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プロローグ

挿絵(By みてみん)




―プロローグ―


 東京の某所で行われた中学硬式野球の頂点を決める戦い、チャンピョンカップも残りわずか1イニング。

 七回裏。五点のリードを貰いながら挑む最終回の守備。

 先発投手の疲労からか、この回先頭打者に対してはすっぽ抜けた球を打者の背中に当ててしまい出塁を許してしまうものの、後続の打ちに来た打者を二塁併殺にしあっという間にツーアウトに追い込んだ。

 そして最後の打者。カウントはツーツー、あと一球で勝負が決まる緊張の場面にまで追い込む。

 大量のリードがある、あと一球で勝てる。

 マウンドで構える投手はだらりと汗を流しながらも、最後の一球に集中しようと表情を引き締める。

 一方、そんな投手と対面している捕手はいやに自信に満ちた表情を浮かべながら、共にこれまでを過ごして来た仲間に対し、配球の指示を出す。

 よく捕手は扇の要と呼ばれたり、司令塔と呼ばれたりしているが、このチームにとってもそれは当てはまっている。

 全てはこの司令塔の存在により、既にこのゲームは完全に支配されている状態であった。

 打者の癖、実戦データ、球を受けている投手の状態。それらを全て頭に入れながら、捕手は打者の内角に食い込む変化球を要求する。

 スッ、と息を吹き、投手は捕手が構え微動だにしていない大きなミットに白球を投じた。

 疲れを感じさせない程、寸分の狂い無く突き進んでいく白球は体躯の良い左打者の胸元を抉って行く。

 それを見たバッターは内角高めのボールに対しフルスイング。しかし内角に食い込んだ右のサイドハンドの変化球を前で捌こうとした為に、バッテリーの狙い通りに詰まらされてしまう。

 金属バットの鈍い音を響かせ高々と宙へと舞った白球はゆったりと、一塁側ファールゾーンへと飛んでゆく。

 相手チームの落胆する声、選手を応援しにきてくれた保護者たちの悲鳴のような歓喜の声、そしてベンチから聞こえて来た大きなチームメイト達の叫び声。

 一塁手がゆっくりと落ちてくる白球をしっかりとつかんだ時には、まるで会場が何千人もいるコンサートの様に大きな騒音にナインは包まれていた。

 優勝だ、彼らは優勝したのである。

 捕手はマウンドにゆっくりと駆け寄りながら、共にここまで勝ち上がった仲間達の下へと駆け寄って行く。

 それは歓喜の瞬間だった。普段試合が始まれば、礼に始まり礼に終わる彼らにとって、こんなにも大きな野球のグラウンドで無邪気に居られる時など無かった事だろう。

 しかしまだ、彼らにとっては全てが終わった訳ではない。

 圧倒的な打力と圧倒的な投球で、全国中学野球大会の頂を見た彼らだが今度は高校野球という今よりももっと大きな舞台へと駆り出される事となるのだ。

 そう、寧ろここからが本番なのだ。優勝した事で名を売った彼らは次のステージに祝福されながら、更なる頂点を目指すべく歩んでいく――。

 しかし、誰しもがそんな美しい物語を描く事は出来ないのであった。












「なぁ、ソラちゃん。高校はどうするかもう決めたか?」


 夕暮れに照らされる帰路を征く二人の少年はゆっくりと暗くなってゆく空を眺めながら、将来の事を語り合っていた。

 問い掛けられているのは先の中学硬式野球大会の頂点に輝いた溝浜南みぞはまみなみボーイズのエースであり、右の横手投げから卓越した制球力を持つ事から神奈川の狙撃手かながわのそげきしゅの異名を持つ天才投手、船坂空ふなさかそら

