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前線基地にて

新キャラ登場回

 準備が出来た、とクローディアが独房に顔を出したのは、朝食から一時間ほど経った頃だった。朝食後に部屋まで送られた後、ハミルトンに仕えるならば宿舎に部屋を用意する、と待たされていたのだ。捕虜でもない人間を理由もなしに置いておくわけにはいかないらしい。

「ハミルトン子爵は?」

「卿は多忙の身だ。一軍を預かる身で、そうお前ばかりにかまけてはいられない。……それと、本当に軍に入るのならば、お前は形式的に私の下で騎士見習いとして登録されることになる」

 クローディアの口調が、上官が部下に使うようなものになっていた。自分の半分ほどの年頃の娘の下で働く、というのは居心地の良いものではないが、捕虜よりもよほどマシだと自分に言い聞かせ、アニスは笑みを作る。

「わかりました。よろしくお願いします」

「そうやって笑っていられるのも、今のうちかもしれないな。軍は甘い場所ではない」

 脅すような言葉だが、当然、そんなことは百も承知だ。アニスが笑みを崩さないのを見て、クローディアは鼻を鳴らして顔をそむける。

「ついでに言えば、私も甘くはない。覚悟はしておけ。では、行くぞ」

 一方的に言うと、クローディアは背を向けて歩きだしたので、アニスも慌ててそのあとを追う。足早にコンクリートの廊下を進む彼女からは、敵意と言うほど強くはないが、警戒心のようなものが感じられた。

 嘘の履歴に感化されたのか妙に好意的なハミルトンはともかく、彼女の前では特に不信がられないように行動する必要があるだろう。下手に軍事知識は出せないし、技能を見せることも避けていきたい。

 今の自分はエリシェ・コスという無力な少女だと、視線を下げて歩調に合わせて裾が揺れるスカートを見、心に刻みつけておく。

 







――意外と、動じない性格なのか

 先を進むクローディアは、背後からついてくるエリシェの足音を聞きながら、そんなことを考えていた。

 当たり前だが、軍に所属するというのは楽なことではない。私事にかまけている時間はなく、肉体的にも精神的にも非常に過酷な仕事だ。ルーチンワークをこなしつつ緊急時にはすぐ対応できるように心がけ、四六時中気を張り続けなければならない。それを十分に理解しているクローディアが釘を刺したというのに、エリシェは気押される様子もなく、逆にこちらが戸惑うほどだ。虚を突かれ、そのまま笑顔に魅入られそうになり、おもわず目を背けてしまった。

 ハミルトンが本当はどんなつもりでエリシェを軍に入れるのか、クローディアには分からなかったし、関係もなかった。自分はただ命じられたことをするだけだ。その中には、部下の訓練も含まれている。

 たとえハミルトンに目をかけられていようが関係ない。厳しさは優しさの裏返しだ。軍に入った以上、エリシェを一人前の兵士として育てるのがクローディアの役目だと、彼女は自分に言い聞かせる。

「今、卿が手続きを進めている。所属はおそらく、卿と同じ西方第三機甲連隊だ。ファイレクシアの軍政について、どこまで知っている?」

「ええと、その――」

 戸惑ったように口ごもるエリシェ。やはり、軍人の元に居たからと言って知識があるわけではないようだ。

「恥じることはない。そういった基本的なことについては、一から教えていく」

 長い廊下の先に、兵士が一人立っていた。クローディアの顔を見ると敬礼をすると、見よう見まねでエリシェもそれに倣う。視線をエリシェに向けた兵士は、瞳にエリシェの顔を映したままそれに釘づけになる。

 気持ちは分からなくはないが、小娘一人に心を奪われては兵士として使い物にならない。

「ご苦労」

「え……あ、いえ、失礼しました。中尉殿こそご苦労様です」

 クローディアの声で我に返った兵士は慌てて背筋を伸ばして背後のドアを開く。しかし、ちらちらとエリシェの方に視線が飛んでいるのがはっきりと分かった。ため息をつき、厚い防弾ガラスが二重になったドアをくぐる。











