α1.2 円
「一眞〜、もう帰るのか?」
騒がしい講義室を出てすぐ、陽気な男に声をかけられた。
「今日はもう講義がないからな。」
「そっか、俺は6限があるからそれまでレポートやるわ。一眞も一緒にやるか?未穹も合流するぞ。」
陽気な男、牧瀬裕一はそう言った。
「今日はバイトもないし、せっかくなら一緒にやるか。未穹もいるならすぐ終わりそうだし。」
「了解!俺ちょっとコンビニ行ってから行くし、いつものとこで!」
裕一はそう言うと、すぐに去っていた。
いつものところ、それは大学の1番大きな建物である"本部棟"と呼ぼれる建物の1階、ワークスペースとか呼ばれている場所。
そこには大きなテーブルやイスがたくさん置かれており、この大学の学生はそこに集まって課題をこなしたり、だべったりしている。
その中でも、俺たちは決まって東側の角に置かれているテーブルに集まっていた。
「さてと、俺も飲み物くらいは買っていくか。」
一眞はそう呟くと、まだ騒がしさが残る講義室前を去った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
東側の角席、窓からは春の暖かい日差しが射し込んでいる。
「一眞も来たんだ。」
一眞より先に、その席にはひとりの女性が座っていた。
田端未穹、俺や裕一と同じ学年であり、同じ学部である女子大生。
講義をサボりがちな俺達とはうってかわり、成績優秀で教授からの評価も高い。
「嫌なんですか、未穹大先生。」
一眞はそう言うと、未穹の反対側の席に座った。
「大先生はやめてよ。あなた達より少し成績が良いだけで、すぐ持て囃すじゃん。」
「まぁ現に、俺達は未穹大先生がいなかったら落単してる科目も多数ございましたからねぇ。俺はともかく裕一は特に酷い。」
「そんなに難しい学部でもないし、講義もちゃんと出てれば単位はちゃんと取れるわよ。」
「それはあいつにもっと言ってやってくれ。」
一眞はそういうと未穹の後方からこっちに来ている裕一を軽く指さした。
「もう何度も言われてるよ……。」
裕一はコンビニで買ってきたであろうジュースを片手に言った。
「まぁお前の場合は頌子にも散々言われてるだろうしな。」
「今日は頌子来ないの?」
「バイトだとよ。優秀な塾講師は大変なんですと。」
裕一はそう言うとカバンからパソコンを取り出し、さっきの授業の課題レポートを書き始めた。
紫原頌子、俺達と同い年で裕一と同郷、その事もあり入学してすぐに仲良くなり、今はいわゆる"そういう"関係だ。
「頌子はさすがだね。あんなに忙しく働きながらずっと成績優秀だなんて、私には真似出来ないや。」
「あいつが異常なんだよ。真似しようとして真似できるもんじゃねぇよ。」
レポートを書き始めた裕一を尻目に、一眞はスマホをいじりながらそう言った。
「2人は今日はバイトないの?」
「ないよ。」
「今日は6限あるからない!」
「そっか、じゃあゆっくりレポートできるね。」
いつもと変わらぬ日常だ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
裕一が6限に出席するために席を離れると同時に今日はお開きになった。
「たまには2人でご飯いかない?」
本部棟から正門へと向かう途中、未穹はそう言った。
「そういえば長らく行ってないな。行くか。」
一眞はそう答えた。
「じゃあいつもの定食屋で!」
そんな普段通りのやりとりをしつつ帰途を辿った。
2人がちょうど正門を出てすぐの頃、一眞のスマホが鳴った。
「もしもし、はい、九条です。お疲れ様です。」
「はい、大丈夫です。分かりました。すぐ行きます。集合場所は携帯に送ってください。失礼します。」
そう言うと一眞はスマホを耳から下ろした。
「バイト?」
「うん。ごめん、急に呼び出されちゃって。ご飯はまた今度で。」
「分かった。バイト頑張ってね。」
未穹と別れると、一眞は家とは反対の方向に走った。
住宅街を曲がり、さらに走り、一眞は人気のない路地裏に走り込んだ。
息を少し落ち着かせ、右腕を少し持ち上げ、目の前の空間に円を描き始める。
手全体に僅かに光る紋章のようなものが浮き出ている。
そのまま円を描き終えると、その円の中に小さな"別世界"のようなものが開かれた。
僅かに曇っていた空から、雨が降り出した。
「嫌なタイミングで降り出したな。」
そう呟くと、一眞の身体は円の中に吸い込まれていった。