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第一章 Ⅰ 逃避行

 コツコツと足音を響かせながら、男が廊下を急ぎ足で歩いていた。

 廊下には美しい装飾が施され、天井のシャンデリアは日の光を反射し、輝いている。

 ここはフィニクス王国の王都、フィーニクスにある王宮。現国王、ゼノバン一世の居城である。

 五百年前に初代国王のドルガン・フィニクスによって建設されたこの建物は、長い年月を経た今でもラーヴァネスト大陸でもっとも美しいともいわれる建造物だ。

 急ぎ足の男もまた、豪奢な衣服に身を包んでいた。特に黄金の鳥の刺繍が施されたマントは、見るものを圧倒するだろう。

 彼はもうすぐ六十になろうとしているが、その足取りは力強い。深い皺が刻まれた顔も、まだまだ覇気が衰えていない事の証のように雄々しく見える。


 廊下をまがった先に、衛兵が立っていた。男に気づいた兵士は、居住まいを正して見事な敬礼を見せた。


「おはようございます、アーチボルド・ディロン大将!」

「ああ、おはよう。陛下はもう起きていらっしゃるか?」

「はっ。先程朝食を終えられたところです」

「急ぎの要件だ。至急取り次いでもらいたい」


 しばしお待ちを、と衛兵は部屋の中に入っていった。

 ここは、ゼノバン一世の私室である。アーチボルドほどの階級でもなければ、生涯近寄ることのない場所だ。

 待つこと数分。入室を許されたアーチボルドは、やや緊張した面持ちで部屋へ足を踏み入れた。


「……おはようございます、陛下。朝早くに申し訳ございませぬ」


 アーチボルドの視線の先には、見事なプラチナブルーの髪を肩まで伸ばし、機能的ながらも美しい部屋着に身を包んだ男がいた。

 国王、ゼノバン一世である。

 朝食をとったばかりだということだが、すでに執務机に向かって書類仕事に集中していた。

 ゼノバンはアーチボルドの方を見ていなかった。挨拶も返そうとしない。

 だが、国王の性格をよく知る彼は、足を一歩踏み出した位置でじっと待機する。

 ……やがて、ゼノバンの手が止まった。

 ――また少し、やつれたように見える。アーチボルドは思った。


「……うむ、おはよう。すまなかったな、ディロン」

「いえ、いつものことですからな」


 お互いに少し笑う。

 ゼノバンは、一度集中して仕事を始めると、途中で止めることを嫌う。謁見の際に仕事をしていたのなら、キリのいいところまで進むのを待つ。それが王宮に務める者たちの暗黙の了解だった。


「さて、至急の要件ということだったが」

「はっ。……ハンサ要塞との連絡が取れません」


 ゼノバンの眉間に皺が寄る。


「いつからだ」

「二週間前に定期連絡の兵が王都に来たのが最後です。ここ数日、こちらからも兵士を送って様子を見に行かせましたが、誰も戻ってきておりません」

「……陥落したと思うか」

「可能性は捨てきれませぬ」

「いや。……いや、ディロン大将。余は陥落したと見て事を進めるべきだと思うのだ。恐れていたことが起きたのだと」


 不意にゼノバンが立ち上がった。かと思えば、特に何をするでもなく歩き回り始める。


「陛下、まだそうと決まったわけでは」

「ディロンよ。あの戦いから四年だ。……もう四年たったのだ!あのアレクシスが四年の歳月を何もせず過ごしているはずがないのだ!