 アニスにとって、半日ぶりの屋外だった。興味があるふりをして左右を見渡し、現在地の指標となるようなものがないかを探す。割れた石畳が広がる、古い町のようだった。陽は高く、それで大体の時刻を把握できた。戦場となり住民が避難した町を前線基地として使っているのだろう。頭の中の地図を合わせ、現在地を何箇所かに絞り込む。

「あまりじろじろと見るな。お前はまだ、正式に軍属となったわけではない」

「すみません」

 おとなしく頭を下げるが、すでにどの建物が何に使われているか、駐留している戦力はどれほどなのか――そういったことを既にある程度アニスは把握していた。

 そこかしこに見える兵士たちは緊張感にあふれており、装備も充実している。素振りから練度も相当なものだと分かる。さらに、町自体には戦禍の跡が見られないため、ある程度最前線から離れた場所であることがうかがえた。脱出するにも、力押しはかなり難しいだろう。やはり、敵軍に身をやつして機会を窺うしかなさそうだった。

 町の中心に向かって、クローディアは歩いているようだった。徐々に建物の数が増え、警備も厳重になっている。

 兵士や車両に混じり、町の中にフレームも何機か配備されているようだ。六メートルの鉄の巨人は、存在するだけで近寄りがたい威圧感を放つ。

「フレームが珍しいか?」

 歩きながらも顔をフレームに向けたままのアニスに、クローディアが振り向いて言った。

「はい。クローディア中尉は、フレームに乗られるのですか?」

 武装や配置を確認していたなどとは口が裂けても言えない。話題をそらす。

「フレームに騎乗が許されるのは、貴族と一代限り認められた騎士だけだ。逆にいえば、騎士の称号を持つものは大体がフレームのパイロットだ」

「つまり中尉殿も」

「無論。ウィンドグレイス卿の剣となるには、それが一番と考えて修業した。家名で乗る貴族に劣らないようにな」

 鼻を鳴らすクローディアに、ファイレクシアという国の一端を見た気がした。強力な戦力であるフレームを、身分の格差を利用して貴族の特権とすることで反乱への抑止力としているのだろう。当然、貴族以外が騎士になるのも楽なはずがない。若い身で、相当の苦労をしてまでハミルトンに忠誠を誓うクローディアに、アニスは軍人として好感を持った。

 クローディアを見るアニスの表情をどう受け取ったのか、クローディアは珍しく薄い笑みを浮かべ、励ますような優しい声で言った。

「騎士見習いとなれば、お前も訓練を受けられる。後は才能と努力次第だ」

「そう、ですか……頑張ります」

 フレームに搭乗する機会があったとしても、軽々と乗りまわしては怪しまれる。相当力を抜いていかなければならない。一朝一夕では移動させることすらままならないものだということを良く知っているだけに、操縦とは別のところで気を使う必要があるだろう。

 道路の幅が次第に広くなっていく。

 眼前に、大きな建造物が見えてきた。今までの埃をかぶった住居を改装したものではなく、町の中心の広場に作られたまだ新しい施設だった。おそらく、敷地を広げるために結構な数の住居を取り除いたのだろう。石畳が途切れたところにコンクリートが流し込んであるのが見える。

 人よりも高い塀が立ち並び、数メートルごとに武器を構えた兵士が立っている。さらに、巨大な鉄の正門を挟む二機のフレーム。今までのどこよりも、警備が厳重だ。

「あの建物は?」

「連隊の司令部だ。ウィンドグレイス卿はあの中に居らっしゃるだろうが、まずはこっちだ」

 周囲全体をにらみつけるような兵士たちの視線を受けながら、クローディアは塀に沿って歩いていく。塀の高さは3メートルほど、さらに有刺鉄線が張り巡らせてあるため、こちらからの侵入は難しそうだ。中の様子はうかがえないが、相当数の監視カメラなどもそろえてあるだろう。そこかしこは急づくりの感を醸し出すものの、司令部として必要な機能は防備も含めてすべてそろっているようだ。

 塀沿いに視線を投げれば、行く先に見えるのは塀の切れ目から顔を出す、古い石造りのアパートの連なりだ。双生児のように外観が同じ建物が並んでいる。四階建ての、多少古臭くはあるが丈夫そうな建物だった。

