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社会の歯車としての『私』

作者: 鎌勇

 私は、日夜せっせこ働いている。時には、上司からの注意やご指摘がある。

 そのような環境下で私は一生懸命に働いている。そりゃー・・・怒られたり、こちら側に一切の落ち度がないと思うような際にも注意されるのは正直嫌だし、気持ち(モチベーション)が低下するものなのだが。

 それでも、私には働き続けるという選択肢しかないのも事実。

 今や多くの人々が就職や自身の輝かしい夢を掴み取るために通う大学だが、私は家庭のとある事情によって通うことすらままならなかったため最終学歴は高校。そう、高卒なのだ。

 高卒だからなんだ、という人もいるのだろう。高卒だからお前は無能に等しい、と決めつけてくる人もいるのだろう。この、()()という単語(ワード)に対しては人によって多種多様な考え方が存在しているのだろうが私一人の力では、否定的な(そういった)考え方を変えることは不可能である。

 ましてや、

「私は高卒ですけど何か?馬鹿になんてしないでくださいね!」

 などといったようなことは言おうとして簡単に言えるものではない。それどころか、余計に阿保(アホ)っぽくみられてしまうように感じる。

 この・・・意気地なし、と私に対して思う人だっているとは思うのだが――

・・・・・・それはさておき、私はもうすぐで社会人になって早六年経過する。社会とは理不尽であるのにどこか温かみがあるものだということが判ってきた。

 そこで、社会には理不尽と温かみがあるとは一体どういったことなのかについて説明していきたい。

 ――私は、幼い頃からよく季節性の流行病(はやりやまい)等に罹患しやすかった。それは、社会に出て働くようになってからも昔と比較してさほど変わっていなかった。そのような状態になってしまうと、正直なところ会社なんて休んでしまいたくなる・・・だが、小心者の私にとっては会社を欠勤する、なんていう行為は恐れ多くとてもできたものではないのだ。

 だから、風邪をこじらせたとしても立って歩けるような状態なら職場に向かい判然(はっきり)としない意識のなかでデスク作業に追われる。

 そういった時には、だいたい上司から、お前は作業効率が悪い――だからもっときびきびと行動してくれよ、とクレームという名の贈り物(ギフト)を受け取ることになる。

 そのような状況に出くわした際、私は毎度次のようなことを思ってしまう。

(あーぁ、(こっち)は身体がだるいというのに働きに来てるんですよ?もう少し別の言い方とかないんですかね?たしかに、私の作業速度(スピード)は遅いな~って自覚してますけど。けど常日頃最低限の提出締め切りには間に合わせてますよね?この、生ゴミ(くそ)上司さん・・・)

 といったようなことである。本当は、そんなことを考えついてしまったというだけで社会人、いやヒトとして生きていく上で失格なのかもしれない・・・それに、口に出すなんてことは絶対にできっこない。というか、口に出して言ってしまった時点でもれなく私の細々しい首が根元から斬られることになるだろう。仮に、仕事をクビにならなかったとしてもそのようなことを言ってしまえば、その場には本来生まれるはずのなかった無駄な論争あるいは軋轢が誕生してしまうように思える。

 私は、社会人になってからの年月は約六年ではあるが、それほど長いようにも感じられない。私に対して口うるさくしている上司の方が社会人としての経験(キャリア)は長いのだ。そんなことはいくら私だって重々承知のすけである。

 でも――でもなんだというのだ、結果として上司から私にとって嫌だと感じることを言われたとしてもこれだけは言わずにはいられない・・・

あなた(上司)にとって仕事が辛いのか楽しいのかは私にはわからない。だって、そういったことについて一度たりとも聞かされたことがないのだから。そもそも、私も貴方には興味がない。役職上は、上司は私のことを注意するのも仕事のうちなのだろうけれども、せめて言い方には気をつけるというか、口に出して言う前には一度脳内にて考えてから、そうだな・・・やんわりとした口調で伝えてほしい」

