色々と、裏話
早くもキャラ掘り下げ回
我ながらに殺風景な部屋だ、とクローディアは家具展示会のような自室を見て思った。
調度品は二段ベッドと小さな事務机、それに備えつけのクローゼットがあるだけだが、それ以外に何の装飾もない。ただ漫然と家具が配置されているだけである。
予め、事務書類は移動させたり電子錠のかかった引き出しに仕舞ってある。ここに来るまでにエリシェは不審な行動を見せていないが、クローディアは警戒を解いてはいなかった。
視線をさまよわせるエリシェに、二段ベットの下段を指しながら言う。
「正式に処遇が決まるまでは、この部屋に居てもらう。ベッドは下を使え。暇潰しになるかは知らないが、適当に教本を持っていてあるから目を通しておいてもいい。私はこれから外出するが、指示があるまでは部屋で待機。質問は?」
「ええ、と……中尉はどこへ?」
「事務作業だ。他には?」
そうですね、と数秒考えた後、エリシェは不安げに眉を下げ、僅かに声のトーンを落として言う。
「たとえば――の話ですけれど。もしもここが敵に攻撃されたら、どうすればいいんでしょう?」
「……そうだな。集合場所は、お前が昨晩泊まった営舎の前にでもしておくか」
表情には出さないが、本当に不安そうなエリシェの顔に内心で保護欲をそそられ、クローディアは明るい声を作る。
「安心しろ。前線とはいえ、戦場はここから三十キロも離れている。対空防御も充実しているし、ここが襲われることはないさ」
言ってから、一言余計だったと思う。安心させるための補強材料ではあるが、万が一にもスパイである可能性がある以上、わざわざ余計な情報を与えるのは好ましくなかった。
不覚を取った。エリシェの捨てられた子犬のような表情に、つい口を滑らしてしまったのだ。
「とりあえず、ここは安全だということは確かだ。では、私が戻ってくるまで待機していろ、いいな。鍵は開けておく。洗面所は階段の脇だが、出来る限り外出はするな。建物から出ることも非常時をのぞいて禁ずる」
動揺を隠すように一気にまくしたて、目を瞬かせるエリシェの肩を軽く叩いてから部屋をでて扉を閉め、背を預けてため息一つ。
「修業が足りん。小娘と侮ったか――私らしくないな。未だ未熟ということか」
ハンカチを取り出し、額を拭う。
――そういえば、額を拭いてやるというのも私らしくないな
先ほどのラヴィニアとの会話の後、エリシェに対してしたことだ。ほとんど意識しない行動だったが、そうやって他人を慮る行為をしたのは久しぶりだった。他人と、それ以上に自分に厳しくを常日頃から心がけているクローディアにしては非常に珍しい。
未熟と自分を叱咤しながらハンカチに目を落とすと、そこにエリシェの顔が浮かんでくる。鉄壁の警戒心で相対していても、こちらから扉を開いてしまうような神々しいまでの美少女。緊張感で硬い表情は人形じみているが、瞳には意志の強さが、結ばれた口元には不安が、そして顔の輪郭には触れれば壊れてしまいそうな柔らかい儚さが――単純な造形だけでなく悲喜こもごもの感情までが奇跡のようなバランスで重なり、これまでに見たことのない幻想的な外見を作り上げている。
――ウィンドグレイス卿とて、あの外見の前では。否、卿のようなお方だからこそ、あの天上の美貌に触れ得るだけの高貴な心身を持つ方だからこそ、惹かれてしまうのかもしれん。俗物では身の程を知らされて近づくことすらできないかもしれない。
記憶の中に鮮明に残るエリシェの横顔にすら息を飲みかけ、誤魔化すように深い呼吸をしてクローディアは自身の中に芽生えた言い表しようのない劣等感と焦燥感を呼気と共に吐き出した。
自らの使命は、そんなくだらないもので歪むことはない。湧きだした感情を不要と切り捨てる。
ハンカチを懐に叩き込み、煩悩を置き去るように足早に、クローディアは廊下を進んで階段に消えた。
――行ったようだな
ドアの外に耳を傾けていたアニスは、クローディアが階段を下りていく音を聞き、壁から顔を離した。とりあえずひと段落だ。ずっと少女の演技をしていて強ばった肩を軽く揉み、与えられたベッドに腰掛ける。
――戦場から三十キロ、か。場所は特定できそうだが、いかんせん味方は遠すぎる
盗聴器を警戒して、声には出さない。司令部があり対空防御が充実しているということは、相応の戦力が駐屯しているのだろう。アニスが指揮官ならば、何の用意も無しにわざわざそんなところへ攻撃を仕掛けたりはしない。味方の攻撃に乗じての脱走も期待できないか。
部屋を見渡すが、めぼしい書類などは置いていないようだ。机の上に置かれた教本は、いくつかは士官学校時代にアニスも読んだことのあるもので、これといって機密性が高いものではない。
ここから抜け出してフレームを強奪し帰還する、というのは現実味がない。今はおとなしくしているしかないようだった。
ふと、クローゼットの扉に鏡が嵌めこまれていることに気づき、覗きこむ。
映るのは、相も変わらない金髪の少女。歩くたびに揺れる長い髪の感触にはようやく慣れてきたが、やはり自分の顔という実感はない。
首筋に爪を立てて軽く引っ張ったりひっかいてみるが、肌に密着したスーツは緩みもせずに薄く赤い線を残すのみ。特殊な薬品を使わなければ脱ぐことが出来ないというのは本当らしい。
もしもこのまま味方と合流出来なければ、自分は一生少女のまま過ごすのだろうか?
