冒険者の食卓
翌日の朝、寝ぼけ眼を半分開いたような状態で、食堂に質素な朝食を運んでいると、服の裾をつままれた。
誰かと思えば、エルフのマイである。
「アレン。ちょっと質問なんだけど、ひょっとしてこの村って、冒険者向けの店って一件もない?」
冒険者向けの店という言葉が何を意味しているのかにもよる。たしかに剣とか盾を売っている店はないし、弾丸だって見たことがないかもしれない。それでも、矢なら狩猟用のものが売っているし、薬草だってセシリアさんが仕入れてくれる。
「何を買いたいんですか?」
「んーと、まずは救命草と魔香草かな。それから、パートの弾丸も補充できると助かるなぁ。それから武器防具類の修繕とか、携帯型の松明やロープも必要になるかもしれない。それから…」
マイが手元のメモを見ながら、羽ペンで自分の頬を打って、考え込む。
「薬草類についてはセシリアさんのところで買えますよ。他は、ちょっと難しいかもしれません。ああでも、ひょっとしたらラマンさんが仕入れてくれてるかもしれません」
マイは首をかしげる。
「だれ?」
「セシリアさんは村の薬師です。ちょっと変ですけどいい人ですよ。ラマンさんは親父の冒険者仲間だった人で、今は行商人をやっています。明後日くらいには、また村に来ると思いますよ」
なるほどと言いながら、マイはまた走り書きで情報をメモする。
「あ、その羊皮紙だったらチャンさんのところで買えるから、心配はいりませんよ」
俺の言葉に、マイがにこりと笑う。
「ありがと、リストに載せるの忘れてた」
うんと小さく満足げな声を漏らして、マイは羽ペンをおく。
「というわけで、セシリアさんのところにお買い物をお願いしてもいい?お金はこっちで渡すから、救命草を3つと魔香草を5つお願い」
自分の可愛らしさを自覚しているような笑顔が、俺に向けられる。
断りづらいと感じてしまうのが男の性というものだろう。
「わかりました。ラマンさんの予定、親父に聞いてきますね」
「おっ気がきくねぇ。ありがと、アレン♪」
マイは調子良く手を振って、俺を食堂から送り出した。
台所では親父と母さんが慌ただしく朝食の用意をしている。自分たちの食事を作っていたおかげで、台所には蜘蛛の巣が張っていなかったらしい。
「親父。ラマンさんって、次いつくるの?」
鍋を振る親父は、かまどから噴き出すような炎に煽られて、額に汗を滲ませている。
「ラマンなら明後日だろう。ああそうだ、防具の修繕くらいなら俺がなんとかするって言っておけ。消耗品や新品の装備はラマンから買えるからな」
「親父そんなことできるの?防具の修繕って、鍛冶屋がやるやつだろ?」
冒険者たちが自分でできないということは、それはけっこう難しい作業のはず。いくら冒険者だった親父でも、安請け合いできるようなものじゃないはずだ。
「お前の親父をなんだと思ってんだ。俺はな、ただのグラップラーじゃねぇんだぞ。俺はな、フジュツってのにも通じてるんだ」
術なんていう言葉が最も似合わない筋肉親父が、自慢げに言ってみせる。もっとも、フジュツがなんなのかすら知らない俺にはさっぱり通じない自慢なのだが。
「わかった。とにかく伝えとくよ」
次の食事を盆に載せて食堂に折り返すと、食堂には3人が揃っていた。しかしパートの分の皿が、すべてレイラの前に置かれている。
「あれ?パートさん、食べないんですか?」
「パートはな、ルーンフォークだから普通の食事はいらないんだ」
合間合間でパンを口に押し込みながら、レイラが応じる。この勢い、まさか二人分食べるつもりなんだろうか。
「そういうことなら、教えておいてくれたら…」
「いや、私の食事が減るだろう。それは認められん」
冗談のトーンではない。昨日の会議と同じ真剣さでレイラが断言した。言っているそばから、パートの分のオムレツを掬って口に運ぶ。
確認のためにマイを見ると、彼女は明らかにそれとわかる苦笑を浮かべている。
「わかりました。ええと、マイさん、やっぱり明後日にはラマンさんが来るそうです。それから防具の修理は親父ができるって言ってました。フジュツとかいうのを使えるって、自慢げでしたよ。」
その言葉を聞くと、レイラが食事の手を止める。パートも驚いたのか、わずかにこちらを見る。
「ノリスさんアルケミストだったのか!すごいぞ!それはすごいぞ!」
レイラは興奮気味にそう言うと、また勢いよく二人分の朝食を掻き込み始める。
「滞在中に賦術を教えてもらわないといかんな!」
口の中のものを飲み込まないうちにそう声に出す姿は、若い見た目を一層幼く見せる。昨日は少しかっこいいとか綺麗だとか、そんなことを感じた気がするけど、美少女の容姿もさすがに台無しって感じだ。
「幻滅させてごめんね」
ため息交じりの申し訳なさそうなマイの謝罪。
レイラは顔を上げて不思議そうにマイを見る。
「どうした?何かあったのか?」
「なんでもないんです。レイラさん。ご飯、美味しそうに食べてくれてありがとうございます」
俺はそれだけ言って食堂を後にした。
それから冒険者たちの出発を見送って、次は俺がお使いに行く段になった。
「セシリアさんのところだったら、お使いに行ってもいいかも」
美人の頼みで美人のところにお使いに行く。
人生で一度は経験してみたいことのひとつが、今、実現した。
マイから渡されたのは600ガメル。一ヶ月はいい暮らしができそうな額だ。一般人にはとても考えられない額だけど、冒険者用の薬草はそんなに高いんだろうか。
「すみませーん、セシリアさん薬草くださーい。」
村の診療所になっているセシリアさんの自宅の一階は、俺も何度か来たことがある。
「アレン?お父さんが怪我でもしたの?」
奥から村一番の美人と評判のセシリアさんが現れる。
この歳になってわかることは、泣きぼくろは女性をセクシーにするということだ。
それにしても、もう結構な歳のはずだけど、俺の子供の頃から全くと言っていいほど見た目が変わっていない気がする。
「いや。ほら、冒険者たちが来たでしょ?そのお使い。なんだっけ・・・救命草3つと魔香草5つって言ってたかな。600ガメルもあるんだけど、多すぎない?」
使い慣れない金貨を六つ、カウンターに並べる。
「それなら、ちょうどかしらね。魔香草は貴重だから、すごく高いの。今度また摘みに行っとかないと、冒険者さんに買い占められちゃいそうね」
ふふっと上品な笑いを挟む。
セシリアさんはきっとこの村の育ちではない。こんな上品な笑い方はこの村には不釣り合いだ。
「でも、北森に蛮族が出たらしいよ。それに、最近盗賊も出るって言うし。気をつけてね」
「あら?そうなの?それは、ちょっと怖いなぁ。それなら、今度行くときは、アレンが守ってくれる?」
あえておっとりと話し冗談めかした笑みを浮かべるセシリアさんは、あまりに可愛らしかった。
村人の誰もがその実年齢を知らない、ミステリアスな美女。セシリアさんは村の男たちから大人気の薬師であり、分け隔てなく真剣に治療する姿勢は、女性たちからも厚い信頼を寄せられている。
「はい、これ。冒険者さんに。それから10ガメルはお釣り。これは冒険者さんに渡してね。でも、あと20ガメルはまけてあげる。これはアレンが自分で使ってね」
そう言うと、セシリアさんはウインクして俺の手を包むように30ガメルを手渡す。
腹ペコヴァルキリーさんと違って、柔らかい女らしい手のぬくもりが、俺を包んだ。