竜巻の大蛇
意志を得た竜巻は大蛇のようにその身を複雑に曲げる。空を見上げていた黄色い二つの眼光は、尊大にも緩慢とその向きを下に変える。
「なんなのこれっ!?」
最初に悲鳴をあげたのはマイだった。
「俺たちが知るわけないだろ!」
次々に飛んでくる木の葉に、左腕をかざして目を守る。
マイが知らない生物ということは、俺たちはかなりの希少種を相手にしていることになる。場合によっては逃げることも考えなければならないが、退路はあのボロい階段だ。この風ですでに吹き飛ばされていても不思議じゃない。
フィャーーッ!!
低く降ろされた風の大蛇の頭から、笛のような高い音が破裂した。中空に円形の渦が生まれる。
「伏せろ!」
俺たち全員を貫くような横向きの旋風が駆け抜ける。これまでに感じたことのない巨大なエネルギーが空間を引き裂き、跳び伏せた俺の体を引き剥がさんばかりの風圧がそれに続く。
「無事か!?」
耳元で轟く風の向こうから、かろうじて二つの声が俺の叫びに応じる。
「たじろぐな! 援護頼む!」
駆け出すと同時に、俺は身体中のマナを沸き立たせる。両腕の筋肉を膨張させ、吹き荒れる木の葉の壁に向かって拳を爆発的に加速させる。拳から放たれる炸裂音も、この世界を揺るがすような風の轟きの前ではあまりに小さすぎる。ドレイクをも沈めた三連撃は、激流の中で子供がもがいた腕のように、風に巻き取られてしまう。
「矢も通りません!」
「アレン! 下がりましょう!」
口々に二人が声を上げる。俺もマイの意見に賛成だ。こんな化け物なんて相手にしていられない。遺跡の中に逃げ込みさえすれば、この巨体では追ってくることはできないだろう。問題は、あの階段を逃げ切れるかということか。
相変わらず続く強風の中、左右の足を擦るように後退る。駆け去ってしまいたいが、そんなことをすれば強風に足元をすくわれて戦況は悪化する。もしもう一度あの強烈な貫嵐を放たれれば、背を向けた俺に直撃してしまうかもしれない。
眼前の木の葉の壁は俺を逃すまいと迫り来る。風が全身を斬りつけるように吹き付け、枝葉が体を打つ。音も視界も通らない。ただ全身に打ち付けられる風の暴力が、踏ん張った両足を引きはがしたのを感じた。その次の瞬間には、何かに引き回されるように石造りの床を転がる。抵抗の余地すらない絶対的なエネルギーを前に、俺はただ両腕で頭を守ることしかできなかった。
「アレンさん! 後退を続けて!」
パートが銃を引き抜いて、虎の子の弾丸を発射した。あの巨体を前にすれば、いくら銃でも威力不足だ。時間を稼ぐことはできないだろう。床に拳をついて立ち上がると、俺の体の表面を白い光が走りまわって傷を塞ぐ。
嵐そのものと戦っている気分だ。あの渦の中に蛇の体があるんだろうか? それとも、これはただ意志を持ったように見えるだけの嵐なのかもしれない。もしそうだとしたら、いち人間が抗えるわけがない。
吹き飛ばされないように、身をかがめて後退する。ようやくパートとマイの近くにたどり着き、パートも弓で威嚇しつつ後退を始める。マイはもうすぐ階段に身を隠せそうだ。
フィャーーッ!!
再び耳をつんざくような声が弾けると、横に伸びた竜巻が俺を飲み込んだ。風圧なのか衝撃なのか、それとも実際に木の枝でも当たったのか、腕と肩の皮膚が引き裂かれる。体を持ち去ろうとする凄まじい風圧に比べれば、体に対するダメージは少なく済みそうだ。めいいっぱい踏ん張り、腰を落として風圧に堪える。
「キャーッ!」
風の轟きの中でわずかに悲鳴が聞こえた。マイか?
歯を食いしばり、ようやく後方に視線を向ける。木の葉が荒れ狂うその向こうで、柵にやっと手を掛けて、吹き飛ばされそうな体を支えている。風が止んでも、あれじゃ下に落ちてしまう。
右足を踏み出そうとして、重心がぐいと風に持ち上げられる。慌てて体を倒して両手をつく。この風の中では助けに行くにも歩くことすら難しい。
「マイ! 堪えろ!」
聞こえているかわからないけど、とにかく大声でマイに呼びかける。けたたましい叫びが止んで竜巻が通り抜けるのと同時に、俺は階段へ向けて駆け出した。
風にあおられていたマイの体が、今度は地面に引かれて下向きに倒れていく。マナで体を動かして、地面を蹴れば間に合うか? いや、そんな勢いでいけば自分ごと落ちてしまう。
握っていた金柵の縁にようやく片手の指先だけをかけていたマイの体が、外側からその金柵に打ち付けられる。その衝撃は、指を引き離すのには十分すぎる。
「マイ!」
伸ばした俺の手が空を切る。すべての支えを失ったマイの怯えたような目が、俺に向けられていた。飛び込んで落下を庇えるか? 俺はほんの一瞬逡巡して、柵に飛び乗った。
しかし、次の瞬間に俺が目にしたのは、頼りになる白い翼だった。
階下から飛び出したレイラがマイを受け止め、吹き荒れる風の中なおも優雅に身を翻し、俺を見た。
「パート!」
レイラはいつの間にか俺の横に駆けつけていたパートに呼びかける。その声だけで理解したのか、パートはすかさずマギスフィアを下に向ける。いつものようにそれは波打って、銃のような姿に形を変える。
「アレンさんも握ってください」
「へ?」
バシュッ!
短い音が鳴ると、レイラに向かってロープが射出された。落下の速度を緩められるといっても、空を飛ぶことはレイラにはできない。レイラごとロープで引き上げて、下の段に着地させるつもりか? パートの手に握られたロープ射出器を掴む。
レイラがロープを受け取ると、ロープの延伸が止まり、ぐいと下に引っ張られる。俺が踏ん張ろうとしたとき、パートは逆に跳び上がった。
「えっ!?」
左手で俺の腕を掴んだパートを通じて、3人分の体重で下に引かれる。さすがに俺も限界だ。吹き荒れる風とは何の関係もなく、柵にかけていた片足から滑り落ちてしまう。
「わぁーーっ!!」
パートと二人錐揉み状に落ちて、レイラとマイも通り抜けて、すごい勢いで地面が迫ってくる。なんとか空中で受け身を取ろうと体を動かすけど、パートと二人では上手くいかない。
(・・・頭だけは守らないと!)
そんなことを思った瞬間ぐっと速度が落ち、俺たちは地面の上にそっと置かれた。固く閉じていた目をゆっくり開くと、マイを抱いたレイラが急降下してくる。
「危ないって!」
急降下をかわすために横に転がって目を瞑る。しかしレイラは、地表の近くでふわりと速度を緩め、ゆっくりと着地した。
「つまり撤退か?」
レイラが不満げに言う。その腕から降ろされたマイは、すっかり腰が抜けてしまっている。
「はい。あの嵐の蛇には勝てません。おそらく、レイラ様とセシリアさんがいらしても…」
パートははじめから逃げるつもりでロープを投げたらしい。レイラは状況を知らなかったから、パートの独断だったんだろう。たしかにスムーズだったけど、まったく生きた心地がしなかった。へたりと座り込んでいるマイも、すっかり泣き出しそうな有様だった。
「・・・とりあえず、屋内に避難したほうがよさそうだな」
左右を見て状況を把握したレイラがため息まじりに言って、腰の抜けたマイをもう一度抱きかかえた。