反乱
このあたり、全体で見た起承転結の、承の承くらいの話。
話は少し前にさかのぼる。
固いシートに揺られて痛む尻をさすりながら、ニコラスはジープを降りた。助手席からリューシャも尻を上げる。
到着したのは森を抜けた先の出張所だ。プレハブ造りの小さな小屋が森を囲む柵の間に立ち、鉄製の遮断機が下りている。
「――自分はこの検問所の責任者、アズルハ中尉です。何用でしょうか」
兵士を二人従えて二人を迎えたのは、ニコラスと同じ中尉の男だった。男の方が年上だが丁寧語なのは、男が平民出身歩兵指揮官で、ニコラスがレームパイロットだからだ。貴族の特権の一つが武力の所持であり、その象徴たるフレームを駆るパイロットの立場は他の同階級の将校よりも高い。
アズルハと名乗った男の顔はこわばっている。タカ派ともいえる強硬な戦争継続派の新貴族、しかもこの基地においてはその先兵とすら見られているニコラスとリューシャが揃っているのだから、すわ大ごとかと緊張するのも無理はない。
「大した用じゃないんだが、ちょっとした抜き打ち検査に来た。まあお互い仕事もあるし、とっとと終わらせようや」
相手に緊張を強いても仕方がない。ニコラスはわざと口調を軽くした。リューシャが笑顔の一つでも浮かべてくれればもっと手っ取り早いのだが、不機嫌な相方はつまらなそうに周囲に目を配るだけだ。本人は大した意図もないのだろうが、まるで粗さがしをしているようにも見えてしまう。
「検査、といいますと?」
ニコラスの気配りもあまり効果はなかったようだ。むしろ背筋を伸ばしなおしたアズルハが硬い表情で唾をのむのを見て、ニコラスも友好的な関係を築くことを半ばあきらめる。顎の先でプレハブを指す。
「とりあえず現在のシフトを確認させてくれ。それと実際の配置を見比べてサボってる奴が居ないかを確かめて、あとは簡単な質問に答えてもらうだけだ。ああ、あと一応備品の確認もさせてくれ」
「わかりました。では、あちらに」
あっさりと通してくれるのは、面倒事は早く終わらせたいという気持ちからだろう。プレハブに通されると、アズルハは壁に鋲でとめられた紙を取って机に置く。地図とマス目の並ぶシフト表だ。
「我が隊の警備範囲がこちらになります。常時十人が三交代制で警備にあたっています」
「ご苦労様だな。備品、とくに武器類のリストはあるか?」
「あります。……そこのロッカー内にライフルを収納しています。持ち出し時間と収納時間をリストに記録して管理しています」
ほう、とバインダーに閉じられたリストに眼を落したニコラスは思わず声を上げた。ロッカーに振り分けられた番号で、それぞれのライフルと弾の管理が厳格にされていたからだ。
「検問ですから、通行者のリストもありますよ」
「まあ、それはいい。そうだな――おい、リューシャ」
「ハイ?」
暇そうに窓の外を見ていたリューシャが意外そうに振り向く。仕事を振られるとは思っていなかったようだ。
「俺はこっちの中尉殿と外の調査に回る。お前は検問内の調査をしろ」
「ナニをシロと?」
「そこに無線があるだろ。一週間以内の、定時連絡以外の連絡先を確認しとけ。終わったらここで待機だ」
とりあえず、兵士相手の聴取をリューシャに任せるのは無理だと判断し、適当な仕事を割り振っておく。リューシャは不満を隠そうともせず口をとがらせる。
「そこまでは――大尉に命令されていないのデハ?」
「やれって言われたことをやるのが軍人だ。やるからにはきちんとこなすのが俺の流儀だ」
「中尉のリューギに私が付き合う必要は……」
「お前がやらなければ俺がやる。俺の仕事が増える分、終わるのは遅くなるぞ」
殺し文句でリューシャを黙らせる。能力がないわけではないが、戦闘以外の命令を実行させるのが難しいのがこの女性将校の面倒なところだ。彼女を上手く御せるニコラスを相方に着けたエスキベルは流石に慧眼だった。
頬を膨らませながらもリューシャは無線機に座り、通信履歴を出力し始める。それを横目で確認しながら、ニコラスはシフト表に乗った地図を見て頭を掻いた。
「結構散らばってるな。結構手間だぞ。哨戒中に呼び出すわけにもいかねえししょうがねえが……リューシャ、サボるなよ。終わったらここで待ってろ」