そう考えると、背筋が凍った。だが、ありえないことではないのだ。
――絶対に、友軍と合流しなければ……!
鏡に向かって意思を固め直すと、部屋のドアがノックされた。そのまま無遠慮にドアが開かれ、紅い髪の少女が顔を出す。キャロルだった。
「あれ? クローディアは?」
「ちょうどさっき出て行かれましたけど……行き違いになったようですね」
「ってことはまだ勤務中か。一緒に一杯ひっかけようとしたんだけどね」
言いながら、ビニールに入った小瓶を掲げるキャロル。中で薄茶色の液体がゆっくりと揺れる。
「エリシェだっけ? あんた、イケるクチ?」
「いいえ。遠慮しておきます」
アニスは酒が飲めない方ではない。むしろ強い方だ。だが、慣れない酒で酔って口を滑らせでもしたら洒落にならない。
キャロルは残念そうな顔をしたが、まぁいいや、と勝手に部屋にあがりこんでくる。
「エリシェはどうせここで待ってろって言われたんでしょ? 丁度いいから、ちょっくら暇つぶしに雑談でもしない」
慣れた動作で酒を机の上に置き、ベッドの下段に腰掛ける。普段からクローディア相手にもそうしているのだろう。ちょうどいい機会だ。この友好的で口の軽そうな娘からなら、ファイレクシアの内情を聞き出すことも簡単だろう。
内心を隠しながら遠慮がちにキャロルの脇に腰掛けるアニスに、キャロルは笑いかけた。
「緊張しなくていいって。女同士、仲良くやろう。――あー、もしかして、私の出自とか聞いた?」
「ローグ伯爵家、でしたっけ?」
言うと、キャロルの顔に薄く影が差す。口をとがらせてベッドからつきだした足を不満げに軽く揺らした。
「あちゃー、クローディアの奴、ああ見えて変なとこで口軽いからなぁ」
「知られて困ることでもあるのですか?」
「別にないけどさ。調べようと思えば内部からなら簡単に調べられるし。だけど、そういうので畏まられるのが嫌なんだよね。分かるでしょ?」
「ええ、まあ、なんとなくは」
士官学校で同僚だった人間が部下になるような感覚だろうか。人員が不足がちな祖国では、若いアニスは出世頭だったから、その気持ちは分からなくはない。部下には同期の人間も多かったが、士官学校時代のようなプライベートな付き合いを続けられた人間はあまりいない。
「おお、分かってくれる? ……思うに、エリシェって結構いい家の出身だったりしない?」
「え――?」
「その金髪。ファイレクシアの貴族は、ほとんどが金髪なんだよね。特にいわゆる名家の連中は。代々貴族同士で結婚してるからかな? ともあれ、あんたの髪、凄くきれいだし顔も可愛いからそう思ったんだけど」
そんなわけがなかった。アニスはそもそもファイレクシアの人間ではないし、それ以前にこの顔は作りものだ。仕方なく、アニスは曖昧な笑みを浮かべるにとどめた。
すると、キャロルはあっと小さく声を上げる。
「もしかして、悪いこと聞いちゃったかな。ごめん」
「いいえ、お気になさらず」
なにを想像したのかは分からないが、この件に関して追及されるよりはいい。襤褸が出ないうちに話が途切れたことに内心で胸をなでおろしながら、アニスは話を変える。
「そういえば、キャロライン少尉は――」
「ん、キャロルでいいよ」
「では。キャロル少尉は、なぜフレームのパイロットに?」
「ま、訊くよね、普通」
慣れた問いなのだろう、特に気を害すこともなく、キャロルは軽く笑って言った。
「たしかにウチはいわゆる武門の家系ってやつでさ。先祖代々、ずっと戦争屋やってるんだけどね。私はどうにも奥でふんぞり返って指示だけ出すっていうのが向かないと思ってさ。一応の戦術論とかは家庭教師とか兄さまに習ったけど、むしろフレーム駆ってる方が楽しくて。教官も筋はいいって言ってくれたし、いっそのことって思って訓練学校はパイロットのコースに進んだんだ。ちなみにクローディアと合ったのはそこね」
片や貴族の自分勝手、片や忠義に燃える成り上がりの騎士。どう考えても馬が合いそうにない二人だ――そんなことを思うアニスの隣でキャロルは続ける。
