改16話「ずっとここにいていいんだよ」
・いつ 818年5月7日夕方
・どこで
ルーデンドルフ帝国、お城、3階、アルドリックの部屋
・誰が
リアーナ、アルドリック、カイル
長い話になるので、アルドリック様がお茶とお菓子を用意してくれた。
テーブルの上にはセンスの良いティーセットが並べられている。
ハーブティーから優しい香りが立ち上り、お菓子から甘い香りがした。
アルドリック様は私と同じ長椅子に腰掛けている。
他にも椅子はたくさんあるのに、なぜ彼は私の隣に座っているのかしら?
手が触れてしまいそうな程に距離を詰められ、先ほどアルドリック様に抱きしめられたときの事を思い出し、心臓がドキドキと音を立てる。
アルドリック様の距離感は幼い頃のままだ。
幼馴染とはいえ、二人とももう大人なのだから、もう少し適切な距離を保ってほしい。
でも、彼が傍にいても不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
むしろ落ち着くというか、安心するというか……。
「そうか、そんなことがあったのか……」
私がハルシュタイン王国で起きた事を説明し終えると、彼は厳しい顔つきになった。
「許せないな!
リアーナは、十年間国全土を覆う結界を張り続け、国防と国の発展に大きく貢献してきた!
リアーナは敬意を持って接し、大切に扱わなければならない存在だ!」
アルドリック様は眉根を寄せ、声を荒らげた。
「そのリアーナに、罵詈雑言を吐き、蔑み、ないがしろにし、挙句の果てには婚約を破棄し、国外追放にするなんて……!!」
アルドリック様は拳を握りしめ、歯ぎしりしていた。
「殿下、リアーナ様が怖がってますよ。
少し落ち着いてください」
彼の傍に控えていた青い髪の青年に言われ、アルドリック様は深く息を吐いた。
「怖がらせてごめんね。
深呼吸したら少し落ち着いた」
「いえ、私は気にしていませんから」 アルドリック様が、私の為に怒ってくれたことが嬉しい。
「それで、リアーナはこれからどうするつもりなの?」
私には住む家も、帰る場所もない。
「働きます。
私は回復魔法が使えますから、どこか雇ってくれるところがあるはずです」
船の中で人々を治療したとき、皆からとても感謝された。
治療師になるのが天職な気がする。
「それなら城で働くといいよ。
王宮魔導士団でヒーラーを募集していた。
僕が紹介状を書いて上げる」
「そんな、アルドリック様にご迷惑をおかけするわけには……!」
私はアルドリック様からの手紙を読んで、彼に会いたいと思った。
その目的も果たせた。
私と彼は身分が違う。
もう気軽には会えない。
それでも彼と同じ国に住めれば、十分。
アルドリック様に会えない……そう思うと、胸の奥がチクンと痛んだ。
この感情はいったい……?
「水臭いことを言わないで!
僕達は幼いときからの友達だろ?
どんどん頼ってくれ!」
アルドリック様が私の手を取る。
「リアーナが望むなら……永遠にここにいて構わない……!」
彼の黒水晶の瞳が私をとらえて離さない……。
「お友達……」
「君のお母様が逝去されて十年。
君が辛い思いをしている間、僕は何もしてあげられなかった。
本当は、傍にいて支えたかったのに……!」
アルドリック様の瞳に悲しみの色が宿る。
「どんなに悔やんでも過去は変えられない。
だけど未来は変えられる。
僕は君の傍にいたい!
君の力になりたい!
これからは僕に何でも相談してほしい!」
彼の表情は真剣そのもので、彼の熱意が伝わってきた。
私が最高聖女だったとき、こんな優しい言葉をかけてくれる人はいなかった。
国王陛下がたまに絵を褒めてくれたけど、基本的に私は一人だった。
陛下は、私が他者と関わるのを嫌がった。
そのせいか、私はますます孤立した。
他の聖女と交流しなかったから、聖女の仕事に貧しい人の話しを聞くことや、教会で炊き出しすることが含まれていることを知らなかった。
もう、そんな思いをするのは嫌。
私はもっと、人と関わっていきたい。
王宮魔導士のヒーラーになれば、病院や教会に所属したり、個人で治療院を開くより、多くの人を助けられるはず。
「アルドリック様のご厚意に甘えてもよろしいでしょうか?」
「うん、どんどん甘えて!
僕にいっぱい頼って!」
アルドリック様はあどけなさの残る顔でにっこりと微笑んだ。
「リアーナ、君が城で働いてくれて嬉しいよ」
アルドリック様のお顔が近づいてくる……。
眉毛が整っていて、まつ毛が長く、瞳がきらきらと輝いていて、鼻筋が通っていて……間近で見るアルドリック様は、本当に美しい。
お互いの鼻が触れそうになったとき……。
「あーー……ゴホン! ゴホン!