「まったく、なぜ中尉のリューギに合わせなくてはいけないのよ。そもそもリューギとはどういう意味なのよ」
二人の中尉が去ったプレハブの中で、リューシャはぶつくさと呟きながら出力作業を続けている。といっても無線機に指示を出した後は延々と吐き出される紙が出切るのを待つだけなのだが。
「どうせ、なにも出てこないんだし。こうやって周囲の検問を調べていたら、フレームに埃が溜まってしまうわ」
紙よりも速く吐きだされるのはリューシャの母国語での愚痴だった。軍で生きていくためには絶対必須とはいえ、いつまでたっても訛りの抜けないファイレクシア語を使うのは彼女に結構なストレスをもたらしているのだ。
不本意な任務に就かされていることも相まって、リューシャの愚痴は途切れるところを知らなかった。
「一週間分って結構あるじゃない。機関銃の説明書ならいくらでも読めるけど、こんな記号の羅列は見る気もしないわ。そもそも中尉はなんで大尉の言いなりになってるのよ。こんなもの、適当にやったとしてもバレないでしょ。けっきょくあの男も上に尻尾振るだけしかできないのよねっ」
アズルハと一緒にいた兵士は外で検問を見張っているので、プレハブに残っているのはリューシャだけだ。それをいいことに、普段以上に同僚に対しての愚痴まで混じり始めている。
だから、背後で物音を感じ取った時、リューシャははっと振り返った。
「ナニカ?」
扉を開けて入ってきたのは、アズルハと一緒にいた兵士だ。言葉は分かるまいと高を括りつつも、勤務中に同僚の悪口を言っていたバツの悪さから、リューシャの視線はいつもよりさらに険悪だった。しかし兵士はそれを気にするそぶりも見せず、無抵抗を示して両手を広げた。
「寒い中ご苦労様です。よろしければ、粗茶ですが温かいものなどいかがでしょう」
「……ドウモ」
そっけなく返すリューシャの背後で、カップをいじる硬質な音が鳴る。面識もない兵士相手に愚痴をぶつけない程度には、リューシャも一応の大人だった。この地方の寒さなど燃料も少ない故郷の冬に比べればぬるま湯のようなものだが、どうせニコラスが帰るまでは暇な身だ。一服する程度はいいだろう。
ポットから湯のこぼれ出る音がする。吐き出され続ける髪を横目で見ながらあくびをかみ殺す。
手持無沙汰に紙の表面を視線でなぞるが、履歴だけが並ぶ紙面は面白みの欠片もない。あまりの退屈さに眠気を誘われ、凝ってもいない肩をほぐす。
違和感があった。
カップ一つに湯を入れるにしては――背後の音は長すぎた。
一抹の不信をおぼえ、振り返る。
その額に、長い警棒のようなものが振り下ろされた。
「くぅ!」
エースパイロットの動体視力と反射神経がなければ、そのまま額を割られていただろう。かろうじて首を振って一撃を避けるが、肩に鋭い衝撃と熱。倒れこむように見せかけて、足元から椅子を弾きだし、片手で地面を弾いてネコ科の動物のように姿勢を下げたまま襲撃者の脇に回る。
痛む左肩を無視して右手で手刀を突き出すが、襲撃者に弾かれる。互いに攻撃を防がれたことで生まれる膠着状態。それでようやく、リューシャは襲撃者の姿を確認できた。
「貴様――ナンのつもりデスか」
重しを乗せられて、カップからこぼれても湯を出し続けるポット。それを背後にして、カップに湯を注いでいるはずの兵士は慣れた手つきで得物を構える。長い警棒は、刀身に当たる部分から電流を流す武器だ。殺傷性は低いが、頭部に一撃を喰らえば間違いなく行動不能になる。
兵士の構えは踵を軽く浮かせ、右手のみで得物を持つ正眼――明らかに訓練された者のそれだ。下級兵士に多い、被支配地民からの志願兵にしては練度が高すぎる。
つまり、突発的な反乱ではなく、潜入するところから始まった工作活動だ。しかし、それにしては襲撃の方法が雑に過ぎる。わざわざ工作員を潜り込ませたなら、背後からスタンロッドで襲うような確実性の低い真似はしないし、一士官に過ぎないリューシャを狙うのも不自然だ。
「つまり、無線機の履歴を見られては不味い――そういうことデスネ」
考えられるのは、計画になく、しかし行う必要性の生まれた突発的な襲撃。その起因となるのは、おそらくリューシャの漁っていた通信履歴というわけだ。
