第11話 朝倉家滅亡
◇
「――嫌よ!」
その日のうちに、雪葉は先行して北ノ庄へと入っていた。
朝倉方の敗戦を知り、居ても立っても居られなくなった乙葉が北ノ庄城へと向かったことを知って、これを説得するためである。
「このままじゃ姉様の朝倉家が滅んじゃうのよ? そんなの、駄目、認められない!」
雪葉の乙葉への説得は、意外なほど難航した。
いや、意外ではなかったかもしれない。
乙葉はもともと情が深く、義理堅い。
それに色葉のみを敬愛していた雪葉と違い、色葉が有していた全てのものに愛着を持っているのだ。
ならば、この状況下で乙葉が首を縦に振る道理など無かったのである。
「ですが乙葉様。越前に留まっていては、わたくしたちの身も危うくなります。姫様のご復活のためには、いったんどこか別の地にて雌伏する必要があるでしょう。そのためにはあなたの力が不可欠です」
雪葉の言いたいことは、乙葉にも分かる。
乙葉にしても雪葉にしても、すでに対外的に有名であり、しかも義理とはいえ色葉の妹という立ち位置だ。
朝倉家を滅ぼそうと侵攻している秀吉が、容易にその存在を認めるとは考え難い。
もちろん雑兵など敵ではないが、反抗して討伐の対象とでもなれば、やはり今後の行動に支障をきたすだろう。
仮に害そうとすることがなかったとしても、自由を許すとは思えない。
とにかく今はこの地を離れ、色葉を蘇らせることを第一に考える。
その後のことは、その後のこと。
雪葉の言は、もっとも合理的であった。
が、感情的には受け入れられないものもあったのである。
「――小太郎は、どうするの? それに姉様の小姓たちは? みんな、見捨てちゃうって言うんでしょ?」
容認できない最たるものが、小太郎の件である。
雪葉は小太郎を置いていくつもりだ。
足手まといであるし、何より秀吉がその逃亡を許さないだろう。
朝倉小太郎は、今や唯一となった朝倉家の正統な後継者である。
この乱世において、敵国の嫡男の存在などまず認められるものではなく、処刑されるのが常だ。
例えば近江の浅井家が織田家によって滅ぼされた際、浅井家当主であった浅井長政の嫡男・万福丸は秀吉によって処刑されている。
また朝倉義景が滅んだ際も、その嫡子であった朝倉愛王丸は織田方に捕らえられ、丹羽長秀によって殺害されたという。
当然、小太郎にも同じ運命が待ち受けていることは明白だった。
「小太郎様をお連れすれば、のちの災いとなり得ます。わたくしは姫様のためならば、例え後で姫様に罰せられようとも構いません。ですがその後に乙葉様、あなたがいなくては困るのです」
「――――」
それは雪葉なりに、死を覚悟した発言であった。
もし首尾よく色葉が復活すれば、その子を見捨てた雪葉は色葉の勘気を受けて、最悪処刑されるかもしれない。
それすら覚悟している雪葉だったが、乙葉にしてみればそのことすら認めがたいものがあったのだ。
「馬鹿! 姉様がそんなこと、するわけないじゃない! でも、姉様にそんな思いをさせるのも嫌! 雪葉の馬鹿!」
癇癪を起す乙葉であったが、雪葉とて決意はすでに揺るぎないものになっている。
色葉のためならば、自身を含め、何を犠牲にしても構わないと考えているのだから。
「……いい。妾は、残る」
「乙葉様」
「決めたの! 妾は最後まで残る! 小太郎も妾が育てる! 姉様のものは全部、妾が守るんだからっ!」
「……それは、無理ですよ」
「うるさい!」
険悪な雰囲気は、しかし長くは続かなかった。
やがて乙葉は多少落ち着いたように、逆立てていた毛並みを落ち着かせる。
「……雪葉は朱葉を連れて早く行って。そして姉様をお願い。妾は、ここで頑張るから」
「…………本当に、それでよろしいのですね?」
「うん。妾がここに残れば、万が一小太郎に何かあっても姉様に言い訳できるでしょ? 雪葉が罰せられることは無いよ」
そこで、雪葉は長い溜息を吐き出していた。
雪葉にしてみれば珍しいことである。
「……乙葉様は本当に、素敵な方ですね。姫様が気に入るわけです。わたくしなどは、こうも冷たい女だというのに……」
自虐する雪葉へと、乙葉は近づいてそっと抱きしめた。
「……妾はね、楽しかったの。姉様が用意してくれた、全てのことが、楽しくて仕方がなかった。ずっと一人だったから、かな……。妾も雪葉みたいに姉様だけのことを考えられれば良かったのだけど、できなかった。妾、むかしからとっても我が儘だから」
「……知っています」
「なによ、そこは否定するところでしょ?」
「……すみません」
しゅん、となって謝る雪葉に、乙葉は笑顔を向ける。
「絶対に、姉様のことをお願いね? この役は譲りたくなかったけど、妾じゃ無理そうだから……雪葉、お願い」
そっと、乙葉が離れる。
「さあ早く行って。もうすぐ敵が来ちゃう」
「……乙葉……乙葉姉様。あなたはわたくしには勿体ない姉です」
「ふふ、やっと自分が妹だっていう自覚を持ったの? いいわ。次会う時は、もっと甘えなさいよ?」
「……はい」
そうして二人は別れた。
色葉の死は、乙葉と雪葉をも分かつことになったのである。
雪葉は一条谷より色葉の小姓や小太郎が移動してきたのを見届けると、北ノ庄城を退去した。
同行者は朱葉と貞宗、そして徳川家臣の大久保忠隣。