 クローディアが目指すのは一番端の建物のようだ。町の中央に近いからか、未だに兵士の姿が良く目につく。

「あれが、士官用の営舎だ。一部屋に一人から二人が割り当てられている。今、私は一人部屋だから、お前も同じ部屋に寝泊まりすることになる」

「士官って偉い人ですよね? それが皆あのアパートに?」

 確か、ファイレクシアの士官とは尉官と佐官を示しているはずだ。連隊規模ならば数百人の士官がいるはずだが、それをすべて納めるには、アパートの連なりは少々物足りなげに見え、アニスはクローディアに疑問を飛ばす。

「高級士官、あー、つまり佐官……まあ、より偉い方々は、さっきの司令部の方に部屋が用意されている。厳密に定められているわけではないし、家柄にもよるがな。私のような平民や被支配地民あがりの騎士は皆こちらだが、司令部付きの士官で皇都から派遣されてきた伯爵家の三男といった方々は向こうだ。まあ、全員が全員、というわけでもないが」

 階級ではなく、家柄で部屋が決まるというのはファイレクシアらしかった。

 物珍しげに視線をさまよわせていたアニスは、端のアパートからちょうど人影が出てきたことに気付いた。青い軍服を着た、やはり若い少女。黒いシュシュで束ねられて頭の後ろで跳ねる、服とコントラストを為す燃えるような真っ赤な髪が目に付いた。同時に、彼女もこちらに気づいたようだ。

「クローディア!」

 笑みを浮かべて手を振り、全身から活発さをアピールして近づいてくる。クローディアが足をとめた。

「キャロル。今日は非番か?」

「ついさっきからね。やっとスクランブル解けたから帰ってシャワー浴びて一杯やってから寝ようと思ったんだけど、割り用のソーダ切らしててさ。買いに行くとこ――ところで後ろの美人さんは?」

 コハク色の目を瞬きさせ、キャロルと呼ばれた少女がクローディアの肩越しにアニスをのぞく。そのまま見本写真に出来そうな着こなしのクローディアに対し、やや着崩した軍服の、襟の階級章は少尉。

「色々あって、ウィンドグレイス卿の預かりとなる予定の娘だ。エリシェ・コスという」

「よろしくお願いします」

「おう、よろしく。私はキャロライン・ガーフィールド。階級はこっちのクローディアの一個下」

 馴れ馴れしくクローディアの肩をたたくが、クローディアも別に嫌そうな顔はしていない。建前上、階級は絶対という軍隊のなかとは思えない軽さだ。別に舐められているという風でもない――同じくらいの年齢同士、仲が良いということだろうか。

「あまりベタつくな。一応、私は上官だ」

「ま、新人の前でそーゆーのは良くないかね。エリシェだっけ? クローディアと私は訓練学校で同期だったんだ。他の連中にまでこんなんじゃないから、そこらへん覚えておいてね」

「……お前がそういった態度を取らない相手がいたか? 少なくとも、この営舎の中で」

「あー、まあ、ここに住んでるやつは大体騎士だし、貴族うんぬんより軍人的な、戦友みたいな感じで、こう、例外みたいな? 反面教師みたいなものってことで」

「自分で分かっているなら少しは控えろ」

 呆気にとられたアニスの前で、肩に置かれたままの腕をひょいと除けられ、キャロルは肩をすくめる。眉を立てたまま、クローディアがアニスの方に向き直った。

「当たり前だが、普通は許されん態度だからな。背後を預ける仲間を信頼するに越したことはないが、度を過ぎるなよ」

「そのあたり、時と場所と相手次第ね。判断できる気がしないなら、クローディアみたいにお堅くしてるのが無難かもね」

「お前は緩すぎる」

「肩肘張ってると凝るじゃん。私はこれから一杯ひっかけるとこだし、緊張して飲むお酒ほど不味いもんはないよ? ……っと、まあ、道端で言い争ってもしょーがないし、私はこれで。時間とらせて悪いね」

 じゃあ、と手を顔の前に立てて去るキャロル。まるで纏わりつく風のような、掴みどころのない娘だったが、不思議と不愉快ではない。わざとらしくため息をつくクローディアも、眉こそ立てど本気で怒っているのではなさそうだった。

