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序章 Ⅰ クレインという男

 雲一つ無い青空の日だった。


 そよそよと心地よい風。今日の気温は暑くもなく、寒くもない。

 昼寝にはもってこいの日だなぁと、お気に入りの木陰でパイプを加えながら独りごちた。

 そのパイプから煙は出ていない。

 それもそのはず、パイプには葉が入っていないのだ。

 他人に見られれば変な眼をされてしまうが、あまり気にしてはいなかった。これを咥えているとどうしてか気分が落ち着くのだ。理由はよくわからないが。 

 自分の持ち場からそれほど離れていないこの丘で休憩するのが彼は好きだった。

 昼食を食べた後のまったりした時間をここでゆっくり過ごす。ぜいたくな時間とはこういうものではないのだろうか。

 ――今日食べたパン、美味しかったな。おかみさんは試作品だって言ってたっけ。これなら店の新商品として十分だろう。明日はもう一つ買おう。

 さて、休憩の時間はもう少し残っている。どうしよう、ひと眠りしてもいいんじゃないか。

 そう思ったらなぜだか急に睡魔が襲ってきた。

 ふぁあと大きなあくびをすると同時に、木にもたれながらまぶたを閉じる。

 ふわふわとした意識の中で、木々のざわめきと草が風に流される音が子守唄のように反響する。

 その中でふと、甲高い鳥の鳴き声が聞こえたような気がした。




「――で、ホルス・クレイン副長。それからどうしたね」

「驚くべきことに、4時間経過しておりました」

 はぁぁぁぁ、と深いため息をつかれてしまった。

 うーむ、今日は(・・・)寝過ぎた。遅れても一時間だろうと思っていたんだけど。




 木陰で眠っていたホルスが目を覚ました時には、すでに日が沈もうとしている頃。

 季節は過ごしやすい春であるとはいえ、夕方はまだ寒い。耐えかねた体が身震いしたのに反応して目を覚ましたのだった。

 本来ならあわてなければいけないのだが、人間、そういうときには意外と冷静になるものである。

 まあ、やってしまったものは仕方ない。

 彼が特に急ぐこともなく職場に足を向けると、何人かの同僚が仕事をしているのが見えた。

 とはいえ、もう夜が近い。

 ランプの燃料は節約するのが基本であるから、夜に仕事を行うものはいないのである。必然的に数は少なかった。

 彼らは国家の剣となる軍人である。王の命があれば、命を懸けて剣をふるう。

 が、ホルス・クレインという男は体格はそれなりには引き締まっているが、決して屈強ではない。おまけにのんびりした性格のせいか、どこかのほほんとした印象を受けるのである。

 かつて兵学校にいたころの彼は、『大陸一軍服の似合わない男』としてある意味では有名だった。

 大遅刻をかましたにもかかわらず、何食わぬ顔をして戻ってきたホルスを待っていたのは、直属の上官であるグラス・アルマイヤー少佐だ。

 初老に差し掛かっているが、ホルスが所属する隊の責任者であり、なかなか厳格な印象を受ける。

 彼が太い腕を組み、仁王立ちをしてしかめ面をしているのはなかなかに迫力があった。


「執務室へ」


 一言告げると、ホルスを待つことなく歩き出した。

  もう慣れたものである(・・・・・・・・・)