お二人とも、幼馴染にしては距離が近すぎます!
特にアルドリック様、リアーナ様に接するときは節度を保ってください!」
青髪の青年が咳払いをし、私はアルドリック様から距離を取った。
アルドリック様のお顔が整っているからと、人様の目の前で観察していたなんて、はしたないわ!
アルドリック様も私も、幼い頃の距離感が抜けてないみたい。
「カイル、いいところだったのに……」
アルドリック様が頬をふくらませる。
青い髪に水色の瞳の薄紫の軍服を着た青年は、カイル様という名前のようです。
「自己紹介が遅れました。
カイル・オーベルトと申します。
伯爵家の次男で、十三歳の時から従者をしております」
カイル様が丁寧に頭を下げた。
「リアーナと申します」
私は立ち上がり、自己紹介をしました。
と言っても、カイル様はこの部屋で私とアルドリック様の話を聞いていたので、今さらな気がするのですが。
「カイル、僕はリアーナと二人きりで話がしたい。
もう下がっていいぞ」
アルドリック様が私の肩に手を置いた。
キュンと胸が鳴るのを感じた。
「セクハラですよ、アルドリック様。
今すぐ手を離してください」
カイル様にジト目で睨まれ、アルドリック様は名残りおしそうに、私から手を離した。
「アルドリック様はわんこ系に見えて、意中の女性にはぐいぐいいくタイプだったのですね」
わんこ系とは?
「そのような方と、リアーナ様を二人きりにするわけには参りません。
リアーナ様は殿下の幼馴染であると同時に、貴重な最上級回復魔法の使い手。
国の宝なのですから」
国の宝など、そんな大げさな。
「皇太子殿下、長年片想いしていた相手が、城を尋ねてきて嬉しいのは分かります。
女性に手を触れる前に、告白とか、お付き合いとか、婚約とか、結婚とか、やることはたくさんあります。
手順をすっ飛ばして暴走しないでください」
カイル様はアルドリック様を「皇太子殿下」と呼んだ。
アルドリック様は第四皇子だったはず……。
いつの間に皇太子になったのでしょう?
「なっ、カイル何を言い出すんだ!
リアーナ、違うのだ!
いや違くはないのだが……!
僕がリアーナに長年片思いをしていたというのは、その……」
「おめでとうございます」
「はっ?」
「アルドリック様、立太子されたのですね。
遅くなりましたが、お祝いを申し上げます」
幼馴染が立太子したことすら知らなかったなんて……。
王宮で引きこもり生活を送っていた弊害ですね。
第四皇子様と平民……それだけでも身分の差があるのに。
実際は、皇太子と平民だったなんて。
アルドリック様が、ますます遠い存在になってしまいました。
馴れ馴れしい態度は慎まなくては!
まずは呼び方から変えないと。
「アルドリック様」ではなく、「殿下」と呼ばなくては。
なんだが……心の中に隙間風が吹くような寂しさを感じます。
「えっ……と、気になるところはそこなのか?
僕が片思いをしていたところじゃなくて……?」
「はいっ?」
「……全然意識されてない?
今までのも幼い頃のじゃれ合いの延長だと思われてる……?」
アルドリック様は、青ざめた顔で何かを呟いていた。
「リアーナ様の前では皇太子殿下もたじたじですね。
リアーナ様は手強いですよ。
殿下どうなさいますか?」
カイル様がクスクスと笑っている。
私、何かおかしなことを言ってしまったでしょうか?
「これからはアルドリック様ではなく、私も皇太子殿下とお呼びしますね」
独り言を終えたアルドリック様に、そう告げた。
彼は先程より青ざめた顔をした。
青というより、もはや紫色に近い。
回復魔法をかけた方がいいかしら?
「駄目だ!
今まで通り名前で呼んでほしい!」
「ですが、身分が……」
「身分なんて関係ない!
俺はリアーナの前では、幼馴染のアルドリックでいたい!」
なかなかの無茶振りをしてきます。
「駄目……かな?」
捨てられた仔犬のような目で見つめられ、胸がキューーンと音を立てる。
カイル様の言っていた「わんこ系」とは、わんこのようにつぶらな瞳をした人の事を指すのでしょうか?
その瞳にはあがらえません!
「どうしてもと言うのなら……」
「ありがとう!
リアーナ!!」
アルドリック様はパッと瞳を輝かせ、私を抱き寄せた。
「ゴホン! ゴホン!!
距離が近いです!
先程も申し上げましたが、皇太子殿下、それはセクハラですよ!」
アルドリック様は感極まるとハグする癖があるようです。