7 アッシュの悩み
『爆炎領域』の焔が地下迷宮を空間ごと蹂躙する――紅蓮の炎を纏う羊の角を生やした巨大な人型は、最上位魔法を放った直後に、三本の炎の鞭を自在に操って襲い掛って来た。
悪魔の貴族と呼ばれる深淵からの侵略者は推定レベル二百――ここまで来ると並みの『深淵殺し』では手に負える相手じゃないが……
「おい……舐めた事をしてくれるじゃないか? だけどな……こんなもの、俺に効かないんだよ!」
純粋な魔力の結界――『防壁』で魔法を完全に防いだ俺は、二本の漆黒の長剣『冥王』と『夜叉王』で炎の鞭を切り裂く。
「アッシュ! 援護……なんて要らないか?」
背中から聞こえる女の声――だけど、いつでも援護できるように彼女が破魔銃の狙いを定めていると俺は確信していた。
炎の鞭を一瞬で再生させた悪魔の貴族が、再び鞭を振り被るが――
「……もう遅いんだよ!」
奴の懐に飛び込んで二本の剣を同時に振るうと、俺は巨大な腹を真っ二つに切り裂いた。
常人ならば狂い死にするレベルの断末魔の叫びを上げながら、凶悪な深淵からの侵略者は消滅していく。
二百レベル級の深淵からの侵略者を、たった二人で、しかも無傷で倒したのだから、会心の勝利と言えるが……俺は全然嬉しくなかった。
何故ならば――
実技試験の二日後、俺は魔法学院を後にして仕事に向かった。
高速飛翔船で俺たちが向かった先は――大陸東部のイストリア王国に出現した新たな地下迷宮だ。
失われた魔法の産物である地下迷宮の正体は、未だに解明されていないが。深淵の悪魔などの深淵からの侵略者は、必ず地下迷宮に出現する。
地下迷宮そのものが深淵に繋がる門なのか、地下迷宮の何かが深淵からの侵略者を引き寄せるのかは解らないが――俺たち『深淵殺し』の存在意義は、侵略者を殺す事だけだから。理由なんて、どうでも良かった。
そんな事よりも、今の俺を悩ませているのは――
「ねえ、アッシュ。なんか……いつもと雰囲気が違うね?」
悪魔の貴族を殲滅した後。今回の仕事で俺とコンビを組んだキサラ=ウォルターが不思議そうな顔で言う。
亜麻色のポニーテルで、左右の瞳の色が違う如何にも仕事が出来そうな美女――キサラは俺の従姉で、四つ星『深淵殺し』だ。俺としては実力的なら五つ星に匹敵すると思っているが……それ以上に、俺は二歳年上のキサラに昔から頭が上がらなかった。
「何を言ってんだよ、キサラ? 俺は何も変わらないから……」
そう言いながら、俺には自覚があった――深淵からの侵略者を殺す事だけが、俺の存在意義の筈なのに。心の何処かで、あいつを守りたいと思っている……全部、あの女のせいだ。
「アッシュがそう言うなら、良いんだけどね……ここからは私の独り言だよ?」
そう前置きしてから、キサラは優しい笑みを浮かべる。。
「アッシュは真面目過ぎるんだよ。まだ十七歳なんだから、『深淵殺し』の存在意義とか、そういう事に囚われる前に……普通に悩んだり、迷ったりしても良いんじゃないのかな?」
俺の迷いを見透かした言葉――やっぱり、キサラには敵わない。
※ ※ ※ ※
出席日数をカウントしながら、俺はイストリア王国から帝立魔法学院へと最短ルートで戻った。
今回学院を休んだのは五日だが、進級できる出席日数を確保出来るか……そろそろ怪しくなってきたな。
だけど、仕事の方は待ってくれないから。もう進級を諦めてしまうか? それともソフィの『私の下僕になれば……それくらい大目に見てあげるわよ』なんて甘言に乗ってやるかと、考えながら学院の正門を潜ろうとすると――
「おはよう、アシュレイ君……五日ぶりだね!」
門の前に、ケイト=オードリーが立っていた――銀色サラサラの長い髪に、紫色の魅惑的な瞳。完璧美少女は、はにかむような笑みを浮かべる。
「おい、ケイト……また待ってたのか? 俺がいつ登校するかなんて、解らなかった筈だろ?」
試験の翌朝、ケイトは今日と同じように俺が登校して来るのを待っていた。そんなことをする必要はないからなと言ったし、次の日から俺が仕事に行く事も伝えた筈だが……
「うん……だから、毎日待ってた。でも、アシュレイ君は気にしないで。私が勝手にやった事だから……」
恨みがましさなど微塵もなく、幸せそうに笑うケイトに――可愛いと思ってしまっても、仕方がないだろう?
「ケイト、おまえなあ……馬鹿なのか? 頭の中お花畑なのか? いつ来るかも解らない相手を毎日待っているとか……俺には全く理解できないね!」
照れ臭さを誤魔化すように、俺は強い口調で言うが。
「もう……アシュレイ君は、口が悪いんだから! でも、私は解ってから……アシュレイ君は本当は優しいって」
上目遣いに俺を見つめて、ケイトは頬を染める。
「勝手に言ってろよ……ほら、ぼやぼやしてたら遅刻するからな」
だけど、俺はケイトの横を素通りして校門を潜った。
「あ、酷いよ! アシュレイ君、待って……」
慌てて追い掛けて来たケイトと二人で歩きながら――こいつに篭絡される訳にはいかないと改めて思う。
魔法学院を卒業しても、俺は公爵家を継ぐつもりはない。だから、これ以上ケイトとの仲を深める訳にはいかなかった。
『私と結婚を前提にお付き合いして貰えないかしら?』
幾ら何でも気が早過ぎるとは思うが、もし辺境伯令嬢であるケイトとそんな事になったら……大貴族である彼女の親に認めて貰うために、俺は公爵家を継がなければならなくなる。
いや、別にケイトと付き合いたいとか思っている訳じゃないが……俺だって健全な十七歳の男子なんだ。こんな完璧美少女といつも一緒にいたら、誘惑に負けて一線を越えてしまうかも知れないだろ?
ケイトを守りたい――この気持ちを誤魔化すことは、もはや出来そうにない。だけど、俺は守るだけで、それ以上を望む訳にはいかないんだ。
だから、ケイトには悪いが距離を置こうと俺は思っていたのだが――
「アシュレイ君……お弁当を作ってきたら、良かったら一緒に食べない?」
午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った直後、ケイト=オードリーは当然のように俺の教室にやって来た。