 午後の時間を丸々すっぽかした理由を語るのに1分とかからなかった。寝ていただけなのだから。

 どうでもいい遅刻の理由を聞いてしまったアルマイヤーは、二度目のため息の後、弱弱しくも口を開いた。 


「これで、何度目だったかな、クレイン中尉」

「はあ。数えておりませんでした。何度目でしたっけ?」

「……十六度目だよ」


 絞り出すようにアルマイヤーは言った。

 ――なんと。新任でこの兵站部隊に配属されて三年。よく寝坊しては怒鳴られていたが、もうそんな回数に。年月の経つのは早いものだ。

 ホルスは他人事のように回想していた。

 そういえばいつからだっただろうか。アルマイヤー少佐の怒鳴り声が、なにかを悟った僧侶のように淡々としたものに変わったのは。


「数えていらっしゃったとは、さすがです、隊長」

「君を我が隊の副長に任命したことを後悔しはじめているよ……」


 アルマイヤーの瞳に光がなくなっているように見えたのは照明のせいではないだろう。

 ふと、スッ、と皺が入った手が伸びて、何かを指差した。つられてホルスもその方向へ顔を向ける。

 そこにあるのは壁に大きく張り出された地図。


「これがなにか、わかるかね」

「もちろん。我が国、フィニクス王国の地図ですね」


 そうだな、とうなずいたアルマイヤーは立ち上がり、地図のそばへと寄る。そして、ある一点を指さした。


「ここはなんだね、クレイン中尉」

「王都フィーニクスです」


 指が動く。


「次にここは」

「はあ、我々がいる物資の集積所です」


 また指が動いた。


「最後に、ここは」

「ハンサ高原。隣国スレンドガルドとの国境です」


 うむ、と一呼吸おくアルマイヤー。ホルスはといえば、いったい何を始めたんだろう、と不思議がっていた。


「いま私が訊いた3つの地点の軍事的な重要性は君もわかっていると思うが、どうだね」


 これは本格的に授業だなぁ、などと他人事のような感想を持ちながらも、ホルスは答えてみた。


「ハンサ高原はスレンドガルド王国との南北の国境線として、ハンサ要塞が設置されています。言うまでもなく、スレンドガルドの南進に対する備えです。

 同時に、高原を擁するゼス山に拠点を構えるといわれている傭兵くずれの山賊らにもにらみを利かせられる立地です」


 それと……としばらく考えて、


「このカイム集積所にはハンサ要塞への補給物資が集められます。

 また、ハンサ要塞が陥落した場合の抵抗拠点として、野戦陣地ともなる最終防衛線です」


 まあ、王都は軍事的、経済的、国家的にも最重要だろう、と適当にした。


「まあ、それでよかろう。……思っていたより知識はあるのだな」

「どうも」

「とくに傭兵団のくだりは目の付け所が良い。勉強したのか?」

「いえ、先日読んだ新聞にゼス山の傭兵くずれの犯罪に注意せよ、といった記事があったので。

 そういえばハンサ要塞はゼス山の高原にあるのだから、見張りやすいのかな、と」


 ふうむ、と顎をひと撫でするアルマイヤー。

 ホルスはといえば、もう帰ってもいいかな、などと思っていた。

 日は沈んでいる。道が真っ暗になる前に部屋で寝たい。


「あの、隊長。もう帰りませんか」

「……クレイン、なぜ私がこのような質問をしたと思う?」


 黙殺されてしまった。しかたない、もう少し付き合おう。


「ええと、老後に兵学校の教師をするための予行練習、とか」


 ぶんぶんぶんとアルマイヤーの白髪に大部分が侵略されている頭が左右に振られる。


「我が隊の仕事は決してすっぽかして良いものではないということをわからせる為だ」

「は、はあ」

「……我が隊の最も基本的な任務はなんだ、ホルス・クレイン中尉」

「物資の輸送及び管理です」

「そうだ。軍隊において最も重要なのは兵站だ。

 この分量を間違えれば、どこかで空腹で動けなくなる部隊が出来るかもしれんし、武器が十分でない部隊があらわれるかもしれん。

 緊張感を常に持って、仕事をしてほしいのだよ」


――やばい。打ち切らせなければ、日をまたぎそうだ!

ホルスはぐい、と頭を下げて謝罪の体勢になった。


「はい、肝に銘じます。もうしわけございませんでした」

「……本当に分かっているのか?」

「明日は朝早く来て今日の分まで仕事します。それでどうかお許しを」


 ところが、予想外の答えが返ってくる。


「いや、明日お前には私とハンサ要塞へ行ってもらう」

「ハンサへですか?」

「うむ。今日の午後、お前が寝ている間に要塞から指示がきたのだ。

 ハンサ要塞にて臨時の任務。参加されたし、とな」

「はあ、臨時の」


 臨時の招集というのはちょっと穏やかではない。

 アルマイヤーの言うとおり、兵站は軍事行動の要である。それに従事する部隊を増やすということは――


「何か作戦でも始まるんでしょうか」

「いや」


 アルマイヤーはやや苦々しげな顔で続ける。


「我々の仕事は要塞の第一から第四倉庫の整理及び品質管理だ」

「……えぇと、つまりそれは」

「大掃除だな」


 うわぁめんどくさい。

 ホルスは思わず天を仰いだ。

 ハンサ要塞には何度か輸送任務で訪れたことがある。運んだものは当然倉庫に持っていくのだが、その大きさたるや、いずれもかなりのものだった。

 ――それを4棟も掃除するだって?


