大拡張工事
簡易カーテンの内側で服を脱ぎ、ロングタオルで腰と胸元を隠した凜さん、ユキ、ハルの三人は、桶を持ち、洗い場の奥、仕切り板の辺りまで歩く。
まだ朝であるこの時間、洗い場にはおじいさんが数人と、中年のおじさんが二人ぐらいいるだけ。若い男性や女性の姿は見えない。
石榴口の向こう側にも二、三人、おじさんかお爺さんがいたはずだが、はっきりとは覚えていない。
仕切り板の間で身体を洗っている三人の娘達、計算通り背中しか見えないのだが、やはりそれでもほとんどの男性はチラ見しているし、中にはずっと見つめているおじさんもいる。
石鹸で綺麗に身体を洗い終えた三人は、またロングタオルで身体を隠して、石榴口を潜って湯船のある空間へ。
こうなると、番台からでも全く中の様子を見ることができない。
しばらくして……。
「誰じゃ、ワシの尻を撫でまわしておるのはっ!」
という、お爺さんの大声が聞こえ……数秒の静寂の後、湯屋の中は爆笑に包まれた。
たぶん、三人の女の子が目当てで痴漢が出現したのだが、石榴口の向こう側は真っ暗なので、間違えてお爺さんの尻を触ってしまっていたのだ。
しかしこの騒ぎで、ちょっと三人の娘は苦笑いしながらすぐに石榴口から出てきて、洗い場で軽く身体を流した後、元の服を置いたロッカーの辺りへと帰ってきた。
心配して何も無かったか聞いてみたのだが、幸いにも、彼女たちは痴漢の被害に遭っていなかったという。
それでも、双子はあのお爺さんの声で怖くなり、凜さんも心から楽しむ事はできないと思って早めに出てきたのだという。
カーテンを閉め、ロッカーを鍵で開けて服を着始める彼女たち。入る前ほどの笑顔は見られなかった。
俺は、少なからずショックを受けた。
間違ったとは言え、痴漢が出たらしいという事実、そしてせっかく訪れてくれた三人の少女達が湯屋を十分に楽しめなかったという結果。
鍵付きのロッカー、簡易カーテン、仕切り板……。
思いつきで女性のための設備を整えたつもりだったが、俺はまだ根本的な対策ができていなかったのだ。
――その日以降、俺は本気で湯屋の改革に取り組む事にした。
大工の吉五郎親方にお願いし、弟子の若い衆十数人を手配してもらい、まずは湯船のある浴室の拡張工事から取りかかった。
元の部屋の隣に幾分小さな浴槽を併設、女性専用の扉を設けて、安心して入浴できるように改修した。
お湯は元々の湯船とパイプで直結している。
ただ、そうなると湯の量も増やさないと行けないわけで、とりあえず燃料の木材は大量にストックを増やし、元々二人いる焚き付け係を臨時で一人増やして対応した。
また、ここの湯の入れ替えは、最初考えていたよりもずっと頻度が少ないことが分かった。
石榴口の向こうが暗いのは、お湯の汚れを隠すためなのではないかと思うほどだ。
この時代、井戸から水を汲んで湯船を満たすのが相当な労働であることと、焚き付けの薪の燃料代が高いことが原因だった。
しかし現代の便利な道具を使えば、井戸水の汲み入れはずっと楽になる。
ソーラー充電設備は俺が経営する他の店舗でも既に運用実績があったので、即導入。
電動のポンプや濾過施設により、清潔な水が潤沢にまかなえるようになった。
また、湯を沸かすシステムも、太陽光を利用すればかなり有効な手段となる。
現代で調査すると、風呂の湯沸かし用パネルは一面が三十五キログラムほど、タンクも同じぐらいの重量。
一回に最大四十キロ、一日合計二百キログラムの時空間輸送能力を持つ、優という名の、俺と同い年の娘にお願いし、現代から計三セット運び込んでもらった。
屋根に取り付ける他、裏手の空き地にも太陽光発電、太陽熱温水器を設置していった。
この湯屋は火事の被害を出さないようにするため、街中からは少し離れて建てられており、利用できる空き地がすぐ側にいくらでもあったことが幸いした。
暗くて不便だった浴槽のある空間も、LED照明を取り入れ、隣の人の顔がはっきり分かるぐらいには明るくした。
そうなると女性は恥ずかしいと思うかもしれないが、既に女性専用の湯船は確保している。といっても、おばちゃんの中には平気で広い方、つまり混浴の湯船に入る人もいたが。
さらに、洗い場も男女完全分別化を目指して拡張工事を続けていく。
ここまでにかかった費用、江戸時代だけで三百両。
現代の日本円にして三千万円を超えるほどになる。
それに、太陽光発電システム、太陽熱温水器は現代で買い揃える必要がある。
江戸時代で手に入れた小判や骨董品を、それらの収集が大好きな資産家に買い取って貰い、その資金を利用する。
俺は、やけになったように湯屋の改築を進めた。
事業の成功も、実は見込みがあった。
金鉱山の採掘開始など、阿東藩全体の景気は上向きで、人の流入も増えている。
街道も整備され、ずっと訪れ易くなっている。
『水龍神社』や『薬太寺』など、観光名所も存在する。
つまり、藩全体がもっと発展する可能性が高いのだ。
そこに、現代のスーパー銭湯のような大規模な施設を作る事が出来たならば、それは自分にとっても、この藩にとっても、大きなメリットになるのではないか。
今はただ、拡張工事と清潔なお湯の供給システムを導入することに躍起になっているが、ゆくゆくは老若男女が心からくつろぎ、楽しめる一大施設に発展させたい。
そんな俺の夢に、毎日の物資搬送で疲れているはずの優も、笑顔で応えてくれた。
本当に彼女には頭が下がる思いだし、実を言うと最愛の恋人、パートナーでもあった。
日ごとに大きく、立派になって行く銭湯に、地元の人たちはただ、
「前田拓也は、本当に本物の仙人だった……」
と、驚嘆の眼差しを向けるようになっていた。
今のところ、ここの特徴は、
「未だ拡張工事を続けている、女性専用の湯船があり、石鹸の香り漂う、鍵の付いた脱衣箱が用意された、清潔で明るい湯屋」
と表現できるが、まだまだインパクトが十分ではない。
そこで俺は、ある設備の導入を考えた。
「――この時代にサウナを設置すると、女の子達はどう思うかな……」