どうやら忠隣の伝手を頼って、東に逃れることにしたらしい。
乙葉は小太郎を抱きかかえつつ、敗戦の将となった柴田勝家の帰還を待ったのである。
◇
四月二十二日の夜。
北ノ庄へと帰還した勝家は、それを待っていた乙葉を目の当たりにして驚いたという。
「何をしているか。すぐにも城から出られよ。秀吉の軍勢はすでに府中にまで迫っておるのだぞ」
「それはこっちの台詞」
胸を張って、乙葉は勝家を見返した。
「勝家こそ、朝倉家の者じゃないでしょ? 早く出ていって」
「――そうはいかぬ。敗戦の責は、いまやわしの責。景実殿も戻らぬとなった今、覚悟はすでに定まっておる」
「最後まで秀吉と戦うの?」
「無論」
「なら、勝家を朝倉家の一員にしてあげる」
一方的に告げると、乙葉は有無を言わせずに勝家の強面に口づけをした。
「乙葉、殿……?」
「あのサルってば、嫌になるくらい無粋。本当ならちゃんとした契りを結びたかったけれど、そんな時もないようだから、これで許して」
やや名残惜しそうに勝家から離れた乙葉は、平然とそんなことを言ったものである。
勝家などはしばし呆気にとられていたが、すぐにも呵々大笑したのだった。
「もう少し早く、そなたとは会いたかったものだ」
「……妾もね」
◇
翌二十三日。
急進してきた羽柴勢により、北ノ庄城は包囲された。
だがここで、乙葉にとって思わぬ事態となる。
「すでに羽柴秀吉とは話がついておる」
乙葉にそう切り出したのは、朝倉景鏡であった。
「ど、どういうこと……?」
「そなたと小太郎の助命嘆願。勝家殿は単身にて羽柴の陣営に乗り込み、秀吉本人と話をつけたとのことだ。今よりしばし包囲が解かれるゆえ、主だった者は丸岡城へと退去する。その上で開城し、改めて降伏となるだろう」
今回の交渉を持ち掛けたのは、実は秀吉の方である。
北ノ庄城の開城と景鏡、小太郎の死と引き換えに、それ以外の城兵の命を助けるとの降伏勧告があったのだ。
それに対し、勝家には思うところがあったようで景鏡に相談の上、たった一人で敵陣へと乗り込んだのだった。
「ま、待って……勝家はどうしたの……?」
そこで景鏡はしばし押し黙ったが、やがて真実を告げた。
「柴田殿は自らの死をもって、秀吉にこの条件を呑ませたそうだ。陣中にて切腹し、それは見事な最期であったと聞いておる」
「――――う、そ」
乙葉は愕然となる。
覚悟はしていたが、あれが最期になるとは思ってもいなかった。
最後まで一緒に戦うつもりだったのに。
「う……あ、うぁ……」
嗚咽を漏らす乙葉に、景鏡は慰める言葉も、時間も持ち得なかった。
「小太郎のことはよろしく頼む。秀吉はそなたに好意を寄せているようであるから、悪くは扱わんだろう」
「…………? 景鏡は、どうするの……?」
「わしは残る」
決然と、景鏡は告げた。
「家中には徹底抗戦を訴える者も少なくない。どうにもかつての朝倉家と違っているようでな……。これも色葉に毒された結果か」
景鏡にとって、朝倉家の滅亡の場に居合わせるのはこれで二度目となる。
当時は家臣の多くが次々に離反し、一乗谷へと主君である朝倉義景のために駆け付けた者はほとんどいなかった。
そんな僅かな者の中の一人が景鏡であったが、この時すでに景鏡は信長と通じており、のちに義景の自刃に追い込むことになる。
だが今回はかなり状況が異なっていた。
降伏を望む者であっても、朝倉家の再興を主眼に置いていたからである。
雑兵ならばともかく、主要な家臣の中に率先して窮地の主家を見限る者は、まずいなかったと言っていいだろう。
「そなたたちが城を退去した後、我らは羽柴勢と一戦交える覚悟。なに、これくらいはしておかねば、色葉に呆れられるであろうからな」
「わ、妾も――」
「たわけたことを言うでない。我らは小太郎をそなたに任せたのだ。それに降伏する家臣たちの今後も、恐らくそなたにかかっている。……このような難題を押し付けて、まことにすまぬとは思うが、引き受けて欲しい」
真摯に頭を下げられて、乙葉はもはや断ることはできなかったのである。
「では、ゆくのだ」
こうして乙葉は小太郎やその他の家臣を引き連れ、ひとまずは丸岡城へと退去した。
翌日になり、徹底抗戦の構えをとった景鏡ら朝倉方に対し、秀吉は攻撃を命令。
激しい籠城戦が展開された。
北ノ庄城は決して堅固とはいえないが、鉄砲による防衛が為せるよう、最善の設計が色葉によってなされている。
また城内には十分な量の鉄砲の備えがあり、弾薬も十分であった。
そのため攻め方は苦戦し、結局城に火を放たざるを得ず、これを焼き落とすより手段が無かったのである。
朝倉方は寡兵であったため、城内への敵の侵入をすでに許しており、火の元を断つことは叶わず、徐々に天守へと追い詰められていく。
ついには最上階に追い詰められた景鏡は、敵兵に囲まれる中で腹を十文字に掻っ捌いて切腹を果たし、ほどなく城内の火薬庫に延焼が及んで火災は勢いを増し、ついにはその全てが灰燼に帰したのであった。
天正十二年四月二十四日。
再び朝倉家は滅亡したのである。
◇
翌二十五日。
丸岡城に逃れていた朝倉家の残党は、軍勢を進めた秀吉の勧告に応じ、開城した。
小太郎と共に秀吉に膝を屈した乙葉は、自ら出迎えた秀吉に対し、その時はただ首を垂れるのみで何も語らなかったという。






