大蜘蛛との死闘
蜘蛛が姿勢を低くして突進してくる。
跳び退くにしても相手がでかすぎる。
俺は身動きが取れないまま、蜘蛛の牙を腹に受けた。
「がぁぁぁっ!」
言葉にならない叫び声が聞こえる。
俺の口から出たものだということはわかっていたが、俺にはよく理解できなかった。
蜘蛛が一つ首を振ると、腹の肉が食いちぎられ、俺は何かに激しく全身をぶつける。
血液を失ったのか、手足が痺れる。
本来なら激痛を覚えているはずの腹部も、どこか遠くにあるみたいに感覚がない。
それでも、俺は立ち上がる。
逃げるか、戦うか。
一瞬の逡巡が俺の行動を遅らせる。
蜘蛛の素早い動きは、俺の退路を塞いでいた。
それなら、答えは一つだ。
俺は痺れた両手を強く握る。
いつも通りに拳を叩き込めばいい。そうすれば、倒せない敵などいない。
気力を振り絞った拳が蜘蛛の顔面を捉える。
硬い皮膚を貫いた感触。
(…行ける!)
すかさず左の拳を繰り出すが、体が痺れてうまく当たらない。
もう一度右ストレート。
蜘蛛は顔面でそれを受け止める。
全く動じもせず。
俺は、奴にとってはただの獲物だったのかもしれない。
牛と同じように、弱く、惨めな。
右肩に食いつかれる。
肉をえぐる牙の感触と、右肩の骨が砕かれる感触。
俺は負けを、死を悟った。
全ては冷静さを失った俺の責任だ。
(母さん…親父…すまなかった。)
覚悟を決めて目を閉じる。
ちょうどその瞬間。
「アレン!生きろ!」
蜘蛛の牙が体から引き抜かれ、蜘蛛が大きくのけぞる。
大蜘蛛の背中には、大剣を突き立てる白い翼の戦士の姿。
「レイラ…」
剣を引き抜いたレイラは、空中で前転しながら倒れた俺をかばうように立ちふさがる。
「レイラ!ジャイアントタランチュラよ!麻痺毒に気をつけて!パート!回り込むのを手伝って!アレンを助けないと!」
マイの声が聞こえる。
続いて、発砲音。
蜘蛛の体当たりを、レイラは躱さずに盾で受け止める。
蜘蛛を押さえたままレイラが右手で剣を振るうと、蜘蛛はわずかに怯んだ。
タイミングを合わせるように、銃弾が蜘蛛の体に突き刺さる。
魔力が炸裂して、蜘蛛の足の付け根から緑の血液が飛び散った。
俺の体を淡い光が包む。温かな光が俺の傷口に集まって、みるみるうちに修復していく。
「アレン、立って!」
マイの叫び。
言われなくても、俺は立ち上がる。
この腐れ大蜘蛛野郎に、俺の命一つ分の怒りを叩き込んでやらなければ、俺は納得いかない。
拳に力が戻って来る。
再び全身の血が沸き立つ。
怒りで俺の両腕の筋肉が一気に膨張する。
蜘蛛が再びレイラに躍りかかる。
レイラはわずかに俺に目配せすると、大きく右に跳び退いた。
俺も大きく左に跳び退いて蜘蛛を挟み込む。
全力の拳が、そして剣が、蜘蛛に叩き込まれる。
蜘蛛の硬い皮膚を突き破って、俺の拳は蜘蛛の肉を抉った。
その巨体から生命が消える。
ただの肉塊に成り果て、おぞましい存在感がたちどころに消えていく。
それを感じ取った俺は、その場に膝をついて崩れ落ちた。
治療のためにマイが駆け寄ったとき、俺は安堵から意識を失ってしまっていたらしい。
気がついたときには、俺は家にいた。
母さんが顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら、目を覚ました俺に抱きついてわんわん泣いた。いったい何度言われたのか数え切れないほど、バカバカと胸を叩かれた。
母さんの声を聞いたのか、すぐに親父がやってきて困ったような顔をした。
「俺は、お前の行動を褒めんぞ。だが、生きて帰ってきたことは褒めてやる。よく頑張った」
親父はそれだけ言うと、すぐに振り返って部屋を後にした。
しばらくして母さんがようやく泣き止んだとき、俺は天井に向かって言った。
「母さん。俺、冒険者になるよ。レイラに頼んでみる」
その言葉が出てくることを知っていたみたいに、母さんは何の反応も返さず、ただ俺を潤んだ瞳で見つめていた。