最前線
戦闘回。誰得とかいわない。
市街地に、まだ敵は到達していないようだった。アニスは司令部とデータをつなぎ、戦場の様子を確認する。各方向から後退中の味方は、敵と交戦しながらもこの市街地に集まりつつある。
つまりは、敵もこちらに向かっているということだ。
「右翼の第一陣到達まで五分。各自、準備はいいか?」
『αチーム、所定位置に着きました』
『βチーム、同じく』
『γチーム、γ3がまだ――いや、問題ない。所定位置に到達』
「よろしい」
平地を遮るように横に長い市街地は、フレームの頭よりも高い建物も多い。かつてはこの地方の中心都市のひとつだった場所だ。東西の交通の便がよく、それ故に、補給の関係から両陣営が向かい合って火花を散らすことになった不遇の地域だった。
やがて、モニター上に後退する右翼の部隊が映る。人員を乗せた車両が先行し、殿を務めるフレームが敵をいなしながら後を追う。平地と比べて数の優位を生かしにくい市街地を目にして、敵も躍起になっているのだろう。攻勢はかなり強まっている。味方のフレームは二機、どちらもどうにか動いてはいるが傍目にも損傷は大きそうだ。対して敵は無傷に見える六機。おそらく他の追撃隊も同じような数だろう。
「αチーム、攻撃開始。当てる必要はない、味方と敵を引き離せ」
市街地のそこかしこに潜んだ長距離仕様の武器を持ったフレームが、各々の獲物でまばらな射撃を行う。弾幕というほどのものでもないが、市街地に部隊がいることに気付いた敵の攻勢が弱まり、その隙に味方は距離をあけることが出来る。
『すまない、先に行きます!』
車両とフレームが市街地を通り過ぎる。敵は、それを追うかどうか迷っているようだ。
「あそこにとどまられると、他の部隊が挟撃を喰らう恐れがある。私が行って片付ける。αチームは援護に回れ。他は己の仕事をこなせ」
『危険です、中佐』
「私一人ではな。だから、お前たちがいるんだ」
一方的に回線を切り、スロットルレバーを押しこむ。全身を押さえつけるような加速度とともに、機体が急発進し、市街地の外に広がるひび割れたアスファルトと瓦礫の海に飛び出した。
敵が、武器を構える。電磁加速された弾が、熱源を捕捉したミサイルが、無誘導のロケット弾が、一斉に放たれた。そのすべてを、『エリシェ』は鋭角のターンを繰り返してかわしていく。氷上のスケートよりも鮮やかで無駄のない挙動とそれでいて驚くほど身体への負担が少ないことに、アニスは息をのんだ。
――こいつは、とんでもない、な!
噛みしめた歯の間からそんな言葉がこぼれだす。一応の整地とはいえありえないほどの加速と反応速度、追従性。まるで自分の体を動かすように、コクピットの体の動きを滑らかにトレースしてくれる。
近づくアニスを撃つべきか避けるべきかを逡巡した敵機に、ライフルの弾を叩きこんだ。銃身内で電磁石の力に押し出された弾丸は狙いたがわずコクピットのある腹部を貫き、一瞬にして二機が沈黙。それを確認することなく結果を確信したアニスは、敵の集団の直前で背を翻し、一気に後退する。片足に重心を掛けて身体を回しても、加速に引きずられて体勢を崩すことはない。そうやって行うのは速度を生かしたヒットアンドアウェイ戦術—―に、見せかけた『釣り』だ。どうにか追いつける程度に速度を抑えてやれば、釣果を示すように、残りの敵はアニスを囲む扇形に展開しながら市街地へ向かっていく。
「αチーム、やれ」
アニスの指示に、再び市街地からの花が咲くような射撃が降り、敵を足止めする。そこへ、さらに急なターンをしたアニスの機体が両の手にブレードを構えて懐へ飛び込んだ。
鎧袖一触、即座に一機が沈黙し、倒れ行くそれを蹴り飛ばして方向転換。距離を詰めた敵がライフルを構える前に右腕を切り飛ばし、返す刀で腹部を切断。そのまま勢いを殺さず体当たりするような姿勢で敵とともに方向転換し、側面から飛来するロケット弾の盾とする。砕かれた機体から手を離し、ブレードを捨てた片手を腰にストックしたライフルに持ち替え、射撃。足を止めた二機をハチの巣にする。
すべての敵が沈黙した。
アニスは額に浮いた汗を指ではじく。緊張や恐怖からではなく、自らの操る機体の桁はずれの性能に、冷や汗が浮かんだのだ。
『中佐、九時の方向より敵機五』
「今行く。αチームは待機」
味方を敵から切り離し、各個撃破する。それを何度繰り返しただろうか。作戦開始から一時間が経過し、右翼に投入した戦力の六割が回収されたという報告が届く。市街地に潜むフレームは、欠けるどころか損傷すらほとんどない。