 だから余は軍拡を訴え続けた。こうなってからでは遅いと!それを貴族どもめ、よくも……!!」


 ゼノバンがそのプラチナブルーをかき乱す。

 アーチボルドは黙ってそれを見ていたが、やがて意を決して口を開いた。


「――陛下、もう一つお知らせしておかねばならないことがございます」

「なんだ!? これ以上に余の心を乱すことがあるとでもいうか!」


 ヒステリックになるゼノバン。だが、アーチボルドは淡々と報告を続けた。


「アリシア様が行方不明です」

「……な、に?」

「私も知らなかったことでございますが、アリシア様が三週間ほど前にハンサへと視察に向かったとの事です。陛下もご存じなかったのですか?」

「アリシアが視察するのは南の港町だと聞いていた……。夏の避暑地の下見をするのだと」

「どうやら、供回りの者だけを連れて、ハンサ要塞に向かったようなのです。知りうるものはごく一部だったようですが」


 アーチボルドの報告にゼノバンは言葉を失い、フラフラと元の椅子に戻った。

 陛下には酷だが、事実を伝えるのが私の仕事だ――。

 アーチボルドは自らの主から目を離さずに進言する。


「陛下、もし陛下の想像されている事態であるならば、一刻も早く軍をまとめ、防衛線を敷かねばなりません。そして、それにはハンサの状態を確認するのが最優先であると思います」

「……ああ、そうだな。そうだった。これ以上後手に回るのは避けなければなるまい」


 まだ憔悴しているようだったが、ゼノバンはある程度立ち直りを見せたようだった。アーチボルドは心の中で安堵のため息をついた。


「三長官がひとり、アーチボルド・ディロン大将に命ずる。まずはハンサ要塞の状況を正確に確認せよ。

 あのアリスター・ランスがいて簡単に落ちるとは思えんが、陥落したのならばその方法も知りたい。可能な限りの情報を集めるのだ。

 並行して防衛部隊を編制し、予てからの計画通り集積所を拠点としてカイム平原に防衛線を構築する。貴族どもに金を出させて傭兵を雇え。文句を言うのなら余の名をもって拘束せよ」


 次々と飛んでくる命令に、アーチボルドは自分の顔が綻ぶのを止められなかった。かつてのハンサの戦いで王が見せた覇気が戻ってきたような気がしたからだ。


「また、アリシアの件だが。ハンサに向かったというならば、あれにも最前線に向かうという覚悟が多少なりともあっただろう。余の娘ならばなんとかする。特別に捜索部隊を編制するなどはしなくてよい。今は次代の王より目の前の脅威である」


 ゼノバンは冷静に命じたが、その顔は苦渋の色が隠せていなかった。この件に関しては何も言うまい、とアーチボルドは目を伏せた。


「了解いたしました。非才の身ながら、全力をもってあたります」

「頼む。こうなれば時間はどんな宝石にも勝る貴重なものだ。急げよ」


 ――退室したアーチボルドは駆け出した。もう若くはない身体だが、そんなことは言っていられない。やることは山積みである。

 長らく戦争を経験していないこの国にとって、未知の領域である仕事が大量に出てくるだろう。四年前はハンサ要塞の事だけで済んだが、今回はカイム平原の集積所を起点としての防衛線だ。どんな齟齬が現れるかわからない。