「まあ、私の勝手だから、親には一応反対されたけど、そこまで止められもしなかったかな。なんでだかわかる?」
「――?」
首を曲げて返すと、キャロルは笑みを浮かべる。今までとは違って力ない、自嘲気味な笑みだ。手持ち無沙汰に鮮烈な紅い髪を指先で弄ぶ。
「ご多分にもれず、うちの一家も――父上も嫁いできた母上も、兄さまも姉さまも、みんな曇りのない金髪なんだ。でも、私だけはなぜか茶髪に近い赤みがかった金でさ。家族は気にしてなかったけど、パーティーとかだと妾の子とか噂されてるのは知ってたんだ。もちろん実子だし、表だって言う奴はいなかったけど」
アニスには無縁の世界の話だったが、想像はつく。慣習や伝統の支配する貴族社会では、少しでも外れた者は排斥されるということか。
「私のせいで父上や兄さまの立場が悪くなって欲しくないし、物心ついてからはあんまりそーゆーのにも顔を出さなくなって、その代わり実家でフレームいじったりしてたんだ。おかげで技術は身に付いたし、あんまり話題に上がることも無くなったみたいなんだけど……これでまたどっかの司令部付きになったら目立っちゃうから。ならいっそ前線で戦ってやろうと思ったの。髪染めたのも訓練学校に入る直前で、いっそのこと実家と縁切りたかったんだけど、流石にそこまでは許してもらえなかった」
キャロルにも、それなりの事情があるということが。我がままかと思いきや、彼女は彼女で実家のことを思って行動していた。馴れ馴れしいように見えるが、それで嫌われていないあたり、心底では他人を慮る優しい性格なのだろう。
「ちょっと、髪触ってもいい?」
「え……ええ、構いませんけど」
失礼、と言ってアニスの髪をひと房掬い、手のひらで転がす。柔らかい髪が指の間から滝のように流れ落ちるのを羨ましげに見送るキャロルに、なぜか申し訳のない気持ちになる。キャロルが羨ましがるアニスの髪は、偽りのものだからか。
「いいなあ、凄くきれい。私もこーいう髪だったらよかったのに」
キャロルはつぶやいた後、はっと眉をあげて繕うように笑いかけた。
「まぁ、後悔はしてないよ。私の適正はパイロットだと思うし、周りのみんなも、あんまり出自とか気にしないし。偶に媚売ってきたりする奴もいるけど、そういうのはクローディアが突き放してくれるし」
真面目なクローディアがそういった輩を気に入らないのは良く分かる。理由は違えど、共に望んでパイロットを目指した者同士で波長が合うところもあるのだろう。少なくともキャロルはクローディアに感謝しているようだったし、クローディアの方もキャロルを嫌っている様子はない。
「――と、悪いね、自分語りばっかで勝手に感傷浸っちゃって。この話するとどうしてもこーいう雰囲気になるんだけど、後で伝聞で聞かれるよりも先に知らせといた方が楽だと思ってさ」
「いえ、お訊きしたのはこちらですから」
正直な話、アニスはこう言った話が苦手だった。味方に戻るとすれば、キャロルもクローディアも、戦うべき敵となってしまうのだ。指揮官としてはともかく、個人ではそうなりたくないと思う気持ちに無理やり蓋をした。それでもどうにかして復帰しなければならないのだ。帰りを待つ、彼の部下と味方のために。
「なんか、湿っぽくなっちゃったね。なんか他に聞きたいこととかない?」
「そうですね……そういえば、中尉とキャロル少尉は失礼ですが、まだ大分お若いですよね? 軍ではそれくらいの年齢が一般的なのですか?」
「んー、貴族出身だと、士官学校出てからすぐに少尉待遇で配属されるから、二十歳そこそこの人間も多いよ。そこから昇進できるかどうかは功績と家柄次第かな。平民からの叩きあげで士官になった人は予備役編入直前の五十越えても良くて大尉どまり、逆に若くてもいいところの長男とかはもうエスカレーターっていうかエレベーターみたいな感じだね。もちろん能力が評価される必要はあるけど」
「クローディア中尉は、それだけ評価されているということでしょうか」
