて撃退に成功したのである。

 河越城は落城を免れたのだ。


 秀康がこんなに早く到着すると分かっていれば、秀忠にはもう少し粘ってもらって、最後まで城を守り抜いたとその武勇を喧伝させることで、その面目を保てたであろうに、脱出したあとでこれではつくづく運の無い男である。


 まあ強制的に脱出させたのはわたしなんだけど。


 なので、世間的には内外から打って出て敵を打ち払った、ということで吹聴しておこう。

 これも親孝行、というやつだ。


 このようにして敵を追い払ったわたしは、ひとまずは秀康と会い、今後の方針を練った。


 大きくは二つ。


 危機の継続している江戸に速やかに援軍を送り、敵を撃退せしめる。

 もしくはこのまま景勝を追い、追撃戦を行う。


 どちからである。


 本来の方針にのっとるならば、江戸城に向かうのが正しい。


 江戸城には敵がおり、また秀頼や秀景らが身動きを取れないでいる。

 これを救うことにこそ、意義がある。


 それに加え、秀忠がすでに江戸城に向かってしまっている。

 これに追いつかないと、万が一敵に待ち構えられた場合、やられてしまう可能性が高い。


 秀忠には立花宗茂らがいるし、長政もつけてあるから遭遇戦にでもならない限り、不用意な戦端は開かないとは思うが、かといって放っておく気にもなれなかった。


 一方で、敵はこのまま江戸に居続けるだろうか、とも考えた。

 河越城での友軍の敗北は、すぐにも伝わるだろう。


 となれば、江戸に居座ることの不利をすぐにも悟るはず。

 当然、早々に撤収にかかるだろう。


 だとすれば、江戸に急行してもすでに敵はいない、という可能性も高いことになる。


 それでも江戸から敵を追い払うという、初期の目的は達せられるから、それはそれでいいのかもしれないが、せっかくの好機なのだ。


 それに江戸にいる敵には興味もあった。

 連戦し、連勝する戦上手。


 そんな奴があそこにはいる。

 そいつと一度、戦って確かめたいという気持ちは確かにあったのだ。


 ならばどうするか。


 当然一戦交えるのみ、である。


 江戸にいる敵はおよそ二万だと分かっている。

 ならばとわたしは秀康に強硬に主張し、自身の手勢と秀康から借りた一万ほどの手勢を含め、およそ二万の兵力でもって、景勝の追撃を買って出たのだ。


 北陸勢は強行軍をしたため、また一戦交えた後のため、かなり疲労が蓄積されている。

 そのため秀康などは反対したが、結局わたしに圧される形で承諾せざるを得なかった。


 もちろん、わたしの主張だけでは如何ともし難かったため、秀忠の命であるとか何とか適当な嘘を織り交ぜて、口八丁の政宗あたりにうまく説得させたのである。


 あと、秀康に一緒になってくっついてきた忠直や利光らがわたしに味方したことも、わたしの主張が通った一因になったと言っていい。


 あの二人に会うのも久しぶりであるが、今でもちゃんとわたしのことを敬う気はあるらしい。


 ともあれそういうことで、わたしや政宗などは景勝の追撃戦を行うこととなり、秀康は残りの兵をまとめ、秀忠に追いついて合流することを旨とすることとなった。


 秀忠にしろ秀康にしろ、自分たちの父親である家康が籠っている江戸城救援に赴くことは、風聞的にも悪くないし、現実問題としても必要なことでもある。


 わたしの予想が外れる可能性もあるからな。


 だからこそ最低限、そちらの手当てもできたと考えたわたしは、軍勢を北東に進めたのだった。

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