 ――ふと、アーチボルドは集積所にいるはずの友人を思い出した。王都での権謀術数は性に合わんと、出世を蹴って地方へ移動した偏屈者だった。


「貴様がいれば、私の代わりに走らせるのだがな。グラス・アルマイヤーめ――」




 ――ホルス・クレインは、夢を見ていた。

 幼いころ祖父に連れられて一度だけ行った、海の見える丘。

 ホルスは祖父と二人パイプを咥えながら、景色を眺めている。無論、ホルスのパイプに葉は入っていない。


「おじいちゃん、このさきにはなにがあるの?」

「さあな、わしも知らんし、誰も知らんのじゃないか。神様は知っているかもな?」

「おとうさんなら、しってるかなあ?」

「……どうかな。高いところから見ているから、もしかしたら海の果ても見えるのかもなあ」


 さあっ、と風が吹いた。ホルスがふと空を見上げると、大きな鳥が一羽、飛んでいるのが見える。

 とりさんなら、しってるかな。ホルスが手を伸ばす――。


 瞬間、場面が変わる。

 上も下も水。海の中に幼いホルスはいた。苦しい。必死に手を動かすが、体は浮かぶどころか沈んでいく一方だ。

 海面が遠い。必死に叫んだ。


『たすけて!』


 ――ふいに、体が軽くなる。何かに包まれるようにして、ホルスの身体が浮いていく。

 まるで暖かい手のひらの中にいるようだ。ゆりかごのようなその感覚に、自分は思ったのだ。


『おかあさん……?』


 何も応える声はなかったが、温かみが増した気がした。

 明るい海面が近づき、眩しくて目を開けていられなくなる――。




「――う!……くちょう!、もう、クレイン副長!!」

「んー……?」


 誰かが自分を呼ぶ声に、ホルスは目を覚ました。天頂の太陽の光が目に突き刺さる。

 ぐっとひと伸びすると、体がコキコキと音を鳴らした。下が固い。手で触ってみれば、どうやら岩のようだった。


「ずっとここで寝てたんですか? 風邪ひいちゃいますよ」

「あれ、リリー伍長。おはよう」

「もうお昼ですっ!」


 ホルスの目の前でぷんすかとしていたのは、部下のひとり、ルシア・リリー伍長だった。

 金の髪が光を浴びて美しく輝いている。


「朝から副長を誰も見かけないっていうからテントに行ってみたらいなくて。探しに行かされたんですから」

「そういえば、昨日の夜からここにいた気がする」


 意識が覚醒したホルスは、ルシアとともにキャンプ地へと向かった。


 ――要塞を脱出してまもなく二週間が経つ。ゼス山に逃げ込んだおよそ五十人の兵士たちは、追撃を逃れるために場所を転々としていた。

 最初のうちはいつ襲われるかと警戒して不眠になるものが続出していたため、交代で睡眠をとれるようにシフトが組まれた。今のところ襲われてはいないが、余裕がない兵士たちも多い。


「ところで、隊長はどう? 体調良くなった?」

「熱は下がったんですが、食欲がないようで。いまはお休みになってます」

「そっか。あとで様子を見に行くかな」


 脱出の際に指揮を執ったグラス・アルマイヤー少佐だが、実はブルックとの交戦で大怪我を負っていたらしく、脱出から数日後に倒れてしまっていた。診察した衛生兵によれば、腕の骨が折れていたとか。

 この状態でよくアリシア姫を抱いてこれたものです――というのがその兵士の評だ。


 キャンプ地についたホルスとルシアに近づく人影があった。


「クレインさん、見つかったんですね」

「はい姫様。グレアムさんが言った通りの場所でした」

「ふふふ。やっぱりクレインさんは豪胆な方ですね。私だったら、皆さんと離れて寝るなんてできないわ」

「あー……おはようございます、アリシア様」


 プラチナブルーの髪を後ろで束ねた女性。王女アリシア・フィニクスだ。今、彼女は本来着ていたローブ姿ではなく、軍服姿だった。着替えをもって出発する暇がなかった故の処置である。

 見目麗しい姿の彼女が軍服を着こなしている姿はとても凛々しい、と一部の兵士にたいそう人気がある。


 当初、アリシアは兵士たちに腫物をさわるような対応をされていた。中には、アリシアが要塞に来たからこのような事態になったのでは、と声を荒げる者もいたのである。

 だが、彼女は決して反論することなく、自分にもできることはないか、と訴えて暗殺者によって傷を負った兵士たちの治療を率先しておこなった。

 慣れないながらも衛生兵に教えられて懸命に治療をする姿に、いつしか兵士たちとの溝は埋まりかけていた。自分のようなものに、と涙を流す者もいた。


「ルシアさん、包帯の予備がもう無いそうなの。何かいい方法はないでしょうか」

「うーん、もう布を裂いて使うしかないですね。私もお手伝いしますから、比較的きれいな布を探しましょう」

「ありがとう。……クレインさん、あまり皆さんに心配をかけてはいけませんよ」


 クスクスと笑うアリシア。つられてルシアも笑っている。ホルスは頭をかいてごまかした。


 ――ルシアは、アリシアと仲がいい。最初の頃はガチガチに緊張してまともに話もできないようだったが、同性であり、また年が近いこともあってか、アリシアは彼女によく頼った。結果として、まるで姉妹のように一緒にいる時間が増え、ルシアも心を開いていったのである。