「……お前はああなるな。ならないでくれ」

 珍しく、懇願するように言い、クローディアはアパートに足を向けた。

「あの人も、騎士なんですか?」

「パイロットではあるが、騎士の称号は持っていない――というか必要ない。ああ見えてローグ伯爵家の次女だ。家格で言えば相当のものらしいが、好き好んでこちらに住みこんでいる変わり者だな」

 ファイレクシアの内情には詳しくはないが、伯爵と言えば貴族の中でも大分上位のはずだ。

「伯爵家の令嬢が、なぜ前線に?」

「ローグ家は武門の名家だ。普通はどこかの基地か駐屯地の司令部付きとなるらしいが、何をどう間違ったのか、フレームパイロットに自分から志願したそうだ。……それで実際になれるのが貴族というものだ。親には反対されたらしいが」

 どこか羨ましげに言うクローディア。彼女が貴族出身でないことは、アニスもうすうす感じていた。彼女からしたら、本人の希望一つでパイロットになれる貴族は羨望の対象であり、同時に快く思うはずがない相手だろう。それでもキャロルへの嫌悪を感じないのは、キャロルの人徳か。

 ひとつ、気になることがあった。

「そういえば、騎士見習いになるって言ってましたけど……私が、なれるんでしょうか?」

「見習いというのは、実は貴族に認められれば誰でもなれる。騎士への登竜門のようなものだな。騎士とは元々、大きな功績を残した人物を称えるための名誉称号だった。今では平民以下から使えそうな者を引き上げるための方便だ。流石にパイロットすべてを貴族で埋めるには人が足りんからな。軍の象徴であるフレームは貴族の特権で、騎士は主からそれを借り受けるという形だな。無論、騎士の叙勲を乱発すれば貴族の特権と武力が侵されかねないから、登録にはそれだけの理由か権力が必要だ。功績はともかく、権力の方は一応の手続きが必要で、それが騎士見習いとなることだ。そこで適当な功績をあげさせて名目上の叙勲理由とし、そこで初めて貴族のみに許されるフレームパイロットの地位を得ることが出来る、というシステムだ」

 いかにも慣習と家柄に縛られたファイレクシアらしい回りくどさだ。

「騎士見習いは軍人ではないのですか?」

「いや、形式的には准尉として登録されるな。これは士官の最下位である少尉の下、下士官――兵士の最上位である曹長の上位だ。一応はどこかの部隊に所属することになるが、実際には叙勲を行う貴族の直接の配下として扱われる。そもそも、ファイレクシア軍というのは、システムから構築されて階層化された他国の軍隊とは一線を画して複雑なのだ。階級だけでなく家柄と出身が関わるからな」

 一見非合理だが、他国で崩壊した封建制を逆に特化させたことで、強力な支配力を維持した軍隊を構築しているのが、ファイレクシア軍の強さの源だろう。いざとなれば国全体を一部の貴族の意思だけで戦争のために動かすというのは、民主化された他国には出来ないことだ。

 ともあれ、しばらくの間はクローディアの監視下に置かれるのは間違いない。抜け出す隙が出来るには時間がかかるだろうし、ただ戻るのではなくファイレクシアの内情を探るなどはしておきたいところだった。

 話しているうちに、アパートの一階の廊下を半ば通り過ぎ、クローディアの足は木製の階段を踏む。漆喰か何かで塗り固められた壁はところどころ黒くなり、階段は一歩ごとに音こそならないものの僅かに軋んでいるのが分かる。

「私の部屋は二階の端だ……と、失礼」

 階段の先に先客がいた。二人で並んで歩くには手狭な階段を見て、人影が体をどかし、クローディアが脇を抜ける。階段を照らす薄暗い旧式電燈の下では見えなかった顔が、窓の広い廊下の明かりで確認できる。

「なんだ、ラヴィ。お前か」

 またしても――少女だ。追いつめられた非正規軍の少年兵でもあるまいし、なぜこうも同年代の少女に出会うのか。

 今度の少女はやはり軍服姿だ。階級は少尉だが、活発なキャロルとは逆の、柔らかくおっとりとした印象を受ける。肩のあたりでそろえられたくせ毛気味の緩くウェーブした金髪が、あら、と口の動作に合わせて揺れる。