『中佐、潮時です。そちらへの敵の攻勢も途切れつつあります。撤退を』
「なぜ、攻勢が途切れつつあるのか分かるか? この市街地に籠城する我々が手ごわいからだ。すでに二十を超える敵機を撃破した以上、敵も次の攻勢は慎重かつ大胆に兵力を投入してくる。それも、近いうちにな」
『ですから、撤退をお願いしているのです』
「防衛網の再建にはまだ時間がかかるだろう。次の攻撃をしのげば、十分な時間を確保できる。……この機体ならば、それが可能と私は判断している」
『中佐、自分が言ったことをお忘れですか? 一機のフレームに戦局を変える力はありません。たしかに戦果を見る限り、その機体は優秀です。しかし、今のあなたはその機体に酔っていらっしゃる』
副官が語気を荒げるが、アニスは気にも留めていなかった。彼は『エリシェ』という機体の性能に魅入られていた。指揮官でありながら、いくつもの戦場でフレームを駆ってきた彼には、この機体がどれだけのスペックと可能性を秘めているかが十分に実感できていたのだ。
「中央の残存兵力を動かして、右翼に圧力をかけろ。これは命令だ」
『中佐ッ……了解いたしました。ご武運を』
もはや何を言っても無駄と判断したのだろう、通信が切れ、中央の部隊の一部がこちらを支援するように動き出す。同時に、アニスの眉が上がった。
「来たな。やはりここで動くか」
右翼に攻勢をかけているファイレクシア軍が、進撃を開始したのだ。こちらに中央からの増援が到着する前に、短期決戦を狙っているのだろう。そうでなくともこちらには増援が迫っているのだから、少しでも動きを見せれば反応するのも当然だ。
「全員、ここが正念場だ。今までのように市外での撃破は難しくなるだろう。小隊単位で分散し、敵に備えろ」
『了解!』
アニスを含む全員が、少なからず疲労していたが、声には張りがあった。自分たちが味方を救っているということと、圧倒的な敵と互角以上に渡り合っているということへの充実感を覚えていた。
やがて、モニターに映る敵影が、望遠で視認できるようになる。その数、三十。市街地を囲むように、三方から迫っている。
「無理はするな。撤退は各隊長に任せる」
近づいてくる敵に向けて、火器が火を噴く。それに対する倍以上の応射が市街地のビルを削り取っていく。広い平野への攻撃も、遮蔽物の多い市街地への攻撃も、決定打にはならない。互いに損傷は軽微。
砲門の数で優位に立つ敵の弾幕に、アニスは機体を市街地の中心へ後退させる。他の機体も同様だ。小さく息を飲み、本来より二回りほど小さくなった拳を握る。
「作戦開始!」
敵が、次々と市街地に駆けこんでくる。整地だけに、互いの移動は早い。ジャミングでも受けているのか、モニターの機影はランダムな点滅を繰り返し、ほとんど役に立たなくなっていた。それでも、アニスは機体を大通りに向けて走らせる。脇道を抜けた瞬間、敵機を確認。
短機関銃を構えた敵機が二機。赤い直線が豪雨のように降り注ぐが、そこにアニスはいない。地を蹴り、腰部に設置されたアンカーワイヤーを廃ビルにひっかけ空中に舞い、敵の頭上で振り返る。軽々と行われた機動に、敵の射撃は付いていくことが出来ない。足を止めた二機の背後に着地、そのまま一機にライフルを叩きこみ、僚機の断末魔に振り返ったもう一機の胸部にブレードを投躑。狙いたがわず鋭い刃先が火花を上げてコクピットを貫いた。
市街地のそこかしこで、戦闘が行われている轟音が鳴り響いていた。ブレードを回収したアニスは、技術少佐に回線をつなぐ。
『なに……でしょうか?』
ジャミングのせいで、音声が途切れる。構わず、獰猛な笑みを浮かべてアニスは言った。
「やはり、こいつはいい。会心の出来だ」
『……光栄です、……殿』
言っている間にも、さらに二機。アニスはさらなるデータと戦果のために機体を駆った。
『こちらα1。α2が戦死。現在、旧カテジナ区にて交戦中』
『こちらγチーム。弾薬が尽きます。後退許可を』
「αチーム、γチームと旧ルーザ地区で合流しろ。撤退を許可する。βチーム、状況を知らせろ」
『こちらβ1。こちらもβ2以外は弾切れです。現在ルーザ地区へ進路を取りました』
「……潮時だな。全軍、撤退開始。後方の支援車両も下がらせろ。私が殿を務める」
『――了解。ご武運を』
戦闘開始からすでに一時間半、その前も合わせれば二時間半は戦いづめだ。すでに始めの充実感はなく、延々と続く市街地での遭遇戦による全員の疲労の影は濃い。