 アリシアはルシアと共に布を探しに立ち去った。

 一人になったホルスは、とりあえずその辺をブラブラしてみる。すると、ちょうど偵察兼食料確保に向かっていた小隊が帰ってきたところに出くわした。


 先頭に立ち、捕ってきたのであろう鹿をえっほえっほと運んでいる者は、ホルスの部下であるダリル・ウェルトン曹長であった。

 ホルスに気付いた彼が、近寄ってきた。


「おはよーございます、副長! 朝からどこにいってたんすか?」

「やあ、ウェルトン曹長。大漁だね」


 ダリルの質問をスルーするホルス。もっとも、ダリルも深くは突っ込んでこない。長く付き合っている部下だけに、大体の予想は付いているのである。


「いやー! 今日は上手くいきました! あいつらも最近はめっきり上達してきて。もう狩人目指してもいいんじゃないっすかね?」


 ダリルが指すあいつら、とは元駐留兵の面々である。

 兵站部隊と駐留部隊。同じ軍の兵士とはいえ、関係はそれほど深いわけではない。よそよそしい雰囲気はなかなか消えず、このままでは部隊の連携に支障が出る、とホルスは危惧していた。

 その解消に一役買ったのがダリルである。

 元狩人であった彼は、駐留兵の何人かを引きずるようにして狩りに出かけては、夜に帰って来て特製の食事を全員にふるまった。次の日には別の兵士たちを連れて繰り返し。

 駐留兵全員がローテーションする頃には、すっかり全員と仲良くなっていた。

 ダリルを通して部隊全体がつながったのである。本人にはそんな計算は全くなかったようで、

 ――え、だってあいつらみんな力持ちで体力もあるじゃないっすか。

 と、言っていたが。


 そんな彼の功績を心の中で称えつつ、ホルスは質問を投げかけた。


「で、どうかな。森の中の罠は」

「はい。あったっすよ。結構古かったけど。縄張りには入っちゃってるみたいっすね」

「そうだね。向こうもこっちの存在には気づいてるだろうけど、なまじ軍服を着てるから手を出せないのかな」


 ホルスは、ダリルに命じて自分たち以外が仕掛けた罠を探させていた。

 いまや、ホルスたちが警戒しなければならないのはブルックや追撃の暗殺者だけではない。

 以前、ホルスもアルマイヤーに言ったことがある、ハンサ要塞が見張っているもう一つ。

 傭兵として活動していた者たちが、食えなくなって山賊となるのはよくある話である。そして、このゼス山には傭兵崩れの山賊が拠点を構えている、というのは有名な話なのだ。

 そんな彼らもまた、食料の調達に狩りという手段を用いる。そして、現在部隊がキャンプを行っている地点の周辺に、古くなった罠があったとダリルは言う。

 普通の狩人は、わざわざ山賊に襲われかねない森を出入りしない。

 ――つまり、最近ではあまり使われていない狩場だが、確実に彼らの行動範囲内であることは疑いようがないのである。


「一応こっちの痕跡は消すように動いてるっすけど、オレはともかく、他のみんなはまだまだっすからね」

「うん。やっぱり、長居は禁物だな……」


 ホルスは森の方に目を移した。うっそうと茂る木々。このどこかから、今まさにこちらを見て舌なめずりをしている者がいるかもしれない。

 ブルック、要塞の兵士たち、そして傭兵。

 複数の狩人に狙われている動物ってのは、こんな気分なのかなとホルスは思った。




 ――ホルスの視線、その遥か先の、木々の影。

 キャンプをじっと見つめる者がいた。


「――ええ、そうね。でも、何もしないの」


 聴くものがあれば、それは若い女の話し声だとわかっただろう。

 だが、誰と話しているのかはわからないはずだった。女は、どう見てもひとりだったからだ。


「ボスの命令があればね。……でも、まだ何もするな、って言われてるから。またね」


 別れの言葉を口にした女は、次の瞬間、スッとその場を離れる。

 何の痕跡も残さず、まるで初めからなにもいなかったかのように。


 女が消えた場所には、リスが一匹、木の実をかじっているのみであった。






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