 ――このことは、ただの私の我が儘なのかもしれない。それに、上司が部下のことを注意すること自体がいけないと言いたいのではない。私だって、そこに愛情なり何らかの考えや思いがあると言動を受け取る側が理解できるのであれば、積極的に注意等をしてほしいとも思う。

(いや、それはないな・・・)

 ただ、無暗矢鱈(むやみやたら)に私ばかりを――私だけではないのかもしれないが、その、高圧的な態度で迫られるのは何だか違うと思う。

 私だから、まだこのような職場で勤務することができているが、(なみ)もしくはミジンコのような精神(メンタル)の人ならすぐに辞めてしまったり、いつの間にか音信不通の状態になってしまうように感じる。そうでなくとも鬱状態の一歩手前くらいまで陥る人だっているのだろうし、日々自分が自分でなくなっていってしまうというような恐怖心だか未知の感覚を体験することになったりもするのだろう。

(いや、そもそもミジンコみたいなメンタルってなんだし。言ってる自分でも意味不明だ・・・)

 というか、まだ温かみという単語の意味について説明していなかった。失敬しっけい・・・――

 ともかく、社会とは辛く過酷な環境であるように感じることの方が多いわけなのだが、私は温かみのある贈り物(プレゼント)をもらうこともある。

 例えば、そうだな~・・・私のことをよく知る友人から応援のメッセージをもらったり、私が対応したお客様から感謝の言葉をかけてもらったこともあるし、いつも向かい側のデスクにて仕事をそつなくこなしていく同期から労をねぎらうために飲食店にてごちそうしてもらう等である。

 こういったことをしてもらえるのは、単に私が恵まれた環境で過ごせているだけなのかもしれないが、そのようなことを行動で示してもらえるというのは、心が芯からぽわぽわ・・・徐々に温まってくるように思える。必ずしも、私のなすこと全てに対して素敵な手紙もといメッセージや言葉が降り注いでくるわけではないのだが、自身に対して少しでも興味関心を持ってもらえていると実感できるのは嬉しいし、今日が辛くとも明日にはきっといいことが――という気持ちで今日を乗り越えることができるのだ。

 そして、このような理不尽や温かみといった思いをしている人は何も私だけに限った話しではないと思うのだ。だから、慰め程度にしかならないにしろ、私を含めた全人類に次の言葉を送りたい――――

――――

『長い人生においてこれまで積み重ねてきた努力という名のなにものにも代えがたい結晶は決して不必要なものではなく、貴方にとって必要不可欠なものであったのだ』

・・・・・・とね。

 

 現在(いま)まで続けてきた努力が、たとえ塵よりもはるかに小さいようなマクロで他人(ひと)の目には映らないものであったにしても、日々の積み重ねや悩みに悩んで選択してきた自身の行動がいつしか自分に良くも悪くも還元されるように感じる。

 だって、私も何度かこれまでの人生でそのような経験をしてきたのだから・・・。

 ある物事に対して手を抜いてやれば、それは凶となりて自分のもとへと戻ってくるし、一生懸命最善(ベスト)を尽くすために努力をすれば吉であれ小吉であれいつの日か戻ってくるのである。


・・・この世の中は理不尽なことばかりだ。なぜ、どうして、そのような結果になってしまったのか判らないことが多々ある。

 けれども、辛く酷いことばかり起きるのだけが人生ではない。

≪塵も積もればなんとやら≫といった(ことわざ)もあるが、努力とは日々の生活とは苦難の連続であり自分がやってきたぶん、頑張ったぶんだけいつの日か、今日明日といったようにすぐではないのかもしれないがかえってくると思っている。

 だから、私は今日という素晴らしくも憎らしくもある一日を乗り切って、また明日からの新しい生活を頑張ろうと思うのだ・・・・・・。

 ここまで、お読みいただき有り難うございました。まだまだ拙い文章構成ではあると思いますが、とにかく有り難うございました。この小説の一節ではないですけれども、できるだけ毎日を充実した実り多きものにできるように頑張っていけたら、と感じます。(また明日頑張ろう♪)と思えるような一日を送れるようにしていきたいですね・・・・・・

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