共存への道は遠く
それから4時間後、休憩を挟んだ俺たちはセシリアさんの家に向かった。
目的は一つ。セシリアさんの今後の振る舞いを教えてもらうためだ。
スタンリー司祭や親父の前では低級の魔法しか使わなかったらしいが、親父のことだ、その魔力のポテンシャルには気づいていることだろう。
冒険者だったと言えばそれはそれで済むかもしれないが、時間が経てばそのうち気づいてしまうだろう。スタンリー司祭にしても、もし気づいてしまったら、立場上セシリアさんの滞在を許すわけにはいかない。
村のために戦ったがゆえに、村から離れなければならなくなった。
といって、俺たちと行動を共にするわけにもいかない。あまりに危険すぎる。信頼の築けていない土地で秘密が明らかになってしまえば、容赦無く殺されてしまうだろう。俺たちも守るに守れない。
これは、ひとりで村を離れた場合でも同じことだ。
安定した定住地を失ったラミアは、しばらくの間血液を安定して得られる環境を失う。そうなれば、事実上盗賊や蛮族と変わらない生活を強いられることになる。そうしながら、新しい定住地を探し求めなければならない。
セシリアさんのように人間との共存を望むラミアにとって、こんなに辛い生活はないだろう。
反蛮族のライフォス神官が聞けば、俺自身が裁かれかねない考え方だ。でもセシリアさんは、これまでずっと人として触れ合ってきた相手だ。そんな簡単に「蛮族滅すべし」なんていう考え方にはなれない。
「セシリアさんに会う前に、私の意見を言っておく」
宿を出る前に、レイラは全員に向かって明言した。
「彼女が何があってもこの村に残りたいと言うようなら、彼女は危険だ。村を出るつもりだと言うようなら、しばらくの間この村に残るように勧めるべきだ。すべて執着心は人を狂気に陥れる。彼女にその兆候があれば、私は村からの退去を命令する」
「斬る」とは言わなかった。レイラも、多少なり恩義を感じているのだろう。
セシリアさんの診療所には、今回の騒ぎで慌てて怪我をした人が何人か訪れていた。自分も疲れ切っていただろうに、セシリアさんは包帯を巻いたり湿布を貼ったりしている。
俺たちに気づくと、セシリアさんは、少しだけ待ってもらうようにお願いしてきた。
「どうしても、私の手で処置をしておいてあげたいんです」
そう言って、残っていた数人の軽症者たちのもとに駆け寄っていった。
その態度を見ればわかる。セシリアさんは村を去るつもりなんだろう。今日の治療を最後の仕事にしようとしている。そういう態度だ。
結局、俺たちはさらに30分、待合室で待っていた。
診療所から出て行く村人に礼を言われたり冗談を言われたりしながら、俺たちはその時間を過ごした。こんなところで考えていることを話すわけにもいかない。
全員が帰ってしまうと、セシリアさんは玄関を閉じてカーテンを閉めてしまってから、俺たちに深々と礼をした。
「本当に…本当にありがとうございました」
マイが立ち上がって、顔を上げさせる。
「セシリアさんは、これからどうするつもりなの?」
単刀直入に訊いてみる。答えは明らかだった。
「明らかになってしまった以上、もう村にはいられません。魔法も使ってしまいましたし、すぐに不審が広がってしまうでしょう。そうなれば私だけではなく、私の好きな村の皆さんの間に、なんらかの問題が持ち上がってしまいかねません」
レイラが立ち上がる。
「率直に言って、私は蛮族のことを信用できません。あなたのことも、よくは知らない。もしもアレンが我々の仲間にいなければ、私は迷わずあなたを斬っていました。しかしアレンは、あなたを信頼している。そして私は、私の仲間を信頼している。アレンに免じて、私はあなたを斬らない」
セシリアさんが、涙をためた視線を俺に送る。
「あなたに一つ、お尋ねしておきたい」
すでに滞在を許す条件は揃っているはずだ。これ以上、何を尋ねるのだろうか。
「あなたは、これまで幾つの村を渡り歩いてきたんですか」
レイラの目はそれでも、人に向ける目をしてはいない。そのことはセシリアさんも感じているだろう。
「もうこれで4つ目になります。それぞれの村で小さな噂話が持ち上がると、すぐに新しい土地に移動してきました。自由都市連合の方をうろうろしてきたんですが、もうそれも限界で…。この村でも、いい関係を築けていたと思うんですが…いえ、そんなの、私の一方的な誤解というのはわかっているんです。だって、こっそり、血を吸うんですから」
「セシリアさん」
思わず、俺は声をかける。
「大丈夫。村のみんなも、セシリアさんのことは信頼してるし、大好きだ。今日だって、あんなにたくさんの人がセシリアさんを頼ってきたじゃないか。本当は、治療なんて必要ない人もいただろ? 理由をつけてセシリアさんに会いたいってだけでさ。そのくらい、みんな、セシリアさんのこと好きなんだよ」
「ありがとう、アレン」
診療所に小さな沈黙が流れる。
蛮族として生まれてきてしまったがゆえの、どうしようもない問題。
誰にも解決できないし、誰が悪いわけでもない。
「セシリアさん。私たちがいなくなった後しばらくしたら、遺跡の調査のために冒険者が往来するようになります。そしたら結局、この村に滞在するのは難しいと思うんです」
沈黙を破ったのはマイだった。
「だから、急がなくていいんです。人族の都合でこんなことをお願いするのは、いけないのかもしれないんですけど、新しい滞在先を見つけてください。冒険者の往来が激しくなるまでは、私たちの滞在期間を含めて、あと3週間くらいはあるはずです」
3週間。この村を拠点にしながら、次の滞在先の目処をつけられれば、少しでも生活の難は少なくなる。盗賊まがいの生活をする期間がなくて済むのだから。
マイの言葉を聞いて、セシリアさんは俺たちを順に見る。
全員が頷いて、同意を示す。
「私は…どう言って、お礼をすればいいのか…ありがとうございます…本当に…ありがとうございます…」
セシリアさんは、必死に涙をこらえているみたいだ。
そこにレイラが歩み寄って、肩に手を触れる。
「礼なら、アレンに言ってください。私には、それを言われる資格はない」
そう言うと、レイラは玄関に向かって歩き出す。パートが黙ってそれに続いた。
マイが声をかけようとするけど、言葉が出ないみたいだった。
「じゃ、セシリアさん。俺も行くよ。俺も、あと一週間でここを出るからさ。そのうち何日かは遺跡探索だし、もう残り短いんだ。最後まで…よろしくね」
それだけを言ってレイラの後を追う。
「何かあったら、私たちに伝えてくださいね。状況を知っているのは私たちだけなんですから! ではわたしも、失礼します!」
マイが珍しくハキハキと言って、セシリアさんを励ました。
人族が人族を殺すこともあれば、蛮族が人族を助けることもある。
人族の俺たちは、蛮族のセシリアさんを本当の意味で助けることはできない。
もしも俺が、蛮族の中でしか生きられない体を持っていたら。
俺は、蛮族に優しくできるんだろうか。
本性が明らかになったとたんに、ひたすら自分を殺しにくる。そんな連中に治療を施せるんだろうか。
セシリアさんはそうやって、4つも村を転々としてきた。
人族の優しさを信じて。共存の可能性を信じて。
結局、モリス村もその場所にはなれない。
人族はまだ蛮族を受け入れられるほど、豊かな文化を育めていない。
もっと長い月日と技術の発達が、人族と蛮族の間に新しい時代を築くのかもしれない。
しかし、それは遠い未来の話だ。