「クローディア中尉。おはようございます」

 丁寧に頭を下げ、上げて、そこで気がついたようにアニスに視線をやった。

「ええと、そちらの方は?」

「ウィンドグレイス卿の騎士見習いとして私に預けられる予定の娘だ」

「あら……それでは、わたくし達と轡を並べることになるかも知れませんね。はじめまして、ラヴィニア・カークランドと申します」

 轡を並べるという言葉から、パイロットなのだろうか。ふわりとほほ笑む少女は、とても武官には見えない。調子を崩されながらも、アニスも頭を下げる。

「エリシェ・コスです。よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ。ウィンドグレイス卿の、ということは、クローディアさんの同室ということでしょうか?」

「そういうことになるな」

「あら、残念。わたくしも同室となる機会を窺っていましたのに」

 笑顔のまま放たれた言葉の意味が分からずアニスは呆気にとられ、クローディアが薄く頬を染めた。

「羨ましいですわ、クローディア中尉と同じ部屋で夜を過ごせるなんて。あわよくばわたくしが、寒い夜のベッドを温めたいと考えていましたのに」

「……いや、遠慮しておく」

「そう仰らずに。同室というのは嫌が応にも仲が深まるものなのです。寝食を共にし、机を並べ、互いの着替えを気兼ねなく観察して、同じベッドで体を寄せ合い――あぁ、そのような関係になれる方がいるというのは、とても素晴らしいことだと思うのです」

 染めた頬を両手で押さえながら語るラヴィニアに、アニスとクローディアは同時にスリ足で一歩分を引いた。でも、と熱に浮かされたような歩調でアニスに近寄り顔を覗き込むと、ふふ、と可愛らしく笑う。

「とても羨ましい――ですけれども、貴女のような美しい方でしたら、わたくしは喜んでお二人を応援いたします。いや、むしろ今からでも、わたくしの部屋に泊まりに来ませんか?」

 年頃の少女に言い寄られるのは男として嬉しいことなのかもしれないが、相手が自分を女として見ていて、それも気づけば顎先に指が触れられているとなれば、先に浮かぶのは驚きと僅かな恐怖だ。

 いつの間にか距離を詰められ、顔に指をあてられているというのは、彼女が何らかの危害を加えようとすれば容易いということ。凍りついたアニスの頬を細い指先が撫で、顎を通り、襟を下って胸の半球をなぞる。

「ラヴィ。あまりいじめてやるな」

「これは失礼を」

 クローディアが横から声を投げると、ラヴィニアは素直に距離を離した。無意識に止めていた呼吸を再開し、大きく息を吐いて胸をなでおろす。ラヴィニアは可愛らしさに妖艶さを混ぜた笑みを浮かべた。

「でも、わたくしは冗談で誘ったりはいたしません。それに、可愛らしい方にだけですわ」

「私には誰かれ構わずに声をかけているように見えるがな。節操がない」

「ここにいる方々は、皆可愛らしいので。わたくし、クローディア中尉のことも諦めておりません。気が向いたら、部屋に遊びに来てください」

「悪いが遠慮しておこう」

「それは残念なのです。では、わたくしはこれで失礼いたします」

 最後に丁寧に頭を下げて階段に消えるが、彼女のインパクトから解き放たれたアニスは、それを目で追う余裕はなかった。クローディアがハンカチを取り出し、軽くアニスの額を吹く。

「大丈夫か? 気にするな、ああいう言動はいつものことだが、嫌がる相手を無理やり襲ったりはしない……はずだ」

「だ、大丈夫です。すこし、動揺しただけで」

 動悸がまだ少し早かった。女性に言い寄られたことなどなかったが、あったとしてもあのようなアプローチではなかっただろう。

「今の方も、貴族ですか?」

「中身はともかく、出自と物腰は大貴族。カークランド家は皇族との繋がりもある名家だ」

「そんな方が、なぜこのような戦場に?」

「私の口からは話せん。彼女自身に聞けば答えるだろうが、あまり愉快な話ではないからな」

 貴族にも、というよりは貴族だからこそ、色々な事情があるのだろう。

「今日に限って妙なところで時間を食う。私の部屋はこっちだ。――ああ、それと、ベッドはきちんと二つ用意してあるからな」


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