リューシャは戦闘以外の任務に対して怠惰なところはあれど、決して馬鹿でも無能でもない。この襲撃が相手の計画のうちにないなら、襲撃者はほかに居ない可能性が高い。すなわち、この兵士を捕らえればこの場は収まる、ということを理解している。
狭いプレハブの中でにらみ合うふたりの距離は互いに伸ばした拳が突き合う程度。腰のホルスターに手をやる時間は、リューシャにはない。相手のホルスターにも拳銃が収まっているが、武器を持っている兵士がわざわざ銃を抜いて隙を見せるとは考えられない。
幸い両手が空いている。スタンロッドをもつ手首を押さえ、そのまま押し倒して制圧するのが、狭い室内では有効だ。隙を見せないようにしながら軽く動かすと、疼痛はあるが左肩は上がる。負傷と武器のハンデはあるが、仕掛けざるを得ないのは相手の方だ。このままにらみ合っていれば、ニコラスたちがいつか戻ってくる――あの中尉が裏切者でないとすれば、だが。
その可能性についてはリューシャは低いと考えていた。士官クラスにまで工作員を仕込めるのなら、こんな無線機の履歴などいくらでも誤魔化すことが出来る。それに、例えアズルハ中尉が裏切ろうと、ニコラスならばどうにかできると思う程度の信頼は置いている。
動いたのは、やはり相手だった。一瞬だけ、視線が開け放たれたプレハブのドアを見た。
動きがあからさますぎる。陽動と判断したリューシャが床を蹴り、手を伸ばす。
しかし、その後の相手の反応は予想外だった。兵士は、得物を勢いよく振り下ろしたのだ。その先にはリューシャはおろか何も置いておらず、スタンロッドは空を掻く。その袖から、何かが転がった。その正体を見たリューシャの瞳が凍る。
予め仕込んであったのだろう――落ちた手榴弾の立てる、固く重い音が床を転がる。
一瞬でも身をすくめてしまえば、リューシャの身体は破片と爆炎に凌辱されていただろう。示し合わせたように兵士とリューシャは入り口に走り、爆風に押されて小屋の外に弾きだされる。
「っあぁ!」
よりによって左肩から倒れこみ、全身に広がる激痛にリューシャが呻く。背後でいくつもの破裂音がした。プレハブに保管してあったライフルの弾に引火したのだろう。倒れたままでは酸欠か火傷で死ぬだけだ。肩を抑えながら立ち上がり、炎上するプレハブから遠ざかる。
プレハブ小屋の屋根が半ば吹き飛んで黒い噴煙が上がっている。派手なのろしだ。すぐに司令部が異変に気づき、緊急対応を図るだろう。煌々と火に照らされる付近に兵士の制服は見えない。森に逃げたかと視線をやるが、すでに兵士の姿はどこにもなかった。
『非常事態宣言、第二級! 総員持ち場へ!』
頭上で警報と無線が飛び交い、人の流れが濁流のように混ざり合う。
「第二級の非常事態宣言!?」
「少尉、第二級というのは――」
アニスはキャロルに腕を掴まれつつ、引きずられるようにして道の脇に退いた。左右に走っていく兵士たちは緊張感に満ちた顔でライフルを握っている。周囲が突然ざわめきだし、予想はついたが、アニスはあえて問う。
「この基地への直接攻撃、かつ小規模なもの――破壊工作ってこと!」
振り向きもせずに答えたキャロルは、一瞬戸惑ったように左右を見る。
「少尉、では、我々はどうすれば」
「出撃可能な人員は全員出撃準備で待機なんだけど、エリシェは――宿舎で待機、かな。そっちの方が近そう。いくよ」
こちらの了解を待たず、キャロルは腕を掴んだまま歩き出した。司令部に戻るかどうかを秤にかけたようだ。
「少尉、私は一人で戻りますから、はやく持ち場に」
「緊急時でも――緊急時だからこそ、エリシェを一人で戻らせることなんてできない」
緊急時とはいっても、いちパイロットのキャロル一人で状況が大きく変化するわけでもない。アニスがキャロルと同じ立場でも、かよわい少女一人を放り出して任務に向かおうとは思わないだろう。そうしている間にも、営舎であるアパートが近づいてくる。
ここで上手くやれば、この基地から脱出できるかもしれない。その考えが脳裏に張り付いているが、冷静な指揮官としてのアニスが歯止めをかけた。
