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クセモノたちの輪舞曲  作者: 早瀬
嵐のあとの恋心
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本当の姿

 セシリアさんの目は、いつも通り綺麗に澄んでいる。

 一歩踏み出して、俺の頬に右手を伸ばす。全身に緊張が走った。


「な…なに?」


 戸惑いながら、後退ることなくその手を受け入れる。頬が優しく撫でられ、指先が耳に触れる。セシリアさんの体がさらに寄った。妖艶な笑顔に意識が吸い込まれそうになる。


 川のせせらぎも、風の音も、全部が急に遠くなる。


 顎がうまくかみ合わない気がして、耳元で心臓と血液が苦しそうに唸っていた。


「一度だけでいいの…」


 セシリアさんの吐息のぬくもりが、わずかに頬に達した。ついにこらえきれず後退ろうとした俺の背に、左手が回される。


 突然俺を包んだ、柔らかさ、温かさ…そして、充足感。


 心臓が大きく鳴った。


「アレン…」


 耳元で囁く声は、しかし、どこか心細げだった。


「…どうしたの? セシリアさん…」


 カラカラになった喉から、声を絞る。肩を抱かれて、俺の両手は行き場を失っている。

 首元に柔らかい何かが触れて、離れる。セシリアさんの両腕は、もう一度俺を強く抱き寄せた。


「私の姿を…」


 ためらいがちに小さく言った後、セシリアさんはもう一度耳元に唇を寄せる。そして、ささやき。


「見て…」


 左腕で俺を抱いたまま右手で俺の左腕をとり、自分の腰に回させる。なんだか頭がクラクラしてきて、何も考えられそうにない。俺は反対の腕もセシリアさんの腰に回す。


 結んでいた髪が、見たこともない速さで伸びる。同時に、わずかに胸の柔らかみが位置を高くする。


 セシリアさんが、人間の姿から、変身した。


 俺は直感的に理解する。俺の腕の中で、間違いなくその姿が変わった。温かさ、柔らかさ、優しさ。何一つとして変わらなかったけど、俺の腕の中にいるのは、いつものセシリアさんとは違う何かだった。

 セシリアさんの足元に、何かの影が動いた。肩を抱いていたセシリアさんの腕の力が、わずかに弱まる。俺はとっさに目を瞑って、腰に回していた腕に力を込めた。


 怖いと思った。


 セシリアさんは、蛮族。それは、本人だって認めていることで…俺だって、もう受け入れたはずのことだった。その本当の姿も、目にする覚悟はできていた…はずだった。


 地面を這う蛇の体だって、少し攻撃的になったつり目だって、伸びた髪の毛だって…それがセシリアさんなんだって、考えようとしていた…はずだった。


 それでも、怖かった。


 いまこの体を離したら、俺の知っていたセシリアさんはいなくなってしまう。そんな気がした。


「アレン…」


 俺の不安を感じ取ったのか、セシリアさんはいつもの優しい声で呼びかけてくれる。背中を撫でられて、俺は頭のぐるぐるを追い払う。


「セシリアさん…見るよ。ちゃんと見て、本当のセシリアさんのこと、ちゃんと覚えとく。俺…忘れない」


「…ありがとう」


 そっと腕を緩める。まだ瞼を閉じたまま。

 ぬくもりがふっと離れて、体を風が撫でる。


 瞼を、開いた。


 さっきまでと同じ亜麻色の服。少しだけ伸びた黒い髪。下半身が揺れて、体が水平に動く。足元には鱗のついた蛇の尾が伸びている。


 ひとつ呼吸をして、視線を正面に戻す。


「…なんだ」


 思わず声が漏れる。

 戸惑って、不安そうに俺を見るその顔は、なんてことはない、いつものセシリアさんだった。


「大丈夫だよ、セシリアさん」


 思わず、笑顔が溢れる。俺の方から一歩進みでて、その手を取る。


「ちょっと不安だったけど、大丈夫だ」


 手の甲を親指で撫でる。


「セシリアさんは、やっぱり、俺の知ってるセシリアさんだよ」


 控えめな笑顔。誘うような表情。やっぱりいつもの、少し変わった大人の女性、セシリアさんだった。


「…ありがとう、アレン!」


 嬉しさ余ったのか、セシリアさんはもう一度俺に抱きつく。片足に細い何かが巻きついた。セシリアさんの脚?だろう。


「ちょっと、セシリアさん! くっつきすぎだって!」

「いいでしょ? もう最後なんだから!」


 セシリアさんは急に元気になって、俺に頬ずりする。


「…キスしたら、怒られるかしら?」

「はぁっ!?」


 なんでセシリアさんが俺にキスしなきゃならないんだ!?


「うーん…怒られそうだけど…アレン、秘密にできる?」

「いや、待って! いろいろ追いつかない、待って!」


「だめぇ?」


 急に甘えたような声を出して、ぐいと胸を押し付ける。そのうえ、尻尾を曲げて上目遣いまで使ってくる。


「ダメだよ! なんかもういろいろダメだよ!」


「だって、アレンが私のこと助けてくれたでしょ? 私、嬉しかったんだから…だから…ね?」

「ひうっ!」


 耳元に口を当てたとろけそうなささやき声のあと、耳がペロリと舐められる。思わず情けない声が出てしまった。ダメだ…何かがダメになる!


「セシリアさん!」


 どうにかなってしまいそうな頭をようやく抑えて、セシリアさんの両肩をぐいと押す。

 セシリアさんは何か誤解しているのか、顔を赤くして視線を少しそらしたあと、目を瞑った。


「違う! しない!」


「えっ…してくれないの?」


 完全にセシリアさんの心が恋する少女に還ってしまっている。


「っていうか最後にイメージ変えすぎだよ!!」

「…っ!!」


 俺の言葉にようやく我に返ったのか、セシリアさんが両手で顔を覆う。その足元で、蛇の尻尾が勢いよく踊って、ラミアなりの地団駄を踏んでいるみたいだった。

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