モリス村からの依頼
金属鎧を外したレイラは、美しい少女にしか見えなかった。
俺は思わず息を飲んで、その姿を見つめてしまう。
「どうした。わたしの翼がそんなに珍しいか?」
バスタードソードを傍らに置くと、レイラが翼を大きく広げてみせる。
「大天使レイラ様ってね」
「ちょっとレイラ、羽が邪魔で通れない!」
翼の裏側の方からマイの声が聞こえる。
レイラがそれに応じて翼を閉じると、荷物だけを下ろしたマイが俺の存在に気付いて、小さく挨拶する。
「パートもすぐに来る。ええとそうだな、地図の用意があるのはありがたい。」
レイラが歩み出て、俺のすぐ横で地図を覗き込む。
「私たちが来たのはどの入り口?」
マイが尋ねると、レイラが地図上の一点を指差す。
「ここだ。東に森があるな。きっと奴らの住処はここだ」
「でも、ちょっと気をつけた方がいいかも。作戦を立てられるってことは、ひょっとしたら指揮官がいるのかもしれない」
そうこう言っている間に、パートが静かに部屋に入り手頃な椅子に座る。まだ彼の声を聞いていない。それに、ルーンフォークと言っていた。あの体がジェネレーターから生まれた人造人間だなんて、とても信じられない。
「あの、なんの話をしてるんです?害獣が出たのは、ディザとは正反対の方ですよ?」
俺が口を挟むと、レイラが顔の向きを変えて、少し身を乗り出して俺を覗き込む。
「君たちの村は、蛮族に囲まれつつある」
「はあ?」
思わず声が裏返ってしまった。たしかに行商人が盗賊に襲われたという話は聞くようになった。でも、ルキスラ帝国の領内に蛮族が現れたなんていう話は生まれてこのかた聞いていない。
「私たちがこの村にたどり着いたとき、インビジブルビーストの奇襲を受けたの。一匹は撃退できたんだけど、もう一匹はすぐに逃げちゃって。あの感じはただ狩りをしてるんじゃなくて、何か目的と作戦をもった動きだったと思う」
マイが補足説明をする。その襲撃があったのが、地図上のこの地点ということなのだろう。ディザの方向っていったら、北森がある。あそこが蛮族のねぐらになっているなんて、ありえない。
「この辺で蛮族を見たなんて話は聞かないぜ?なんかの間違いじゃないか?」
「私たちも、」
腹の底から響かせるような、力のあるレイラの声が発される。
「間違いだった方がいいとは考えているんだ。しかし奴らは現に現れたし、私たちはこの村を守るという仕事を頼まれている。これで雑魚の大蜘蛛だけ倒して、はいさよならじゃあ話にならんだろう。」
「とにかく、その森はマークしときましょう。ピンはある?」
マイは小さな羊皮紙に「インビジブルビースト蛮族部隊?」と走り書きをして、地図上にピンで留める。
「それで、俺は何のために呼ばれたんです?」
また地図とにらめっこを始めたレイラが、地図を見たまま応じる。
「君は、つまり、この村の地理を聞きたくてね。ええと、そうだ。害獣の被害が出たっていうのは、村の南東と聞いているが、この家でいいのかな?」
レイラが指をさしたのは、地図の右下に書かれた畑の中の一軒家だ。地図の見方がわからなくても、こんな畑の真ん中に家が建っているのがパルウィリーさんの家だということはよくわかる。
「たぶん。パルウィリーさんの家なら、自由都市同盟の方の畑の中、ですよね?」
訝しげな目が俺に向けられる。
「なにか?」
「いや、君・・・地図が読めんのか?」
バカにしたような口調だ。冒険者だから地図が読めるだけのことを、鼻にかけやがって、気に食わない。
「地図なんてなくても、俺は迷わねーからな」
口にしてから、失敗したと思った。挑発されてすぐに言葉遣いが乱れてしまった。こんなことでは、バカにされたのを気にしていると教えてしまったようなものだ。
「まあいい。それから、ノリスさん、君の父さんが言っていた遺跡というのが、西の方にあるらしいな。夕日の沈む方の森の奥だろう?」
「そう、です」
同年代の女に向かって、堅い言葉を使わなければならないというのは、どうにも気に入らなかった。しかも、相手は高慢な態度に鎧を着込んで身を守らないと戦えないような女だ。
「よし。ひとまず依頼は三つということでいいかな」
そう言うと、レイラはマイとパートに目配せして同意を求める。二人が小さく頷いて、マイはまた羊皮紙に走り書きをする。
大蜘蛛退治、インビジブルビースト、遺跡探索。地図に三つのメモ書きが並んだ。
「大蜘蛛退治が一番楽そうだな。明日はそのパルウィリーさんのところに話を聞きに行って、大蜘蛛の寝ぐらを探してみよう。討伐は、うまくいって明後日かな。他の件はそれから決めよう」
自分に言い聞かすように、レイラが一度うんと頷く。
「そうだアレンくん。この村で本が置いてあるところって思い当たらない?」
「あの、その『くん』って付けるの、やめてもらえません?子供扱いされてるみたいで」
エルフは実年齢が驚くほど高いと聞くから、きっとこのマイという女も、見かけの割には歳をとってるんだろう。それでも、ほとんど同い年にしか見えない女に、くんを付けて呼ばれるのはイライラしてしまう。
「ああ、ごめんごめん。それじゃあ、アレン。本のあるところ、知らない?」
「ありがとうございます。えっと、たぶん、村長の家くらいだと思います」
この村は、本なんていうものから最も遠いところにある村だ。それでも、村長だけは本を集め続けている。この村が廃れそうになったとき、知識が村を救うことになる…そうは言っていたが、その村長が提案したのは、結局冒険者にすべてを丸投げすることだった。
「わかった。それじゃあわたし、朝のうちに村長さんのところに行ってくるよ。パルウィリーさんに聞き込みをするのは、二人で大丈夫でしょ? 蔵書を確認して、この辺りの遺跡について何か情報がないか、少しずつ調べておきたいし」
「了解だ。明日の動きは決まったな。では、今日は移動もあったことだ。ここらで休息をとって明日に備えよう。とはいえ、いつ蛮族の襲撃があるか知れたものじゃない。警戒は怠るなよ」
マイとパートが部屋を去ったところで、レイラが俺の方を見る。
「さっきは済まなかった。単純に、驚いてしまったんだ。侮辱する意図はなかった」
地図が読めなかった件を言っているのだろう。そんなこと、こっちも気にしていない。
「いえ。こっちこそ、すみませんでした」
美しい顔に、笑みが浮かぶ。村では見たことのない洗練された容姿に、俺は思わず目をそらせてしまう。
「喧嘩っ早いとは聞いていたが、なかなかいいところもあるじゃないか。短い滞在だが、よろしく頼むよ」
右手が差し出される。美しい少女との、密室でのやり取り。心臓がいつもより大きく脈打つ。
「いえ、こちら、こそ」
言葉をうまく作れなかったような気がしたが、おずおずと右手で握手に応じる。
握った手は、女性とは思えないほど硬く鍛えられていた。