状況は不明だが、大規模な襲撃ではない。考えられるのは少数の工作員の活動か、兵士の反乱。突発的なものならば、おそらくはすぐに鎮圧される。下手に動けば襤褸をだし、状況は悪化する。奥歯を噛みつつ、アパートに駆けこまざるを得なかった。
「別命あるまで部屋で待機。いいね!?」
「……了解です」
アパートの入り口で、周囲を警戒しながら言うキャロルの額には汗。鳴りやまない警報や、遠目に見える司令部を囲むように動きだしたフレームの地響きが緊張感に拍車をかけているようだ。アニスはおとなしく階段を上り、二階に上がる。そこまでを確認して、キャロルは背を向けて走り出した。
彼女は、この機に乗じてアニスが逃げ出そうと考えるなど、想像もしていないはずだ。それでもここまで一緒についてきてくれたのは、アニスの身を案じているからだ。いっそのこと余所者と邪険に扱ってくれれば、と思うのを自分勝手と戒めつつ、ひとまずアニスは自分の端末で部屋のロックを外し、殺風景な部屋の椅子に腰かけた。
端末上に、手書きで書き込んだ地図を表示。不明な点は多いが、基地のおおよその配置を予想を含めて記入したものだ。それをのぞき込みつつ、状況を確認しようとする。
「――さすがに、難しいか」
不明な点が多すぎる。欲しいのは情報だった。なんでもいいから、と窓に視線を投げて耳を澄ませる。最初の混乱が収まったのか、警報に混じって具体的な命令が下されている。
『以下のものを、発見次第拘束せよ。第1混成大隊第1中隊所属、エミール・ブノワ軍曹。検問所を爆破し、現在逃走中。また、各自不穏あり次第報告。厳戒態勢であたれ』
検問は、基地を取り囲む森の中に配置されているはずだ。その爆破。行為に、何らかの意味があるのだろうか。最前線に近いならともかく、連隊の司令部ともなれば正面の検問はせいぜいボディチェックと襲撃者の第一次発見くらいしか任務はない。本当の門番は周囲に点在する基地であり、それを抜かない限り前線からの兵力がここまでたどり着くことはできない。
混乱を起こすにしても、基地の外周では大きな効果は求められない。狙うのなら、司令部自体とはいかなくともフレームの格納庫や食料を備蓄してある場所、兵士の営舎といった近づきやすい場所を狙うべきだ。
端末が鳴った。司令部からの転送で、エミール・ブノワの顔写真が転送されてきている。これといって特徴のない、実直そうな男だ。髪を伸ばしているようだが、写真の中の彼はそれをオールバックでまとめている。スパイなのか、一兵士の反乱なのか。どちらにせよ、検問の爆破というのは計画されていたにしては効果がなさすぎる。おそらくは突発的な行動で、アニスの脱出の糸口とはなりえそうにない。
「今回の件で、警備は厳しくなる。余計なことを」
思わず毒づくが、すでにアニスはかごの中の鳥だ。椅子に座り、事態の推移を見届けるしかなさそうだった。
「キャロル。エリシェは」
『営舎まで送り届けたよ。絶対に出ないようにって念押ししたから――たぶん、大丈夫だと思う』
格納庫に走りこんできたキャロルを見て、すでにフレームに搭乗しているクローディアは短く問いかけ、キャロルの返答に軽く胸をなでおろした。
地面に膝と手を突いた待機状態のフレームに駆け寄ったキャロルが、軽業師のような身のこなしで乗り込んでいくのを見守る。
『状況は?』
「現在もスパイは逃走中。現状、被疑者は単独だ」
ゆっくりとフレームを立ち上がらせつつの、キャロルからの通信。クローディアの視線はたえず左右を探るが、視界の中に怪しげな影はない。
「共謀者がいないとは限らない。気を抜くな」
基地の中には通常警備のフレームのほかに、すでに緊急で出動している部隊もある。クローディアたちが命じられたのは格納庫での待機だ。出るに出られず、ただ待つだけという命令にはいら立ちをおぼえるが、全てのフレームを出撃させた場合の混乱と、それを収容する際の混乱を考えれば妥当な指示ではある。
『でもさ、クローディアの電話にはびっくりしたよ。出るなりいきなりエリシェはいるか?って』
「疑っているわけではないのだが」
『心配だったんでしょ? わかってるって』
キャロルの言葉に、彼女には見えないコクピット内で、クローディアは複雑な表情をした。口で言うのとは裏腹に、クローディアはエリシェが共犯者である可能性を排除していなかった。自分の不信感の深さを自覚しながらも、必要な処置だと言い聞かせる。