「あー、相当な大仕事ですね」

「明日は隊の責任者である私と、現場指揮官であるお前で向こうの監督官と打ち合わせをする。

 朝早くの出発になるから、絶対に寝過すなよ」

「善処します」

「……では帰ってよろしい」


 ホルスは一礼すると、執務室を後にした。

 明日はさすがに遅刻するわけにはいかない。朝食を食べる時間はあるだろうか。

 そんなことを頭の片隅で思いながら、ホルスは今回の任務について考えてみた。


 ――ずいぶんと急な話のようだ。

 今日の夕方に通達して、翌日には打ち合わせ。となれば一週間以内には部隊でハンサに移動だろう。相当急いでいる日程だ。

 それに、あの4つの倉庫は確かに整頓はされていないが、当然ながら武器、糧食など用途別に分けて入れられている。いまさらわざわざ整理せずとも、倉庫としての機能は十分に全うしている。

 では、今回わざわざ整理しなければならない理由は?

 考えられるのは、近日中に倉庫を美しく見せねばならないから。……王都からお偉いさんが視察に来ることが急に決まった、ってところか。

 だが、最前線であるハンサ要塞への視察はそう珍しいことではない。

 前に将軍クラスの人間が来ることになった時でも武具の手入れは入念にするよう指示が来たが、これほど大掛かりな倉庫の整理任務によばれたことはない。

 つまり、今までに来たことのない人間で、臨時に自分たちを招集してでも綺麗な要塞に見せなければならない。

 そんなお偉いさんが来るということ。

 ……もしかして、王族? だとしたら面倒なことだな。


 ホルスはそこで考えをいったん打ち切った。

 自分にとっていま最も優先すべきなのは、どうやって明日の朝、早起きするかの作戦を練ることだと、自身が一番よく分かっていたからだ。




 ハンサ要塞は、フィニクス王国とスレンドガルド王国との国境となるルロイ山脈、その中のゼス山フィニクス側にあるハンサ高原に築かれた要塞である。

 今から十年前の大陸歴2316年、現在の国王であるゼノバン一世がまだ王太子であったときにその必要性を訴え、およそ三年がかりで完成させたのだった。

 そもそもスレンドガルド王国は、現王アレクシス一世がその卓越した手腕で周辺の大小さまざまな都市国家を合併、吸収して領土を拡大したことで、大陸歴2321年に成立した新興国家だ。

 アレクシス一世が三十一歳の時に都市国家スレンドガルドの長に就任してからわずか十五年で王国として認可させたのだから、その勢いたるやすさまじいものがあった。

 王太子ゼノバンはアレクシス一世と知己であったこともあり、彼の巨大な野心がいずれフィニクスにも牙をむくであろうと危惧していた。

 その予想は見事に当たり、アレクシス一世はスレンドガルドが王国となったその年にフィニクス王国に対して宣戦布告。雪解けを待っての翌年2322年に国境であるゼス山、その中で唯一行軍が可能なハンサ高原を目指して軍を差し向ける。

 しかし、すでにハンサには要塞が完成しており、また即位したゼノバン一世が自らその責任者および全軍の指揮官として、万全の態勢でスレンドガルド軍を待ち受けていたのである。

