刺激的な夜
レイラたちが拠点にしている冒険者の宿〈紅蓮の大斧亭〉に到着すると、ガタイのいい男が威勢良く声をかけてきた。宿の主人なんだろう。
「おう! レイラちゃん! お早いお帰りだねぇ! それも男連れなんて、マーガレットが聞いたら泣くぞぉ?」
「エックハルトさん、こいつはアレン。モリス村一番の拳闘士で、パーティに加わってもらった。フルネームは…」
「アレン・バッツだ」
レイラより先に言って、エックハルトと呼ばれた男に右腕を差し出す。
「俺はエックハルト。エックハルト・ドゥーデンヘッファーだ。ここで冒険者を育ててる」
握手を返しながら、エックハルトが自己紹介する。
握手をした感じだと、相手は親父と同じかそれ以上のグラップラーだったようだ。
「バッツっていったら、ノリスの息子じゃねぇか?」
「親父を知ってるのか?」
思わぬ質問に、俺は目を丸くする。
「当たり前だ。若い頃には競い合う仲だったからな。ノリスの息子なら腕も確かだろう。紅蓮の大斧亭へようこそ、アレン。歓迎するぜ」
相手も、握手をしている間に俺の握力と筋肉を確かめたのだろう。まだまだ親父やこの人にはかなわないかもしれないが、そこらの素人とは勝負にならないほど、俺も鍛え上げられている。
「それで、エックハルトさん。明日の早朝に馬を借りて村に戻るつもりなんだ。一晩だけ、部屋を都合できないか?」
俺たちが意気投合したところで、レイラが本題に移る。
「あるにはあるが、一室しかねぇな」
「えっ!?」
「ならそれでいい」
「はっ!?」
一室しかないのを勧めてくるエックハルトさんもエックハルトさんだが、それを二つ返事で受け入れるレイラもレイラだ。いったいどういうつもりなんだ。
「いやでもな、レイラちゃん。俺もマーガレットの愚痴を聞くのが大変なんだ。せめてアレンはこの辺で寝てもらわねぇと」
「いや、明日は手強い蛮族と戦わねばならん。ゆっくり休息はとってほしいんだ」
俺はエックハルトさんに救いを求める視線を送る。
「いや、レイラちゃん。だったら余計にここで寝てもらったほうがよさそうだぜ?」
エックハルトさんは、男の情というものをよく理解できる人らしい。それがせめてもの救いだ。
「ベッドのほうがいいに決まってるだろう。なあアレン?」
「い、いや、俺は、この辺で寝れば、それで、いいよ、うん」
言葉がしどろもどろになる。実は少しだけ、同じ部屋で寝たい。レイラの寝顔が見たい。
でもそんなことになったら、俺は絶対に眠れない。
頭の仲で葛藤する。このチャンスを逃していいのかと、心臓が激しく高鳴る。
「大丈夫だ。早朝にはディザを出るんだ。マーガレットにはバレやしない。エックハルトさんも、心配する必要はない」
さっきから話題に出ているマーガレットが誰なのか気になるけど、今はそれどころではない。男としての欲望に打ち勝ち、冒険者としての自覚と誇りある態度を貫かなければ、俺は冒険者失格だ。
「レ、レイラが…」
「ん? なんだ?」
レイラが耳を寄せる。
「レイラが…き、き、き、気にしないなら…お、同じ…部屋でも…いい、かなぁ…なんて」
「ほらエックハルトさん、部屋の鍵を頼む。アレンの様子がおかしい。早く寝かせてやらないと」
もうエックハルトさんの顔を見る勇気がない。多分俺は顔を真っ赤にしていることだろう。冒険者アレンは男アレンにストレート負けだ。
「おいアレン。俺からの手向けだ。これを持っていけ」
そう言うと、毛布を二枚束ねたものを、投げてよこす。
床で眠れる!こっそり寝顔だけ見るくらいで、なんとかなる!
「マーガレットに見つかっても知らねぇからな。ほい鍵」
レイラに引きずられるように、部屋に入ると、案の定ベッドが一つしかない。
「ふぅ。疲れたな!」
そう言いながら、レイラは鎧を外す。鎧の着脱時には、翼をしまうらしく、レイラも普通の女剣士に見える。
「大丈夫か、アレン。さっきから様子がおかしいが」
バスタードソードと鎧を脇に置いて、ポーチから布をひとつ取り出すと、腰のあたりから服の下に突っ込んで、汗をぬぐい始める。
「金属鎧は暑くてたまらん。本当は水でも浴びたいところなんだがな。もう遅いし仕方ないだろう。それで、どうしたんだいったい?」
どうしたもこうしたもあるか。突然美少女と同じ部屋で眠れと言われて平常心を保てる15歳がいたら、俺はそいつに忠誠を誓ってやってもいい。いや、結局自分で希望したんだけど。
「これ、エックハルトさんにもらったから、俺が床で寝るよ。レイラはベッドを使いな」
「ん? うーん…確かに狭いな。しかし、眠れんこともないだろう。肩身が狭いと肩がこるか?」
レイラがいつもの調子で言う。本当に何もわかっていないんだろうか? それともそのつもりで誘ってるのか?