 変則フォームからのMAX135km/h、平均130km/hの右腕。持ち球はスライダーにフォーク、カットボール、シュートと多用な球種を使い分ける軟投派。

 さらにそれらを寸分狂わぬ投球をする事から、中学の地点で高校関係者を飛び越してプロ野球関係者からも密かに注目されている期待の制球派投手である。

 彼自身も、自らが注目されているという自覚があるようで、問いに対しては自信満々に県内屈指の強豪の名を挙げる。


「んー、どこでもいいけど宗界大相良高校(そうかいだいさがらこうこう)は気になるかな? 一番最初に声を掛けてもらえたからね」

「そっか……、まあソラちゃん程の実力なら声も掛けられてるんだろうからな、そうなるよな……」


 既に空が様々な高校から声を掛けられているのを知っていた為か、質問した少年はさほど驚いてはいない様子であった。

 宗界大相良高校は二人の住む高校野球激戦区、神奈川県でも一、二を争う程の強豪校だ。

 名門、溝浜高校みぞはまこうこうに実績のある桐陽学園とうようがくえん桐影学園とうえいがくえん等、名の知れた高校は多い。

 しかし現状は名門溝浜の監督勇退等も相重なり、今一番勢いがあるのは船坂空の選ぶ宗界大相良高校であるのは火を見るよりも明らかな状況である。

 少し寂しそうな反応を見せる質問者の少年に対し、空は場の雰囲気を柔らかくする為なのか、表情に笑みを交えながら少年に対し訊く。


「あっちゃんも一緒に来ない?」

「俺は……、無理だろうなぁ……」


 あっちゃんと呼ばれた少年、小谷敦士こたにあつしは空と野球を始めた頃からバッテリーを組んでいる、俗にいう船坂空の女房役だ。

 狙撃手とも称される天才、船坂空という人物を一番近くで見て来た人物であり、彼を配球で支えながら中学野球の頂点にへと導いた名脇役としてチームの中でも信頼の厚い人物であった。

 しかし野球の才能で言えば凡も凡である。

 全国に名を連ねる強豪シニアでレギュラーを張れる程度である為、決して下手という訳ではなかった。

 しかし打撃で言えば所属する溝浜南ボーイズの中では全学年含めても下位。脚力がある訳でもなく、他の捕手に比べて地肩や守備が特別上手いと言ったわけでもない。

 さらに同じ捕手と言う守備位置で限定しても、敦士よりも打撃が上手い選手は何人も所属していた。

 それでも数少ない打席における打撃成績に重きを置く傾向にある中学野球では珍しく、敦士は所属した三年間、空が登板する試合はフルイニングで出場する事が出来た。

 理由は単純だ。一つは天才と呼ばれる程の実力者、敦士の幼馴染である船坂空の我儘が通った事である。

 空と敦士は幼い頃からずっと一緒だった。それ故に空は敦士以外の捕手にキャッチャーを任せる事に躊躇いを持っていたのであった。

 それ故、監督は空から「あっちゃんを捕手として起用しない限りは投げない」と駄々をこねられ、最初は度肝を抜かれていたのだが。試合で空と敦士のバッテリーが結果を出し、有名になるにつれやがて何も言えなくなっていったのである。

 二つ目は敦士がそれなりにチームでも信頼のおける人物であったという事だろう。

 練習態度も真面目であり、誰よりも人一倍努力をしている。空が投球練習の際は必ずその球を受けているものの、矢継ぎ早に他の投手に捕球を頼まれても嫌な顔一つせず球を受ける人格者。

 決して野球の腕こそ抜きん出ては居なかったものの、空や他のチームメイトに引けを取らないよう努力をする姿勢は他のチームメイトも知っていた。

 その性格が評価されたからなのか、最終的には敦士はボーイズの主将を任せられる程、監督やチームメイトから信頼を寄せるようになったのである。

 とはいえ一部の選手、特にポジションが被っており敦士よりも打てると思われる捕手の面々からは不満が出ていただろう。

 しかし、それを言い出せる雰囲気では無かった、という節も無かったとは言えなかった。

 そんな状況で幼馴染と共に野球を続けて来た敦士であったが、自分自身、上の世界で戦うにはあまりにも実力の差がありすぎる事を肌で感じていたのである。


「いや、俺は別に宗界大学そうかいだいがくに入りたいわけじゃないからなぁ……」

「僕だって宗界大学に入るつもりで選ぶわけじゃないよ、野球部に入りたいから入るんだよ?」

「そりゃそうだろ、だってソラちゃんはプロからも注目されてるんだから……」


 幼馴染を思っての事か、自身の自尊心の為か。決して自分から「実力の差があるから高校では一緒になれない」とは言わない敦士は、少し捻くれた言い方で返そうとする。

 かたや何処からでも声が挙がる程の実力を持つ大エース、かたや中学野球なら本来どこにでもいるレベルの選手。もし仮にそんな大エースがプロの世界に上がろうとするならば、いつまでも幼馴染の専属捕手に捕ってもらい続けるという我儘はいずれ通用しなくなる。遅かれ早かれ別れは来るのだ。

 しかし空も簡単には諦めてはくれなかった。


「確かに僕は野球ではもう、あっちゃんにも他の皆にも負ける気はしないよ。いずれ、プロの世界でも活躍する事しか頭にない。……けどさ、僕はあっちゃんと野球がしたい。あっちゃんがいてくれるだけで、僕はまだまだ強くなれる」