三十機のうち、十七機を撃破、もしくは退却させていた。時間の経過と戦力の消耗は、あちらにとっても同じはずだ。敵も必至だろうが、こちらにはまだ纏まって引くだけの余力がある。
三チームが合流し、退却を開始。アニスもそれに続くべく無人の大通りを走りだした。
その時。
モニターが点滅。敵機の影。近い――上空。
「くそっ」
舌打ちし、機体を反転。狭い路地に身をひるがえす。同時、直前にいた場所に銃弾の雨が降りそそいだ。さらに続けて廃ビルから飛び出した一機のフレーム。左脇に長大な金属の槍を携えたそれは、アニスを追って脇道に入る。
左右が狭い脇道では機動性が生かせない。距離を離しながら、次の大通りへ飛び出した。ライフルを構え、脇道へ向けて射撃するが、敵の影はない。
代わりと言うように、大通りに面したビル壁が爆ぜ、槍を突き出したフレームが煙を引いて突進してくる。建物の中を強引に突っ切って行われた奇襲だ。反射的に右腕を盾とするが、鋭い穂先は火花を散らしながらそれを串刺しにした。
同時にアニスは右腕をパージ、左手で腰のブレードを引き抜き、右腕を外す反動で敵に切りかかる。予測していたのか、敵は右手で逆手に持ったブレードを脇腹に立てて構え迎撃。互いの獲物が甲高い音を立てて激突。勢いはこちらの方が上だが、重量と体格で相手が有利。押すことはできず、押し返させずだが、そのままでは不利と見たアニスは刃をはじき、距離を取る。
片腕が無くなったが、体感的なバランスに変化はない。つくづく良く出来た機体だと何度目かの賛辞を送りながらも、深く息を吸い、吐く。眼前の敵は、両手で槍を構え直している。カタログで見た、円錐形の内部に砲門を仕込んだ武器のはずだが、射撃をして来る気配はない。格闘戦で相手する、ということか。
「リーチの差で不利だな。しかし、振り切らんと引けないか」
ジャミングを受けた通信が、退却中の味方が追撃を受けていることを伝えてくる。すぐにでも援護に回らなければいけないし、ここに居ればいるほど、アニス自身の撤退が難しくなる。
さらに息を吐き――止め、機体を急発進させた。左右に鋭角を描き接近。放たれた槍は、残った左の肩をかすめるのみ。懐に入り、ブレードを突き刺す。
衝撃。
「……!」
敵の右手が、腹部のコクピット前に広げられている。稼働ぎりぎりの位置の上、衝撃を受けたために、右腕は装甲が変形してフレームが歪んでいるが、それでも、敵の右手は包み込むように『エリシェ』の突き出したブレードを食い止めていた。敵の頭部に仕組まれた機関砲が唸りを上げる。
普段ならば装甲をへこませることも出来るか怪しいという威力だが、至近距離で喰らえばダメージは小さくない。機体が悲鳴を上げ、モニタが危険を示す赤に染まる。通常ならば装甲を紙切れのようにズタズタに引き裂く子供の腕ほどはある弾丸の雨を受けてなお機体は形を保っていたが、さすがに限界だ。
「仕方がない――な!」
アニスは手早くモニターを操作し脱出機構の展開を指示。同時に自爆コードを打ち込む。
組み合ったまま、『エリシェ』の背面装甲が火薬で吹き飛び、パラシュートを内蔵したシートが射出される。ベルトで固定された座席にしがみつきながら、アニスは敵が無人となった『エリシェ』を片手で引き剥がすのを見た。
そして、次の瞬間。轟音とともに煙が上がる。
地面に落下したシートから素早く離れ、がれきの間に身を寄せたアニスは、これからのことを思案した。
「友軍との合流を考えるべきだが――いかんせん、だいぶ離れてしまったようだな」
フレームか、せめて車両でもあればまだしも、戦闘機動中の機甲化部隊に徒歩で追いつくのは不可能だ。すでに防衛線の構築も進んでいるだろうし、援軍も来ているだろう。敵が市街地から撤退する可能性は十分にある。ならば、どこかに隠れて敵をやり過ごすという方法も――
「――!」
軍服の埃を払いながら立ち上がろうとしたアニスは、背後、ビルの陰から巨大な影が現れるのを見て、身をひるがえした。友軍ではない、ファイレクシアの機体だ。
フレームの索敵範囲から逃れるには、今のアニスの歩幅は狭すぎた。威嚇として地面に叩き込まれたライフル弾の衝撃が、華奢な少女の体を周囲の埃とともに薙ぎ払った。
地面に打ち付けられた身体は、少女の容をしたパイロットスーツのおかげで打ち身一つ作ることはなかったが、突然の衝撃に揺らされた脳は、刹那の時間でアニスの意識を深い闇の中へ押し込んでいった。