正直な話、二十歳前後で中尉に昇るというのはあまりない。ファイレクシアとの戦争による人材不足で昇進が早いといわれるアニスの祖国ですら、二十三で中尉になったアニスが特例扱いだったのだ。貴族社会のファイレクシア軍で、貴族出身ではないクローディアがその地位に昇ることが出来たことは、少々不思議だった。
アニスの疑問に、キャロルは明後日の方向を向いて頬を掻く。
「まあ、評価されてるって言えばされてはいるんだろうけどね……」
「何か、口に出すことが憚られるようなことが?」
「別にクローディアが何をしたってことじゃないよ。あいつは仕事をこなすだけの実力があるし」
でもね、と声をひそめて顔を近づけるキャロル。釣られてアニスも顔を寄せた。
「重要なのは、クローディアが仕えているのがウィンドグレイス卿だっていうこと」
「子爵のお力……ということでしょうか」
「一応名目は子爵だけど、実家はまだ卿のお父上が継いでいるからっていうだけで、そのうち侯爵の地位と所領を譲られるはず。それだけの実力者よ」
「侯爵――というと、伯爵の上ですか?」
「単純な階級で言えばね。でも、侯爵の上の公爵は皇族と深い関係を持つ家柄だけ。かつて、ファイレクシア建国の時代から臣下の最上位にいた人間の末裔が侯爵で、世襲している家はファイレクシア全体でもたったの二十三しかない。伯爵を世襲している家が百以上、さらに新しく与えられる場合もあるのに比べたら大きな隔たりがある」
ファイレクシアの貴族制度に詳しくないアニスには、それがいったいどれだけ凄いのか分からない。ただ、伯爵家の令嬢であるキャロルが言うのだから相当だろうと思うくらいだ。
「よく知らないけど、二十年くらい前に宮廷で起きた事件がきっかけで影響力を減じられたっていう話も聞くけど、大貴族の後継なのは間違いないわ。そういう人がバックについているから、クローディアが実力相応に中尉として認められているっていうわけ」
内緒話のように声をひそめたキャロルは、そこでふう、と息をつき、半身をベッドに倒れ込ませた。
「あいつはそれに感謝して、卿に報いようと必死なんだろうね。真面目だから。で、当然それを快く思わない奴も出てくる」
「他の貴族の方々ですか?」
「そーゆーこと。貴族出身を鼻にかけるようなやつは多いから、あれで結構いやがらせとかも受けてるはずだよ。ばっかみたいに真面目で愚直だから顔には出さないけどね。そうやって気にしてないっていう態度もまた反感をそそるわ、おまけに私みたいな家柄だけはいい半端ものとも付き合ってるわで敵も多いのね」
「中尉は……強い方なのですね」
アニスは本音を漏らした。貴族社会で成り上がりから出世すれば、反感を買うのは良く分かるし、四面楚歌なのは容易く想像がつく。それにくじけず、曲がることすらなく平然とするのは、並みの人間に出来ることではないだろう。
「あいつは真面目なんだって。それに、蔑みに皮肉を返せないほど馬鹿でもない。それでも偶に心にクることもあるだろうからさ、エリシェも出来れば支えてやってくれないかな」
「それは……」
キャロルに見つめられ、アニスは言葉に詰まった。なにせ、隙を見てファイレクシアの敵に逃げようとしているのだ。それはクローディアを騙すことでもある。
アニス個人として、クローディアを尊敬しているのは事実だ。しかし、アニスは軍人だった。軍のためには、個人的な感傷は後回しにしなければならない。
「あんたまで、そんなに真面目になんなくていいって」
思いつめたようなアニスに、キャロルは笑みを浮かべる。
「一応内緒にしておいてね、この話。で、まあ、あいつが疲れてたら適当に慰めてやって」
いたずらを思いついた子供のように笑みを深め、
「たとえば――添い寝してやるとか、さ」
先ほどのラヴィニアのこともあり、脳裏で一瞬だけ想像し、年甲斐もなく頬を染めるアニスの反応に、満足げな表情でキャロルは勢いよく立ちあがった。
「クローディアも帰ってこないし、私は一度戻るね。邪魔したわ」