「成人前に放浪していたときには、パートとよく同室だったんだ。誰かと眠るのは、安心できて悪くないぞ」
ああ、これはウブなやつだ。パートは人造人間だから、絶対に男ならではの問題に苛まれてない。今の言い方だと、レイラは若い頃からパートと放浪していて、男というものを全然知らないんだ。
だとしたら、マーガレットって誰だ? あの言い方だと男かと思ったけど、どう聞いても女の名前だ。
「あのさ、マーガレットって誰?」
恐る恐る聞いてみる。婚約者とかだったら、今すぐこの部屋を出よう。
「ああ、マーガレットはここで会った冒険者仲間だ。別のパーティだけどな。いい娘なんだが、どうにも私につきまとってきてな。ねえさま、ねえさまと言っては、私にまとわりつくんだ。いつか向こうを辞めてこっちの仲間に入れてくれと頼んでくるんじゃないかとヒヤヒヤしている」
なるほど確かに、レイラはその容姿も振る舞いも、女にもてそうな女というのはよく分かる。頼りになる美形と見れば、女はすぐに飛びつくものだ。
「だめだ。拭きにくい」
そう言うと、レイラはいきなり服を脱いだ。
「なっ、おい! ちょっ!」
慌てるフリをして手で目線を隠すようにしつつ、指の間からしっかり見ようとする。
…それでこそ男というものだ!
サラシが巻いてある。腰のラインとへそはしっかり見えるが、胸が見えない。悔しい。
「・・・ああ、そうか! リルズの教えにもあったぞ! 男と女はそうやって恥じらうのだったな! 忘れていた!」
俺の反応を不思議そうに見ていたレイラが、急に思い出したように言う。
リルズとかいう神様はいったい何を教えているんだ? 男と女の関係について教えている神様なんて、ふざけてるんじゃないのか?
「よし、それじゃあこうしよう。私は胸のところを拭きたい。そうのうえ教えに従いたい。そこで私は後ろを向いて、サラシを取ることにするぞ。これでリルズさまも納得なさるはずだ」
リルズっていうのは、エロスの神様か何かなんだろうか。そしてレイラは、いったいどういう神経をしているんだろうか。
「私はなぁ、幼い頃、男として育てられたんだ」
俺はサラシを外す背中を凝視する。レイラに見られていないなら、何の恥じることがあろうか。俺は見たい。全力で目に焼き付ける。羽があったところだろうか。背中の方では、サラシは上下に分かれていて、肩甲骨の半分が露出している。
「なんでまた。そんなにかわいいのに」
レイラの背中ばかり見て、あんまり考えないで口を開いたものだから、言ってから自分で驚く。なんて恥ずかしいことを言ってしまったんだ。
「ははっ、ありがとう。男として育てられたおかげで、この口調と剣術の腕が身についた。感謝はしているよ。しかし、私に翼があることを知った修道僧が、私は女だと言って聞かなくてな。ヴァルキリーは女にしか生まれないと」
上半身の全てが外される。抱きつきたい。押し倒したい。しかし俺にそんな勇気はない。ここで悶々としながらレイラと会話する以外に、俺には何もできない。
「それでいろいろ私も調べてみたんだが、どうにも女だということに気づいてな。だからあの翼は、私にとっては、私が女であることの証明なんだ。金属鎧や大剣を担いでいても、私が女として誇りを持っていられるのは、あの翼があるからだ」
ランプの明かりに照らされた綺麗な背中には、二つの翼型の痣がある。
それがチャームポイントという言葉の意味だったのか。それにしても、女として誇りを持っているなら、簡単に俺と同室しないで欲しいのだが。
「それで、そのことを教えてくれたリルズ教会に通うようになって、ほんのわずかだが、神のご加護もいただけるようになった。女として過ごし始めたのは、だから…10歳くらいの頃かな。それで、いろいろズレてしまっているんだ。よくマイにも叱られてな。…よし、拭けたぞ」
そう言うと、痣がわずかに輝き、一瞬のうちに白く淡く輝く翼が広がった。
その瞬間を初めて見たけど、息をのむほど美しく、神秘的な光景だった。
「次は翼の手入れだ。出しっ放しにしていると、汚れるんだよ」
レイラの翼が広がったことで、後ろ姿の大部分が、いつも見ているレイラの姿に近くなり、俺もようやく興奮を鎮める。
俺の方でも上着を脱いで、軽く汗をぬぐってしまうと、エックハルトさんに渡された毛布を広げた。
「とにかく、俺は床で寝るぞ」
「それが普通なのか?」
レイラが上体傾けて振り向く。残念ながら、胸は翼で隠れている。
「よくは知らないけど、男女が同じベッドで寝たら、翌朝には二人とも裸になっているのが決まりなんだ」
「ははっ、それは困るな」
たぶん床で眠ろうとしても、俺は眠れないだろう。すぐそこでレイラが眠って無防備な姿をさらしているというだけで、心が落ち着かない。
でも本当に冒険を始めたら、そんな夜ばかりなんじゃないだろうか。街道沿いでも森でも山でも草原でも、同じテントの中で、レイラもマイもパートも一緒に眠るんだろう。
早くこんなことには慣れてしまわないと、身がもたないな…。
ようやく冒険者としての自覚を取り戻してきた俺は、毛布に潜り込んだ。