『中尉、エヴァ少尉からの通信です。司令部が基地周辺の広域捜索網を指示しました』
耳に飛び込んでくる情報は、クローディアの右手で出撃指示を待つ、ラヴィニアからだ。
『編成は?』
『第1混成大隊が中心となり、襲撃を受けた北側を重点的に捜索。その他、各独立部隊にも指示が出ているようです』
『ウィンドグレイス卿からの指示は?』
『……中尉に任せると』
つまり、動いても動かなくても困らない、ということだ。麾下を動かして協力する形であればハミルトンは司令部、とくに第1混成大隊の指揮官であるマルクス・ザイフリート伯爵に恩を売ることが出来る。動かずに出動準備で待機していれば、それはそれで不測の事態に備えることが出来る。
『どうするよ、中尉殿?』
冗談めかしてキャロルに急かされ、クローディアは思考する。中途半端で待機をするより、身体を動かした方が個人的には気が楽だ。しかしハミルトンのいる司令部やエリシェの待つ営舎など、いざというときに守らなければならない場所もある。
どちらかを選んで外れを引く可能性。周辺の捜索は、被疑者が基地の内部に逃げ込んでいれば空振りに終わる。かといって、この事件自体は傍目にも突発的な犯行で、前線で向き合っている敵やほかに残っている共謀者からの基地襲撃の可能性はやや低い。捜索自体は空振りに終わっても、外部を囲んだ状態で内部の捜索を行うことが出来れば被疑者は確実に発見できる。ならば捜索網の構築に力を貸したほうが効率的か。
『エヴァ。ウィンドグレイス卿に連絡し出撃許可をとれ』
『了解です、中尉』
ニコラスとリューシャは、現場のの状態保存と周囲の警戒をアズルハに任せ、ジープに飛び乗っていた。
「クソ、めんどくせぇことになりやがった」
自分の機体の格納庫に向かってジープを操縦しながら、ニコラスは毒づいた。自分だかリューシャだかの強運には恐れ入る。まさか一発目であたりを引くとは。
「エスキベル大尉はどこまで読んでいやがったんだ。これも手のうちなのか、それとも偶然か」
偶然なら事態の引き金を引いたのはニコラスたちということになってしまう。早期にスパイを発見した功績と取り逃がした失態のどちらになるかは上の政治力次第だが、今はそれを考える時ではない。
「中尉、もっと速度は出ないのでしょうカ!」
「うるせえ、ちょっと黙ってろ」
傍らでリューシャがせっついてくるが、積載量重視のチューンをされた基地の移動用ジープでは一般道の制限速度程度が限界だ。リューシャの全身から怒りのオーラが発されているのは痛いほど感じられたが、それに充てられてニコラスまで焦っても仕方がない。
格納庫が見えてきた。そこで、野戦服の胸ポケットが振動する。片手でハンドルをきりながら、着信に応答する。
『エスキベルだ。リューシャは無事か』
「俺の横で喚く程度には。しかし大尉、これからどうします」
『そのまま格納庫で待機だ』
「追わなくてもいいんで?」
『それは、名誉回復に燃えるマルクス卿にまかせろ。他の独立部隊も半数ほどが出動している。皆、伯爵家には恩を売っておきたいだろうからな』
ザイフリート家はそれなりの家柄を持つ名門。皇室御用達の宝石商と深い繋がりがあり、政治力はかなりのものだ。名門の誇りとして新貴族には反感を持っているから、下手に触れるよりは事態の推移を見守れと言うことだろう。
「俺はいいですけど、リューシャの奴が静まりませんよ。形だけでも捜索するってのは? 存在がばれた以上、奴さんも基地にはとどまらないでしょう」
すでに全軍に手配状が行き届いている状態だ。まともな人間なら、ぐずぐずとして掴まるような真似はしまい。
『裏をかかれる、という可能性もある。捜索の結果が出るまでは待て』
「了解」
ぐ、とブレーキを踏み込んで荒い制動をかけ、ジープが停車する。扉を開ける時間も惜しいのか、リューシャは軽々と扉を飛び越えて自分の機体に駆け寄っていく。
「フラド中尉、機体は第一種兵装で待機済み! いつでも出られるぜ!」
「助かる!」
鍵をかけ、ニコラスも整備兵に礼を言いながらジープを降りた。
次回、24時間後に予約投稿。