 アレクシス一世は、ひと月ほど陣をはり要塞攻略に苦心したが、ゼノバン一世の鉄壁の防御を崩すことができず、断念。軍を撤退させた。

 その際、アレクシス一世はゼノバン一世宛てに矢文を残している。


『我が疾風をもってしても動かぬ大雲よ。見事なりゼノバン』


 後にハンサの戦いと呼ばれる衝突は、わずか一か月余りで終結した。

 ――かくあって大陸歴2326年の現在、ハンサ要塞の完成から七年。要塞にはおよそ三百名の兵が常駐し、増設、改築されながらスレンドガルドとの国境線を守護している。




 太陽が天頂からやや傾いた頃、ホルスとアルマイヤーはハンサ要塞に到着した。

 カイム集積所からは馬をそれなりに飛ばして半日ほどの距離である。

 登山道は物資輸送が滞ることのないように最優先で整備されているので、馬や荷車の通行が非常に容易くなっているのだ。

 ホルスの記憶している限り、ハンサ要塞に来るのは一年ぶりだ。普段の輸送任務は副長の自分が行かなくとも構わないので部下に丸投げしている。

 一年前は副長就任の辞令と、それに伴った新しい軍服を受け取りに行ったのだ。

 ――あの時は初めて要塞に来たものだから、出頭する部屋の場所がわからなかったんだ。親切に案内してくれた人がいたけど、結局到着が遅れに遅れて大目玉を食らったっけ。

 要塞の門を守る衛兵は2人。片方がアルマイヤーの顔を見てにこやかになった。

 隊長である初老の軍人は軍でも古株らしく、ハンサにもたびたび来ているので、もはや顔なじみのようなものだ。


「アルマイヤー少佐、ご無沙汰しております」

「うむ。変わりないようで何よりだ。本日は要塞司令官からの命により、副長ホルス・クレイン中尉と共に出頭した」


 衛兵がホルスの方を見た。

 少し訝しんだような表情をしている。ホルスはとりあえず黙って頭を下げた。


「……うかがっております。第二軍議室の係官とお話しください」

「了解した」


 衛兵が声を上げると、ガラガラと大きな音がしてゆっくりと門が開いた。

 重そうな扉だ、あれを開ける係にはなりたくないな。

 などと感想を抱きながらホルスはアルマイヤーについていく。2人が門を通過すると、再び大きな音と共に閉じていった。




 ――後に残った2人の衛兵が話をしている。


「あれが副官?あのアルマイヤー殿が選んだにしてはずいぶんと若かったな。おまけに中尉だと」

「ああ。それにずいぶんとのんびりした顔をしていた。まるで軍人には見えん」

「どこかの貴族の坊ちゃんじゃないのかね。箔をつけるためとかいって、無理やり適当な役職に就けたんじゃないのか」

「ありうるな。アルマイヤー殿は貧乏籤を引かされたわけだ」


 そうにちがいない、と2人は互いに頷いた。




「今回の管理業務の責任者を任されました、ウィンストン・ブルックと申します。お二人とも、急なおよび立てをして申し訳ございませんでした」


 そう名乗った担当官は、柔和な顔立ちで眼鏡をかけたやや小太りの中年男であった。

 訊けば階級こそそれなりではあるものの、書類仕事専門の軍属なのだとか。正規の軍人の訓練を受けたことはないのだという。


「気になされるな、ブルック殿。お互いに仕事でありますので」

「恐縮です、アルマイヤー少佐」

「この男が我が隊の副長を務める、ホルス・クレイン中尉です。当日の指揮は主に彼がとります」


 ホルスは再び黙って頭を下げたが、目をブルックから離すことはなかった。

 ――どこかであったかな、この人? ええと……


「クレイン中尉、はじめまして。今回は頼りにさせていただきます」

「……」

「? あの、何か私の顔についておりますかな?」


 あ、思い出した。


「よろしくお願いします、ブルック監督官。それと、去年はどうもありがとうございました」

「――はて、初対面ではありませんでしたかな?」

「はい。昨年この要塞で迷子になっていたのをあなたに案内してもらいました」


 ブルックは虚を突かれたような表情をしてから、眉間にしわを寄せ始めた。どうやら思い出そうとしてくれているらしい。

 いい人なんだな、とホルスは好感をもった。


「ブルック殿、覚えていなくても当然ですよ。会ったのはあの一度だけですから」

「――いや、申し訳ないですクレイン中尉。年はとりたくないものですな」


 頭をかきながらブルックは笑った。心から申し訳なさそうである。

 やっぱりいい人だ。


「ところでお二人とも、食事はまだでしょう。簡単なもので申し訳ないのですが、腹に入れながら取り決めをしてしまいましょう」


 ……その後、三者で大掃除の日程や整理の仕方、必要な道具などが協議され、まとめられた。

 ブルックはこの手の話し合いが上手いのか、あれよあれよという間にもろもろが決まった。用意された資料がとてもわかりやすかった事も、比較的短時間で打ち合わせが終わった要因だろう。