「お世辞はよせよせ、やめろ、照れくさい……」

「別に野球の強豪校じゃなくてもいいんだよ、あっちゃんと一緒なら、多分どこだって甲子園に行ける……ううん、優勝だって出来ると思う。だから……」


 その言葉を耳にし、最初は捻くれ通そうとしていた敦士の表情も少し綻ぶ。目頭が熱くなり唇をかみしめ、顔すら合わせられなくなる。

 幼馴染が語るその言葉はとても純粋であり、曇り一点無く本当に心からそう思っているからそこ出てくる言葉だ。

 小学校低学年の頃、空を初めて野球に誘ったのも敦士である。

 それ以降、空の前には常に敦士がどっしりと構えてくれていた。

 野球に対する情熱も、敦士が居てくれたからこその物。

 船坂空にとって野球で頂点を目指す事は小谷敦士と共に野球をするのと同じ、またはそれ以上の意味を持っているのだろう。

 だからこそ、空が幼馴染の事を想う気持ちと同じように、空の事を想っている敦士もきっちりと自分の言い分を主張する。


「ソラちゃん、俺はソラちゃんの足枷にも手錠にもなるのも御免だよ。実力こそ無かったが中学野球の頂点を選手として見て来た俺にはわかる……、もう俺はソラちゃんと同じ舞台に立つ資格なんてないって事はな……」

「違うんだよあっちゃん……、あっちゃんは自分で思っているほどそんな実力が無いわけじゃ――」

「じゃあ、俺と一緒に弱小校行くのと、宗界大相良に行くのと、どっちが高校野球の頂点に近いと本気で考えてるんだ?」


 現実を突きつけるかのような冷たい問いに対し、先ほどまで熱情的に敦士の感情を揺らして来た空の声が急に途切れる。

 野球はチームスポーツだ。如何に抜き出た投手がチームに居たからと言って、必ずしも勝てるスポーツではない。

 ましては空は球を左右に散らし打ち取る事に重きを置いた、打たせて取る投球が配球の軸になっている投手。

 強豪校のしっかりとした守備があれば一年目からエースとして甲子園出場も夢ではないだろう。

 そんな投手が、軽々しく強豪を蹴ってもいいだの、幼馴染と弱小校で共に甲子園を目指すだの、本当ならあってはならない事なのだ。

 女房役の役目はきっちりと、相方に正しい道を示してやることなのだろう。

 敦士はしっかりと自分の意志を主張すべく、急にしおらしくなった空の肩をギュッと抱き寄せながら、優しい口調で語り掛ける。


「俺はソラちゃんがどこまで行っちゃうのか見てみたい、今はまだこうやって手を伸ばせば肩を寄せ合う事が出来るけど、俺はソラちゃんが雲の上の存在になっちゃう事に期待してる。……いや、そうなって貰わないとな」

「あっちゃん……」

「勿論、俺は高校に入っても野球を続けるとは思う。巡り合わせがあれば戦う事もあるかもしれない。その時は、俺を越えて行ってくれ」


 そう言い聞かせるように語る敦士。

 表情は静かに涙ぐみ、声も少しだけこもっており感情的になっていた。

 敦士だって本当はこれからも空と野球がしたかった。

 けれど、その為に船坂空という球界の将来を担うかもしれない男の人生を犠牲にする事はできない。

 船坂空は小谷敦士にとっては幼馴染であり、一番の親友でもあり、そして憧れであり尊敬の念もあった。

 少し我儘で、かと言って自分が勝つためにはどうすればいいかをきちんと省みて、そして自分の構えるミットに寸分の狂い無く要求した球を放ってくれる空の事を、敦士は本当に尊敬していた。

 敦士は抱き寄せた空の肩をそっと元に戻す。

 少しだけ寂しそうで、複雑そうな表情で見つめる空。

 その表情が少しだけおかしかったからなのか、自然と笑みを零していた敦士はふと自らの右手の小指を差し出しながら元気づけるかのように言う。


「だから三つ約束しよう、一つはもし俺とお前が戦う事になっても、全力を出して勝ちに行く事」

「うん」


 差し出された小指に空は自らの右手の小指をそっと絡ませながら、大きく頷く。


「二つ目は……、お前が県大会で優勝して俺を観客として甲子園に連れてってくれよ」

「……うん!」


 絡ませた小指をギュッと握るように固く誓う。


「三つめは……、なんだろうな、将来お前がプロに行ったらさ、上手い飯でも奢ってくれ」

「あは……ははは、あっちゃんらしい約束だね。……じゃあ、僕からも約束して欲しい事があるんだけど」

「何だ、ソラちゃんの食べれないものを代わりに食べろとかそんなのじゃなければ大歓迎だぞ?」


 三つめの約束の承諾の前に、ふと何かを唱えようとする空。

 一体何かと少し捻くれた言い方をしながら、耳を貸す敦士に対し。迷いが晴れたかのように明るい笑みを浮かばせながら、空は結ぶ小指に力を入れた。


「高校離れても、プロになっても、僕たち……友達だからね!」

「当たり前だろ~、俺とお前の仲じゃん? そんな高校離れたからって消えたりするもんじゃねーよ!」


 夜の帳が下りる夕闇の帰り道、二人の少年は再度友情を確かめ合った。

 しかし、その選択が二人にとって本当に最良だったのかは確かではない――。


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