「――こんなところですかな。クレイン、他に何かあるか?」


 アルマイヤーがホルスに尋ねる。


「今のうちに現場をある程度確認しておきたいですね。具体的にどう整理するかを決めておけますので」

「なるほど、では私の部下に案内させましょう」


 ブルックが手元の呼び鈴を鳴らすと、係官がやってくる。


「クレイン中尉を倉庫区画に案内してくれ。倉庫内を見てもらっても構わないから、私の名前で倉庫の施錠を外してもらってくれ」

「了解しました。クレイン中尉、どうぞ」


 倉庫整理の案づくりは、資料だけでなく実際に倉庫の中を見たほうが正確に作れるし、ある程度配置を決めてさえしまえば実際の作業中に融通を利かせられるだろう。

 ――そうすれば当日昼寝をする時間もきっとできるよね。

 基本、ホルスはどうやって楽をするかを考えるのである。




 執務室にはアルマイヤーとブルックが残った。


「クレイン中尉は人当たりの良い方ですな。

 それに、資料の情報だけでなく自らの脚を使って仕事にかかる姿勢は見ていて好感が持てます」

「……きっとあれは当日楽をするための下準備でしょう」


 初めて出会ってから三年。ホルスの考えはすでにアルマイヤーには筒抜けである。


「はっはっは。楽をする、結構ではありませんか。同じ仕事ができるなら、グダグダと長引かせてしまうよりはずっとよい」

「そんなものですか……ところで」


 そこでアルマイヤーは姿勢を正すと、ブルックに問いかける。


「此度の件、ずいぶんと急ですが、ひょっとして大事な来客でもあるのですかな?」


 それはここに来る道中で、ホルスがアルマイヤーに聞いておいてほしい、と言っていたことだ。

そして、自分も疑問に思っていた点ではあった。

 ここは最前線、ハンサの要塞だ。軍の人間が視察に訪れるならまだしも、もし王族が来るとなれば最大級の警備態勢で臨まねばならないのだ。

 その結果として外部への備えをする人員を削らなければならないのであれば、あまり喜ばしい事ではない。

 ハンサの戦いから四年。

 それ以後スレンドガルドが攻め入ってくることはなかったとはいえ、いたずらに兵士の心をかき乱すことをするべきではない。

 ――質問を受けたブルックは一瞬固まって、口を開きかけたが、すぐに閉じた。かと思えばまた口を開ける。

 話してよいものかどうか迷っているのだろう。アルマイヤーはじっとブルックの目を見つめ続けた。

 ……ややあってから、意を決したようにブルックは言った。


「アルマイヤー少佐であるがゆえにお話しすることです。

 この要塞でも現在知りえるのはごくわずかです故」

「となれば、やはり……?」

「お察しの通り、視察に来られます。――王族の方です」

「むう……」


 アルマイヤーは思わずうなった。

 それは先程の心配が現実になったということもあるが、ホルスの考察が的を射ていたこともあったからだ。

 ブルックは声を小さくして、続けた。


「情報の漏えいを防ぐため、兵士たちには当日の朝に告知されます。

 万が一があれば、国が混乱することになりますから」

「要塞の司令部からも取りやめの要請はあったのでしょう?」

「もちろんです。特にランス将軍は何度も取りやめを打診したそうなのですが、聞き入れられなかったそうで……」


 アリスター・ランス将軍はこのハンサ要塞の司令官にして、フィニクス王国軍のトップである三長官のひとり。階級は大将である。

 まだ40になったばかりと若いが、防戦に強く、ハンサの戦いにて国王を補佐するなど実績もある。

 その将軍ですら抑えられなかったとなれば、それは……。


「ブルック殿、それはよほど陛下に近い親族であるということになるが、いったいどなたがいらっしゃるのか?」

「それは……」


 ブルックは言葉を詰まらせる。

 本来であればここまでの話すべてが機密情報なのだろう。

 しかし。


「……グラス・アルマイヤー、あなたの名前を信頼してお答えしましょう。

 今回の視察を行われるのは、――アリシア様なのです」

「なんですと!?」


 アルマイヤーは思わず立ち上がった。

 なんということだ、親族どころの話ではない!

 最前線にいらっしゃるなど、いったい何を考えておられるのか!

 ――アリシア、すなわちアリシア・フィニクスはゼノバン一世の実の娘、すなわち王女だ。

 そして、ゼノバン一世には今のところアリシア王女しか子がいない。直系の男子が生まれない限り、彼女が第一王位継承者だ。

 ――次代のフィニクス王家の血を継ぐ現状唯一の女性が、最前線にいらっしゃる……?

 アルマイヤーは、言いようのない不安を感じざるにはいられなかった。




誠に勝手ながら、一話当たりの文字数調整のため序章Ⅰ、Ⅱを統合しました。

若干の修正を加えましたが、内容に変更はありません。

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